第82話 遺恨
きっかけは、仮入部一週間が経過した朝練だった。
朝練は一時間ほどの短い活動のため、コーチも顧問もいないなかでの練習となる。基礎打ちからラリー、リターン練習、スマッシュ練習という流れだが、さいごのスマッシュ練習で凛久とペアを組んだ乙幡が、露骨に凛久のミスに対してため息をつくなどの態度を示したのである。
おそらく本人に悪気はない。
しかしながらチームでの活動に興味のない彼からすれば、相方がミスをするたびにラリーが途切れるのはおもしろくない。自分が打っていればラリーがつづいたものを、という気持ちが漏れ出たのだろう。
当然、凛久にとってはプレッシャーとなるし、ほかのメンバーもおもしろくない。とはいえ本人に悪気はなさそうなので注意をするのもむずかしい。というわけでこの日はみながモヤモヤを抱えたまま、最悪な空気感で朝練を終えたのであった。
ただひとり蘭花だけは、空気が読めないのか読まないのか──いつもどおりの元気な声で盛り上げていたが。
「琴子だいじょうぶ?」
昼休み、クラスメイトから声をかけられた。
そんなにひどい顔をしていただろうかと頬を手でおさえると、クラスメイトはいやいやと手を振った。
「テニス部さ──なんだかすごいメンツになってきたじゃない。さっきテニスコートの前を通ってびっくりしちゃったよ。ただでさえ高宮兄とか橋本とかいるのに、金髪とか赤髪とかえらい見た目の子もいるんだもん」
「ああ……全然そんなんじゃないよ! 見た目はすこし派手だけど、みんなとってもいい子たちばかりだし。とくにマネージャー志望の夢咲さんはおもしろくて元気もらえるんだ」
「そ、そうなの。琴子はえらいね。見た目で人を判断しないから」
「私も、さいしょはびっくりしたけどね」
といって琴子はわらう。
クラスメイトは購買行ってくる、といって教室を出て行った。さてごはんはどこで食べようかしらとなんの気なしに廊下の窓から中庭を見下ろしたときである。見慣れたふたりの男子学生が見えた。とくにあのワインレッドの髪色──赤月豪だ。
いっしょにいるのは乙幡瑛。
およそ仲良くご飯を食べるような関係性ではない。訝しんだ琴子がふたりのようすを観察してみる。すると二言、三言ことばを交わした瞬間、赤月が乙幡の左頬を殴り飛ばした。
「エッ⁉」
おもわず窓から身を乗り出す琴子。
乙幡が尻もちをつき、口元をぬぐう。つづいて赤月が二発目を浴びせようとしたところで、琴子は「コラーッ」とさけび、窓から飛び出した。──ここは二階である。
声に気づいた赤月と乙幡。同時にこちらを見る。あわてて赤月が駆け寄るも間に合わず。琴子は両手両足をついて地面に着地した。ジン、と全身に走るしびれに耐えて、ゆっくりと立ち上がる。
琴子さん、と肩をつかんできた赤月をキッと睨みつけ、あわてて乙幡に近寄る。
彼はいまだに尻もちをついたままだった。
「乙幡くん、大丈夫ですか!」
「はあ────」
「ち、ちょっと琴子さん。琴子さんこそ大丈夫なんスか! 二階からあなた……」
「赤月くん!」
「は、ハイ」
「どうして乙幡くんのこと殴ったりなんか……ひどいです!」
「え。いやだってソイツ──!」
「乙幡くん、保健室に行きましょう。はやく冷やせばそんなに腫れないとおもいますから」
「いや大丈」
「だいじょうぶじゃありませんっ。いいから立って!」
「…………」
乙幡がよろりと立ち上がる。
その肩を支えながら、琴子はむなしく手をさまよわせる赤月に一瞥を向け、
「暴力で解決しようなんて……最低です」
とつぶやき足早に保健室へとむかった。
保健医不在の保健室で、琴子は手あたり次第に棚をあけて湿布を探す。
そのあいだ乙幡は琴子に押しつけられた氷嚢を頬に押し当ててだまっている。ようやく見つけたそれを乙幡の頬に貼り、氷嚢の氷を流しに捨てた。
「喧嘩の原因はなんですか」
氷嚢をもとの場所にもどしがてら尋ねてみる。
乙幡はあさっての方を見て、言った。
「べつに喧嘩じゃ。アイツが勝手に殴ってきただけで」
「理由もなしに?」
「まあ。なんか言ってたけど聞いてなかった」
「…………」
「あの、もういいんで」
「あ……でも、傷」
「マスクしてればバレない」
といって、ブレザーのポケットから黒いマスクを取り出して装着する。すこし大きめのそれは湿布ごと傷をうまく隠した。
「乙幡くん」
「チームとか団結とか、」
「え?」
「そういうのを重視するならなおさら──ああいうヤツは入れないほうがいいんじゃないの」
「…………」
「べつに、どうでもいいけど」
といって乙幡は保健室を出て行った。
ひとり残された琴子。胸に残るは妙な虚無感がひとつ──いったいなにが正解なのか分からずに、ただ自分の無力さが情けなくて、琴子はぐすっとちいさく鼻をすすった。
────。
「仮入部一週間でサボりかよ」
新名がわらう。
というのも、放課後練開始の時間になっても赤月豪が来ないのである。ちなみに乙幡はマスクをつけたまま練習に参加している。ショートラリー、ボレーボレー、基礎打ちという流れでおこなわれる練習を、琴子は世界の終わりと言わんばかりの顔色で見つめた。
サーブ練を終えての水分補給タイムに、とうとう琴子が動き出す。練習メニューの指示を出す凛久と蓮のもとへ駆け寄り、ふるえる声でふたりを呼んだのである。
「どうした、黛さん。すごい顔して」
「…………相田くん、凛久くん」
「なんかあった?」
「あの、あの──赤月くんのこと。きっと私のせいなの」
琴子は涙をこらえてすべてを打ち明かした。
途中からなんだなんだと集まってきた二年生の顔が、みるみるうちに怪訝に歪み、やがて視線が乙幡に集まる。
おもわず逃げの姿勢をとった彼の襟首をひっつかみ、マスクをはぎ取る雅久。顔を覗き込んだ新名は「うわ」となぜかうれしそうな顔をした。
「おまえ~イケメンになったじゃん」
「うっせース……」
「ったく、出会って一週間で殴り合うってどんだけ虫が合わねえんだお前ら」
「べつにこっちは手出してねースよ」
「そういう雅久と秀真だってはじめの頃はいがみ合ってたじゃんかよ。なあ?」
「うるせー。とにかく、なんで殴ったのか赤月に聞かねえとな」
「どうでもいいッスよ。それより練習──」
「どうでもいいわけねえだろ。そういう遺恨ははやめに潰さねえとあとあと引きずるんだよ」
と、雅久がつぶやく。
それを聞いた琴子はパッと立ち上がり、
「私、赤月くんと話してきますッ」
と力を込めて言った。
まだ構内にいるかもしれないから──とマネージャー用具一式をベンチに置いたところで、その肩ががっしりと掴まれた。キラキラとデコレーションに彩られた生爪は、夢咲蘭花の手。彼女はにっこりわらって胸を張った。
「こーゆーことは、あたしに任せなッ。ちょっくら赤月の馬鹿引きずりだしてくっからよ!」
駆けていく蘭花。
ぼう然と見送る部員たち。
ため息をつく乙幡。
「…………」
一部始終を見守っていた遥香と伊織は、顔を見合わせて苦笑した。
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