第3話 部員候補
まだ引き受けたわけでは、と伊織は口ごもった。
しかし谷遥香は落胆するどころか「ええそうでしょうとも」と神妙な顔つきでうなずく。彼女曰く、もともと今日は話をくわしく聞いてもらうだけのつもりだったから──とのこと。いったい誰と間違えているのかと伊織は眉を下げたが、興奮したようすで話を続ける遥香に水を差すのは気が引けた。正直なところ、伊織にとっても桜爛テニス部の行く末は他人事ではないと思っていたからでもある。
話は分かりました、と伊織がふてぶてしくつぶやく。
「でも結局、あとふたり部員がいないと成立しないんでしょう。せやったらうちが引き受けたところで無駄やとおもいますけど」
「で、でもッ。ひとりはいるんです。そうよね凛久くん」
「そうそう。さっき言った扱いにくい奴のことだけど、そいつすっげーテニスうまいんすよ。そうだろ凛久」
遥香と蓮は同時に凛久を見た。
ものすごく、本当にものすごく動揺した顔で「うん」と曖昧にうなずく凛久に対して伊織はじとりと疑いの目を向ける。彼のようすを見るかぎり、どうにも釈然としない。その視線に気がついたか凛久はあわてて首を振った。
「あっあの、テニスがうまいのは本当です。小学校に入る前から引くほどうまくて、トロフィーとか賞状をめちゃくちゃ貰ってて──桜爛テニス部にはマジで一番ふさわしい奴には間違いないんだ、けど。たぶんその、アイツいまテニスが嫌いになってるから入部してくれるかどうか。……」
「は?」
「いや、本心じゃないとは思いますッ。アイツだって昔は桜爛テニス部に入ってこの手で王者をとり戻したいって言ってたくらいだから。でも昔から、同時に親にすごい期待を背負わされて。テニスの英才教育っていうか──ちいさいうちからテニス一辺倒の生活を強要させられて、そういうのを重ねていくうちに、だんだんテニスのこと嫌いになっちゃったんです。たぶん反抗期が重なったからだと思うんですけど」
と、まるで自分事のような物言いをした凛久の表情は深刻だった。
わたしからも再三説得してるんですけど、と遥香は困り顔でつぶやく。
「頑として首を縦に振ってくれないんです。自分より弱い奴から指導なんか受けたって、おもしろくもなんともないって。おかげで、これまでも何人か指導者候補の方はいたんですけど──その人のテニスを一目見ただけで『アレがコーチになるなら入らない』の一点張りで」
「ハァ!」伊織は鼻でわらった。「いつの代にもそういうクソガキがひとりはいてるもんですなァ」
「え?」
「いえこっちの話」
「でもね、決してテニス部のこと一ミリも考えてないってわけじゃないとおもうんです。さっきだって休日なのにコート近くで見かけたし。まあ、いつものとおり凛久くんが心配で来たのだとおもうけど──」
遥香はフェンスの外をきょろりと見た。
そういえば、ここに来たときコートを睨みつける学生がひとり立っていたっけ──と伊織は思い返す。遠目だったゆえくわしい表情は分からなかったが、テニスに興味のない人間がわざわざコートまで赴くことはあるまい。伊織はフン、と鼻を鳴らした。
「その天邪鬼クンは、いまどこにおんねん」
「えっ。七浦コーチ、まさかそいつのことボコすとか言わんっすよね」
蓮がおののく。
だれがコーチやねん、と言いながら伊織は踵を返し、ベンチ横に横たえた自身の縦長スーツケースのところへ向かう。手早くジッパーを下げてスーツケースを開けると、そこからずるりとあるものを取り出した。──赤いラケットだ。
唖然とする三人に向き直り、ラケットを凛久に向けた。
「ようするに、や。そいつと試合してうちが勝てば、おとなしゅうテニス部へ入部させることができるわけやろ。そしたら三人は確保できる。簡単な話やん」
「でも、これまでのコーチ候補たちはみんな」
「ええからはよそいつここに呼びィ。テニス部、なくしたないんやろ!」
伊織の声に怒気が混じる。
瞬間、凛久の背筋がピッと伸びた。
「オレ呼び出します!」
携帯を取り出す。
そのようすを伊織は不思議そうに見つめる。それからコソリと、コーンポタージュの缶を逆さに振る蓮に問いかけた。
「てかその子、凛久くんとどういう関係?」
「あ、まだ名前言ってませんでしたね。そいつ
凛久の双子の兄貴なんです、と。
蓮のことばを聞いた伊織の目がわずかに見ひらかれる。
「双子?」
「はい。ま、性格は気持ちいいくらい真逆ですけどね。凛久はご覧のとおり馬鹿でお人よしで親切で泣き虫な──まあいわゆるいいヤツなんですけど。兄貴の方は頭はいいのにかなり擦れてて、同級生たちはちょっと近寄りがたいっつーか。あ、でも普通に仲良くなりゃいいヤツなんすよ。凛久がああだからか面倒見はいいし」
「凛久くんが心配って、なにを心配することがあんねん」
「最近、野呂が神出鬼没でコートにあらわれるんすよ。まだ自分が指導者の意識なんでしょうね。勝手にコートを使うなって、凛久に対していちいち嫌味言ってきて、そのたびに凛久が悔し涙を流しながら帰るもんだから……最近雅久がようす見に来るようになって」
「過保護な兄ちゃんやな」
「だから、慣れれば普通にいいヤツなんすよ」
「蓮くんは慣れとるんや」
「高宮兄弟とは小坊からいっしょなんで」
といって、蓮はずっと手中に握っていたコーンポタージュの缶をようやくベンチに置いた。どうやらあと一粒残ったコーンは諦めたらしい。
──桜爛テニス部三人目候補、高宮雅久がコートに姿を見せたのは、凛久が電話をして五分もしないころだった。
双子なだけあって顔立ちは凛久とよく似ている。が、無造作にうしろへ流された髪型や内面から醸し出される雰囲気によって、総合的に見るとまったく似ていない。
ところでずいぶん早い登場におどろいた凛久がワケを問うと、彼は乱暴な口調で「図書室で寝てたんだよ」と答えた。どうやら眠っていたところをしつこい着信によって起こされたそうだが、そもそも今日は休日である。帰宅部であるはずの自分が学校にいる理由については、いっさい触れようとしない。
さて、高宮雅久。
なぜテニスコートへ呼び出されたのか──そのワケは聞かずとも分かるようだった。
ぎろりと伊織を睨みつけ、
「また腕試しかよ。しかも女……」
と吐き捨てるようにつぶやく。
とはいえ、それに関しては遥香や部員ふたりも不安はぬぐいきれない。なぜなら伊織は長い髪をゴムでひとまとめにするだけで、着替えもしないのである。いくら初心者に指導するのがうまいからといって、試合で勝てるかどうかはまた別の話だ。伊織の実力を知らない以上不安を抱えるのも当然だろう。
しかし伊織は気にしなかった。
まじまじと高宮雅久を見つめてから、アッとふたたびスーツケースに寄る。今度取り出したのは白のテーピングである。どこか怪我でもしているのか──とますます不安な顔をした遥香をよそに、伊織はベンチに腰かけるや裸足にテーピングを巻きつけてゆく。
何してるんですか、と凛久が目を見張った。
「シューズないの?」
「うちの野試合はな、昔っからこのスタイルでやっとんねん」
伊織が二回ジャンプをして感触をたしかめる。
それを聞いた雅久の肩がぴくりと揺れた。先ほどまでの懐疑心にまみれた瞳から、わずかに期待のこもった目つきに変わる。伊織はカゴに盛られたボールから空気のよく入ったボールを探して、二球取り出した。
ラケットを地面垂直に突き立て、伊織はにっこりとわらった。
「さ。やろか」
ゲームの開始である。
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