『高峰中佐の謀叛 地球脱出計画』

N(えぬ)

善悪に関係なく決断しなければならない

 地球統合政府軍の高峰たかみね中佐は、全人類対象の地球脱出計画において、脱出者の選抜をする責任者に任命されていた。


 地球は、人間が住める環境ではなくなり、S星への脱出計画が策定されたが、全人類をS星へ移すことなど到底無理なことだった。そこで地球統合政府が一方的に人類から選抜した人間を脱出船に乗せて順次送り出すことになった。これが『Z計画』と呼ばれた。


 Z計画での脱出対象者の選抜は、無作為の抽選ではなく、Z計画準備委員会の考えた選抜要件を満たした人間を対象とした。簡単に言うと、人間に基準を付けて評価し、上位の者だけを新天地に送り出そうと言うことである。


 このような方法であったから、人間の反発は大きく、世界中で暴動が起きた。そしてこの抵抗は軍によって徹底的に排除された。Z計画への抵抗は、イコール、地球脱出の選抜からの除外を意味していた。


 Z計画の立案推進の中心人物は評判が悪かった。多くの人間から恨みを買っていると言ってよかった。だから軍上層部や政治家達は『委員会』としか名乗らず、その委員会のメンバーが誰であるかは伏せていた。それでも、その委員会の命令により実務的な仕事を担当する者の名前だけが公表されていた。それが高峰中佐だった。だが彼は、それほど大きな非難を受けてはいなかった。中佐は委員会に表面的な責任を押しつけられた悲劇の人と捉える人が多かったからだ。



「あなた。折り入って話があるって、なあに?」

 高峰の妻マリーは、微笑んでいるが実際にはそうではなかった。深刻になりすぎないよう、そうしているだけだった。

「地球脱出船への搭乗のことだが……」高峰中佐は、そう言うと次のことばがなかなか出てこなかった。中佐は軍人であり、必要なことははっきりと明確に話すことを常にしていた。その彼が今、妻に言いよどむほどに動揺していた。それでも彼は、目だけは真っ直ぐにマリーを見ていた。マリーも彼の目を見ていた。そして「あたし達は、乗らないのでしょう?」とすでに心得ていましたという調子で言った。そのことばには軍人の妻という気概が感じられた。


「お見通しか」中佐はマリーの目から自分の目をそらして、下を向いた。するとマリーが中佐の顎に指を触れると、「顔を上げて」と軽く歯を食いしばって微笑みを崩さぬようにしていた。

「私たち家族は、脱出船に乗らない。これが私の、今回の仕事に対する責任の取り方だと言うことを理解して欲しい」中佐が決心を固めるように言うと、マリーは頷きながら、「軍人としてのあるべき姿。ですね」と中佐を代弁するように言った。


 高峰中佐の家族は妻マリーと3才になる息子シンジ。中佐とマリーの会話にはシンジは加わっていなかった。少なくとも話して聞かせることが正しい選択と思われたが、シンジがこの事態を理解するのは難しいだろうことを思うと、それはただ苦しい記憶の断片になりかねないことを危惧した。

「私たちが脱出船に乗らないことは、口外しないで欲しい」

「わかったわ」


 高峰中佐が地球脱出者の選抜を実質的に取り仕切っていることを考えれば、中佐もその家族も脱出船には最優先で乗るものと想像している人は多かっただろう。そういう周囲の思い込みの中で、そう言った目線を避けて生活するのは、軍人である高峰中佐より、その家族のほうがより厳しい状況なのは、想像に難くない。それを察している中佐は、一個の人間としてマリーに対し、一歩引いて、「申し訳ない」と頭を下げた。マリーは、中佐が下げた頭の上から自分の頬を乗せて、その固さと暖かさを感じ取っていた。



 地球脱出船は毎日予定通りに出発していた。出発場の周辺は網が張り巡らされていて、軍が厳重に警備している。さらにその外側に一般市民の団体が帯になってデモ行進をしていた。

デモ行進と言っても、全てが一つの主張をしているわけでは無い。人間の選別について抗議する団体もいれば、選別の基準に疑問を呈する人々や無差別に選べという人々。とにかくそれぞれが自分の主張を繰り広げていた。


 地球脱出の選抜について高峰中佐は、ほぼ間違いなく『委員会』の指示通りに行っていた。今までの人生における素行の問題や学業の成績、健康状態。その他諸々の、委員会が決めた『選ばれるべき人々』の基準に従っていた。

 脱出船の定員は一隻に約1000人。もっと大きな船を作ることも出来たが、あまり乗員数を増やすと『事故』のときの損失が大きくなるため、やや小型の船で分散するよう考えられたものだった。

 S星までの旅程は地球時間でおよそ3年。それだけ長い間、脱出船という閉鎖空間に大勢が生活すれば、何が起こるかはわからない。旅程の安全問題も、船内で起きることも、全ては、『ひとつの賭け』の域にあった。



『Z計画』という名前は軍内での呼び名で、市民に公にされている名前は『地球脱出計画』である。Z計画の計画書の最後には、「政府、軍、著名な科学者、財界有力者は最後の脱出船5隻で分散する」と書かれていた。世の有力者が先陣切って地球を離れるのは、反発が大きくまた不名誉だと考えた上でのことだった。


 だがこの、表向きに遂行されているZ計画には裏があった。高峰中佐が中心になって立案した、『Z計画 高峰案』と呼ばれるものだった。

「今の、このような地球にした人間がすなわち、今の地球の有力者であるのだから、その意味では最も罪の重い人間ということになる。新しい人間の世界は、新しい人々で作られるべき」

 それが高峰案の基本的な考えだった。だからといって複雑な理念の案ではない。単純に「世界の要人や有力者を乗せて出発する予定の、最後の5隻は破壊するもの」ということだった。この計画には高峰中佐を支持する軍内の同僚、部下が多数参加していた。



 Z計画の最終段階。脱出船を目前に世界の要人、有力者が家族や関係する人々を連れて勇躍詰めかけていた。発射場の周囲のバリケードには相変わらず抗議の人の帯が幾重にも出来ている。抗議する一般市民も警備する軍も、ここではもう「脱出船には乗れない人々」という価値観を共有していた。


 乗船が始まろうかというそのとき脱出船5隻が並ぶ発射場で、爆発が起きた。乾いた複数の破裂音とともに脱出船が、その内部の各所で爆破破壊されたのだ。

 微笑みさえ浮かべて長い旅に出ようとしていた人間達は目の前で破裂して火を噴く船を見て表情を凍らせ、絶叫し、泣き出す者もいた。


 動揺する登場予定者の前に高峰中佐が説明に出てきたが、『委員会』の上官は高峰を叱責し、代わりの船を用意するように指示した。

「将軍。代わりの船はありません。これが最後の船でした。今から建造したのでは間に合いません。残念です」

 高峰は上官だけではなく、その場に居合わせ、乗船予定だった人々から罵声を浴び、泣き付かれもした。だが、彼らが見た、船の爆発は、悪い冗談ではなく本当に起きたことなのだと高峰中佐は繰り返し説明した。


 『高峰中佐案』によって脱出船が破壊されたことは程なくして露見した。高峰中佐は逮捕され、関係した主立った同僚や部下の兵士も逮捕された。彼らは、ほとんど即席に集められた軍法の関係者によって裁かれた。それはもう、『委員』たちの鬱憤を晴らすためのショーのように企画された。

 翌朝、朝靄の中で、壁際に『高峰中佐案』に加担した者達が並べられた。並んでいる者達は一様に緊張した青白い顔をしていた。露見すればこうなることはわかっていた。だから高峰は、皆に任務遂行後は姿を隠すようにいっていたが、言われたようにした者はいなかった。

 高峰中佐は、見聞に来ていた将軍に声を掛けた。

「たばこがあれば、一本いただけませんか?」高峰はそう言って、左右の仲間達を「おまえ達もどうだ?」というように目配せをした。そして、わずかに残った、将軍の軍人仲間としての温情で皆がたばこを一本ずつもらって咥えた。

「たばこっていうのは、こんな味だったのか……」高峰は笑った。彼はたばこを吸うのが初めてだった。同じくたばこをもらった者たちも、ふだんからの喫煙者は1人だけだった。「こんなものよく吸えるな」すぐに捨ててしまう者もいた。


 そしてそのときが来た。彼らは目隠しだけをされ、壁際に横一列等間隔に並べられた。「構え。撃て!」複数の発砲音が響き、高峰中佐は銃弾に倒れた。彼が仲間とともに銃殺刑になったことは、地球の滅亡を目の前にしては些末なこととして、記録にさえ残されなかった。死体を始末した記録さえ無かった。



 高峰中佐の妻マリーと息子シンジは、自宅にいた。マリーとシンジは、中佐が脱出船破壊工作で有罪になり銃殺になったことさえまだ連絡を受けていなかった。高峰中佐の件はパニックになっている軍内で、どうでもいいことのように扱われていた。破壊された脱出船の代わりをどうにか手配できないかというのが軍の先決事項だった。


 何も知らないマリーとシンジの元へ訪問者があった。彼はまだ若く、幼ささえ残る顔立ちであり私服を着ていたが、「高峰中佐の部下です」と名乗った。そして、こう言うのだった「中佐はいらっしゃいませんが、わたくし達にご同行願えませんか」。そのことばを聞いて、マリーはおおよそのことに察しが付いた。マリーは自分一人なら同行しようとは思わなかった。「シンジがいればこそ」そう思って決断した。簡単に荷物をまとめシンジを抱きかかえて訪ねてきた青年の後に続いた。青年は、「私がやりましょう」といって、マリーの手からシンジを受けて右手に抱き、バッグの荷物を左に抱えてマリーが追いつける限りの速度で走り出した。


 やがて目前に、古びた軍の格納庫が見えた。中に入ると大勢の人がいた。

「これが、いいことか悪いことかという主張は今は考えないでください。私たちが作れた最後のチャンスなんです。乗ってください」

 これは誰が指揮したものかわからなかったが、『Z計画 高峰案』のさらに後の筋書きをを計画した者がいたようだ。


最後の地球脱出船が轟音とともに地球を後にした。



おわり

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