第12話『体育館の攻防<完>』
誰もが息を飲み、沈黙が訪れた。
喉元にナイフを突きつけられた様な感覚に、若者たちの心は凍り付く。
「く……」
生徒会長はスマフォを握りしめ、何をしても間に合わない事を悟り、その場でうな垂れ、長谷川さんは唇をかむ。三枝さんは少し考えてはしゃなりと床に頭をつけ、この支配を受け入れる。
岩崎さんは、目に涙をいっぱいためて、じっと床を見つめていた。
やがて男子生徒が次々と平伏し、床に頭を叩きつける音がごつごつと響き始める頃には、女子生徒も恐怖に顔を歪めながら立ち尽くした。
俺は今のうちにと壇上より袖の下へ逃れた。
そんな中、不意にゴリッチョへと歩き出す生徒が居た。
誰もがぎょっとしてその女子の動きを眺めた。誰か止めなくてはと思うものの、誰しもが自分に迷い動き出せなかった。
「先生! 質問があります!」
「馬鹿野郎!!! それ以上、近付くんじゃねぇ!!!」
そこで、その女子は歩みを止めた。八重樫先輩だ!
その立ち姿も剣道をしていたせいなのか、すらっとしていて一つの美しさを感じさせる。
キッと睨む表情は固い決意が見てとれた。
「先生! こんな事をして、先生の筋肉は何て言ってるんですか!?」
「はぁ~、お前何言ってんだ!!!?」
「先生は、これまでどんな想いで、その素晴らしい筋肉を手に入れたんですか!? こんな事をする為にですか!? もっと、大切な事があったんじゃないですか!?」
そこで八重樫先輩は苦しそうな、何とも言えない表情で訴えた。
「先生!!! ご自分の筋肉に聞いて下さい!!!」
「き、筋肉に聞けだって?」
ゴリッチョはその勢いに半ばのまれ、思わず自分の上腕二頭筋を凝視した。もっこりと盛り上がった上腕二頭筋。鍛えに鍛え手に入れた筋肉の鎧。だが、その筋肉にも歴史があった。
元々は貧弱だったその身体を鍛えに鍛え抜いたのには訳があった。だが成功と挫折の積み重ね。そして遂には酒と女に溺れ、暴力に走り、坂道を転がる様に犯罪に手を染め、終には警察のやっかいになるまでに。そんな世界にどっぷりとつかり込んだゴリッチョを救い出したのが、遠縁にあたるこの学園の理事長だった。
彼に職を与え、多少の事には目を瞑り、体育教師としてやとい続けた。
一瞬で、その歴史が彼の脳裏を駆け抜けた。が、それがどうした?
筋肉は何も言ってくれない。
ゴリッチョは改めて目の前の女を睨みつけた。
「八重樫ぃ~、貴様頭おかしいんじゃねぇか? いつもいっも、非難がましく遠目で睨みつけて来やがって! そんなに俺が憎いのか!? お前ぇ一々気持ち悪いんだよ!!」
「先生、そんな! 私は先生に酷い事をして欲しくなくて……」
「やかましい!!」
目を見開いて驚く八重樫さんを、ゴリッチョはキッパリと切って捨てる。
「くだらねえお喋りは仕舞いだ!!! 結論って奴を聞こうじゃねぇか!!! 降伏か!!! 隷属か!!!」
正に時が氷つくかの瞬間。俺は、八重樫さんがゴリッチョの注意を引いてくれたお陰で、そっと体育館の壁際を歩いた。ゴリッチョが体育館の外に立ったお陰で、大きな死角が出来た。俺はそれを利用していたのだ。正にヒーローは遅れてやってくるって奴?
しかし、この氷の沈黙を破ったのは、俺では無かった。
「先生……」
八重樫先輩はそう呟くと、おもむろにスカーフをしゅるりと引き抜き、セーラー服の上着を脱ぎ始めた。思わず俺は、ぷるんと零れ落ちる二つの双丘を、それを包み込む淡いぴんくのブラジャーに目を奪われ、立ち止まってしまった。
「先生……」
俺が息を呑む音と重なり、しゅるっと紺色のスカートが床に落ちる。八重樫先輩は趣味も宜しい様で、上下合わせた下着の下に、剣道で鍛え上げた贅肉の無い、それでいてしなやかな若い身体を包み隠していた。それを恥ずかしそうに、どうだと言わんばかりに見せつけながらも、頬を桜色に紅潮させ、うつむき、やがて顔を上げた。
「や、八重樫……何を……?」
ゴリッチョは思わず目を奪われた。
もとよりどうにかしてやろうと思っていた女生徒の一人である。だが、いつも鋭く睨むものだから、気弱な生徒へと流されていた。
だが、ゴリッチョを動揺させたのは、その頬をつうっと伝う一筋の涙。
「先生はどうしていつも私を見て下さらないんですか!?」
「な、何をってそりゃ、お前ぇいつも怖い顔して……」
「私、ずっと先生の筋肉を見て来ました! この二年ちょっとずっとです! どうして、他の生徒にはあんな事やこんな事をしているのに、私には触れて下さらないんですか!? この間の終業式の時、体育館の裏で待ってるってお手紙渡しましたよね!? 私暗くなるまで待ってました! どうして来て下さらなかったんですか!? どうして!? ねえ、どうして!? 私、初めては先生の筋肉って決めていたのに!!」
最早、号泣に近いカミングアウト。何と闇の深い事かと俺は八重樫先輩に恐怖した。
散々泣き散らした八重樫先輩は、その場にぺたりと座り込み、肩をぷるぷると震わせ、うつむいてしまった。ついさっき『聖騎士』と言ってお前なんか~!と言っていたのは、そういう方面で怒ってらっしゃったんですね。全身使ってパリィしてたのも、そういう事だったんですね? 判ってましたけれど。人間、欲望には正直ですからね。
「八重樫……お前……」
思わず半歩、体育館に足を入れるゴリッチョ。初夏の風が吹き抜け、その胸の中にも届いた。なんか語彙が変だったのはともかく、まるでマジックミサイルの様に、ゴリッチョのハートを射貫いていたのだ。
「八重樫、すまねぇ。あれは、運動部のお礼参りの罠だと思ったんだ……いつも俺の事を睨んでるお前が、急にラブレターなんて明らかにおかしいじゃねえか……」
「先生、私近視だから、遠目で先生を見ようと思ったら、どうしても目をこらしてしまって……でも、先生の躍動する筋肉が、とても素敵で、大好物だったんです……」
そう告げてから、八重樫先輩は両腕を広げ、ゴリッチョに熱い眼差しを。
これに応える様に、ゴリッチョも熱い眼差しを八重樫先輩へ注いだ。
そして、男子生徒の中で、ハートがポキポキ折れる音が。
床にジャラジャラとカギが散乱し、二人は固く抱き合った。
「八重樫。俺の負けだ……ふおおおお……いいんだな? いいんだな?」
「ああ……ああ……先生……先生……素敵な筋肉……」
二人は互いを堪能する様に更に固く抱き合った。
良かった。俺は心底安堵の息を漏らす。俺はこっそり扉の近くまで歩み寄っていたのだ。まさに特等席で、この顛末を目撃する事になる。八重樫先輩はすんごく惜しいけど、地雷臭がぷんぷんするぜ。早期発見出来て良かった~。
と、そこで恍惚とする八重樫先輩が囁く様に告げた。
「でも、先生。二番じゃダメなんですか? 二番じゃ。今の一番は……」
そう言って、八重樫先輩はいきなり俺を指さした。
「今の一番は、もう田中くんになってしまったんです。あ、でも先生への想いは嘘じゃ無いです。ずっとこうしていたいって想ってました。でも、田中くんが、田中くん成分がぶわってなってばびーんってなっちゃってもう私田中くん無しじゃいられない程に……」
「つまり、奴を消せば良いって事だな?」
「違……私そんな事言って」
「ふん!!! 例え筋肉が普通の力程度に落ちていようと、田中如き!!!」
「ダメ! 先生、行かないで!!」
すっくと立ったゴリッチョを、全身使って、ああやっぱり先生の筋肉素敵~と堪能しながら止めようとしてる八重樫先輩! あんた! 何言ってくれちゃってるんですかぁ~~~~っ!!!?
二人が抱き合い、カギが床に散乱した段階で、この戦いは終わったと安堵した若者たちは、そこで田中一郎が体育館の扉のそばまで来ている事に気付いた。
「ああああ~~~~田中く~~~~ん!!!」
「うおおおお、田中てめぇ~~~~!!!」
「な、何ぃ~~~~!!!?」
一斉に百名以上の若者たちが、田中一郎目指し駆け出した。もちろん田中一郎は泡食って校舎へと逃げ出すのであった。
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