第2話 『無力感』
遠く、高架を列車が走る。
空はどこまでも高く、初夏を思わせる群青がくっきりとその情景を浮かび上がらせていた。
無気力な足取りで校舎へと向かう学ランとセーラ服の群れ。振り向くと、その流れに押される様、更に輪をかけて弱弱しい足取りをしたセーラ服の三人が、一塊になってそこにあった。
「う……ど、ど~したの?」
「五月蠅い! 例のゴリッチョよ!」
それ以上は言わなくても判るでしょ!とばかり、鼻息荒く威嚇して来る長谷川さん。
クラス委員の長谷川美智は、その知的な瞳を銀縁眼鏡の奥で怒りに染め、目力だけでこっちを追い払おうと睨みつけて来た。
本気だ。委員長の本気モードだ。吹き抜ける風に、セミロングの黒髪が舞い踊り、正に怒髪天って感じで正直びびった。
その腕でかばう様に、小さく肩を震わせる多分同じクラスの岩崎だいやさんを。
赤みかかったくるくる天然パーマのショートヘア。
うつむいているので顔は見えないけれど、ちょっとぽっちゃり気味の小柄な雰囲気からそれと判る。
いつもはほんわか笑顔の明るい彼女が、必至に堪えている様だ。
髪は少し乱れ、制服も妙にしわくちゃになってる様な。
どうやらゴリッチョの『身体検査』って奴を喰らったらしい。
「うっ、うう……」
彼女達を前に、俺は言葉につまる。
特に岩崎さんには、何か言ってあげたい気持ちがぐっとこみ上げて来るんだけれど、頭の中が真っ白だ。スポンジみたいにスッカスカ。
でもって胃の辺りがきゅっとすぼまり、すとんと足の下へ力が抜けていく感じ。
何だか、気分悪ぃ~……
正直戸惑う。
これまで、どこどこのクラスの誰々が『身体検査』や『監獄送り』にされたって耳にしても、こんな気分になる事は無かったんだ。
クラスや学年が違うってだけで、どっか遠くの出来事みたいに思えてた。
クラスの誰かが連行されても、ドジ踏みやがってバッカで~!くらいにしか思って無かった。
因みに、ゴリッチョってのは、脳筋体育教師の五里山育美の事。
理性って奴をお袋さんの腹の中に置き忘れて来たんじゃねえかって位のビースト。
何でそんな奴がここで教師をやってられるかって言うと、理事長の親戚筋って事らしい。
気の弱い女子生徒に難癖つけて、全身を身体検査するのが趣味の下種野郎だ
ま、その異様な上背と筋肉の前には、普通逆らおうなんて思わないし、体育の授業で可愛がられたりしたら最悪だ。
「ごめんね~。タマちゃんのとこ行ってるって、先生来たら伝えといて~」
岩崎さんの背中をさすりながら、三枝七実が普段と余り変わらない、穏やかな声で話しかけて来て、はっとした俺たちは素直に道を譲った。
どうやら保健室へ連れていくらしい。落ち着くまで一緒に居てあげるつもりなんだろう。
相変わらず、三枝さんはみんなに優しい。
てへへ。担任への伝言を頼まれてしまった。
ちょっと嬉しくなって、思わず頬が緩んだ。
クラスでも少し大人びた雰囲気の三枝さんは、怒気の荒い長谷川さんとは好対照。切れ長の物憂げな瞳で、俺たちを流し見、ちょっと小首をかしげる様に柔らかに微笑む。それが実に様になってる。
「さ、だいあ。行こ……」
「う……ん……」
そう三枝さんに促され、歩みを進める岩崎さん。
長谷川さんは、俺の事をまるで汚物でも見るかの様に睨み、しっしと手を払う。
この差! 酷いよ! 鬼の委員長!
そんなナイーブな俺の気持ちも無視し、俺たちの前をゆっくりと校舎へ向かう。
泣けて来る……
三枝さんの、後ろで一つにまとめたロングのストレートヘアーが、風を孕んでふわりと浮かぶのをぼんやりと見送った。
「あ~あ……。ちょっと身体触られた位で大げさなんだよな~……」
ぼやき半分、ちょっとぎこちない口調のシュン。頭の後ろに両手を回し空を仰ぎ見、歩き出す。俺も釣られて歩き出す。
「おいおいおいおい。今の女子に聞かれたら総スカン喰らうぞお~。えんがちょ!」
「んだよ、ダイダイ! お前だってそう思うだろ!? なぁ~、田中ぁ~!?」
「お、俺を巻き込むなよ……」
俺もダイダイも、言葉の切れが微妙に悪い。
小動物を連想させる岩崎さんのぽよんぽよんした身体を、巨人族じゃねえかってゴリッチョがげらげら笑いながら『身体検査』してる様を想像するだに、色んな感情がむくむく湧き上がって来る。
なんたって、若いからね。
でも、肩を震わせ押し黙って泣いている姿を目の当たりにすると、別の苦い想いがじわりと胸に広がった。
かゆい。
身体のあちこちがヒリヒリとかゆい。
何とも言えない衝動が、行く当ても無く身体を這いずり回っている様だ。
俺はそんな想いを胸に押し込め、黙って校舎の昇降口へと、自分の下駄箱を目指して歩いた。不思議とシュンもダイダイも黙っていた。
そんな気分じゃ無かったから、助かった。
上履きに履き替え様とした時、誰かに声をかけられた様に思えた。
だが、今は無視した。
気分じゃ無い。
(……か……)
それでも、何かを聞かれた。
(……いか……?)
「しつこいな! 何だよ!?」
乱暴に上履きをサンダル履きにつっかけ、声の相手を睨もうと顔を上げた。が、そこには誰もいなかった。正確には、俺に声をかけてる奴は居なかった。
みんな、気だるそうに上履きを履いては、ぞろぞろと教室へと歩み去って行く。
(欲しいか?)
その時、まるでラジオのチャンネルがガチっとはまったかの様に、頭の中に声が響いた。
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