第51話

「し……死ぬかと思った……」


「は、はは……ようこそ始末書……」


「アデル、よくぞ生きていたな……今度黄色印の寿司屋連れてってやるからな……」


「わ、わーい……」


 道中二人の正気度が削られることになったが、指定時間内にたどり着いた一行。

 パトカーの無線はすでに使い物にならない、というよりはパトカーそのものが現場に到着するや否やボンネットから黒煙を吐き始めたため別のパトカーの前にて待機していた。


「こちら元4号車、車体破損につき5号車から本部へ。現場に到着した。送れ」


『こちら本部、何があったかは後で詳しく聞くが……現場の指揮官に通達済みである。直ちに対処に当たれ』


「了解……つーわけだ、ナコト。ついでにルルイエ。任せるぞ」


「警部……腰痛いっす」


「さっきの小切手にもう一つ0書き足してやるから我慢しろ」


「よっしゃぁ! 1000でも2000でもかかって来いやぁ!」


 金にあっさり釣られるルルイエ。

 目をLaに変えて敵陣の上空に飛び立つ。


「ねぇねぇ、私の出番はルーちゃんが雑兵削ってからのがよくない?」


「お前が行けばもっと早く済む」


「それもそっか、じゃあ行ってくるねー」


 とりあえず戦線にぶち込んどけという適当な理由で放り込まれたナコトだが、普段の扱いからもその辺りは本人も承知の上と言わんばかりに敵陣に突撃していく。

 と、同時に爆炎が上がり、魔族達が宙を舞う。


「アデルは現場指揮官のところで待機、俺は前線の部隊を指揮するから伝えといてくれ」


「了解しました……」


 息も絶え絶え、精根尽き果てた様子のアデルはフラフラと指揮官の下へと歩みを進め、アバーラインはナコト達の後を追うように最前線に向かう。


「はっはー、雑兵がごみのようだ!」


「ルーちゃんノリノリだねぇ……ほいっと」


 空からはルルイエの爆撃、地上では重戦車にも引けを取らないナコトの暴力。

 この二つのコンボに挟まれた魔族はと言えばたまったものではない。

 規則正しく並んだ魔族達は仲間が蹂躙されて行く様を見て蜘蛛の子を散らすかの如く、方々へと逃げようとしたところをヒーローや警官に各個撃破、そのまま捕獲される。

 もとより幹部クラスはさておき雑兵の中で脱獄できたものはさほど多くなかったため、わずか数分で魔族の軍勢は壊滅状態へと追いやられた……4人を残して。


「ナコト、そいつらが最後の……まて、一人足りない」


「くはははは! よくぞ我が兵士たちを退けた小娘よ! だが我の狙いは貴様ではない! すっこんでおれ!」


 自称大魔王がいかにもと言った様子で両手を広げてナコトに声をかける。


「かっちーん……」


 的確に地雷を踏みぬいて。

 ナコトは自身の体格を気にしている。

 鬼という種族は本来丸太のように太い手足とそれに見合った2mを超える体躯を持っている。

 だがとある理由からナコトは小柄な少女のそれであり、むしろあんなゴツイ見た目じゃなくてよかったとまで思っているほどではある。

 しかしアデルのような人間に比べても……ましてやルルイエのようなグラマーな女性に比べても貧相なことに関しては人並みのコンプレックスを抱いていた。


「アバーライン……止めないよね」


「あー……やっちまっていいぞ」


 ここで下手に制止すれば被害が拡大する、その事を知っていたアバーラインは頭を抱えながらゴーサインを出した。


「ふん、ゴウセルよ。相手をしてやれ」


「御意」


 ゴウセルと呼ばれた猿のような魔族がナコトの前に立ちふさがり、振り上げられたナコトの拳を受け止める。

 大型トラックであろうとも一撃で大破させうる拳をだ。

 その事に驚いたように目を見開くナコトとアバーライン。


「ふむ、その体躯の割には大した威力だが……軽いな」


 拳をつかまれ、そのまま投げられたナコトは空中で回転しながら両の足で着地を決める。

 思わず警官隊やヒーローから点数を叫ぶ者が出るほど見事な着地だが、アバーラインが一喝して黙らせる。


「ねぇどうしようアバーライン」


「あ?」


「軽いってほめられちゃった!」


「お前もまじめにやれ!……っと」


 えへへーと身をよじって照れるナコトに怒声を飛ばしたアバーラインはおもむろに右手を前に突き出す。

 その手のうちには鱗を持つ魔族の拳が収まっていた。


「不意打ちとはやってくれるじゃねえの」


「ふん、我ら魔族に正々堂々などという言葉は存在せぬ」


「いやしてるだろ、お前が卑怯なだけで」


「笑止千万、勝てば官軍よ」


「そうかい、ナコト。そっちは任せたからこれは任せろ」


「うーい、ほどほどにねー」


「お前はまじめにやれよ」


「戦の最中に軽口とは、豪胆なのか阿呆なのか……」


 アバーラインと対峙した魔族が追撃をアバーラインに打ち込もうとするが、柔術を利用して魔族の姿勢を崩して防ぐ。


「どっちでもない、お前がとるに足らないだけだ」


「……その軽薄な口がいつまでもつかな」


 こうしてナコトとアバーラインによる戦闘が始まった。

 その頃上空では。


「あちゃー、ナコトさん久しぶりに歯ごたえある相手で楽しんじゃってるなぁ」


「ゴウセルの奴も愉快そうだ」


「あ、そちらさんも? バトルジャンキーなの? あれ」


「うむ、戦とは力を信条とする男でな。我らもなかなか苦労させられている」


「へぇ、じゃああちらさんは?」


「奴はゲンガ、戦とは卑怯を信条とする下衆だ」


「ははぁ……お互い苦労が絶えませんなぁ」


「まったくだ」


「ところでなんだけどさ」


「ん? なんじゃ?」


「これって私らも戦わなきゃいけないのかな」


 いつの間にかルルイエの隣で浮遊していた羽をもつ魔族。

 その手には一本の杖が握られていることから魔術師や魔法使いと呼ばれる類であるのは明白だ。


「うむ、まぁ初めて気の合いそうな者に会ったばかりで気が進まぬのだが……我らが主と魔王様のご命令でな」


「まぁそうなるよねぇ」


 へらへらと笑いながら、ルルイエはこっそりと魔王と主を使い分けたという事だけを心にとどめておいた。


「魔王軍幹部、魔の四天王ゼン。参る!」


「あー……えっと、ラビィです。お手柔らかに」


 勝手に他人の名前を使うルルイエにツッコム者はいない……が、ともあれこうして上空でも戦いの火ぶたが切られた。

 そしてこれまた一方その頃。


「現在協力者ルルイエ女史、上空で魔族幹部と戦闘開始を確認」


「協力者ナコト女史、地上で魔族幹部と戦闘開始を確認」


「アバーライン警部、ナコト女史同様魔族幹部と戦闘開始を確認」


 通信を担っている者達が口々に現場指揮官に状況を伝えていく。

 それを聞いて処理するクトゥルフの眷属、ディープワンと呼ばれる魚人の一人だ。

 全身は鱗に覆われ、エラと肺と水かきを有する魚顔の種族である。


「よし、今なら……全ヒーローに通達! 敵の頭を取れ!」


「そうはいかないニャン」


 一瞬の静寂と共に通信手達が使っていた機材がバラバラと崩れ落ちる。


「初めましてニャー。魔王軍幹部、暗の四天王ジル。どうせお前ら死ぬんだから覚えなくていいニャー」


 バラバラに刻まれた機材の山の上には猫耳に尾を持ち、ホットパンツにタンクトップ、編み込みのブーツと動きやすさを重視した服装、そして異様に伸びた爪が特徴の魔族が立っていた。


「チッ……面倒な……」


 情報共有速度というのは戦場では大きなアドバンテージとなる。

 それを潰された今、天秤はわずかに魔王軍勢に傾いた。

 とはいえ、もともとカオス側にだいぶ傾いていた天秤である。

 手勢の大半を抑えられた魔王軍に今更勝ち目などほぼない。

 だというのに遅滞戦闘ともいえるような行為をする意味はどこにあるのか。

 現場責任者であるディープワンはその事が気になった。


「さて、お前さんがこの群れのボスかニャー?」


「だとしたら?」


「んー、その首貰い受けると言いたいところだっただけどニャー……お前美味しそうだニャア……」


 食物連鎖、猫と魚という間柄は言うまでもなく食す側と食される側である。

 人型である魚人と、猫の魔族であればまた力関係も変わってくるはずだが本能にしみ込んだ習性とは消えないのか、じりじりと近寄る猫の魔族。

 じりじりと後退するディープワン。

 一進一退の静かな闘争が始まろうとしていた……が、それを遮るものがいた。

 数発の銃声が轟く、その音を聞くか否かという瞬間にその場から飛びのいた猫の魔族。

 と、先ほどまで猫の魔族が立っていた向こう側の壁に小さな穴が開く。


「大丈夫ですか、課長」


「あ、あぁ……すまないアデル」


「ここは任せて現場指揮を続けてください。こいつは俺が何とかします」


「だが人間のお前に……」


「大丈夫ですよ。俺だって引き際はわきまえてますから」


「……すぐに応援をよこす。それまで耐えろ」


「えぇ、けど課長?」


「なんだ」


「別に、倒してしまっても構わないんですよね」


「……深追いはするなよ」


「了解!」


 威勢よく返事をしたアデルは懐から警棒を取り出し、拳銃を共に構える。


「んー、今あたしを倒すとか言ったニャー?」


「まぁ、できなくはないかな」


「うんうん、確かにあたしは四天王最弱ニャン」


「へぇ……奇遇だな俺も警察官最弱だよ」


「おぉ、最弱同士気が合いそうニャ! でも……あたしより弱い奴となれ合うつもりは……ないニャ!」


「なっ」


 猫魔族が一瞬姿を消したかと思うと次の瞬間には眼前に移動していた、そんな状況でアデルはといえば。


「んて教科書通りの攻撃だよ!」


 驚いたような声を上げたのはあまりにも模範的な行動だったから。

 猫魔族が姿を隠す類の超隠密性、あるいはそれに準じる速度であると予想を立てていたアデル。

 暗の四天王という言葉から暗殺というワードを導いたアデルにとって、まず相手がやる行動は二種類。

 隠密なら背後、速度なら眼前に現れて実力差を見せびらかすことだろうと対処を考えていた。

 その結果はというと。


「ニャ!?」


「つぅ……スピード=パワーってか? 一撃が超おもてえ……」


 警棒で爪による一閃を防いだのだった。

 とはいえ相手が片手であり、アデルは全身の筋肉を使ってなお地面を滑るほどの威力。

 まともに受ければ致命傷は免れない。

 その証拠にアデルの持っていた警棒は無残にひしゃげている。


「おい誰か警棒くれ!」


 そう叫ぶと同時に周囲で様子を見守っていた通信手が警棒をアデルに投げ渡す。

 彼らも人間であり、戦闘に関してはからっきしのためそのような配置になっていた。

 しかし戦闘が始まってしまった今、逃げるに逃げられない状況に追いやられて身を隠していたのだ。


「さんきゅっ、さて続きと行こうぜお嬢さん」


「お前……なかなかやるニャン」


「そりゃどうも、次はこっちから行かせてもらおうか」


 警察官最弱、と自称したアデルだがその言葉は間違いである。

 実のところ並みの獣人程度であればアデルの前では片手間に捕縛されてしまう。

 ドワーフのような膂力に秀でた種族でも力任せでは勝てずとも技を用いれば対処可能。

 エルフのような魔法を使う相手であってもよほどの手練れでない限りはどうにかできてしまえる。

 それほどのポテンシャルを持つ、裏界隈ではこっそりと人間最強の男とまで称されるアデルの本気。

 それはとても単純なことだ。


「せー……のっ!」


「ニャン!?」


 先ほど攻撃を受け止めた際の応用、全身の筋肉と骨を使った防御術を攻撃に転じさせること。

 全身のバネを使いアスファルトの地面がえぐれるほどのスタートダッシュ。

 そのまま勢いを殺さずに繰り出す一撃は、並大抵の相手ならば一撃で致命打となる。


「ニャ! ニャ、ニャ、ニャー!」


 それを四連撃、猫魔族が対処できたのは最初の一撃のみ。

 残り三回は全てその身、その急所で受ける事に。


「ゲホッゲホッ……ふぅ……」


 とはいえ、生身の人間がそれほどの力を行使すれば反動も相応。

 攻撃を仕掛けたはずのアデルは鼻や額から流れる血を乱暴に袖で拭い、根元から折れた警棒を投げ捨てる。

 震える膝を一回叩き、無理やり動かす。


「警棒!」


「は、はい!」


 通信手に声をかける際も気配りなどする余裕はなく、怒声のように腹の底から響かせることしかできない。

 そうしなければ、しぼりださねば声を発する事さえ辛いのだから。


「悪いな……寝てろ」


 地面に倒れ伏した猫魔族の後頭部に銃を押し付け、引き金を三度引く。

 込められているのはゴム弾だが、当たり所が悪ければ人なら死ぬが魔族なら平気だろうと楽観視してのことだったが……。


「ニャン♪」


「がふっ」


 三発の銃弾、銃口を頭につけたまま放たれたそれを難なく躱した猫魔族は蹴りを放つ。

 先ほどと違い速度の乗っていない、そして多少なりともダメージはあったのか、はたまた無理な姿勢が祟ったのかは不明だが力の乗り切っていない一撃を腹部に受け、身体が吹き飛ぶのを実感するアデル。


(やっべぇ……吹っ飛んでる。痛みがじわじわ来る……景色が流れるのが遅いな……このコースだと警部たちのところに飛ばされそうだな……あ、あの折れた標識は危ないから避けないと……着地……あれなんだ、缶コーヒー? ……ナコトさんたち相当暴れてるな……あれも避けよう)


 吹き飛ばされて数秒、走馬灯の如く一瞬を永遠にも感じたアデルは瞬時に状況を把握して空中で姿勢を立て直す。

 落ちている缶コーヒーはカオス特産、鬼の握力にも耐える特別製でありうっかり踏みつけでもしたら転倒は免れない。

 故にそれを避けて着地を決めるが……。


「ガフッ」


 無事なのは頭と精神のみ。

 魔族の蹴りを防御もなしに受けてしまったことで身体はどうしようもないほどのダメージを受けていた。


(つぅ……吐血はなし……吐き気とかもないな。普通に痛いだけだから……回復まで10分ってところか)


「お前、強いニャン♪」


「よう、わざわざ追っかけてきやがったのか……」


「ニャンニャン♪ 強くて顔のいい男なんてのはなかなかいないからニャン♪ お前なら伴侶にしてやってもいいニャン」


「へっ、俺に勝ってから言えってんだ」


 苦笑いを浮かべながら再度発砲するが、当然の如く躱される。


(なるほどな……こうなってくると、手段を選んでる暇はないか)


「んー、お前に勝ったら伴侶になってくれるニャ?」


「考えてやるよ……」


「ニャン! 言質は取ったニャン!」


 飛び掛かってくる猫魔族、やはりダメージがあるのか先ほどまでの速さはない。

 しかしそれでも十分、アデルの全力に匹敵する速度で飛来する攻撃を受け流す彼は視線を広く保ち、思考を二つに分割する。

 一つは眼前の攻撃を防ぐことに、もう一つは勝利への計算式をはじき出すために。

 その攻防はわずか数十秒に過ぎなかった。


「よし」


 だが唐突にアデルが足元に発砲したことで終わりを迎える。


「ニャっ」


 当たらなくてもいい、猫魔族を下がらせることができれば上々。

 そう考えての一発は、半分だけ目的を達した。


「それ、当たると痛いけれど死ぬほどじゃないから怖くないニャン」


「だろうな」


 わずかに会話を挟むだけの時間を稼ぐことができた。

 しかし、猫魔族はその場から動くことなく身構えておりすぐにでもラッシュを再開できる様子を見せている。

 すぐに攻撃に移らないのは今の一撃が何かの布石ではないかと考えての事。

 野生の勘が猫魔族の次の一手を封じていた。


「へっ、ばーか」


 その隙をついて銃を構えるアデル、拍子抜けしたように攻撃に転じようとした猫魔族は、自分の攻撃が空を切った事に気づいた。

 アデルは銃を構えるように見せかけてそれを手放し、後方に飛び退いたのだ。

 猫魔族の視線は銃に向いていたため、アデルの後退に気づくのが一瞬遅れ一撃目を外す。

 しかしすぐに体勢を立て直しアデルを追いかけるべく地面をけること三度、不思議な感触が彼女の足に伝わってきた。


「ニャ……?」


「足場はよく見ないと危ないぜ」


 猫魔族の足元、そこには鬼の怪力でも潰れないと評判の特殊加工された缶に詰められたコーヒーが転がっていた。

 当然ながら、そんなものを踏めば姿勢が崩れるのは言うまでもないこと。

 転倒こそ免れるが、空中で身を翻して距離を取らされた猫魔族は舌打ちをしながらも次の一撃で決めるべく足に力をためる。

 その隙を、再び利用したアデルは苦々し気に唾を飲み込んで、大きく息を吸い込む。


「いあ!」


 叫ぶようにして絞り出した言葉、それは邪神を賛美する物。


「ふんぐるいむぐるうなふ!」


 本来であれば謳うように紡がれるべき物を、唾棄するかの如く唱えるアデルに集まる人々の視線は冷たい。


「くとぅるふ!」


 祈る相手はクトゥルフ、クリスの父。


「るるいえうがふなぐるふたぐん!」


 最後は一息に吐き出すように唱え終える。


「【クトゥルフのわしづかみ】!」


 その言葉、発動すべき術の名を口にすると同時に空間を捻じ曲げるようにして闇を生み出し、半透明の触手が闇から這い出る。


「ニャ!」


 危険を察知してか飛び退いた猫魔族だが、召喚された触手は猫魔族を上回る速度でそれを追尾し、捕らえた。


「安心しろ……ちょっと苦しいかもしれねえけどな」


 落ちていた缶コーヒーを手に取りながら煙草を咥えるアデル。

 カチン、という小さな着火音と共に触手は猫魔族の四肢を拘束する。


「ふぅ、えーと時間は……って腕時計もぶっ壊れてやがる……まぁいいや、とりあえず確保な」


 そう言いながらコーヒーを地面に置いて猫魔族に手錠をかける。

 これまたカオス特産、鬼でも引きちぎれない特殊合金製の物品である。


「……お前、なんで最初から、それ……使わなかったニャ」


 地面に落ちた猫魔族は苦し気に尋ねる。


「あー? 奥の手ってのは最後まで取っておくものだろ。それに……」


「……?」


 アデルはそっぽを向きながらぽつりと漏らすように口にする。


「あれ、俺の制御一切受け付けないんだよ。未熟な俺の手に余る力だ」


「敵にためらう理由にはならないニャ……」


 不満気な猫娘の言葉に、致し方なしといったように顔を背けたまま頬を赤らめさせたアデルが吐き捨てるようにつぶやく。


「えっと、だな」


 言葉を濁そうとするアデルに答えるかのように、今だ猫魔族を捕えていた触手がもぞりと動く。


「ニャっ!?」


「あーなんだ、俺の制御受け付けないって言ったよな? 理由はいろいろあるんだが、俺の心象に応じて動きやがるんだわ」


 ぽりぽりと頬を掻きながら上着を脱ぐアデル。

 同時に触手がずるりと、猫魔族の服のうちに入り込んだ。


「にゃにゃっ!」


「っと、送還! 送還だっつーのこら!」


 抵抗しながらも猫魔族の服を引きちぎらんとする触手、それを必死に抑え込み召喚時同様の空間を作り出そうとするも、抵抗激しくなかなかうまくいかない。

 クトゥルフのわしづかみ、世間的な魔法と違い邪神に祈りを捧げる事で初めて行使することのできる魔術だが、そもそもアデルには邪神に対する信仰心などない。

 加えて本人の実力不足、それが災いしてアデルの心象、言い換えるならば欲求に正直に動いてしまうのだ。


「こ、これ何とかするにゃ!」


「してるっての! おら、帰れ帰れ!」


 まるで虫でもはらうかのように触手を叩きながら猫魔族を拘束していた触手を引きはがし、闇の向こう側へと押し込めて無理やり送還したアデル。

 肩で息をしながらも、謎の粘液でドロドロになってしまった猫魔族に上着をかける。


「まったく……」


「ひ、酷い目にあったニャ……」


「すまんなぁ」


「にゃ……そういえばあれはお前の心象に応じるって言ってたけれど……」


「……まぁな」


「お前、あたしをそういう目で見てたのかニャ?」


 こてんと首をかしげる猫魔族。

 生きるか死ぬかという世界で生きてきた彼女にとって、自分を性の対象として見るのは下賤な相手のみだった。


「いやまぁなんだ……お前さんそんな薄着で飛び回るから、チラチラと、な? 俺だって健全な男なんだ。意識するなって方が……」


 猫魔族の風貌は動きやすさを優先してか、ホットパンツにタンクトップという非常にラフな格好だった。

 結果的にアデルは目のやり場に困り、それも相まって苦戦を強いられたわけだが……。


「勝者は敗者を嬲るも殺すも自由のはずにゃ」


「犯罪だし、俺にそんな趣味はねえよ。女の子には優しくしたい主義なんだ」


 既にゆでだこの如く真っ赤になったアデルは見逃してしまった。


「……どっきんらぶはーと……」


 目の前で地面にへたり込んだ猫魔族も頬を染め、目の奥にハートマークを宿していることに。

 殺伐とした世界に生まれ、転移した先の平穏な世界で正々堂々戦い敗北。

 なおかつ勝負の結果を汚すことなく、おのれの職務を全うしながらも弱さと自分に対する欲を隠し切れずにいた男の弱さ、言い換えるならば可愛らしさ。

 それらが猫魔族の胸を貫いた。


「あ? なんか言ったか?」


「うにゃ……胸のあたりがチクチク痛むニャ……」


「あー、肋骨も折れたか? 救護班! 確保して丁重に警察病院……いやシュブ=ニグラス中央病院に運んでやってくれ」


「待つニャン……その前にお前の名前を……」


 地面に倒れ伏した猫魔族を警官たちが担架に移そうとする最中に、アデルに問いかける。


「アデルだ、アデル・アダムス。見舞いくらいは行ってやるが差し入れは期待するなよジル」


「アデル……覚えたニャ。というかあたしの名前……」


「死ぬつもりはないから覚えた、それだけだ。おら救護班何にやついてんだ! さっさと運べ! ……まったく」


 ようやく落ち着けると煙草を根元まで吸い尽くしたアデルは地面に横になる。

 と、頭上から声が降ってきた。


「時間かけすぎだよアデルちゃん」


「あー、もう少し体術も鍛えろよアデル」


「アデルー、おねーさんが癒してあげようかー?」


 恐る恐るそちらに視線を向けたアデルが目にしたのは、全身の毛が毟られた猿の魔族、腰が180度回転して泡を吹いている鱗を持つ魔族、羽根や髪の毛がちりちりに焦げている翼をもつ魔族。

 そして先ほどまでのアデル同様缶コーヒーをすすりながら地面に腰を下ろしてくつろいでいるナコト、アバーライン、ルルイエの三人だった。


「あんたらなぁ……余裕あるなら手伝ってくださいよマジで!」


「「「やだ」」」


 三人の声が綺麗に重なった瞬間だった。

 転移門の前に集っていたヒーロー達が爆音とともに宙を舞った。

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