第40話

「はぁ!?」


「NYA48、正式名称ニャルラトホテプ48。名前の通り以前のラビィさん事件の黒幕だったニャルラトホテプさんが48人の分体でアイドル活動してるんです」


 世間的には知られていないことだが1000の顔を持つと言われてるニャルラトホテプからすれば48人くらい雑作もない事である。


「まてまて! なんだそりゃ!」


「邪神ですから分身くらいできて当然でしょう」


「そりゃ……まぁ神なんてなんでもありのチート野郎どもだけども……つまりニャル様は一人で48人分のギャラ総取りかよ!」


「まさか」


「あぁ、そこは一人分なのか……」


「この番組出てる人全員ニャルさんの化身ですから、少なくともこれ一本で80人分くらいのギャラ一人で貰ってますね」


「ざっけろーに!」


 こらえきれずと言った様子で叫んだルルイエを非難する者はいない。


「ぶっちゃけ今テレビに出ている八割の人はニャルさんの化身ですよ。残り二割はニャルさんの眷属」


「え、なに? クトゥルフ様は裏社会の総括だけどニャル様ってマスメディアの総括でもやってるの?」


「あの人面白そうなことがあれば何でもやりますよ。半世紀前くらいには学校の教師やってました」


 なお、その際は生徒が一人残らず発狂して病院に送られたり謎のサバト始めたりと問題が立て続けに発生したため速攻でクビになった。

 クリスの父であるフィリップスと他の邪神の皆さんが総出で対処した結果である。


「なにやってんだよ神様って!」


「基本的にみんな好き勝手やってますね。互いの領分を犯さないという暗黙の了解はありますけど、ニャルさんだけはその例外で何でも首突っ込んでひっかきまわして全部台無しにする人ですから」


「あぁ、そういえばヒーロー活動もやってたよニャルちゃん。私とも何度か本気の殴り合いしたっけなぁ……いやぁ懐かしい」


「ナコトさんまで経験者だった!」


「あの人普段バカな事しかしないくせにやたらめったら強いんですよね……」


「そうそう、まさか腹パンが貫通するとは思わなったなぁ」


「あー私もデコピンで死にかけた事ありますよ」


「なんだこれ! なんで私だけ蚊帳の外みたいな感じになってんの!?」


 ただ一人被害を受けた事のないルルイエが叫ぶ。

 本来ならば受けていない方がいいに決まっているが、疎外感と言うのはそれだけで人を焦らせる物である。


「あ、ルーさんもいかがです? せっかくだからサイン貰うついでにビンタでもしてもらいます? それなら紹介しますよ」


「プロレスラーのサイン貰うんじゃないからね!?」


「大丈夫ですよ、首が三回回るくらいで済みますから」


 腐っても邪神、その一撃は人間はもちろんのこと天使であろうとも即死させられるだけの威力を持つ。

 クリスに関してもデコピンで頭蓋にヒビが入り、クリス父が報復に乗り出したほどであった。


「あ、ヒーロー関係の方面からなら私も頼めるか。ちょっとここに呼んでみようか」


「面白い堕天使が一匹いるって言えば飛びつきますね」


「採用! じゃあさっそく……」


 スマホを取り出して電話帳を再び開いたナコト。

 その横で滝のような汗を流しているルルイエ。


「あの、もしかして話逸らせたと思ったけどお仕置き続行の流れですかこれ……というかお仕置きよねぜったい!」


「善意ですよ善意」


「邪神の娘の善意とか絶対いらないんだけど!」


「じゃあ悪意でいいか」


「ナコトさんせめてオブラートに包んで!」


「あ、もしもしニャルちゃん?」


「戦略的撤退!」


「阻止♡」


 羽を広げて窓から飛び立とうとしたルルイエの翼に水が染み渡り、そして瞬時に凍り付いた。


「いやだぁ! はなせぇ! 死にたくなぁい! 死にたくなぁい!」


 ルルイエの叫びは虚しく事務所にこだまするのだった……。


 それからかれこれ2時間ほどしての事。


「呼ばれて飛び出てニャル様参上! で、クリスちゃんにナコっちゃんこの邪神様に何用かな? 悪だくみならいつでもウェルカムだぜぃ!」


 騒がしい邪神がルルイエ探偵事務所で堂々と酒を飲み始めていた。

 ちなみに飲んでいるのはルルイエの私物である。


「ニャルさん、お久しぶりです。先日はたいそうお世話になって……」


 珍しい事に、普段人当たりのいいクリスが悪意を前面に押し出した邪神らしい笑みを浮かべて他人行儀な挨拶を述べる。


「ラビィとかいう獣人になんか吹き込んだ詫び入れてもらおうと思ってねぇ」


 ゴキゴキと関節を鳴らすナコトも、影のかかった笑みを浮かべている。


「おおう、怖いねぇ。でも俺様ちゃんはちょっとたぶらかしただけでなーんも悪い事してないよ!」


 ビキッという音がこだまする。

 クリスとナコトの額に青筋が浮かんだ瞬間である。


「とはいえ二人には迷惑かけたのも事実。俺様ちゃんクトゥルフの奴にだいぶ絞られてねぇ……あ、モルディギアンにも撫でられたなぁ」


 実際は絞られた、撫でられたというレベルではない制裁を加えられたが本人はどこ吹く風である。

 邪神にも序列があり、それは知名度や戦闘力で決められることが多いがニャルラトホテプはその中でも上位に位置する。

 主に質の悪さによるものだが、知名度という意味では神々の間でもトップクラスである。

 逆に普段はアイドル業などで無辜の民から金銭を巻き上げているので、一般人の間ではあまり存在を知られていない。

 本人が黒幕に徹したがるのも理由の一つである。

 しかしその最たるは、1000の顔を持つという異名になぞらえての不死性だろう。

 邪神は誰もが殺しても死なない化物の集まりだが、その中でもニャルラトホテプに関してはずば抜けている。

 だからこそ手に負えないという所もあるのだが……。


「まぁ迷惑だったし、無駄にお金使う羽目になっちゃったけどさ。今日呼んだのは他にお願いがあったからなんだよね」


 冷蔵庫から取り出したビールを片手にナコトが口を開く。

 ニャル相手に怒りをあらわにしても無意味だと、久しぶりの邂逅で思い出したからである。


「お願い? やっぱり悪だくみかい? ナコっちゃん! そう言う事なら俺様ちゃん頑張っちゃうよ!」


「んーん、サイン頂戴。アイドルの姿でブロマイドで」


「……えー、つまんないなぁ」


「くれないとクトゥグアさんに頼んで、またニャルさんの家焼きますよ」


 クトゥグアとは邪神の一角で、生きている炎と称される者である。

 普段は太陽代わりにこの世界の周りを飛行し続けている。

 カオスは天動なのだ。

 ちなみにニャルとクトゥグアは不俱戴天の間柄で顔を合わせれば喧嘩をしている。


「それは勘弁してほしいなぁ……あいつ手加減知らないから」


「嫌ならください」


 ずいっと手を出すクリスにニャルは苦笑いを浮かべる。

 ここまで臆面無くニャルに物事を要求できる相手は少ない。


「まぁいいけど……そこで拘束されているのは?」


 ここまで始終無言を貫いていた誰かさんに焦点が当たる。

 クリスの水とナコトがどこからか持ってきたワイヤーでぐるぐる巻きに拘束された女。

 びくっと肩を揺らすのは、言わずと知れたルルイエである。

 あらかじめ聞かされていたニャルの異常性と、そして実際に話し始めてわずか数分のやり取りで如何にやばい存在かを理解したことで気付かれないように気配を消しながら黙していた。


「堕天使のルルイエさんです。ここの事務所の所長で、魔法のエキスパート」


「へぇ! 堕天使! めっずらしいねぇ! ふむふむ、俺様ちゃんちょっと気になってきたよ!」


 びくびくっとルルイエが肩を揺らす。

 冷や汗がだらだらと流れ落ちて、地面に水たまりを作っていく。


「とりあえずNYA48全員分のサイン付きブロマイド3セットください。それで前回の件はチャラにしますから」


 ルルイエに関心を持たれると面倒なのは、実はクリスも同じだが今回は制裁も兼ねている。

 家賃が払えないかもしれないという状況は、それほどに重い罰が必要なのだ。


「んーじゃあこうしようか。俺様ちゃん今ちょっとお仕事の予定が入っているんだけど、それを君たちに依頼する。正規の料金は払うし、おまけでサイン付きブロマイドも用意する。これでどうかな」


「……怪しいお仕事じゃないですよね」


「違うよぉ。たまには俺様ちゃんの事信じてよ」


「無理です」


「無理だね」


 ニャルの抗議に、クリスとナコトが間髪入れずにツッコミを入れた。

 前科が多すぎる、というよりは生きている間の経歴が全て前科のような邪神である。


「ひっどぉ……俺様ちゃん傷ついたから損害と賠償を請求するね」


 語尾にハートマークを付けての発言だったがクリスとナコトは鼻で笑い飛ばす。

 ルルイエは置物であることに徹しているため、一切の反応を示さない。


「まぁ冗談はさておき、お仕事なんだけどね」


 キリっと目つきを変えてニャルが口を開く。

 それに合わせて、クリスは胡散臭そうに目を細め、ナコトはニコニコとしながらルルイエの胸ポケットから勝手に取り出した煙草に火をつけていた。

 流石のナコトとはいえ、自分以上に厄介な存在を前にするとストレスがたまるらしい。

 もっともニャルをこの場に呼びつけたのはナコト達であるというのは、忘れてはならないことだが。


「ここに偶然ながら【温泉世界:桃源郷】への旅行券と高級旅館のチケットがあります!」


 じゃじゃーんと、魔法だか能力だか分らん方法で効果音を出しながら三枚のチケットを取り出す。

 この時点でクリスの視線は絶対零度の領域に達し、ナコトが煙を吸うペースは速くなった。

 ちなみに桃源郷とは、邪神たちがカオスを創造した後に「ちょっと疲れたし、リゾートもいくつか創ろうぜ」という軽いノリから始まり、「せっかくならリゾートの種類で別個の世界創っちまおうよ」という緩い会議で生み出された世界の一つである。

 同様のノリで量産されたリゾート地は多数存在するが、温泉関連の中で桃源郷の右に出る世界は存在しない。

 いわば選ばれた者のみが行くことのできる、超VIP専用の世界なのである。


「今度NYA48でここのロケに行くんだけど、ロケハンに誰か行ってくれないかなーって思っててねぇ。ちょうどいいからこれを依頼にしようと思うんだ!」


「……桃源郷の、老舗旅館湯楽。確かに存在しますけど、これ本物ですか?」


「本物も本物! なんなら今から電話かけて調べてもらってもいいよ!」


 迷わずにスマホを取り出し、ニャルの持っていたチケットについて電話越しに二、三たずねたクリスだったがそれが本物と裏も取れた事で多少落ち着いた様子を見せた。


「まぁ、行くのはいいんですけど依頼料はおいくらで?」


「そうだねぇ……向こうでの費用も含めて前払いで30万L(ラヴ)、達成報酬で70万L(ラヴ)とサイン付きブロマイドでどうかな」


「受けます!」


 カシャカシャチーンと頭の中で即座に計算を済ませたルルイエがガバリと顔を上げ、叫ぶように答えた。

 それを冷めた目で見るクリスとナコト。

 絶対ろくな事にならない、ルルイエはニャルのやばさを理解しきれていないと思う二人だったが時すでに遅しである……。

 いつの間にやら拘束から抜け出したルルイエは書面にあれこれ記入し、ニャルもさらりとサインを済ませて即金で30万L(ラヴ)ポンと支払ってしまった。

 こうして一行は異世界旅行へ行くことになったのである。


「あ、もしもし。アバーライン? うん、ちょっと厄介な仕事に巻き込まれてさ……うん、ニャルちゃん関連。え? 嫌だ? 桃源郷の温泉巡りだけど本当に嫌? 奥さんと娘さんも同伴していいから……え、それはダメ? じゃあアデル君連れてきて。うん、絶対なんか裏があるから……フィリップスに頼んで仕事扱いにしてもらうからお願い……。今度ばかりは本当にごめんね……」


 ついでにアバーラインとアデルも巻き込まれた。

 ちなみにクリスは現在長期休暇中のため、泊まり込みの仕事も問題なかった。

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