第25話
それから思い出したように戸棚に収められている茶筒から適量の茶葉を取り出し、空中に水球を浮かび上がらせて中に放り込む。
それから数回、洗濯機のようにグルグルと回転させて成分を抽出した所でカップの表面を熱湯で覆って温める。
そして頃合いを見計らって、カップを覆っていた熱湯を捨てると空中で茶の抽出を続けていた水球からゆっくりと、いつの間にか湯気が立っているそれを注いでいったのだった。
「お待たせしました……熱いのでお気をつけて」
そう言ってカップを依頼人の前に一つ、ナコトの前に一つ、ルルイエを通り過ぎて早くも定位置となったソファーの端っこで自分もお茶を飲み始める。
「クリス……私は?」
ルルイエがげんなりとした表情で視線を向ける。
「用意はしていますけど、煙草の後はコーヒーって言ってましたから」
「そりゃ……まぁそうなんだけどさ」
「そんな捨てられた子犬みたいな目をしなくても、コーヒーはルルイエさんのお気に入りの銘柄をいつも通り砂糖二杯にミルク多めで用意してありますから。
そう言って机の上に置かれた空のマグカップを指さす。
いつの間にやら、というべきだろうか。
依頼人はもちろんルルイエやナコトですら気付けないような方法で、クリスはマグカップに並々とコーヒーを注いでいた。
「クリスだいすきー!」
「ナコトさんのマネですか? それともセクハラ? 後者なら訴えます」
「前者なら謝罪を要求するよー」
「ごめんなさい!」
みょうちきりんなコントを見せられた依頼人ラビィの心境は如何に……と言いたいところだが当の本人は差し出されたお茶の豊かな風味と奥深い味わいに目を白黒させていた。
相応に大手の企業であり、なおかつ若手のホープともなればそれなりにいい茶を飲んできたことだろう。
しかしクリスが入れたのは、安い茶葉ながらに常識を飛び越えた方法で淹れられたものである。
そこに含まれる魔力量なども合わせて、ラビィの舌を十全に楽しませていた。
「まぁさておき……ナコトさん」
「うん、いいよー」
「クリス」
「大丈夫です」
「うん、じゃあラビィさん。せっかくなんで今からそこに案内してもらえますか?」
「い、今からですか!?」
お茶を楽しんでいたラビィは唐突に現実に引き戻されたことで驚きを隠せない様子だ。
同時にいつの間にかカップの中身が空っぽになっていることに気付いてか、耳を垂らしてしゅんとした様子を見せる。
「善は急げと言いますし、まぁ下見ですよ。道を覚えるという意味でもね」
「は、はぁ……わかりました……。じゃあ私の車で」
「あぁいえ、鍵など取りに行く必要があるでしょう。詳しい住所を教えていただければ現地集合で構いませんので」
「そ、そうですか……? ではお言葉に甘えて……」
そう言い、いくらかの言葉を残してラビィは事務所を後にした。
ラビィ本人の言を代弁するならば、こんな魑魅魍魎の吹き溜まりに長居したくない。
どころか同じ車に詰め込まれるなどごめんだと言わんばかりに、流石に顔には出さないながらも見る者が見ればわかる程度には動揺しながら慌てて逃げていったようにも見えた。
「まったく……これだから兎は……」
小型冷蔵庫を開けて中を物色するルルイエ、一瞬ビールに手を伸ばしかけたが先日のダムに向かう途中の一件を思い出してクリスが入れたコーヒーを啜る。
「さて、と……どうだ? クリス」
「んー今は歩いているみたいです。徒歩圏内なら集中すればなんとか……あ、止まった。個室に入ったからやっぱり車ですね。そこそこ距離あるなら追跡は無理です」
「そう、じゃあいいわ」
そう言ってひらひらと手を振ってから煙草とコーヒーを満喫するルルイエ。
先程クリスの名を呼んだ際に、ラビィの服に小さな水滴を付着させていた。
クリスの権能で生み出した物であり、その気配を辿ればどこに行ったかがわかる。
ただしその射程範囲は狭いため、車で移動するような距離であれば流石に追いきれなくなってしまうという欠点がある。
「で、ナコトさんの方は何か持っていくものは?」
「んー何がいいかな……パイルバンカーもいいし、魔剣ゲルギオスも捨てがたいけど……」
「却下、解体に行くんじゃないんですから……素手で十分でしょ」
「まぁそっか、じゃあ特にないかな」
「そう、じゃあ先回りしておきましょう」
にやり、と不敵に笑うルルイエに合わせてクリスとナコトも深い闇のような笑みを浮かべた。
ラビィの直感は、間違いなく正しかったと証明するような笑みだった。
「え? ナコトさんは素手でいいとして、道具は持って行かないんですか?」
「道具?」
「探偵七つ道具みたいなの」
「……はぁ、具体的にはどんなん?」
多少投げやりな様子を見せたルルイエは、ため息をつきながら煙草に火をつける。
「指紋採取セット」
「持ってない、使えない、いらない」
「バカな!」
「いや、いらんでしょそんなもん……」
「じゃ、じゃあピッキングとかは……」
「できないよ」
「探偵舐めてるんですか!」
「いや探偵を過大評価しすぎだし夢見すぎだわ……」
そんな言い争いもしばらくすれば治まる物で、颯爽と車に乗り込んだ三人。
今回はルルイエの運転での移動となったのだが……。
「る、ルルイエさん運転荒いです!」
「えー? なにかいった?」
「前! 前見て!」
「わっははははははは! ジェットコースターみたいでたーのしー!」
「ナコトさん笑ってないでサイドブレーキ引いて! ぶつかるぶつかる!」
「だいじょーぶだいじょーぶ、私これでもゴールド免許だから」
「絶対嘘だ!」
「いやぁ、いつもお酒飲んでて久しぶりの運転だからなぁ……何年ぶりだろ」
「ペーパーじゃないですか! ああああああああああああ、今赤信号でした!」
「気のせいだよ気のせい、はっはーもっといくぜぃ!」
「ブレーキ! ブレーキぃ!」
爆音を上げて街中を疾走する一台の車。
その周辺ではクラクションや悲鳴が絶えず、ついにはサイレンが響き始める事態になる。
が、そんなことはお構いなしにと目的地へ爆走するルルイエは上機嫌だった。
「ところでさ、ブレーキって右と左どっちだっけ」
「左ぃ!」
「あ、ここ左折?」
「違うぅ! ルルイエさんブレーキをぉ! 左のペダルをぉ!」
「ん? あぁそういう事? ……だがあえての右だ!」
「あああああああああああああああ……」
暴走特急とサイレンの追いかけっこは以後しばらく続いた……助手席の女性の笑い声と、後部座席の少女の悲鳴を乗せて。
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