第24話

 クリスの学校が始業式を迎える前に引っ越しの準備を進めていた日の事だ。

 しばらくの間はこまごまとした荷物を運びこみながら、通勤していたクリスだったのだが……。

 ダムの再建後訪れた客の持ち込んだ依頼に端を発する。


「ようこそ、ルルイエ探偵事務所へ」


 探偵事務所を訪れたのは長い耳と赤い眼、体格は細身で小柄、ふわふわの白い毛並み、だれが見ても兎の獣人と答えるだろう。

 そんな依頼人はおどおどした様子で探偵事務所のソファーに腰を下ろしていた。


「あの、えと、ここはどんな調査でもしてくれるって聞いたんですけど……」


「えぇ、探偵の業務を逸脱しない限りはという制限はありますが基本的に何でもお受けしますよ」


 ルルイエは朗らかな、そしてクリスやナコトのような本性を知っている物からすれば胡散臭い笑顔を浮かべながら丁寧な対応をする。

 ちなみに探偵の業務は前回のダム事件で既に逸脱しており、今後も同様に面倒ごとに巻き込まれるであろう事はルルイエも承知の上だがそれでも釘は刺しておく。


「じゃ、じゃあその……ちょっと調べてもらいたい物件がありまして……」


「物件……?」


 その言葉にナコトが目を細める。

 ともすれば殺気のような何かを振りまいている……のだが、よく見ればその頬はうっすらと赤く染まっている。

 まるで動物園に来た子供のように、無邪気な何かをまとったナコトの目が早くも濁りだした。


「ひっ、そっそうです! 申し遅れました、ぼ、僕はこういう者でして」


 慌てたように懐から一枚の名刺を差し出す。

 そこには不動産屋の文字が躍っていた。

 加えて、依頼人の名前と肩書、そして電話番号などの連絡先。


「ラビィ・ニア……子山羊不動産の部長さんでしたか。その若さで……」


「ど、どうも……」


 子山羊不動産とは、邪神の一角であるシュブニグラスが戯れに始めた事業である。

 本来の領分を逸脱した仕事ではあるが、神々の取り決めはかなり緩い。

 結果として業務外の事に手を出しても、他の神々が文句をつけることは無い。


「それで、どんな物件を調べれば?」


「えっとですね……ランドルフ地区3丁目にある屋敷なんですが、ちょっと曰く付きの家でして……。それでちょくちょく浮浪者や、素行の悪い方々が肝試しに来たりしてまして……」


「なるほど、続けて?」


「は、はい。それでこのままでは売りに出せないと上から言われましたので……曰くなんてのは嘘っぱちであるという証明をしたいのです……けど……」


 徐々に声が小さくなっていくラビィ。

 先程からナコトが放っている異様な気配もそうだが、ルルイエやクリスの存在感もあるだろう。

 獣人というのは、ダム事件の時のような鳥人をはじめとした動物の特徴を持つ種族の総称である。

 ラビィの場合は兎の特徴、おそらく耳がいいなどの性質は兼ね備えているだろう。


 しかし本質はそこではない。

 基本的に獣人が持つ力は動物の有しているそれを人型に押し込めた、というべきである。

 つまるところ、草食動物であり自然界では被食者たる立場の兎が持つ最大の能力は危機感知。

 目の前にいる相手がどれほどの脅威かを、一瞬で見極める事こそにあると言える。


 では、目の前にいるのはと言えば……堕(ル)天使(ルイエ)に鬼(ナコト)に邪神(ク) |の(リ)娘(ス)。

 並の軍隊でも軽々と蹴散らしかねない、そんな猛者の集まりである。

 当然それに気付いたラビィは委縮する、というよりは委縮だけで済んでいる。

 この世界、カオスでの死因第一位は上位種族との悶着による事故である。


 その被害者は主に人間、小人、そして彼らのような小型の草食獣人である。

 概ね酒の席での出来事が大半故、一時期は禁酒法などという案まで出たほどだった。


「……まぁいいでしょう。それで、いつから調査をすれば?」


「そ、それはお受けいただけるという事ですか!?」


「はい、ちょうど今は手が空いている所です。それに助手にも経験を積ませたいのでね」


「ありがとうございます! 日時は全てお任せいたします!」


「ふむ、失礼」


 そう一言告げて、ルルイエは窓際に立つ。


「あ、私お茶入れてきますね」


 ルルイエの手には缶コーヒーの空き缶と煙草。

 窓を開けて煙草に火をつけ、煙で胸を満たしてから十分にニコチンを吸収したという頃合いまで待ってから吐き出す。

 その間クリスは給湯室へ足を向ける。

 依頼人やナコトたちからは見えないが、ぴくぴくと口の端が揺れている。

 そして、カーテンをくぐり給湯室に入った瞬間。


「よっし、探偵っぽい仕事きたこれ!」


 小声でガッツポーズを決めるのだった。

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