第4話 僕の背中のリンカ 2
その女の子の霊は川岸にかがんで、川に浮かんで動かない精霊船を見つめていた。
「こんばんは」
僕は彼女を驚かせないように、離れた所から静かに声を掛けた。
その子は僕が近づいてくるのに気づいてはいたのだろう。でも、姿が見えるのは意外だったようで、こちらに顔を向けてしばらくじっと様子をうかがっていた。
八歳くらいだろうか、おかっぱ頭に白い浴衣のようなものを着ている。その目には眼球は無く、黒くぽっかりと空いた二つの空洞が僕に向けられていた。
「おにいちゃん、あたしが見えるの?」
「うん、見えるよ」
「怖くないの?」
「うん、怖くないよ」
頭の中に直接伝わってくる幼い声と感情。しかし、彼女はこれまで出会った霊たちとは明らかに違うことを僕は感じていた。
「何をしていたの?」
僕は女の子のそばに近づきながら尋ねた。
「あのおじいさんがね、どうしても家族に伝えたいことがあるって。だから、まだ行けないって言ってるの」
彼女は川面に佇んでいる精霊船を指さして言った。
「そうか。じゃあ、僕が家族の人に伝えるから、おじいさんにどんなことを伝えたいのか、聞いてくれるかい」
「うん!」
女の子は嬉しそうにうなづいて、しばらくじっと船の方を見ていた。
「うん、分かった。あのね、おじいさんの部屋の床の下に、お金がたくさん入った壺が埋めてあるんだって。それを家族に使ってほしいって」
「そうか、分かった。必ず伝えるから安心して冥土に行ってくださいって言ってくれ」
しばらくすると、船は安心したように岸辺から離れ、海に向かって流れて行った。
「ねえ、君は何ていう名前なの?」
「あたし、リンだよ」
「リンか」
「?リンカじゃなくて、リン」
「あ、ああ、わかってるよ、リンちゃんだね」
「うん。でも、リンカってかわいいね。あたし、リンカがいいな。これから、名前はリンカにする」
少女の霊は嬉しそうにそう言って、そこらじゅうをピョンピョン飛び跳ねながら移動していった。なんとも変わった霊だ。
「ねえ、リンちゃんは……」
「リンじゃなくて、リンカ」
いきなり僕の目の前に移動してきた少女が、顔を近づけながら言った。
「あ、ああ、ごめん……リンカちゃん、君はどうしてここにいるの?」
「う~ん、わかんない。気が付いたらここにいたの」
「じゃあ、その前はどこにいたの?」
「ええっとねぇ、この川の上の方の山の中に住んでたの。お父(とう)とお母(かあ)と新太郎と一緒に……でも、ある日大雨が降って、裏の山が崩れてきて……」
少女はとたんに悲しみと恐怖の感情を僕に伝えて来ながらうつむいた。
「……気が付いたら川の中で、すごい勢いで流されて、お父もお母も新太郎もいなくて……でも、知ってるよ、みんな川の中で溺れて死んだんだ。あたしも死んだんだ……」
少女はちゃんと自分の死を理解している。では、なぜ輪廻の世界に入らないで現世に残っているのだろうか。
「そうか……辛かったね。でも、他の家族はもうあっちの世界に行って、幸せになったんだろう?君は行かないの?」
「うん、ときどきお父とお母と会ってるよ。幸せに暮らしてるって。新太郎は、新しいお父とお母の所に生まれ変わるから、いなくなったの。
あたしはここが好きなの。子供たちが川遊びに来るし、動物たちも水を飲みくるから、楽しいの。もうしばらくこっちにいるからって、お父とお母には言ってるの」
僕は、最初に彼女に抱いた異質な感じが何であったか、分かったように思った。彼女は他の地縛霊のように、未練や恨みの感情でその地に縛り付けられているわけではないのだ。
むしろ、自分の意志でここに「住んでいる」と表現した方が適当かもしれない。
「ねえ、リンカちゃん、もっとこの世界の楽しいことを知りたくはないかい?」
僕の問いに、少女は浮かび上がって僕のすぐ近くへやって来た。
「うん、知りたい。でも、あたし、ここから離れられないの。前に一度、村の子供におぶさって離れようとしたけど、だめだったの」
「僕におぶさってみて。たぶん、大丈夫だと思うよ」
リンカはいぶかし気な様子だったが、言われたとおりに僕の背中におぶさって細い腕を首に回した。
「じゃあ、村の方へいくよ」
「うん。お兄ちゃんの背中、なんだかとってもあったかくて気持ちいい」
僕は背中に少女の霊をおぶって、高木さんの家へ帰っていった。
「わあ、ほんとだ。全然苦しくないよ。どうして?」
「あはは……よかったよ。僕はね、少し他の人と違う体質なんだ」
こうして、リンカは僕の背中に取り憑く形で、故郷の川から離れることになった。
以来、三年間、僕たちはずっと一緒に生活してきた。
リンカが普通の霊とはちょっと異質だと言うことは前にも述べたが、あるとき、僕たちは三島さんの紹介で、とある有名な霊能者と対談したことがあった。
そのとき、霊能者はリンカを見てとても驚いて、こう言った。
「あなたの背後には、女の子の霊が憑いていますね。でも、とても不思議なんですけど、その霊はとっても自由で活き活きしてるんです。どっちかというと、精霊に近いような感じですね。こんな霊は見たことがありません」
そう、たぶん、僕が感じたのもそういうことだったのだ。リンカは今まさに精霊に昇華しつつある途中の霊なのだった。
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