第十七話 妹を殺した二人の兄
加藤さんのアドバイスを受け、俺はもう一度浩輔を訪ねることにした。俺なりに浩輔の視点を変えるきっかけを作ろうと思って来たのだ。今回は無策じゃない。あるアイテムを持って鹿目家のインターフォンを押した。
「どうもー。山岸酒店でーす。頼まれてた酒とみりんお持ちしましたー」
インターフォンが鳴り終わって数秒、家の中から人が出てくる気配はない。だが宅配は浩輔とは関係なく、鹿目の爺さんに頼まれてる。配達しないわけにいかない。
そしてもう一度インターフォンを押すと、何の声も無くそっと玄関の扉が開いた。
「何」
じとりと睨んで出てきたのは浩輔だ。さては鹿目の爺さん、自分が留守の時間に届くようにしたのだろう。浩輔は口を尖らせ靴箱の上に置いてある封筒を俺に押し付けた。封筒には『山岸 酒 みりん』と書いてある。鹿目の爺さんが金だけ用意していたのだろう。
「まいど。それと今日はお土産あるんだ」
「は?」
俺は持ってきた袋を浩輔に差し出した。これが俺なりの視点切り替えアイテムだ。
「何これ」
「お土産。一緒に食べてほしいんだ」
「なんで俺が」
「……まだ一人で食べる勇気が無いんだ」
袋の中から俺は一つの箱を取り出した。
この袋は初めて金魚屋を訪れた時に金魚屋の女がくれた物だ。中にはそれと同じ商品が入っている。
「それ……」
「ジャン=ポール・エヴァンのチョコレートケーキ。沙耶が最期に食べたいって言ってたケーキなんだ」
結局、浩輔のためにできることは何も思いつかなかった。だから俺が立ち直る最初のきっかけとなったこれを持ってきてみた。これがなければあんな怪しい店にはいかなかっただろう。これは俺と金魚屋を結び付けてくれた物だ。
「こんな高いケーキ買ってやったことなかったんだ。でも同じ病院の子が誕生日に食べたとかって――って⁉」
ふと浩輔の顔を見るとぼろぼろと涙を流していた。まだ何も話していないのにだ。
「どうしたんだよ! ケーキ嫌い⁉」
俺は慌ててケーキを置いて浩輔に手を伸ばしたが浩輔は何も言ってくくれず、いつものように部屋へと逃げ帰ってしまった。急な変貌ぶりに夏生は呆然としていると、後ろからとんっと撫でるように背中を叩かれる。鹿目の爺さんだ。
「夏生君。これどこで聞いたんだい?」
「沙耶が食べたがってたんです。妹の話題なら話せるかと思ったんですけど……」
「これね、桜子が最後の誕生日に食べたケーキなんだよ」
「え?」
誕生日に食べたケーキ。俺は沙耶の言葉を思い出した。
『ちゃくちゃんが教えてくれたの。お誕生日に食べたんだって……』
桜子が最後の誕生日に食べたケーキ。
友達が最後の誕生日に食べたケーキを聞いた沙耶。沙耶と友達がいたのは病院だ。
俺は浩輔の部屋へ走った。ドアをノックしようとしたけれど、どういうわけかドアは開いていた。部屋を覗くと、浩輔は手に写真立てを持って泣いていた。その写真は浩輔と小さな女の子がジャン=ポール・エヴァンのチョコレートケーキを満面の笑みで喜んでいる姿だった。周りには医師や看護師も写っていて、その内の数名は俺も見覚えがあった。
沙耶の入院していた病院で働いていた人達だ。
「桜子ちゃんて、もしかして沙耶と同じ病院だった……?」
「……そうだよ。ちゃくは、桜子は沙耶ちゃんの隣の病室だった」
「沙耶が『ちゃくちゃん』って呼んでたけどあれは桜子のことだったのか」
「昔から舌足らずで、なおらなくて……」
初めて罵声以外の言葉を聞かせてくれた浩輔は、動く事の無い妹の写真を見つめながら声を殺して泣いていた。
「なあ、宮村。お前は何で……」
浩輔は初めて俺の名前を呼んだ。俺は浩輔の横に膝を付き、言葉を繋げられずにいる浩輔が声を聴かせてくれるのをじっと待った。
けれど浩輔はふるふると首を振り、立ち上がると俺から離れた。
「……ごめん。何でもない」
「何だよ。いいよ、何でも話してくれよ」
「いい」
夏生は浩輔にぐいぐいと押されて部屋を追い出され、ガチャンと鍵をかけられてしまった。何度かノックしてみるけれど、浩輔は何も言ってくれない。これは居座り続けるより少し待った方が良いかもしれない。それに店に戻って閉店準備もしなくてはいけない。夕飯を作ってくれているばーちゃんも心配するだろう。
「浩輔。夕飯食べたらまた来るよ」
浩輔が初めて名前を呼んでくれた事が嬉しくて、俺は夕飯を食べてから大急ぎで閉店準備をし始めた。今ならきっと話ができる。早く行かなくてはと慌てていると、運悪く客が入って来た。この急いでる時に、と思いながら扉を見ると、そこにいたのは思いもよらぬ人物だった。
「浩輔! 何だよ! 今から行こうと思ってたんだ!」
「いや、そんな何回も来なくても……」
喋った、と妙な達成感が沸き上がった。
浩輔がやって来たのに気付いたじーちゃんが、店はいいから奥上がれ、と言ってくれたので俺は浩輔を連れて家に入った。
しかし案内した先は居間でも俺の部屋でもない。レースやフリルで装飾された、ピンク色が基調となったお姫様のような部屋だ。
「……これお前の部屋?」
「沙耶の部屋だよ。ばーちゃんが作ってくれたんだ。夕飯供えるからちょっと待って」
俺は沙耶の仏壇にばーちゃんが作ってくれた夕飯を供えて手を合わせた。浩輔は何も言わずに立っていたが、ふと襖の外からばーちゃんの声がした。
「なっちゃん、お茶。入っていい?」
「あ、有難う」
開けると、そこにはお茶とお菓子を持ったばーちゃんがいた。
お菓子は俺がじーちゃんとばーちゃんに買っていったジャン=ポール・エヴァンの焼き菓子だった。
「こっちは沙耶ちゃんの分ね。浩輔君は甘い物好き? これね、なっちゃんがよく買ってくれるのよ」
「……は、い……」
浩輔はぐっと涙をこらえようとしていたけど、こらえきれずぼろっと涙をこぼした。俺はばーちゃんを前にどうしようかと狼狽えたけど、ばーちゃんは何もおかしな事はないというように、ぽんぽんと浩輔の頭を撫でた。
「孫のお友達にお茶を出すのが夢だったの。嬉しいわ。ゆっくりして行ってね」
お泊りしてくれてもいいのよ、と嬉しそうに笑ってばーちゃんは部屋を出ていった。この状況で残して行かないでくれと思ったが、浩輔はちらりと俺を見てぼそりと呟いた。
「山岸さんは血縁じゃないんだよな」
「違うよ。でも今はじーちゃんとばーちゃんが俺の家族」
浩輔は、そう、とだけ呟くとぺたりと床に座り込んだ。ばーちゃんの持って来たジャン=ポール・エヴァンの焼き菓子を見て、また少し涙を溜めた。
「しつこくしてごめんな。でも俺どうしてもお前と話がしたくて」
浩輔は何も答えてはくれなかった。
だが、話す事なんて無いと言われるかと思っていただけに返しが無いというこれはこれで驚きもあった。嫌ならわざわざ来ないだろうし、これは多分何を話して良いか分からないだけだろう。俺もそうだった。そんな俺が話すようになったのは加藤さんの根気強いカウンセリングがあったからだ。加藤さんはいつも自分から話をしてくれてた。俺が何も答えなくてもずっと。
最初は加藤さんが十個話すうちの一つでも俺が回答すればマシというようなスタートだった。でもいつも色んな話を振ってくれて、俺が答えられる話題を見つけると次からはそれについての話題を増やしてくれた。多分ばーちゃんが言ってたようにとにかく声を掛けるのが大事なのだ。いきなり核心を付いたら壊れてしまいそうな雰囲気だし、他の話題からの方が良いかもしれない。
「夕飯何食った? うちカレーだったんだけどさ、りんご酢使ってるんだよばーちゃん。これが絶妙な美味さでな」
ピクリとも反応が無い。食べ物ネタは興味が無いのだろうか。
「そういやじーちゃん同士ってどういう繋がりなんだろうな。仲良いよな」
これには少しだけ反応を見せた。やはり身内の話は気になるのだろうか。朝イチの授業が無くても朝早くから一緒に食事をしていたし、家族想いなのだろう。
「お前バイク乗れる? 俺配達用に免許取ったんだけど慣れなくてさ」
「……事故が怖いから、乗らない」
「それはあるな。スピード出すのも怖いし」
「怪我したら桜子が泣くし、会えなくなるから怪我する事はしないようにしてた」
「……そっか。俺は稼ぐこと優先で肉体労働も工事現場のバイトとかもしてたな」
沙耶が入院してた間の自分の生活についてはあまり記憶が薄い。必要最低限の事をするだけで金銭的にも肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいだったから、沙耶のために自分を大事にする余裕なんて無かった。
その愚かさに気付いたのは沙耶を弔ってからだ。
「兄貴失格だよなあ……」
それは俺自身に言った言葉だが、自分に言われたと思ったのか、浩輔がびくりと身体を震わせた。やっぱり桜子を殺した事が浩輔を追い詰めているのだろう。
浩輔はちらりと俺を見たが、目が合うと慌てて俯いてしまった。何か話そうとしてくれているのか。
「……宮村」
「ん?」
「あの……えっと……」
「ゆっくりでいいよ。待ってるから」
これはいつも加藤さんが俺に言ってくれていた言葉だ。一時間かけて一つしか伝えられなくても、宮村君の話が聞けて嬉しかったと言ってくれていた。せっかく話す気になってくれているのだから話すペースを間違ってはいけない。
「……沙耶ちゃんは、その……いや、桜子が、ずっと……遊んでもらってて……」
「よく『ちゃくちゃんと遊んでた』って聞いてるよ。ありがとな、遊んでくれて」
「俺は……沙耶ちゃんが、あの時……」
「うん」
「桜子が、起きてて……じゃなくて……」
「うん。ゆっくりでいいから」
浩輔はぽつりぽつりと言葉をこぼしたけれど、繋がった文章にはならないようだった。浩輔の言葉を待ったけれど次第に何も言わなくなってしまい、これは何か切り替えないといけないようだ。
とはいえ一旦帰りましょうはできない。時間が無いのだ。だがジャン=ポール・エヴァン以外でスイッチになりそうな物など思いつかないし、どうしたもんか悩んでいると襖の向こうからばーちゃんの声がした。
「なっちゃん。お風呂沸いたけどどうする? 浩輔君は泊ってく? 泊ってくでしょ?」
襖を開けるとばーちゃんはやけにウキウキソワソワしていた。ばーちゃんは世話焼きなのだ。
「ばーちゃん。落ち着いて」
「だってなっちゃんのお友達が来るなんて嬉しくて」
そりゃ俺に友達ができる――友達と言っていいかは分からないが、同じ歳の人間と交流ができるなんて奇跡に近い。それを喜んでくれるのはそれだけで嬉しかった。
ばーちゃんはうふふと笑っていたが、さすがに泊りはしてくれないだろう。
「ね、泊っていって。なっちゃんも喜ぶわ」
「……はい」
「え⁉」
「何。駄目なの」
「い、いいよ! 大歓迎! じゃあ着替え貸すよ。Tシャツでいい?」
「何でもいいよ」
「あらあら! じゃあお布団出さなきゃね! なっちゃん、後で持って行って」
「うん。有難う」
浩輔はぺこりとばーちゃんに頭を下げると、鹿目の爺さんに泊ってくという電話をした。電話からはスピーカーでもないのに爺さんの喜ぶ声が聞こえて来て、浩輔がごめんとぽそりと謝ると、わはは、とさらに大きな笑い声が聞こえてきた。
俺にも聞こえているのにようやく気付いた浩輔は、かあっと顔を赤くして慌てて電話を切ってしまう。
「……ごめん」
「え? 何が?」
「いや……」
浩輔が恥ずかしそうに笑うのを見ると、鹿目の爺さんが喜んだ理由は俺にも分かった。
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