『愚か者』は時を越えて
掛け持ちしていた複数のアルバイトを全て辞め、目的だった『コア』を手に入れた翌日。
これまでの達成感や少しの安堵のせいだろうか、昼過ぎまでぐっすりと眠ったらしい。
ど徹夜で作業をしていたらしい愛果には「普通は今までの習慣で早起きしちゃうってのがあるあるなんじゃないの?」と呆れられた。
愛果が二時間程仮眠を取って、それからいよいよ世紀の大発明タイムマシンの起動に取り掛かる段取りとなった。
「さて、と。復習でもするか」
復習。おさらい。もっと簡単に、目的と注意事項の確認だ。
過去に戻る、時間軸を移動するという事象において、必ず付き纏ってくる問題がある。
所謂タイムパラドックスという奴だ。
例えば親殺しのパラドックス。青年AがA自身が生まれるよりも前の過去に戻り、両親を殺したとする。するとAが生まれないことになる。となれば両親はAによって殺されることがなくなる。ということはAは生まれ、やはりAは両親を殺す。ならばやはりAは生まれずに――、と無限ループをしてしまう。
多くの創作者と学者達はそれらを理論的に解決する為の可能性を幾つも提示してきた。だが、ここには本物のタイムマシンとその実験結果が残っている。この世に存在しない『天才』が、たった一人で作り、たった一人で記したモノ。唯一、未だに彼女が居たと確信できるモノ。
但し、このタイムマシンは俺と愛果の記憶では俺達が共同で生み出したことになっている。偶然に偶然が重なった産物だと認識している。完成して互いにハイタッチをした記憶さえも共通して持っている。
だからこれは裕果のものではない、と記憶が訴えている。裕果などという存在は居ないと、俺の理性は世界に合わせようとしている。
だが、同時に俺と愛果の本能はそれらを否と断じている。『愚か者』の俺と『秀才』の愛果。たった二人でタイムマシンなど作ることは、例えどんな偶然が重なろうともあり得ない、と。こんな馬鹿げたモノを生み出せるとしたら、俺や愛果を越える本物の存在――『天才』でなければ、と。
俺や愛果の記憶がすり替わっているように、水原裕果という存在を世界は徹底的に消し去った。
俺と愛果の記憶、そしてタイムマシンとその実験記録のみを遺して。
俺と愛果だけが覚えているのは、俺や愛果という存在の構成要素に裕果という存在は欠かせないモノだったからだろう、というのが愛果の談だ。
世界は過去のとある一点を基軸として修正されていく。そして修正というのはつまり辻褄合わせである。一人の人間がいなくなったことで起こる世界の不都合を世界全体が緩やかに変化することで誤魔化すのだ。
例えば裕果と愛果が生み出した三つの発明は、愛果が一人で発明したことになった。このタイムマシンも俺達がつい最近生み出したことに成りつつ在る。だが同時に、水原裕果という存在が居ないことに気付いた日に発見した記憶もある。どっちが正しい記憶かと問われた時、三年前の俺達は後者だと断言できたが、今の俺達はその革新が揺らぎつつある。
そうして、ゆっくり、ゆっくりと俺達は世界に変化させられていく。水原裕果がいなかった世界の人間として修正させられていく。
愛果はそんな現象を「主人格と副人格が共感しあっている二重人格の芸術家による重ね塗りされていく絵画のようだ」、と回りくどく表現した。
曰く、世界という作品そのものは芸術家が描いている為、最終的な完成の時点では矛盾や破綻のないモノであることが確定している。但し、この芸術家には別の人格があり、その副人格が描いている途中で違う何かを書き足すことがある。そして主人格はそれを好意的に受け入れる。主人格は副人格の書き足しに合わせて他の部分を更に書き足すことで世界を一つにまとめあげ、完成させてしまう。
正直に言えば、俺にはそれが一体どういうニュアンスを持っての表現なのかは分からない。だから愛果にしつこいくらいに質問を繰り返して、二つのことを理解した。
一つ、タイムパラドックスは起こらない。
一つ、歴史の改変は、その後の修正が完全に終了しない限り、再修正が可能。
これは純然たる朗報だ。どれだけ足掻いても歴史は変えられない、なんてオチではないことが確定している。尤も、そんなことを言えば裕果が現在を書き換えたこと自体が歴史改変、修正が可能なことを証明しているのだが。
タイムマシンを使うことができるのは、今回の一回限り。これはとても単純にタイムマシンが現状、裕果のみが作り出せるモノであり、また幾つかの部品が限界に近いからだ。
つまり、俺達はたった一回のタイムトラベルで『天才』が成し遂げた世界の修正を、止めなければならない――。
部屋を移動する。タイムマシンが置いてある、特別な部屋に。
タイムマシンは某有名漫画に出てくるような乗り物ではない。研究所のような白い部屋の真ん中に佇むマネキンの首に掛かっている、長いチェーンのついた懐中時計。それがタイムマシンだ。懐中時計には当たり前だが文字盤が描かれており、しかし針の代わりにあのオカルトショップで手に入れた『コア』が、小さく成ったまま回り続けている。
ネックレスを身に着けている人物を対象としてタイムトラベルを行う。更にこれは往復が前提となっていて、つまりは特定の時間に飛んだ後、一定の時間が経つと強制的に元の時間軸に戻される。最大限の滞在期間は恐らく一日。但しこれはタイムマシンが最善の状態であることが条件で、今回の場合は一時間がせいぜいだ。
「…………」
くくっ、と思わず笑みを漏らす。
不可能という言葉が脳裏を過ぎった。
冷静に考えて、無理だろう。考えなくとも分かる。
『天才』がいつどこでどうやって自分の存在だけを消したのかさえ不明だというのに、それを一時間のタイムスリップ一回で解明し、止めなければならない。
無理だと分かっている。だけど、それでも俺達は挑戦しなければならない。
水原裕果という存在は、この世に存在しなければならない。彼女の存在を無かったことにしてはいけない。それは、俺や愛果という存在の否定と同義なのだ。だから俺達は俺達の為にあの『天才』を、再びこの世界に認めさせなければならないのだ。
しばらくして愛果が仮眠から起きてきた。最終調整としてタイムマシンに『コア』を入れて、そうしていよいよ、最初で最後のタイムトラベルだ。
「戻る時間は、六年前。私達が姉さんの存在が消えたと気付く一日前。その日までは確かに姉さんはこの世界に存在した。多分、過去に戻って歴史を修正したのがその時なんだと思う。だから、その時に戻って、姉さんから理由を聞き出して無理矢理にでも止める。いい?」
「ああ」
「…………。絶対に姉さんを連れ戻して来てね」
「任せろ」
これはただの強がりだ。絶対に成功させなければならない、その為の虚勢だ。
タイムマシンの懐中時計の竜頭を回すとホログラムが現れた。時間を指定し、そして竜頭を押し込む。そうして俺は時間を超えた。
タイムトラベルというと意味不明な異空間のゲートを経由して、ぽいと出てくるようなイメージがあったが、しかし現実は非常にあっけなく、一瞬視界が眩み、そして元に戻ればそれで過去に戻っていた。
過去に居る。時計やカレンダーを見た訳でもないのに、俺はすぐにここが過去の世界なのだとハッキリと自覚できた。
何せそこには。
「――やぁ、六年ぶりかな? 私としてはついさっき会ったばかりで、そして最期の顔合わせになるはずなんだけれど」
「……っ」
言葉が出ない。
目の前にいる。生きている。存在している。
水原裕果がいる。
この感情が喜怒哀楽のどれなのか、分からない。だが、とにかく胸がいっぱいになった。目の前に、六年間想い続けた相手が居る。それだけで良かった。
――否。
パンッ、と頬を叩いて目を覚ます。違う、これで満足してはいけないのだ。この後、俺は彼女を存在する世界に修正しなければならない。彼女を説得しなければならないのだ。
「ッ、裕果。久しぶりだな」
「……全く、君は本当に『愚か者』だよ。世界中の誰に聞いたって存在しないと断言された人間に会いに来るなんてね」
「何の説明もなく、突然にずっと側にいた奴が消えたら、そりゃ必死こいて探すだろうよ」
「そうだね。そうだろうね。君ならそうすると思っていたよ」
「どうしてだ。どうして、お前は消えたんだ。一体どうして、消えなければならない? 頼むよ、裕果、俺に教えてくれよ」
「そうだね。別にこのまま君を気絶させて元の時間軸に戻したとしても、君達ならきっとどうにかしてここにまた戻ってきそうな気がする。うん、分かった。じゃあ説明しよう。私がどれだけ世界にとって不必要な存在なのか。私がこの世界にいてはならない理由を。――私はね、世界を滅ぼすバグなんだよ」
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