親しみが、そこにはあった。
『愚か者』。その単語を俺に向けてよく放っていた人物が六年前までこの世界に居た。そこには悪意や敵意、害意などの意図はなく、むしろ親愛の感情が滲み出ていた。馬鹿な子ほど可愛い、という言葉が最も近いニュアンスなのだろう。
同い年のくせして、彼女は俺をそんな風にどこか保護者のような視点で見ていたきらいがあった。単純に精神年齢は彼女の方が幾つも上で、俺は年相応だったから。それだけのことなのだろう。
そしてバカではなくて『愚か者』という言葉を選んだのもまた、特殊な意味を持っていたらしい。『愚か者』とバカは違う。そういうようなことをよく言われていた。
多分。いや間違いなく、三年前、あの店主に『コア』を渡したのは彼女――水原裕果だ。
俺が、俺達がここにあることを見つけ出すことを推測した上で、裕果は店主に託したのだ。
「…………」
三年前。彼女がいなくなった三年後。突然に姿を現し、店主に『コア』を渡した。恐らく、そう考えるのが普通、真っ当な筋道だろう。
「……愛果、どう思う?」
「あら、盗聴してたの気付いてたの?」
「まぁな」
俺の持つ腕時計型端末は愛果が作ったモノだ。極指向性の音声の送受信や超高精度位置情報システムに、同じく高精度のバイタルチェックシステム。自動決済アプリ、近距離通信、ブルートゥース、などなど諸々に対応。そして特定端末からの完全制御、ついでに紛失した際には自動で元の場所に戻るというなんでもござれの便利な端末になっている。
そしてこの内の特定端末からの完全制御、というのは要するには愛果の持つ更に特殊な端末からの制御という意味だ。
これは愛果から監視されているとも受け取れるが、逆に言えば何が起こっても愛果がそれを検出してくれるとも受け取れる。それにこの端末を渡す時、愛果は一切の隠し事なく全ての機能を説明した。
その上で「これを使う使わないは大輔の自由。好きにして欲しい」、と懇願された。言葉だけで言えばこちらに選択肢を渡してくれただけだが、その言葉の裏にはある種の執着が見え隠れしていた。
どこにも行かないで欲しい、という執着だ。裕果のように突然に消えてしまわないように、と。だから俺は愛果の執着をこの端末と一緒に受け入れた。
俺もその恐怖を知っているからだ。突然に誰かが消えてしまうことが、自分の精神をどれだけ強く乱すのか思い知っている。
何せ、そう。――六年前、水原裕果はこの世界から唐突に抹消されたのだから。
一切の痕跡を遺さず、初めから存在していなかったかのように、水原裕果がいたという痕跡だけが綺麗に世界から消失してしまった。
裕果や愛果の両親の中からも彼女の記憶は消え、重力制御技術や超電導技術、そしてあまりにも危険過ぎると判断し、国が封印した人工知能――これらの成果は全て愛果が独力で生み出したことになっていた。
この世界で水原裕果という少女は初めから存在していない。水原裕果という存在は、俺と愛果の記憶の中にしかいない。
それでも俺達は水原裕果という『天才』が存在していたことを主張する。その存在を証明する為に、俺達は今動いている。
別にそれは世界に認めさせる為ではない。もう一度彼女の存在を確信する為に。既に記憶からも消えかけている、顔すら思い出せなくなった彼女を――世界に修正されかけている彼女の存在を何の躊躇もなく「いる」と公言できるようにする為に。その為に俺は、俺達は彼女が遺した発明に頼る。
現在、そして未来に彼女が居ないというのならば俺達は過去に戻る。
水原裕果が生み出した、まさしく時代を越える技術。隠された裕果の発明の四つ目。時を超える機械――タイムマシンを使って。
『コア』を手に入れて『家』に到着した頃には、既に日付は変わっていた。流石に今日そのまま実行というのは少しきついものがある。
決行の時刻――裕果の遺したタイムマシンの起動は、明日の昼過ぎ辺りにすることになった。その日に俺達は、真実を目の当たりにする。
過去に戻り、水原裕果が消えた理由を、そしてその方法を知る。
それが怖いかどうかと聞かれれば、そんなもの怖いに決まっている。だが、だからこそ知らなければならない。そしてあわよくばこの現在を否定しなければならない。『天才』が成し遂げたであろう現在を否定し、世界を再修正する。
それが俺達が密かに行う世紀の大実験だ。
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