第9話 月夜
権三は、目に涙を溜めていた。その涙が零れ落ちる。腕でその涙を拭う。楓も、正之助の優しさで、胸がいっぱいになった。権三は、話を続ける。
『儂と、正之助殿との出会いは、そんな感じじゃ。あの時は、本当に、ありがとう。感謝しておる』
権三は、深々と頭を下げた。正之助も、頭を下げる。
『いえ、当然の事。私こそ、思い出せず、すすみません。権三殿、美味しい米を、ありがとう』
お互い、お辞儀をして頭を上げない。楓は、気持ちを切り替えて、権三に尋ねた。
「お里さんとの出会いを、教えていただけますか?」
権三は、咳払いして、話し始めた。
『そうじゃったな。儂がお里と出会ったのは、儂が仕事を終えてからじゃった。家に帰ると、家の前に女が倒れておった。具合が悪いのかと思い、介抱してやった。それで、目覚めて話し出すと、まあ、口が悪いのなんのって』
思わずレンドリッヒを思い浮かべる、楓。
(性格や、口調は、変わらないのか、、、)
『元蔵という男に、手込めにされた!と、怒り、喚いておってな。落ち着いたら、そのまま家に住むようになっての。身ごもっていた娘も、無事に生まれて、一緒になった。儂も、嫁を早くに病気で亡くして、ずっと1人じゃったからのぅ。口は悪いが、お里は元気が良くてのぅ。口が悪いが、お里は、働き者でのぅ。備中ぐわ壊された時は、困ったが。口が悪いが、料理も上手でのぅ。毎日が楽しかったのぅ』
権三は、懐かしんで目を細めている。楓は、口の悪さという言葉を何度も繰り返す権三に、お里は余程口が悪かったのだろうと思いつつ、何故、命を落とす事になったか、気になった。楓が口を開く前に、正之助が質問した。
『権三殿は、何故命を落としてしまったのですか?』
楓と同じ質問だったので、思わず正之助を見る。権三は暫く黙った。目を閉じ、眉間に皺を寄せている。沈黙。目を開け、重い口を開いた。
『儂は、元蔵に殺された』
(元蔵に殺された?権三さんは、元蔵に会っている?)
権三は、話を続けた。
『儂が、城下町で正之助に出会った時じゃな。正之助に米粒を拾ってもらった、その後の事じゃ。沢山のお侍さん方の中に、元蔵がおった。口の上手い大男で、儂は直ぐに信用できん奴じゃと、思った。自慢話か、女の話が大半で、その流れでお里の話しをしだした。儂は、知らない振りをしていたが、一方的な物言いに我慢ならなくて、元蔵を叱ってしもうた。そしたら、帰り道、後方から矢を放たれ、殺されてしまったのじゃ』
あまりにも身勝手な元蔵の行動に、楓は珍しく腹を立てていた。権三に非はない。
『儂も、良くなかった。口は災いの元と、いうじゃろ。身から出た錆じゃ。相手にせんでよかった。同じ土俵に立つべきじゃない。争ってはだめじゃ。儂はお里の事、娘の事を思いながら亡くなってしもうたから、成仏出来んかった』
黙っていた、正之助は口を開く。
『権三殿は、悪霊になってはおりません。元蔵が、憎くはないのですか?』
権三は、首を振る。頭の矢も揺れる。
『人を呪わば穴2つ。儂は誰も憎まん。これも、儂の人生。儂の運命じゃ。こうして、正之助にもう一度会えた。これも、何かの縁かのぅ。お互い、命はないがのぅ。ハッハッハー』
楓は、正之助を見た。俯いている。泣いているのか?いや、膝の上で、きつく拳を握っている。怒っているのだろうか?
楓は、眠りにつきながら思っていた。
(明日、権三さんは、やっとお里さんと再会出来るんだ、、、。ずっと、会いたかったんだもんね。ずっと、思っていたんだもんね)
楓は、何とか講子と茂には、権三の存在を、気付かれずに過ごす事が出来た。だが、正之助は、いつもに増して、口数が少なかった。
楓が眠りについたのを確認すると、権三は正之助に話し始めた。
『正之助殿、元蔵を斬って欲しい』
まさかの権三のお願いに、正之助は驚いた。だが、自分も権三の話しを聞きながら、お里の敵であり、権三の敵である、元蔵を討ちたいと、考えていた。権三は続ける。
『お里が、儂の最期の顛末を聞いたら、黙っとらん。自分が元蔵を倒すと、言うじゃろぅ。儂は、お里の手は、汚したくないからのぅ』
正之助は、権三のお里への思いに、寄り添った。
『じゃがな、今のお主では、元蔵は斬れん』
権三の鋭い眼差しが、正之助の視線を捉える。
『正之助殿、お主、あの悪霊、、、お初を、何で殺めなかった。あいつは、儂の前にも何回か現れて、その度に、なんとか追い払った。儂には、殺める力なぞ無い。お主は、出来たのに、しなかった。なぜじゃ?』
権三と、正之助は、まだ、見つめ合っている。
『お主は、情けをかけたのじゃ。情けは人の為ならず、、、。お初を含めた悪霊には、情けはいらん。優しさもな』
正之助は、膝の上で握っていた自分の手の平に、視線を落とす。手の平を開き、見つめている。
『そして、人を信じ過ぎぬ事。お主の心は、澄み渡っておる。清らかな泉のようじゃ。じゃがな、そこに付け入られる。隙を作ってはならぬ。隙があれば、悪霊にも、生きている人間にもつけ入れられる。信じ過ぎず、隙を作らなければ、元蔵は、斬れる』
正之助の眼差しが、権三とぶつかる。正之助は、黙って頷いた。
寝ている楓を残し、正之助は部屋を出た。階段を下りて、直ぐ目の前が駐車場になる。月明かりに照らされて、車が列をなしている。暗闇の中で連なる固体は、各々の色を煌めかせていた。正之助は、空を見上げた。そして、鞘に手を掛け、刀を一気に引き抜く。月に向かって、真っ直ぐ腕を伸ばす。月明かりに照らされた刀が、美しく光る。前に構えて、呼吸を整えて、上から下へ素早く振り下ろす。何度も。風を斬る音。今度は、右下から、左上に振り上げる。呼吸を整えて、前に構え直す。今度は、踏み込み、左から右へと真横に斬る。風を斬る音。刀を鞘に戻すと、目の前に、黒色の煙が現れて、人の形になった。だが、その人の形は崩れかかっていた。目の前の悪霊が、声を出す。
『うーぅー』
何を言っているのか分からない。その悪霊は、勢いよく、正之助に向かってきた。正之助は、右下から左上に切り上げた。体が真っ2つになる。今度は、左から右へ斬る。そして、悪霊の背後に周り、首を斬り落とした。悪霊は、干からびて地面に倒れ、黒色の煙となり、消え去った。
『お見事!』
拍手と共に、権三の声が聞こえた。向き直り、正之助はお辞儀した。
『いえ。まだ修行が足りません』
権三は、笑みを浮かべている。
『正之助殿、お主が斬る時、無心であったな。それじゃ、何も考えず、目の前の敵を斬る。斬る事だけを、考えるんじゃ。今のお主は、それが出来ておったぞ』
権三は、頷きながら話した。
『それからのぅ、この悪霊はもう、人であった時の記憶がないんじゃろう。人の形すらしておらん。哀れじゃが、情けはいらん。はて、元蔵は、人の形をしておるのじゃろうか?』
権三の言葉に、正之助も考えた。
『じゃあ、儂は、鈴子殿を守りに行ってくるぞ!!』
正之助は、光に託した鈴子の事が気掛かりで、権三に鈴子の護衛を頼んでいた。悪霊のお初ともやり合ったくらいだ。家にはお札が貼ってあるが、万が一家の外でお初に遭遇しても、撃退出来るだろう。権三は、正之助にお辞儀をして、闇夜に消えていった。
光が商店街のアーケードをくぐると、野良猫のボスのジャンボが、話しかけてきた。
(光、お帰り!)
光は、ジャンボの頭を撫でてやる。喉をゴロゴロと鳴らしながら、ジャンボは体を摺り寄せてきた。
(ミーの奴から聞いてたからよ。俺もちゃんと、鈴子を守ってたぜ)
(ジャンボ、ありがとうね)
アーケードを抜けて直ぐの、ヨネおばあさんの駄菓子屋は、今日もシャッターが締まっていた。その駄菓子屋の前に、いるはずのない人物がいた。羽生 章吾が立っていた。黒のジャケット、黒のズボン、黒ネクタイ。煙草を吸いながら、駄菓子屋の看板を見つめている。光がその横を通り過ぎ様とすると、羽生が振り返った。
(タイミングが悪いな)
光は、内心そう思いながら、挨拶する。
「こんにちは」
羽生も、そこに光がいるとは思わなかったのか、一瞬驚いた表情をした。だが、直ぐにその表情は、いつもの能面に戻り、
「こんにちは」
と、挨拶した。吸いかけの煙草を、手持ちの
吸い殻ケースで、消した。煙草独特の甘い香りが漂ってくる。
服装からして、不幸があったのは直ぐに把握出来た。何かしら言葉を掛けるべきと考えたが、言葉を飲み込んだ。光が本当に質問したいのは、「ここで何をしているんですか?」だったが、怪しんでいる前提で、不躾な質問なので、それも飲み込んだ。羽生は、自分の服装を一瞥し、質問に答えた。
「親父の葬儀でな。お前、、、町中こそ、ここで何をしている?」
逆に質問されてしまう。光は、自宅が直ぐそこでと、答えようか迷ったが、やめた。
「帰宅途中です」
互いに、視線を反らさない。最初に目を反らしたのは、羽生だった。光の足元のジャンボを、見つめていた。ジャンボが羽生の視線に気付いて、走り寄っていく。ジャンボは、見知らぬ者への警戒心がかなり強いので、羽生に唸るか、危害を加えないか、危惧した。
「ジャンボ!」
光に呼ばれても、ジャンボは歩を止める事無く、羽生の足元に纏わりつく。しかも、喉を鳴らしていた。羽生はしゃがみこむと、ジャンボの喉を撫でてやる。
(何で?!ジャンボが警戒していない!)
羽生は、すっと立ち上がると、その場を後にした。光は、羽生の後ろ姿を見送った。
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