1・2怪しい男
大聖堂前の大広場。
多くの人が行き交う。
男はようやく足を止めて手を離してくれた。
地面にへたりこむ。心臓が破裂しそう。
男が、そこ、と言うので目をやると、水が流れ出ている公共水道があった。恥をかなぐり捨てて四つん這いで進み、水を飲む。
ほんの少しだけ、落ち着いた。
荒い息のまま、助けてくれた男を見る。
さっき絡んできた男たちよりはまともそうだ。服装は普通の市民ぽい。
だけど大きな帽子を深くかぶり、黒い前髪は長く、首にざっくりと巻いたストールは口までかぶっている。おかげで全く顔が見えない。
しかもあれだけ走ったのに、息はまったく乱れていない。
確実に、怪しい。
「ほらよ」
男は粗雑な口調と態度でパンのかごを私の前に放った。
……これもしっかり回収していてくれたんだ。
見た感じは逞しいでもなく、荒事をする雰囲気はないのに。こういうことに慣れているのだろうか。
「……あ……」
ありがとうと言いたいのに、息があがってまだ話せない。
「仕方ねえなあ」
男は突然私を荷物のように肩に担ぎ上げた。
「ちょ……! まっ……!」
不安定な肩の上。前後に揺れてすごく怖い。
周りの人たちの視線が突き刺さる。
「家はどこだ? 何町?」
男は気にせずずんずん歩く。
「……帰れない!」
叫ぶと歩みは止まった。
肩から下ろされる。
また地面に座り込む。
「何で?」
この男、声は若い。
「パ……届……」
私はまだ話せない。
「俺も忙しいんだけど」
男は困ったようにため息をついたけれど、見放して去ることはしない。
……いや、もしかしたらお礼がほしいのかも。
服の下に隠していたロザリオを取り出す。珠は黒真珠で、銀で出来た十字架がついている。
それを差し出すと、男は受け取ってまじまじと見た。
そして返された。
「礼は金にしてくれ。こんなもん、俺が盗んだって疑われちまう」
なるほど。
ロザリオをしまう。
「それ……」
パンのかごを指す。
「届ける……」
男はわかったようだ。めんどくせぇと呟いた。
私の前にしゃがみこむ。
「助けた礼とパンを届ける護衛料。幾らくれる? あんた、そんななりだけどいいとこのお嬢様だろ?」
……なんでわかったんだろう。一般的な町娘の服装をしているのに。ロザリオのせい?
それにそんな料金の相場もわからない。
「……銀貨……三枚?」
「よしっ、いいぜ」
上機嫌の声だ。
……というか、この顔を隠した男を信用していいのかな。さっきは助けてくれたけど。風貌が怪しすぎる。
だけどさすがに一人で行動するのは怖い。
とりあえず今は頼るしかないよね?
◇◇
息が整い行き先を告げると男は、物好きだなあと言った。
だけど町の地理に詳しいらしい。私がいつも使っている道以外にも行き方はあるという。その代わり、もっと治安が悪いけど、と付け足す。
でも俺がいれば睨みがきくから大丈夫とも言った。さっき絡んできた男たちは地方から来た新参者だったんだと言う。
真偽はわからないけど、とにかくみんなパンを待っているだろうから、届けないといけない。
用心しながら男について行くと、確かに雰囲気の悪い道を通りながらも、やくざ者に絡まれることはなく、無事に目的地についた。
小さな教会に附属している孤児院だ。
私の姿を見つけた小さな子たちが走ってくる。
年上の子が背を向けて神父さまを呼びに行く。
「アンヌさま!」
「遅かったね!」
わらわらと寄ってくる子どもたちに囲まれながら教会の入り口に向かう。
いつものように、ロレンツォ神父がおっとりと出て来た。神父は還暦近い年で鶏ガラのように痩せている。
「アンヌ様。いつもありがとうございます」
と穏やかな笑みを浮かべている。
どうぞとパンかごを渡すと恭しく受けとる。そして男に目をやり
「そちらのお方は?」
と尋ねた。
……そういえば、名前も聞いてなかったと気づく。広場からここに来るまで、それなりにお喋りしていたのに。
男は2、3歩前に出ると、神父が抱えていたかごの持ち手に手をかけた。
「あのさ。施しがほしいなら、次からこのお嬢ちゃんの迎えに出てやんな。あんただってこの辺りの治安が悪いって知ってるよな?」
神父は目をぱちくりさせている。
「俺が通りがからなかったら、今ごろこのお嬢ちゃんは殺されてたぜ」
子供たちがえっと悲鳴を上げる。
「大げさに言っているのよ」
「なら殺されちまえ。これから治安はもっと悪くなるぜ。宰相様が税金を上げたからな」
男の言葉にみんな口をつぐんだ。私が宰相の娘だと知っている。
去年、今年と異常気象で作物が不作で値段が高騰している。
それなのに陛下と父は税金を引き上げた。
……確かに前よりも浮浪者が増えたような気がする。
「あんたは」と男は神父を見た。「弱いからって施し受けて当然なんて考えを改めたほうがいいぜ」
男は神父から離れ、
「帰るときに声をかけろ。ひと眠りしてる」
そう言うと、教会の中へひとりで入って行った。
その後ろ姿を見ながら、そこはかとない不安が沸き上がってくるのを感じたのだった。
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