第21話 すごく怖い

 ロロは、両親と妹を殺した。


 それを、淡々と語っていた。


 私や、私の大切な人たちも、いつか、同じ目に遭うかもしれない。


 みんなは、それが怖くないのだろうか。


「しばらく、ここにいていいそうよ」


 テントの隅で膝を抱えていると、クレイアがそう言った。ここまで運んできてくれたギルデと、話がついたらしい。


「前みたいに誘拐されても、アイネなら自力で脱出できるだろうし、あたしのことも助けてくれるでしょ?」


 明るくしようとしてくれているのは、分かっていた。それでも、軽口につき合う気にはなれなかった。クレイアのことだから、本気でそう思っていてもおかしくはなかったが。


「一つ聞きたいんだけど。今まで、お城を抜け出してもアイネが襲われなかった理由、分かる?」


 しばらく黙っていると、不意にクレイアがそんなことを言い出した。


 まったく思いつかないどころか、むしろ、クレイアが怪しいとさえ思っていた――否、思っている私は、首を横に振る。


「あたしを疑ってるの?」

「うん」

「あはは、そうなの?」


 その笑顔をずっと見つめていたら、疑うことなんてできなくなってしまいそうで、私は少しだけ目をそらす。


「それで、クレイアさんはなんでだと思ってるの?」

「それは、教えてあげない」

「教えてくれんのかいっ」

「絶対に分かるはずだから、自分で考えることね」


 本当に、この人は底意地が悪いというか。一緒にいると、振り回されているのを感じる。疲れるときもあるけれど、こんな何気ない時間を何より楽しく感じているのも、また、確かだった。


「ねえ、クレイアさんの家族って、どんな人たちだった?」

「それは、アイネが言うところの、地雷ってやつね」


 聞いてはいけない話だったらしい。


「それでも、気になる?」

「うん」


 ロロと私の間に、血の繋がりはない。それどころか、私と血の繋がりがあって、かつ、まだ生きているのは、私の知る限り、大叔父だけだ。だが、私自身とは、ほとんど関わりがない。


 それよりもむしろ、ロロのほうが、ずっと大切で、仲がよくて、本当の家族みたいに想っていた。


 ――でも、それは、私だけだったのかもしれない。


「そう。それなら、あたしの仕事を手伝いなさい」

「やっぱり、タダじゃ教えてくれないんだ」

「当たり前でしょ。世の中って、そういうものよ」

「その通りだけど……」


 そういえば、ママたちとクレイアがどんな会話をしていたのか、何をして遊んでいたのか、どんな風に出会ったのか、そういう詳しい話は聞いたことがない。高校の同級生だとは言っていたが、実際にどのくらい仲がよかったのかは知らない。


「クレイアさんって、本当にママたちと仲がよかったの?」


 どんな些細ささいな変化も逃さないよう、意識を集中させていると――クレイアは、泣きたくなるくらい、優しい音を、隠そうとした。あふれるくらいの感情を、無理やり押しこめて、


「さあ、どうでしょうね?」


 と、似合いもしない悪人面を浮かべ、私の頭を撫でた。その手のぬくもりが、どうしてこうも温かいのか、やっと分かったような気がした。少し前まで嫌だったそれに、今はすごく、安心できた。


 彼女がママたちを嫌いになることがなければ、私はきっと、この愛を失うことがないから。


「じゃあ、教えてくれなくていいから、もっと撫でて?」

「――まったく。お母さんそっくりね。今日だけよ?」


 背の低い肩に頭を差し出して、撫でてもらう。小さな手が私の手をとり、


「冷たい。可哀想に」


 ぎゅっと握って温めてくれる。じんわりと、熱が広がってくると、氷解するように、涙があふれてきた。


「無理に許さなくていいのよ。どれだけ仲のいい相手でも、そのすべてを受け入れられるわけじゃないわ。誰にでも秘密はあるし、関係が深いからこそ、許せなかったり、話せなかったりすることだってあるものよ」


 ギルデやステアが隠し事をしていても、私は二人を愛している。


 ベルのことは許せなくても、憎んだり、恐れたりはしていない。


 ロロのことだって、受け入れたい。――でも、家族を、という部分や、罪悪感のなさがどうしても、引っかかってしまう。


「ママたちにも、そういうことってあった?」

「ええ、隠し事だらけだったわね。主に、ぱあぱのほうが。――マナは、あかりが何も言ってくれなかったこと、ずっと、許してなかったでしょうね」


 そういえばパパは、なんでママを振ったのか言わないまま、死んじゃったんだよね。


「それでも、二人は仲良くしてた?」

「仲良くなかったら、アイネはここにいないでしょ?」


 広くて暗い不安の海に、一片の光が差し込んだみたいだった。それでもまだ、照らしきることはできなくて。



 あんなことがあったと聞いても、私はまだ、ロロと仲良くしたいなんて、思ってしまっていたから。



 いつか、殺されるのかもしれない。利用されるのかもしれない。私のことなんて、なんとも思っていないのかもしれない。


 私だけがロロを思っているなら、それこそ、クレイアではないが、少しの利益もない。大切だからというだけで、そんなリスクをおかして、何になる。


 そんな風に、割り切れたらいいのに。


「本当にロロが私を、なんとも思ってないなら、やっぱり、仲良くするべきじゃないよね」

「ええ。それだけは、きっぱり言っておくわ。アイネの優しさは美点だけれど、それにけこまれちゃダメよ。アイネが幸せになれなくなっちゃうから」


 ロロは、私に、自分で説明してくれた。嘘も偽りもなく。


 寝ているときに聞こえた。彼女が、自分で説明すると言っているのが。


 そして、薄っぺらな罪悪感でも、私を叩いたことを、自分の意思で謝ってくれた。


 だが、なんの躊躇ためらいもなく、気絶させたのも、事実だ。普通、そんなことはしない。いや、できない。


「まあ、ゆっくり考えなさい。すぐに答えが出るようなものでもないだろうし」

「うん――」


 頭を撫でられながら、やっと温まった手を握ったり開いたりする。こんな甘えた姿、ステアとギルデにだけは見せられないな、なんて思いながら。


「そういえばさっき、ママにそっくりだって言った?」

「ええ。まあまも、甘えたさんだったから」

「……そうだったね。まあまは、子どもみたいだった」


 泣き虫で、意地っ張りで、大人げなくて。


 寂しがり屋で、強がりで、笑顔がかわいくて。


 たまに臆病おくびょうで、素直じゃなくて、誰かが側にいてあげないとダメで。


 ――なのに、一人にしてしまった。


 私は、ママや、こんなにもたくさんの人たちに守られているのに。


「ママを守ってくれる人は、いなかったのかな」

「大丈夫。お母さんのことは、アイネがちゃんと守ってたから」



 ふと、記憶が蘇る。



 何気ない会話の最中、ママがぎゅっと私の手を握ることがあった。その横顔が、すごく寂しいと言っているように見えて、


『ママ、パパがいなくて寂しい?』


 と尋ねたことがある。


 すると、ママは私に微笑んで、


『いいえ。今は、アイネがいてくれるので、寂しくありませんよ』


 と答えた。それが、きっと本心だと思ったから、私は、


『じゃあ、よかった!』


 とびきりの笑顔を返した。



 今なら分かる。――寂しくないはずがない。パパのいなくなった穴を、代わりのもので埋めることなんて、できるはずがないのだと。その証拠に、ママがいなくなってからずっと、私は寂しいままだ。


 それでも、私がいるから寂しくないというのも、本当だったのだろう。


 それが一体、どういう感情だったのか、私にはまだ、分からない。


『パパのお話、たくさん聞かせてね』

『──もちろん。アイネが嫌になるくらい、たくさん聞かせてあげますよ』


 その約束は、果たされていない。



「確かに、私がママを守ってあげてたのかも」


 すると、クレイアは私の頭をぽんぽんと撫でて、立ち上がった。


「さあ、そろそろ働く時間よ。そのままだと汚れるから、それに着替えて」


 彼女の指差す先には、真っ白な作業服のようなものが用意されていた。


「……なんで白にしたの?」

「白が似合うかと思って」

「いや、汚れるじゃん……」


 クレイアは、今気づいた、とでも言いたげな顔をしていた。

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