第3節 ロロの秘密

第20話 マリキェ島事件

「すまない、僕が迂闊うかつだった」

「ううん。いつか、話さなきゃと思ってたから。赤いお兄さんのせーじゃない」

「ロロ、大丈夫?」

「ん、だいじょーぶ。ロロがちゃんと、自分でせつめーするから」


 ――ぼんやりと天井を見上げて、何度かまばたきをすると、視界の焦点が定まってきた。


 状態を起こして部屋を見渡すと、蜂蜜はちみつ色の瞳に水色髪の少女、ロロが、少し離れたところから、心配そうに私を見つめていた。


「アイネ。さっきは、びっくりして、殴っちゃって、ごめんなさい」


 寝起きの頭で謝罪の言葉を受けて――やっと、思い出してしまった。思い出したくなかったのに。


「……死亡者、一三八八名って、何」

「ほとんど、ロロが殺したの」

「ほとんどって?」

「残りはマナちゃんがやった。でも、マナちゃんがいなかったら、ロロがやってた」


 ――どんな顔をすればいいのか、分からない。


 ママは、血の皇帝の呼び名にふさわしく、年間で三万程度の人々の命を奪ったと伝えられている。それを四、五年続け、時には、一日で十万を超える人を処刑したこともあるそうだ。


 そう。ママは、悪い人なのだ。それでも、私はママを、愛してしまった。


 ベルだって、国をいくつか滅ぼしている。ギルデだって、革命教の人々を殺している。私だって――。



 なのに、私は、ロロを受け入れることが、できなかった。



「……出てって」



 彼女は、何も言わずに立ち去った。


***


 それからしばらく。私はロロと、一言も話さなかった。


 そんな、いやに静かな日が続いたある日。思いきって、ギルデに尋ねた。


「ねえ。マリキェ島について、知りたいんだけど」


 聞かずにおくことだってできた。だが、ロロとずっと、このままでいるのは、どうしても嫌だった。


 ベルとだって、仲直りできた。ちゃんと向き合って、話をした。ロロにも、事情があるのなら、話を聞いて、受け止めてあげたい。


 頭を殴られたくらいでは、避けようと思っても避けきれない。もう、八年もの付き合いになるのだ。


 喧嘩もしたし、私の宿題を手伝ってくれたこともあった。今よりもっと、人を信じられなかったときに、毎日話しかけてくれたし、泣いているときには、ものすごく下手だったけれど、慰めてもくれた。


 とどのつまり、私はロロが好きだし、大切だと思っている。――だから、知りたいと、思ったのだ。


「……ああ、そろそろだと思っていたよ。それじゃあ、今日の歴史は、マリキェ島の事件を取り扱おうか」


 パンと、ギルデが手を叩いた直後、講義室の扉が開かれ、水色髪の少女が姿を表す。


「ロロ……」

「特別講師のロロ先生だ。なんでも聞くといい。僕は、部屋に戻っているよ」


 聞きたいことは、山ほどある。けれど、尋ねる声が、出てこない。喉の奥の方で、つっかえて、出てこない。


「……早かったね。ギルデが呼んで、すぐに来たの?」

「んーん。アイネが知りたいって言うかもしれないから、ずっと、扉の前で待ってた」


 ――ずっと。


 ずっと、とは、どういう意味だろうか。


 私は、ほぼ毎日、十五時間は、勉強か訓練、自習をしている。その間、ずっと、私がいる部屋の近くで待っていたと、そういうことなのだろうか。


 いや、そうに決まっている。ロロならそうするだろうことくらい、私には分かる。


「アイネが聞かないなら、ロロから話す」


 ――ロロ曰く、マリキェ島は、それ自体が単独の国家として成立している、島国だったそうだ。以前は自然あふれる豊かな地だったが、現在は、焦土しょうどと化しているらしい。ベルが焼き払ったわけではなく、ママが燃やしてしまったそうだ。


「ロロの妹のピピちゃんは、びょーきだったの。いつ、お別れが来るか分からないって、言われてた。なんとかして、助けたいって、ずっと、そー思ってた」


「ある日、革命教の人たちが来て言った。たくさんの人を殺して、その血を集めたら、ピピちゃんを助けられるって。たくさんの人を殺して、その血を集めなさいって」


「だから、一番、殺しやすそうなお母さんを殺した」


 ドクンと、心臓が怯える音がした。視界が真っ赤に染まり、胃が汗をかいているかのように、ひんやりとする。


「は? やめてよ、冗談でしょ……?」


 ぶれる焦点を無理やり合わせて、ロロの目を見据える。瞳の色も、表情も、声も、血の巡る音も。そのすべてが、ロロの言葉が冗談ではないことを示していて、口と喉が急速に乾いていくのを感じる。


「ロロは、今は違うけど、キュランっていう吸血鳥だったから、人の血を吸って、糧にすることができる。この体には、ロロが殺した、たくさんの人の血が混じってる」


「やめて」


「生きていくにはお金がひつよーだから、おとーさんは生かしておくつもりだった。でも、おかーさんの死体を見て、私をけーさつに連れていこーとしたから、殺した」


「やめてってば」


「ロロが何百人か殺したときに、みんな、おかしーって気づき始めて、船で逃げることになった。――マナちゃんは、そんなロロを、見つけてくれたの。見つけて、ピピちゃんを助けてくれたの。それから、理由は分からないけど、マナちゃんはマリキェ島を島ごと燃やして滅ぼした」


「そんな話、聞きたくないんだって――」


「でもね。ピピちゃんは、ロロのことが嫌いだって言ったの。ピピちゃんは、おとーさんとおかーさんと、ずっと一緒にいたかったのに、ロロが殺しちゃったから。だから、せめて、ロロの中で一緒にいさせてあげたいと思って――」


「聞きたくないって、言ってるでしょ!?」


 どこをどう聞いても、いつもと変わらない調子だった。まるで、罪の意識などないかのようだった。いや、ありはした。ただ、それはひどく、薄っぺらで、幼稚なもののようで、かえって、おぞましく思われた。


 それどころか、殺人を誇っているようにさえ、聞こえた。事実は分からない。ただ、私の耳は、彼女の声に、罪悪感よりも、もっと大きな――誇りのようなものを感じた。まるで、自分の言っていることが正しいと思っているみたいに。



 途端に、ロロがとんでもなく、恐ろしい怪物のように見えた。たった少しの距離が、はるかに遠く感じられた。



 及び腰になる私を、ロロは蜂蜜を流し込んだようなどろどろの瞳で、絡めとる。


「でも、もーしない」

「そんなの、信じられるわけないじゃん……」


 自分の声が震えているのが分かって、それがロロに伝わってしまうのがすごく嫌で、強く拳を握った。


「ほんとーに。信じて」

「どうやって信じろって言うの? この前だって、私のこと、なんの躊躇ためらいもなく、気絶させたのに」

「それは、ほんとーに、ごめんなさい」


 足りない。彼女の感情には、何かが圧倒的に不足している。だから、薄っぺらに聞こえるのだ。


 まるで、お手本を真似ただけの、作り物の感情のように。


「……もういいよ」



 ――ロロの横をすり抜けて部屋を出、ギルデの執務室を、ノックもせずに開ける。


「ねえ」

「――ノックをするようにと、何度も言っているはずだが?」


 ギルデは机の上の真っ白な本を閉じて、私の目を見据える。しかし、その怒りはどこまでも中途半端なものだった。叱るべきだから、動揺を隠したいから、そういうポーズを取っているだけ。


 彼は今、私に同情している。心が、隙だらけだ。


「ロロのこと、知ってたの」

「ああ」

「知ってて、黙ってたんだ」

「ああ」

「ベルと、ステアさんも?」

「……ああ」


 知っていて、どうして、あんな風に笑いあったり、一緒に過ごしたり、普通にしていられるのだろう。


 ママだって、家族である私のことは、守ってくれたのに。自分の家族を殺したあの子と、どうして、笑っていられるのだろう。ママはなんで、あの子を連れてきたのだろう。私と仲良くさせたのだろう。


「教えてほしかったなんて、わがままなことは言わない。自分が弱いことは知ってるし、現に、私だけ、受け止められてない。……こうなるって分かってたから、黙ってたんだよね。それはちゃんと、分かってるから」

「アイネ――」

「私。一人だけ、おかしいのかなあ? は、あは、あはは……っ」


 膝の力が抜けて、足がふらつき、思わず座りこむと、後ろから優しく、抱き止められた。肩に回された手の小ささが、それが誰であるかを証明していた。


「今日はあたしのほうで預かるわ。それでいいかしら?」

「ああ、頼む」


 クレイアに手を引かれても、私が立てずにいると、ギルデが近くにやってきた。彼は私の腕を自身の首にかけ、腰と膝に手を回すと、私を抱き上げた。


「送っていくよ」

「……嫌だ」

「あたしはおぶっていけないわよ」

「自分で歩ける」


 足が震えているのは分かっていた。自力で立って歩くことなど、到底不可能なほどに、私はロロを恐れていた。


 だから、それ以上、抵抗はできなかった。

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