第19話 ベルの馬鹿!
「アイネが悪い!」
「ベルが悪い!!」
「お、落ち着いて」
清々しいくらいに天気のいい朝。にもかかわらず、私はベルと
「朝から騒がしいな。どうしたんだい?」
「遊んでたら、花瓶、割れた。責任の押しつけ合い」
「ああ――」
ロロの説明は正しくない。私は、ベルが悪いからベルが悪いと言っているだけなのだ。決して、押しつけたりなどしていない。
「私、悪くないもん」
「アイネが逃げるから、追いかけるしかなかったんじゃん」
「割らないように追いかければよかったでしょ!?」
「追いかけられるようなことしなきゃよかったじゃん!!」
「ロロ、止めた。でも、ダメだった」
「ありがとう、ロロ」
ギルデが、ぽんと、ロロの頭に手をやるのを横目に、私はベルから視線をそらさないようにしていた。なんとなく、そらしたら負けな気がして。
「まあ、割れてしまったものは仕方ない。ああ、仕方ないさ」
――ギルデが笑顔で、めちゃくちゃ怒っている。とりあえず、正座しておこう。クレイアも、謝るフリをしておくのは大事だと言っていたし。
「宿題っすか」
「最高記録、百二十八倍を保有するアイネでも、今の課題が四倍になったら、さすがに終わらないと思うけどね。それに、ベルセルリア様への罰にならない」
苦い記憶が蘇る。あのときは土下座して頼みこんで、なんとか許してもらったのだ。それも、今に比べたら、全然、簡単な勉強しかしていなかった時代。思い出したくもないので、掘り返すことはしない。
「私のことは置いておくとして。――ベルへの罰にならないって、どゆこと?」
「ベルセルリア様ほどの知恵があれば、アイネが普段やっている宿題なんて、簡単に答えが分かるだろうからね」
「え、ベルって、頭いいの?」
「ま、ドラゴンだからねえ。頭おっきいから」
ナ、ナンダッテ!? こっち側の人間、いや、ドラゴンだと思ってたのに――。
「知らなかったあ……!」
「でも、教えるのは無理だよ。全部、ボク流のやり方だから」
「あーね、納得」
どうりで、教えられた記憶がないわけだ。これからはベルに聞けばいいじゃーん、なんて安い
「というわけでだね。今日は城の掃除を一人と一体でするように」
「二人でよくない……? いや、掃除させるのはよくないと思うけどね!」
「そうだそうだ! それに、ボクは、
「この城が
「……勇者ちゃんの、あほ!」
勇者ちゃんとは、ママのことだ。ママは勇者ではないし、どういう経緯でそう呼んでいるかも知らないが、
「私のママを悪く言わないでよこの馬鹿!」
「あ、馬鹿って言った! 馬鹿とあほなら馬鹿のほうが悪いんだよ! だからアイネのほうが悪い!」
「はあ? わけ分かんないし、何その謎理論」
「馬鹿って言われるほうがムカつくんだよ、知らないの?」
「どっちも悪口に変わりないじゃん」
「悪口言ってるんだから悪いじゃん!」
「あんたが先にママの悪口言ったからでしょ!?」
「先に言ったよ? でも、先に言ったからってそっちも言っていいんですかー?」
「ぐぬぬ……!」
「フーッ!!」
「――ふむ、城の掃除くらいでは罰にならないみたいだね。外壁と庭の手入れもしてもらおうか」
くだらないという自覚があるくらい、本当にくだらない言い争いを、二人で図ったようにピタリと止める。
外壁と、庭……? え、待って、この城、外壁まで入れたら、町一つ分くらいの広さなんだけど?
「使用人には、今日は休んでもらうことにするよ。普段、休暇のほとんどない彼ら彼女らに、やっと休みが与えられるな」
「え、ちょ、待」
「さ、さすがのボクでも無理だって。それとも、魔法使っていいとか?」
「はは、さすがベルセルリア様。ご冗談がお上手でいらっしゃいますね。ですが。もし、本気でそんなことをおっしゃっているのであれば、
「……やり、ます」
ベルが負けたあああっ!
「わ、私は、勉強で忙しいし……」
「掃除というのは、色んな筋肉を使うからね。トレーニングにもなるよ」
「そうなの!? じゃあやる!」
……はめられたッ!! と気づいたときにはもう遅かった……。
――雑巾、モップ、バケツ、はたき。ありとあらゆる掃除道具を渡されて、私とベルは立ち尽くしていた。どこから手をつければいいのか、さっぱりだ。てか、今どき、道具が原始的すぎる。
「ロロも、こっそり、手伝う」
「ありがとう、ロロ! ボクの命の恩人だよ!」
「ロロ、あんたはいいやつだよ……!」
華奢なロロの両肩に、ベルと私と片方ずつ手をのせ、彼女を称える。
ちなみに、魔法で掃除をするのは、
最近では古い考え方だとも言われ始めてはいるが、残念ながら今回は、ベルやロロの魔法を禁止されてしまった。ベルの魔法でやれば一瞬なのに。いや、それだと罰にならないってことは、分かってるんだけどさ。
ちなみに、魔法を使うと魔力の
「私、この国の
「アイネ、偉い。すごい」
「ボクだってさあ? その気になれば、世界を消滅させられる、ものすごいドラゴンなんだよ?」
「ベル様、強い。カッコいい」
そろってため息をつきながらも、一応、手は動かす。ああ、今日中に終わるのだろうか。終わりの見えない暗闇の中、今は、ロロだけが心の
「よし、廊下の天井は終わりっと」
張りついていた天井から、壁に移動する。よく、どうやって張りついているのか聞かれるが、特段、難しいことはしていない。向かい合う二対の壁の間で手足を伸ばし、落ちないようにするのと同じ原理だ。それを、壁と天井でやっているだけの話。あとは、手のひらを吸盤みたいにして――、
「アイネ、虫みたいな動きだねー」
「天井にくっつけるの、すごい」
「虫みたい言うな! ロロ、ありがとう」
相手のいない説明をするよりも、手を動かさねば、と思い出し、カサカサ――と廊下の掃除を済ませていく。私以外の二人は
「よしっ、壁終了。はあ、気持ちいい……!」
ぐーっと伸びをしてから――ふっと、我に返る。
――私、何やってるんだろう。私、この世で最も尊き皇女様なんだよ? たった一人のママの娘なんだよ?? こんなに服汚して掃除するとかおかしくない????
ちらと、目についたほうきを手に取り、手や指でくるくると回してみる。だんだんと慣れてきて、今度は手首で回して放り上げ、キャッチする。
「おっ、アイネ、チアリーダーみたい! ボクもやりたい!」
「ロロもやる」
ロロはおたおたとして、あまり上手にはできていなかった。一方、ベルは、器用にこなすもので、
「えいっ!」
と、投げて、天井に大きな穴を開けやがった。しかも、人が通れそうなくらいの、ほうきをぶつけただけとは思えない大穴だ。対竜構造とは。
「おわっと!? なんだ!?」
しかも、ギルデが真上にいたらしい。詰んだ。
――なんて思っていると、驚いたギルデが何かを落としたようで、大穴から、一冊の本が開いて落ちてきた。
拾い上げようと目をやると、そこには、『マリキェ島事件』と書かれていた。
読まなければ、きっと、いつまでも、何も知らずにいられたのに。私は、半ば無意識に、その続きを目で追ってしまった。
死亡者、マリキェ島住民ら一三八八名。内、人間一〇二名。
首謀者、ロロ。
そのたった二文字の、聞き慣れた言葉に、釘を打たれたように動けないでいると――後頭部に、衝撃が走った。
一気に全身の力が抜けて、床に倒れる。ちらちらとぶれる視界で、背後を捉えると、そこには、折れたほうきを振り切った、ロロの姿があった。
「どう、して……」
ベルが私を呼ぶ声と、駆けつけたギルデの焦りに満ちた声を聞きながら、私は意識を手放した。
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