第17話 ベルセルリアの思い出

 改めて。私はドラゴン化したベルの、尻尾の先にくるまっていた。真っ黒な鱗に覆われたこの尻尾の先端は、ふわふわの毛で覆われており、この世のどんな素材よりも触り心地がいい。


「アイネ、本当に、ごめん。握り潰しそうになって」

「潰れてないから許せるけど、なんであんなに取り乱したの?」

「お兄ちゃ――アイネのお父さんと、最後に会ったのが、今くらいの時期でさ。色々と、思い出しちゃうんだよねぇ。それに、人って、簡単に傷つくから」


 ベルからすれば、そうなのだろう。周りのすべてが壊れやすいもので、力加減一つで、簡単に壊れてしまう。


「そういえば、アイネ、どうして戻ってきてくれたの?」

「どうしてって、その……謝ろうと思って。ずっと逃げてたこととか、酷いこと言っちゃったこととか。ごめんなさい」

「――そんなこと、全然気にしてなかったなあ」


 熱の宿る頬を、ふわふわの尻尾にうずめて、誤魔化す。


「ボク、アイネのお父さんとお母さんと友だちだったって、話したことあったっけ?」

「ううん。初めて聞いた」

「そっかあ。――ボクさ、ずっと、誰かに構ってほしかったんだ」


 ベルは続ける。


「でも、ボクは強いから、ボクにとっては遊びのつもりでも、人にとっては遊びじゃ済まないことが多くて。昔は、災厄さいやくとか、天災てんさい災竜さいりゅう、なんて呼ばれてたんだ。――わざわいをもたらす竜だって」


 そう語るベルは、私に顔を見せようとはしなかった。


「でも、何百年って時間が経って、人の暮らしも豊かになってきたある日、竜と人との間で、一つの約束ごとが交わされた」

「竜は人間と魔族との戦争に介入するべからず、ってやつ?」

「そう。それから、ボクたちドラゴンは、人間や魔族に、過度に接触することを禁止された。行動のすべてを徹底的に管理されて、制限されるようになった。もちろん、ドラゴンの中には反発する声も多かったけど、これからは人の世が来るから、自分たちは最強の座を譲るべきだって、トリコちゃん――チアリターナが言うから、みんなそれに従ったんだ」


 それは、きっと、とても窮屈きゅうくつだっただろう。特に、ベルにとっては。


「ボクも最初は我慢してたんだけど、じっとしてると、体がむずむずしてきちゃって」

「あー……」


 すごく想像できた。


「ボクと遊べるくらい強い相手って、チアリターナとクレセリアくらいしかいなくて。でも、どっちも竜の代表みたいな存在だったから、遊び回るわけにいかなくて、ボクはすっっっごく、暇で。――暇と死んでるって同じじゃんって、あのときはそう思ってたなあ」

「なんか、分かるかも」


 私も、ベルがいなかったとき。自然と、一つ上で歳の近いロロと遊ぶことが多かった。ただ、身体能力の差から、暗殺向きのロロでは、相手にならないときがあった。鬼ごっこがいい例だ。


 昔から、足の速かった私を捕まえられるのは、ママしかいなかった。ママはママで、手加減ができない人だった。


「でも、あるとき、アイネのお父さんとお母さんが来てくれたんだ」


 ママとパパの話だ。――知らぬ間に身構えている自分に気がつく。


「そのときボク、何十年もじっとしててさ。その前に、結構しっかり怒られたから反省してたんだけど」


 相当、怒られたのだろう。


「すっごく、面白そうなにおいがして。気になって外に出てみたんだ。今思うと、多分あれは、他の世界のにおいだったんだと思う」


 ベルの嗅覚は優れているため、それくらいなら分かるのかもしれない。


「それで、においの正体を探してみたんだけど、なかなか見つからなくて。においって、その人自身のもの以外は日に日に薄れていくし、もう見つからないかもーって思ってたときに、会ったんだ」


 尻尾の先が、かすかに揺れる。そして、しなんと垂れ下がる。


「二人は、本当にすごい魔法使いで。初めてボクが満足するまで付き合って遊んでくれた。だから、ボクは二人が大好きだった」


 悲しい声だった。泣くんじゃないかと思うくらいに。けれど、ベルは泣かなかったから、代わりに私が泣きそうになってきた。


「アイネがお腹にいるときにも会ったんだよ。そのとき、ボク、なんだかすっごく、嬉しくて」


 声ににじむ感情には、嬉しいという言葉と真逆のものが、半分混じっていた。


「でも、ボクは二人を、守れなかった。助けられなかった。ボクはドラゴンなのに、何もできなかった。それが悔しくて、悲しくて。世界ごと、全部、消してやろうと思った」


 炎魔竜えんまりゅうベルセルリアは、世界を破滅の危機へと追い込んだドラゴンとして知られている。


 その身一つで、世界の大陸の三分の一を滅ぼした、終焉しゅうえんの竜として。


「そんなことしても、二人は喜ばないって、分かってた。アイネのお父さんが、もう二度と生き返らないことも。少し落ち着いてから、禁忌魔法なら生き返らせることができるんじゃないかって、調べたけど。――死んだ直後じゃないと無理だって、知ったときにはもう、一週間も経ってた。ボクなら、生き返らせることもできたかもしれないのに。本当に、バカで、ごめんなさい」


 大きな魔法には、代償が伴う。代償は魔法ごとに異なるが、死者蘇生ともなれば、大きな代償を受けるだろう。それを、ベルが知らないはずがない。


「本当に、たくさんの人を、殺したんだ。ただの八つ当たりで。だから、思った。そんなボクが、こんなにもかわいいアイネを、傷つけずにいられるのかって。一緒に笑っていいのかって。守るなんて言って、許されるのかって。――そんなの、無理だ、許されるわけがない、って」


 パパが亡くなって数ヵ月後。炎魔竜えんまりゅうベルセルリアは、血の皇帝が無人にした、かつての南の大国――カルジャスの大陸全土を、焦土しょうどに変え、それからの数年間を、そこで静かに過ごしたという。


 今までずっと、自分を責めてきたのだろう。


 引き離したことも、助けられなかったことも。たくさんの人を殺めたことも、何もかもを。


「それでも、ボクがそうしたいから。ボクは、アイネを守るよ。何があっても、絶対に」

「私は、絶対に、許さないから。全部、終わったことだとしても」

「アイネはそれでいいよ」


 ――どれだけ謝られても、あのとき引き離したことは、絶対に許せない。人の命を奪ったことよりも。私は、本当に酷いやつだと、自分でも思うけれど。


 ただ、今は、それ以上に聞きたいことがあった。


「ねえ。パパって、本当に事故で亡くなったの?」


 ベルはぴたりと動きを止める。動物たちも息を潜めるような、ピンと張った空気の中、尻尾だけが、空気を読まない風に煽られて、ふわふわと揺れていた。


「アイネ」


 それは、ベルからは初めて聞く、低い声色だった。耳から入りこむ彼女の声が、全身を震わせる。


「それは、絶対に、誰にも聞いちゃダメだ。ギルデルドにも、ステアにも……まなにも」


 気圧けおされそうになる。だが、ダメと言われて、はい分かりましたと、引き下がることはできない。


「なんで、聞いちゃダメなの?」

「それを語っていい人がいないからだ」

「語るのに、権利がいるの?」

「ボクにも質問させてよ。――アイネは、人を不幸にする権利が、誰かにあると思う?」

「思わない」


 そんなわけの分からない権利、あっていいはずがない。


「だったら、聞いちゃダメだ」

「それって、私が聞くと、みんなが不幸になるってこと?」


 そのときだけは、ベルは何も悟らせてはくれなかった。その問いかけに対する答えも、返してくれなかった。




 この鮮烈な記憶は、まるで、魔法のように、私の喉を確かに塞いだ。

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