第14話 苦手と喧嘩

 シェルッターを辿ればすぐに、ベルの居場所はおおよそ割り出せた。この情報社会では、変なことをすれば、一瞬で広まる。恐ろしい世の中だ。


「でも、正確な場所までは分からないかも」

「――いいえ。これなら、どこにいるか分かるわ」

「ほんとに?」

「嘘ついてどうすんのよ。目撃情報の辺りであの子が隠れられる場所なんて、一つしかないわ」




 ――クレイアの案内を受けて向かったのは、チアリタンという山にある、大きな洞穴ほらあなだった。


「ほんとだ。ここから、ベルの音が聞こえる」

「それじゃあ、あとはせいぜい頑張るのね」

「うん、ありがとう」


 ひらひらと手を振って、彼女はこの場をあとにした。


「――よしっ、頑張るぞい」


 チアリタンというのは、世界最高ほうの山脈だ。危険なモンスターのいない、比較的安全な山と言われている。


 ちなみに、山頂付近にはヒートロックというモンスターが生息している。危険を察知すると、非常に高温になる特性を持っており、ほとんどの山火事の原因はこのモンスターだが、チアリタンもこの現象により、十数年前に一度、全焼したらしい。今ではすっかり普通の山に戻っているが。


「ベル、そこにいるんでしょ? 出てきて」


 耳を澄ますと、すすり泣く声が聞こえる。奥の方にいるらしい。


「――行こう」


 奥へと進むにつれて、暗さが増していき、視界が利かなくなる。音だけを頼りにして、奥へ奥へと進む。


「それにしても――」


 どうしてベルは、あんなにも取り乱したのだろう。


 いくら、罪悪感が強いとはいえ、子どもみたいにはしゃぐのも、私が怒るのも、いつものことなのに。


 考えながら、暗闇の中を歩き続けて、ふと、あることを思い出す。


「そう考えると、毎年、これくらいの時期から何ヶ月かくらい、ベルってちょっとおかしくなるんだよね――」


 つぶやきを思考に変えようとしていると、何か大きなものにぶつかり、思わず、足を止める。その表面に優しく手を触れると、うろこの固い感触があった。


「ベル――」

「ひっく……」


 先のように、頭ごなしに怒鳴るのは、よくない。ギルデとステアがしてくれたように、優しく。


 二人に育ててもらった私になら、できるはずだ。


「私、ベルが何を思ってるか、聞かせてほしいの」

「ボクが、何を思ってるか……?」

「うん、お願い。できれば、ここから出て、明るいところで話したいな。こんなに暗いと、ベルの顔がよく見えないから」


 耳はまされていたから、ベルがずっと緊張しているのも、――私の言葉が響いていないのも、分かっていた。


 それでも、顔を見て、話がしたかったのだ。クレイアにそう言われたように。


 昔からずっと、ベルは、私を恐れていた。あえて、優しく接したのが裏目に出たとすぐに気がついたが、もう、どうしようもない。どうすればよかったのかも分からない。


「アイネ、怒ってるよね……。ごめん。本当に、ごめんね……」


 またそれだ。いつもいつもいつもいつも。そればっかりだ。うじうじうじうじ。ごめんごめんごめんって。


 ――ムカつく。



「いい加減にしてよ!」



 その瞬間、暗闇に溶け込んでいる漆黒しっこく巨躯きょくが、自分より、ずっと小さく感じられた。


「私がいつ、謝ってほしいなんて言った? 私は、ベルと、ちゃんと顔を見て話がしたいって言ったの! いつもそう。謝ってるときのベルは、私の顔なんて少しも見てない。私が怒ってるって勝手に決めつけて、怖いからってただただ謝って、そういうのが一番、腹が立つ!」

「ご、ごめんなさ……」

「それをやめてって言ってるの!!」


 ベルは、何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。謝るしかできないのに、謝るなと言われたから。


 その静寂せいじゃくから、一刻も早く、離れたかった。


「――私はベルと、喧嘩がしたいだけなのに」


 つぶやいてから、やっと、気がついた。


 ロロと言い合いになっても、私たちはお互いに謝ったりしない。素直に謝れなくても、いつの間にか仲直りしている。だから、安心できるのだと。


 きっとそれが、ベルを苦手な理由なのだろう。


***


『あ、こら、ロロ! ママの膝は私の場所なの! 取っちゃダメなの!』

『……やっ』

『ロロずるい! ママー……』

『アイネはさっき座りましたよね? ろろちゃんに譲ってあげてください』

『やだやだやーだー!』

『あら、また始まりましたね、アイネのいやいや攻撃』

『またとか言わないの! やだやだやだやだ──』


 芝生に寝転んで、じたばたと暴れる。ママの膝をロロが独り占めしているのが、どうしても許せない。許せないったら許せない。暴れずにはいられない。


 ちらと見ると、ロロが勝ちほこったような笑みを浮かべていた。


 きーっ! 悔しい! 絶対に、許さないんだから――!




 ――目が覚めて、やっと、それが夢であったことに気がつく。あの日はそのあと、ロロと何もなかったみたいに、普通に遊んだ覚えがある。


 あのときも、ママは困った顔をしていたっけ。


「もっと、私がいい子にしてたら、ママは、一緒にいてくれたのかな」


 寂しくなって、本音が漏れる。


「マナは、アイネのこと、ちゃんと愛してたわよ」


 隣から求めていた通りの返事があった。そう、ここは、クレイアのテントだ。


「そう、なのかな」

「ええ。それはもう、すっごく。世界で一番」


 ――私だって、分かっている。私がいい子にしていたとしても、きっと、ママは帰ってこない。ママが、私を世界一愛してくれていたことなんて、私が一番、よく知っている。


 それでも、どうしたら帰ってきてくれるのか分からないから、後悔しないよう、私は頑張り続けるしかないのだ。ママがどうしていなくなってしまったのか、本当のことが分かる、その日まで。




 ――ベルに言いたいことをぶつけた後、衝動的に洞穴を抜けだした私は、クレイアのわなに足を引っかけて、まんまと捕まった。なぜか行動が完全に読まれていたせいで、誰もいないどこかへ逃げるというその場しのぎの計画は、ぶち壊された。


 まあ、それでよかったと思っているのだが。


「きっと、ベルも、不安なんだよね」

「そうね」


 私もそうだ。今の暮らしに何一つ、不自由はないし、ギルデもステアもよくしてくれる。ロロとは仲良しだし、ベルのことも、苦手だが、嫌いではない。



 けれど、やはり、どこか、不安なのだ。ずっと、不安に包まれているような、そんな、落ち着かない心地なのだ。



 ――落ち着いて考えれば、こんなにもすぐに分かることだ。私も、言いすぎたのかもしれない。


 だが、ちゃんと謝るには、すごく、勇気がいる。だから、あと少しでいいから、時間がほしい。


「それでも、私、なんて言ってあげたらいいのか、全然、分からなかった。やっぱり、ベルと仲良くするなんて、無理なのかな。私は、ベルを絶対に許せないし、ベルだって、それを乗り越えるのは無理みたいだし」


 しばらく悩んでいると、クレイアにぐいぐいと頬を引っ張られた。柔らかいので、痛くはない。


「んにゅぅ」

「すごく伸びるわね、このほっぺ。それはいいとして。――悩んでるだけ時間の無駄よ。どうせ、あんた、馬鹿なんだから」


 離された頬が元に戻り、揺れる。クレイアの言葉は、痛い。痛いが、その通りだとも思った。


「当たって砕けろで行くしかないでしょ」

「砕けたら死んでる」


 親指を立てるクレイアに、ぎこちなく笑みを返して、私はもう一度、ベルのもとへと向かうことにした。

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