第13話 殴り殴られる関係

 ――炎魔竜えんまりゅうベルセルリア。愛称、ベル。目の前の、黒く光る鱗に包まれた、巨大なドラゴンこそが、あの底抜けに明るいベルの、真の姿だ。


「起きたー?」


 即座にテントから出た私は、ベルを見上げ、そののんきな声をにらみつける。


「このバカ! 殺す気!?」


 それを聞いたベルは、しゅんと、うなだれて、あぎとを地上に乗せる。


「ごめんなさい……」


 目尻に涙まで浮かべて、なんだか、こちらが悪いことをしている気になってくる。


「別に、いいけど」

「ごめんね。本当に、ごめんね……」


 ――いつもこうだ。こういうところが、苦手なのだ。ベルは、一度、泣き出すと止まらない。


 なぐさめても、「気を使わせて、ごめんなさい」。


 素っ気なくしても、「ボクのこと嫌いになったよね、ごめんなさい」。


 しまいに、無視なんてした日には、「ボクなんて、この世にいない方がいいよね、ごめんなさい」とか言い出す。


 しかも、ドラゴンは自分で死期を決められるため、本当に命を落としかねない。


 そもそも、別にほとんど怒っていないというのに、何をそんなに謝られなくてはならないのか。


「ねえ、ベル――」


 名前を呼びかけられただけで、ベルはびくっと震えて、小さな地震を起こす。本人に悪気はなく、ただ、ドラゴンのあふれんばかりの力を抑えるのが難しいだけなのだと、私は知っている。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「ベル、話を聞いて――」

「どこにも行かないで。ちゃんと、いい子にするから……!」



 その言葉に、昔の記憶が想起そうきされる。



 ――幼い頃、人質として他国に送られた私は、自分がいい子にしていればママと会えると、信じて疑わなかった。


 結局、会えはしたが、またすぐに、ママは姿を消した。我ながら、なんとおろかで、あさはかだったのだろうと思う。


 しかし、だからこそ、ベルの気持ちは痛いほど分かった。


「あぐっ」


 何を思ったか、彼女は私をむんずとつかんだ。その力があまりにも強くて、上手く、呼吸ができない。


「せめて、アイネだけは、ずっと、ボクの傍にいてよ――!」

「ベル、苦しい……!」


 どんどん、握る力が強くなっている。このままでは、そのうち、内臓が口から飛び出るかもしれない。いや、意識がなくなる方が先だろうか。


「ベル……」


 頭がぼんやりとしてきて、手足に力が入らない。このまま、死ぬのかもしれない。そんなことを考える思考すら遠ざかっていた、そのとき。


 ――ばしゃっと、液体がかけられたような音がして、私はくらむ視界を無理やりこじ開ける。しゅわあと細かい泡のような音と、真っ白な湯気を立てて、ベルの鱗が、溶けていた。


「熱っ!」


 遅れて、ベルの手の力が抜け、私はその場に落下し、き込む。


 少し落ち着いて、やっと、白髪を――クレイアの姿を捉える。彼女が何かしらの液体をベルにかけたようで、鱗の一部が欠けて草原に落ちていた。


「悪いわね。こうでもしないと、アイネが小さくなっちゃいそうだったから」

「小さくなるで、済めば、いいけど……!」

「え、あ、ぁ」


 ベルは凶悪な爪の生えた巨大な手を見つめると、自分のしようとしたことに気づいたようで、再び、大地を震わせる。


「ベル、落ち着――」

「うわあああっ!!」


 彼女の衝動的な叫びが咆哮ほうこうとなり、脳がぐわんと揺れる。立っていることすらままならない。


 思わずその場に膝をついてしまうほどの衝撃に耐えながら、片目で様子をうかがうと、ベルはただならない様子で大きな翼を広げ――飛び立った。


 その風で吹き飛ばされそうになるクレイアを支えつつ、顔を腕で覆う。風が収まってすぐに、


「待って、ベル!」


 そう叫ぶも、彼女の姿はすでに、遥か遠くにあった。追いかけなければならないのに、足が動かない。声が届いた様子もない。伸ばした手も、ベルには届かない。


 反射してキラキラと光る、溶け落ちた真っ黒な鱗の破片を拾い上げると、そこには、泣きそうな自分の顔が映っていた。


***


 ベルが飛んで行った方角は分かっている。ただ、


「会ったところで、また逃げられるかもしれないし。もう、どうしたらいいんだろう……」


 二度と、城には帰って来ないかもしれない。もともと、彼女は自分の意思であの場所にいるだけであり、正式に城を住処すみかとしているわけではない。そもそも、世界最強の生命体であるドラゴンの意思をしばりつけることなど、それこそ、ママでもない限り、人類には不可能なのだ。


「――あたしも、昔はあの子みたいだったわ」


 相談相手のクレイアが、そんなことを言い出した。


 私こそ、自分がベルと似ていると思うのだが、そうなると私はクレイアに似ている――とは、到底とうてい、思えない。


「嘘、そうは見えないけど?」

「……まあ、あんたのお母さんにぶん殴られて、改心したのよ」

「え、痛」


 ――曰く。手を振り下ろせば、海が割れ。


 ――曰く。手を合わせれば、雲が散り。


 ――曰く。手を地に叩きつければ、大地が崩れる。


「って本に書いてあったの。さすがに、本当だとは思ってないけど、馬鹿力だったんでしょ? 頭割れたりしなかったの?」

「いいえ」


 やっぱり、迷信だよね。


「全部事実よ。――というよりも、事実より優しく書かれてるわね」

「これで!?」

「ええ。そんな優しいものじゃなかったわ。島を一つ、持ち上げたこともあるらしいから」

「何、どういうこと!?」


 わけが分からない。水中で重い物を持つことすら難しいのに、島を、持ち上げた?? もはや、言い伝えとどっちが凄いのか分かんないな。


「マナって、賢いのに、脳筋なのよ。だいたい、力とパワーで解決できちゃうから」

「あー」


 なんか、納得した。


「てか、そんなママに殴られて、よく無事だったね?」

「それだけじゃないわよ。投げられたり、投げられたり、投げられたり――うん。投げられたわ」


 その説明、なんにも分かんないよ?? あえて聞かないけど。


「さ、これだけ色々話してあげたんだから、もう十分でしょ。早くあの子と仲直りしてきなさい」

「……私、悪くないし」

「悪くなくても、とりあえず謝っておけば丸く収まるのよ。まあ、本当に仲直りしたいなら、の話だけれど」

「うわ、サイテー」

「大丈夫大丈夫。あたしも殴られたとき、マナが怖かったから、とりあえず謝ったの。そうしたら、なんか許してもらえたわ」

「本当にサイテーだな!」


 どや顔で親指を立てていて、ちょっと、いらっとした。なぜこんな人をママは許したのだろう。


「もしかして、居場所の心配をしてるの? 大丈夫よ。大きなドラゴンだもの。みんな見てるから、聞き込みすればすぐに分かるわ」

「――え、聞き込みするの?」

「ええ。原始的だけれど、魔法が使えないなら、そうするしかないでしょ」

「え?」

「え?」


 私はスマホ――厳密には、科学スマホを取り出し、操作する。一般には、魔力を使って操作する魔法スマホが普及しているが、私には使えない。


「聞き込みなんて今どき、ペットがいなくなったときにもしないって。ほら、これ」


 私はクレイアに、シェルッターの画面を見せる。しかし、彼女は何が何やら、分かっていない様子だった。


「シェルッター、知らないの?」

「しぇるったあ?」


 あ、これ、だめなやつだ。


「なんでそんなに知識があるのに、シェルッターを知らないの?」

「あたしの世界にそんなものはなかったわ」

「おばあちゃん? しっかりして?」


 なんと無理のある誤魔化し方だろう。適当にも程がある。


「とにかく、ここには世界中の情報が集まってくるの」

「へえ、今はそんなに便利なものがあるのね」

「何時代の人なの……? とにかく、これを使えば、みんなのささやきを拾って、ベルの居場所を特定することができるの」


 クレイアは、ふーん、と、生返事をして、


「つまり、ドラゴンがいた! って、ささやいてる人がたくさんいるから、それを追っていけば、位置が割り出せるってことね」

「理解はやっ」


 分かっていないようで、ちゃんと分かっていた。

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