第2節 大喧嘩

第11話 お腹ペコペコ

「まずは、色々と、感謝を伝えさせてくれ。家出したアイネを保護してくれた上、居場所まで知らせてくれてありがとう。おかげで、誘拐犯の居所いどころもすぐに見つけられた。――それにしても、よく、あの子がアイネだと分かったね?」

「一目で分かったわよ。マナにそっくりだもの。でも、ギルデの電話番号が変わってなくてよかったわ。うちまで連れてきたはいいけれど、後から、『これ、誘拐じゃない?』って気づいて。すっごくあせって、慌てて公衆電話探したんだから」


 和やかな雰囲気は、男の笑みとともに霧散むさんする。


「今まで、どうしていたんだい?」

「詳しいことは話せないわ。悪いけれど」

「……マナ様に、何があったかは」

「知ってるわ。全部、書いてあったから」


 白髪の女は、白い装丁そうていの本をぎゅっと抱きしめて、赤い瞳を伏せる。


「ここには、やることがあって来たの。どうしても、やらなきゃいけないことが」

「やらなければならないこと?」

「ええ。まあ、そのうち話すわ」


 緑の双眸そうぼうで彼方を見つめ、瞳を閉ざし、男は再び、女に視線を戻す。


「どこまで話すつもりだい。マナ様や、あいつや、君自身のことを。アイネに」

「あたしがとやかく言うことじゃないかもしれないけれど、アイネだって、もう子どもじゃないんだから」

「今の成人は――」

「法律の話をしてるわけじゃないって、言わなくても分かるでしょ。過保護すぎるって言ってんのよ」

「仕方ないだろう。アイネがかわいすぎるんだから」

「はあ……。これは、アイネも苦労するわね」


 ――ハロー、ママ、パパ、いかがお過ごしですか? アイネは今、人生で一番、冷や汗をかいています。暑くもないのになぜかって? それはね、ギルデとクレイアが、私ので言い争ってるからです。


「それにしても……」


 思わず、小さく呟く。


 ロロとベルから逃げるためにこの部屋に滑りこんだはいいものの、人が近づいてくる気配がしたため、咄嗟とっさに、天井へと貼りついたのだが、


「まさか、二人が入ってくるなんて……」


 私の耳は、集中しているときしか、個人の判別ができないらしい。


 このまま息をひそめていれば、面白い話が聞けそうなのだが――お腹が空いてきた。めちゃくちゃ鳴りそう。ヤバい。


「マナの話は散々してるでしょうけど、どうせ、あかりの話はそんなにしてないんでしょ?」

「ああ。アイネが、僕よりあいつを好きになるのが、気にくわないからね」

「マナを持ってかれちゃったものね」


 楚々そそとした顔で紅茶をすするクレイアの対面で、ギルデは渋茶しぶちゃを舌の付け根で味わったような、とびきり歪んだ顔を浮かべる。


「アイネだって、気を使って聞けないだけかもしれないんだから。父親として話してあげなさいよ」

「……分かったよ。まなさんには、アイネの心を開いてもらった恩があるからね」

「ええ。それに、その方がマナだって喜――」


 ――ぐうううう。


 えー、ただいま、お腹から、爆音が出ました。


 オワタ……。


 二人がまんまるな瞳で天井を見上げる。私は必死に笑顔を作って、二人に手を振る。


「お、お邪魔してまあす」

「ふむ、弁明を聞こうか」


 ギルデが笑顔で仁王立におうだちしている。これは、相当怒っているやつだ。私には分かる。


「ロロとベルが追いかけてきてえ、逃げ込んだのがこの部屋でえ、二人が追いかけて来たと思って隠れたらお二人だったと、そーゆー所存です。はい」

「城で遊ぶなと、何度も言っているはずだけどね?」

「……宿題二倍で、オナシャス」


 まーた、宿題が増えたよー……。


***


「宿題が多すぎるよぉ……!」

「自業自得ね」

「クレイアさんだけは味方してくれるって信じてたのに!」

「よく言うわよ。全然信じてないくせに」


 内心を見抜かれて、私は思わず、水を浴びたネコのように動きを止める。すると、クレイアに頬をつつかれた。


「皇帝になったら、今よりずっと、仕事が増えるわよ」

「……じゃあ、頑張る」

「えらいわね」


 もともと、ギルデと知り合いだったクレイアは、あの一件以来、度々、城を訪れるようになっていた。本をあさっては、目を爛々らんらんと輝かせ、何やらノートに書きつける毎日だ。


 ギルデは城に住まないかと誘っていたが、彼女は、寝食までは世話になれないからと、今でもテント生活を続けていて、たまに、私も遊びに行く。


 ちなみに今は、私の部屋で家庭教師をしてくれている。一般立ち入り禁止の本棚の閲覧えつらんを許可してもらっているお礼、だそうだ。


 とにもかくにも、クレイアがママのことを知っている、というのは分かった。あとは、どうやって聞き出すか、だが。


「ママたちの話、聞かせてくれたりしないの?」

「まあ、そのうちね」

「えー……」


 クレイアが読書する横で、私が勉強を進めるのが、いつもの流れになっていた。嫌いな勉強も、クレイアと一緒だと、なんとなく、楽しい。


「そこ、違うわよ」


 突然、本から視線を上げたクレイアの指摘に、私は少しだけ、驚く。が、変なところで表には出さない。


「え、どこ?」

「ここの計算。よく考え直してみて?」

「んー? ……あっ」


 ケアレスミスは、一向に減らない。ギルデに提出する宿題も、こういう、もったいないミスだけの間違いが多く、おおかた、やり直しになる。


「こういうミスって、どうしたら減るのかなあ?」

付箋ふせんに何をどう間違えたか書いて、テキストに貼っておくのよ。それで、最後に見直すの。自分がどういうところでミスしやすいのか分かると、提出前のチェックもしやすくなるわよ」

「ほー、そうなんだ。やってみよ。ありがとう、クレイアさん」

「別にたいしたことは言ってないわ」


 おイケじゃん……。


 この日の課題が終わると、クレイアさんは、私の押しに負けたのか、まだ本が少しだけ読み終わっていなかったからか、彼女とママとパパの三人は、高校で同じクラスだったのだと教えてくれた。


「ママは当然、首席だったんでしょ?」


 と自信たっぷりに聞くと、


「首席はあたしだったわ。でも、魔法実技と体育のテストが評価項目にあれば、確実にマナの方が上だったわね。あたしは、魔法が使えないのと、身体的なものが考慮されてたから」


 クレイアは、おごる様子もなく、淡々と答えて、本を閉じた。


 ――世界中から完璧と称えられるママの上ということは、恐らく、世界の頂点だということなのだが、きっと、気がついていないのだろう。


「上には上がいるものよ。あたしより上なんて、どれだけでもいるわ。あんまり見かけないけれど」


 と、この調子だ。やだもう、何この人、イケメンすぎるんだけど。


「それじゃあ、あたしはそろそろ――」

「こんこん」

「コンコン!」


 まさに、クレイアが本を片づけて帰ろうとしていたそのとき、外から変なかけ声が二つ、ノックとともに聞こえてきた。私は居留守をすることに決める。


「アイネ、遊ぼ」

「アイネー、遊んでぇー!」


 間違いない。


「ロロとベルだ……」

「あら、お友だちみたいね」

「友だち――とはちょっと違うけど。とにかく、無視してやり過ごすから、まだ帰らないで」


 ――だが、今日に限って、やたらと粘る。クレイアのテントは、私が走れば数分とかからないが、彼女にとってはそれなりに遠い。ほいほいさらわれそうなクレイアを、私としては毎日でも送らせてほしいところだが、クレイアが私を案じてそうさせてはくれないので、そうもいかない。


「今日、テントに寝に行ってもいい?」

「構わないけれど、許可を取らないと宿題が倍になるわよ」

「倍と倍で、二倍か……」

「四倍よ。笑わせないでくれる?」


 外泊許可のとれる、ギルデとステアの執務室しつむしつは、ここから近い。


 つまり、このままでは、どれだけ遠回りしたとしても、扉の前のロロとベルに気づかれないことは、ほぼ不可能だということ。

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