第3話 目指す先は遥か遠く

 ステアのターコイズの瞳が、眼鏡越しに私を責めてくる。


「いつから寝てなかったの?」

「ちゃんと仮眠はとってた」

「どのくらい?」

「三十分くらい」

「それは毎日の話?」

「……」


 返事の代わりに、私はベッドから起き上がり、シーツをたたむ。


「アイネさん。ちゃんと答えて」

「……今朝の仮眠かみんが三日ぶりの睡眠だったけど」

「全然寝てないじゃない! そんなに課題が忙しかったなら、そう言ってくれれば――」

「別にステアさんには関係ないでしょ」


 たたみ終わったシーツを置き、扉へと向かう。


「アイネさん、まだ話は――!」


 その言葉をさえぎるようにして、慌てて閉めた扉にもたれかかり、扉越しに聞こえないよう、細心の注意を払って、静かに、息をつく。


 ――ああ、やってしまった。こうならないよう、常に気を張り続けていたのに。


「あ、アイネ」

「おっ! アイネ、見つけた!」

「ロロ、ベル……」


 どこからか現れた二人は、私のもとまで走ってくると、がしっと、両側から腕を掴んで、私を拘束した。


「ん、元気ない?」

「ステアさんに叱られでもしたのー? あははっ」

「別に、なんでもないから」


 二人から離れようとするが、力が強く、逃れられない。主に、ベルの方が、びくともしない。


「ダメ。見張っててって」


 と、ロロが私の腕に賢明けんめいにしがみついてくる。


「誰に言われたの?」

「ナナヒカリ。今日はゆっくり休みなさいって。もし、また無茶したら、帝位はがせないってさ」


 ベルの言うナナヒカリとは、ギルデルドのことだ。ベルは、変な呼び方をすることが多い。


「――はいはい、分かりました」


 悪態あくたいをつきつつも、渋々しぶしぶ、従う。こんなことで体を壊していては、効率が悪いというのは、分かっている。だが、どうしても私は、今、努力しなければならないのだ。


「ちゃんと寝てるか、見張ってる」

「ずっと一緒にいてあげるね」


 二人は片方ずつ、私の手を握り、隣で横になる。


「夢で会お」

「おっ、いいねそれ! 夢で会えば、寝るのと遊ぶのと一緒にできるじゃん! ロロ天才!」


 二人の言葉に答えるのが億劫おっくうで、私は寝ているフリをした。


 そこからの記憶はない。


***


「はあ!? 課題をやめるって、どういうこと!?」


 ギルデの口から飛び出した衝撃の一言に、私は食いかかる。


「もともと、来週にでも休みをとらせようと思っていたんだが、こうして倒れた以上、無理をさせるわけにはいかないからね。今日から一週間、しっかり休むように」

「何それ……っ! 私には、休んでる暇なんてないの! すっごく嫌でも、やりたくなくても、どうしても、今、やらなきゃいけないことなの! 分かるでしょ!? お願いだから、やらせてよ!」

「ダメだ」

「ダメって、何」

「こうなる前に、止めてあげられなくて、本当にすまなかった。がんばり屋のアイネのことだから、きっと、課題以外にも勉強していたんだろう。もっと、自由な時間を増やしてあげるべきだったね」

「――分かった」


 面食らったような、その無駄に整った顔を、目にぐっと力を込めて、睨みつける。


「もういい。ギルデと話しても無駄だって、よく分かったから」


 ダメだと言うなら、隠れてやればいいだけの話だ。与えられた一週間の自由を、生かすも殺すも、私次第。



 ――曰く。一を聞いて万を知り。


 ――曰く。一度見たものは決して忘れず。


 ――曰く。数多あまたの危機をその知恵で救った。



 そんな血の皇帝。


 一を聞いて、一しか知ることができないなら、万を聞けばいい。


 一度見ただけじゃ忘れるなら、覚えるまで繰り返せばいい。


 天才的な知恵がないなら、多くの策を知って、たくさん考えればいい。


「私は、頑張るしかないのに……!」


 私は、天才じゃない。そのことには、幼い頃から気づいていた。運動は、できる方ではあるのだろう。普通の人にはシャーペンで大地を割るなんて芸当げいとうはできない。


 ――それでも、天才ではない。


 自室の前までたどり着いたとき、中から、かすかに物音がした。息遣いきづかいや心音を聞くに、ロロとベルで間違いなさそうだ。


 今は、関わりたくない。


 課題は部屋の中にあるのだが、それをあきらめて、自室を通過することにする。


 城の図書室なら、勉強もできるだろうと判断し、そちらに向かうと、今度は中から、ステアの気配がした。城の図書室は昼間の間、一般向けにも公開されており、こうやって、ステアが司書を勤めていることも、たまにある。彼女とも顔を合わせたくない。


 となると、どこで勉強するかという話になってくる。スマホを使えば、調べものは一応できる。誤った情報も多いが。


 ――私が住んでいるのは、メリーテルツェット帝国の本拠地、ノア城。その二階。図書室は三階で、上の方はあまり使わないため、何階まであるかはよく知らない。


 使わない部屋は空調くうちょうが切られており、今は季節的に、上の方になればなるほど、暑い。かといって、一階の部屋は会議に使われることも多く、何かに長時間集中するのは難しい。


「出かけるしかないかあ……」


 次期皇帝にして、血の皇帝の一人娘である姫が、勝手に外出、なんてできるはずもないので、いつもの抜け道を使って、こっそり抜け出すことにする。


 本来なら、護衛がわりにロロとベルがくっついてくるが、今日は、二人の顔も見たくない気分だ。いや、今日も、か。


 人気ひとけ、のないことを確認して、私は階段を上がる。六階まで手すりを飛び越えて一気に上がり、とある無人の客室へと駆ける。


 部屋の窓を開け、隠し持っていたロープを取り出し、手首の動きで回しながら、タイミングを見計らう。


「シュッ!」


 かけ声とともに放ったロープは、吸い込まれるようにして、城壁外の木の幹に巻きついた。引っ張って強度を確かめ、反対の端を、重そうな机の足にしっかりと結び、窓枠にかけて、ピンと張る。


 それから、何か棒のようなものはないかと探し――手頃てごろな椅子を手にとり、座面ざめんの裏が支えとなるよう、ロープにかける。


「よしっ!」


 窓枠に足をかけ、椅子をしっかりと掴み、勢いよく――飛び出した。


 眼下の見張りが自分に気づいていないことを確認しながら、しばし、風に身を任せる。心地いい風だ。風に乗って、色々な音が聞こえてくる。


 木々のざわめき、草の擦れる音、人々の話し声、鳥の鳴き声。閉まりきっていない水道から、水滴が一滴、ぽとりと落ちる。遠くの海が、波を上げて叫んでいる。



 ――私をさがしてくれている声が、私をあんじている声が、私を愛している声が、聞こえる。



 音の海から意識を外し、幹にぶつかる直前で、椅子から枝へと飛び移り、そのままの勢いで回転、枝の上に着地する。昔からやっているので、慣れたものだ。


 幹から外したロープを椅子にくくりつけ、数十メートル先の窓に投げ入れる。城壁越しでよく見えないが、こんな距離くらい、外すわけがない。


 それから、人通りのないことを確認して、木から飛び降り、歩き始める。情報が規制されており、一般に私の容姿は公開されていないため、外で私だと気づかれたことはないが、一応、眼鏡や髪型で変装もしておく。


「うーん。ネットカフェにでも行ってみようかな」


 皇帝は帝国建国の際に、科学技術に力を入れた。魔法世界で科学を発達させることに反対するものは、その実、多かっただろうと私は思うが、同時に、声を大にして意見できる人などいなかったのだろうとも思う。


 魔法が使えなくても、住みやすい世の中を作ろうとしていたそうだが、その真意は不明だ。


 そんな皇帝のおかげで、ゲームやネットなどの娯楽ごらくは、飛躍的ひやくてきに進歩した。その一つに、ネットカフェの普及ふきゅうがある。


 今や、城下町の至るところで見受けられるが、私は一度も利用したことがない。勉強するだけなら、喫茶店でもできるからだ。ただ、今日は教材がない。


 スマホも昨日の夜、充電したまま置いてきてしまったので、ネットにつながるパソコンが使いたかったのだ。財布だけは持っていてよかった。


「へえ、ドリンク飲み放題なんだ」


 イチゴミルクをコップに注ごうとして――あることに気がつく。そのとき、


「これは、ふざけてるわね」


 隣から、腹立たしいと言わんばかりの苦言くげんが聞こえ、私はその女の声に、意識を集中させる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る