第4話 大人びた少女

「なんで、魔法を使わなくていいことが売りのネカフェで、魔法を使わないと飲み物が飲めないのよ。まったく……」


 それは、今しがた、私も思っていたことだ。すると、その少女は、


「ちょっといいかしら?」


 私に声をかけてきた。初めて気づいたというように装い、視線を落とすと、そこには小学生くらいの女の子がいた。


 ――ただし、すこぶる目つきが悪い、赤い瞳の女の子だ。髪は真っ白でサラサラ。笑ってさえいれば、そのへんの男なんてイチコロだろうな、と思うくらいに、かわいい。


「どうしたんですか?」


 思わず、敬語になってしまった。すると、少女は私の顔をまじまじと見上げて、


「桃髪の黒瞳――」


 と呟いてから、クスッと笑った。桃髪の黒瞳、というのは、私の容姿について、唯一、大衆に知られてしまっている情報だ。


 ……まさか、正体がバレてしまっただろうか。いや、よっぽどないとは思うが、ここは、慎重に。


「顔に何かついてますか?」

「いいえ、そうじゃないわ。ごめんなさい、急に笑ったりして」


 それから、少女は私にコップを差し出して、


「あたし、魔法が使えないの。代わりに飲み物を注いでくれないかしら?」


 と、お願いをしてきた。――だが、それは、できない。


「実は、私も魔法が使えなくて」

「――そう、分かったわ。それなら、店員さんに頼むから。ア……んん。あなたも、一緒に行きましょう?」

「は、はい」


 少女はもう一度、クスッと笑って、ふわふわとした足取りで歩き始めた。


 そして、


「それじゃあ、また」


 と、メロンソーダとコーヒーを半々ずつ混ぜた劇物げきぶつを片手に、随分ずいぶん大人びた様子で、小さな手を振っていた。


***


 調べものを済ませて、城に帰ると、玄関にステアが立っていた。


「アイネさん――」


 また何か言われるのが嫌で、私はそのわきをすり抜けて、二階の自室に駆け込み、鍵をかける。ロロとベルは、もう部屋にはいないようだった。


「はあ……」


 そのとき、ぐうと、腹の辺りから音が鳴った。


「お腹、空いた……。何か食べてこればよかった」


 最近、ステアとギルデに顔を合わせるのが、とにかく、気まずくて仕方がない。きっかけなど、あったかどうかも思い出せないが、なんとなく、そういう感じなのだ。――理由は、分かっているのだが。


 夕食の際は、必ず、顔を合わせることになるので、とくに最近は、らないことも多い。今日も抜こうかと考えていたとき、コンコンと、扉がノックされた。音で分かる。これは、ステアだ。


「アイネ――」

「いらない」


 ご飯はどうするのかと、尋ねられるより先に答えて、扉に背を預け、気配を殺す。足音が遠ざかったのを確認してから、静かに、扉を開け、外の様子をうかがう。


 扉の側には、小さなテーブルが置かれており、その上に、ラップをかけられた、ほかほかの夕食が置かれていた。


「……いらないって、言ってるのに」


 目の端に、じんわりと涙がまるのを感じて、指で雑にぬぐった。


 人の気配を耳で感じ取り、完璧に避けつつ風呂を済ませ、自室に戻ろうとすると――耳が気配を感じとった。


「待ち伏せされてる――」


 部屋の前に、ステアがいる。間違いない。


「今日はしつこいなあ……」


 とはいえ、窓も閉めてきてしまったし、扉から入るしかない。


「行くしかないか……」


 部屋の前が見えるところまでくると、案の定、そこには、ステアが立っていた。ステアは私の姿を見つけると、その場から動くこともせず、ただ、じっと、歩く私を見ていた。


「どいて」

「アイネさん、少し、話をしましょう?」


 そう来るとは、想定していなかった。反応が少し遅れる。


「……今は、嫌だ」

「お願いだから、話をさせて」

「今は嫌だって言ってるでしょ」


 ステアを押しのけて、部屋に入ろうとすると、腕を掴まれ、歩みを止められる。


「それなら、いつがいいかしら?」

「知らない」


 顔は合わせず、しかし、その手を振り払うこともできずにいると、ステアが開きかけた口を、ぎゅっと結んで、再び開く気配がした。


「アイネさんが、今、一番したいことって、何?」


 ――一瞬、何を聞かれたのか、分からなかった。なぜ、そんなことを聞くのかも、分からなかった。


「勉強と訓練」

「その次は?」

「……それだけ」


 本当に、何も思いつかなかった。たった今、気がついたその事実が、妙に腹立たしく思えた。


「もういい? 邪魔された分、勉強したいんだけど」

「あのね、アイネさん。無理に帝位ていいがなくても――」

「うるさい!」



 咄嗟とっさ怒鳴どなってしまったら、そのあとの静寂せいじゃくが、海底よりもずっと、暗く、静かなものに思えた。


 その不安をまぎらわすためだったのか、私は、続く言葉を、自分で制御できなかった。



「ギルデもステアさんも、本当の親でもないくせに、親面おやづらしないで!!」



 ステアの顔を振り返るのが、この世の何よりも恐ろしく思えて、私は、力のゆるんだ手を振り払い、駆け出していた。


「あっ……。アイネさん、待って!」


 制止も聞かずに飛び出して、城壁を駆け上がり、正面突破する。


 それから、無我夢中で、走った。通行人をけ、行き先も決めず、車より速く、走った。


「はあっ、はあっ……!」


 やはり、疲れが残っているのか、思ったよりも、走れそうにない。いつからか降り出した雨は、周囲の音をかき消すくらいの強さで、私の全身を打ちつけていた。


「ぬわあっ!?」


 ぬかるみに足をとられて、アスファルトの地面に叩きつけられるようにして、転倒する。咄嗟に受け身を取った、じくじくと痛む腕を確認すると、血が雨と混ざり合って流れていた。


 転ぶのなんて、慣れっこだ。なのに、その傷口が、いつもよりも、やけに痛く感じられた。


 ただ、こうして、痛みと雨の冷たさに身を任せているのも、悪くないような気がした。


 ――そのとき、パラパラと、雨音を弾く音が頭上から聞こえ、見上げると、頭上に、ビニール傘が差し出されていた。

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