第一章 時間差の一目惚れ

 入学してから二週間ほどった。

 初対面のクラスメイトとも打ち解けてくると、教室内での自分の立ち位置もなんとなくわかってくる。


「それじゃあ、この問題がわかる人はいるか?」


 英語のグラマーの時間、やたらとれいな女性の先生が生徒を見回す。おりは黒板に書かれた虫食いの英文を見つめ、ふむとうなずいて手を挙げた。


「お、


 にくしよくじゆうを思わせるみをかべた先生に当てられ、座ったまま答える。


「よし、正解だ。はいいな。手を挙げるときにうでを直角にしてひかえめアピールをしているのがあざとくてポイントが高い」

「着眼点おかしくないですか?」


 教室に笑いが起きる。この先生はおりのことを気に入っており、授業でみんながねむくなってきたころおりをイジってくる。おりとしてはみんなが笑ってくれるしねむもとれるしでだいかんげいなのだが……。


(……今回も笑わないな)


 すっかりクラスでのお笑い担当になっているおりと先生のやりとりに、となりかえでだけが、それこそただひとりだけ笑っていない。ねむりしていて聞いていないのならまだしも、かえでは習い事でもしているのかと思うほどきちんと背をばして前を向いている。

 ──この二週間を通して、すずはらかえでがどんな人なのかということが少しずつわかってきた。

 学校では同学年どころかせんぱいからも注目されるほどのぼうを持っていること。

 そのがおだれも見たことがないこと。

 おりは初めてかえでを見たときの、とつぜんの「にゃー」にしようげきを受けたものの、それ以上にまったく笑わない……というか何より、自分が彼女を笑わせようとしてもその表情筋がどうだにしないことが気になってしかたがなかった。

 かえでは一日に発する文字に制限があるのかと思うほどしやべらないが、その美しさに引き寄せられるように、彼女の周りには自然に人が集まる。かえでゆいいつねなく接しているすずく立ち回って場を回していた。

 かえでを囲む輪に初めは男子もまざっていたが、かえでのあまりのそっけなさにたやすく心が折れ、「かえですずたわむれを遠巻きにながめる『男子』という生き物たち」という絵画のようになっていた。


(しかしなぁ……笑わないのはなぁ……)


 おりは人のがおを見ることが好きだ。もっといえば、自分が笑わせたときの顔を見るのが最高に好きだ。

 だからこそ、すぐとなりにいながらなんこうらくぎんぱつへきがんタケノコ少女(長いし失礼)を何としても笑わせたい……という思いが、おりの中で日に日にふくらんでいた。


       ×  ×  ×


 昼休み。おりは教室でみなとふくめ何人かの男友達と弁当を食べていた。この学校は昼休みにどこで食べてもいい。天気のいい日はグラウンドのベンチで食べている人もいた。


「…………」


 ふと生じた会話のすきで、おりは空席になっているかえでの席をちらりと見た。


おり、またすずはらさんのこと気にしてる」


 他の男子が昨日見た動画の感想を言い合っているなか、みなとが楽しげに笑った。


「……別に、ぜんぜん気にしてないっての」

「よっぽど好きなんだねぇ」

「あのな……俺はただひとり笑わないすずはらさんが気になってるだけなんですー」

ねた感じの言い方、いい感じに気持ち悪いね~」

「おい、いいのか? 泣くぞ? いいのか?」


 みなとがくすりと笑う。


鹿かのおかさんもいないけど、どこでご飯食べてるんだろうね」

「さあな。女子グループもいないから、みんなで食べてんだろうけど」


 いまだに見たことはないが、かえですずはきっとお昼もいっしょなのだろう。


すずはらさん……びっくりするくらい笑わないよな」

「だね~。男子と話すのも見たことないよ。すずさん経由の会話も、入学式の日に一回見たきりだし」

「あれ、そうなのか?」

「期待の光が目に宿ったね~」

「人の心をかすのやめてくんない?」


 同じ輪にいる男子たちが最近人気の同世代の動画配信者について熱く語り合っている。「俺のほうが前から知ってるから」「いや俺のほうが古参だし」とごくのようなマウンティング合戦をしていた。


すずはらさんってさ、授業中に当てられたときくらいしか声を聞けないでしょ? だから、他のクラスの人とかせんぱいとかは、ろうすずはらさんを見かけると声が聞けないものかとこそこそ近付いたりするんだって」

「え、それすげぇこわいんだけど」

だいじようぶ鹿かのおかさんとその他女子グループがきっちりはいじよしてるらしいから」

「え、それすげぇこわいんだけど」


 二回目の言葉のほうが心がこもっていた。


れいな上にミステリアスだからみんな気になるんだろうか……」

鹿かのおかさんがそばにいるのも大きいんだろうね。女子とのはしわたしというか」

みなとって鹿かのおかさんのことよく見てるよな」

しゆんかんてきあくりよくを百キロまでげて手のこうをつねろうか?」

「発想がこわすぎる! ていうかそんなバフ使えんの!?」


 いつも通りのかいなやりとりをしながら、おりはもういちどかえでの席をちらりと見た。


       ×  ×  ×


 とある日の放課後、おりは担任の雑務の手伝いをしていた。

 プリントをホチキスで留めるだけの作業だが、先生とはだんしないような世間話ができて思いのほか楽しかった。


「今日も残業だぜぇ……へへへ、たまんねぇなぁ……」


 遠い目をした担任の言葉に、おりは苦笑いしてサムズアップするしかなかった。


みなとは……しようこうぐちにいるのか」


 トークアプリをちらりと見てかくにんする。おりは高校では部活に入らなかった。部活動への加入は強制ではないので、おりのように帰宅部になる生徒は相当数いる。

 同じく帰宅部であるみなとのもとへ向かおうとしたところで、課題に必要な教科書を机に入れっぱなしにしていたことに気付く。

 職員室のある二階から階段を降り、一年生の教室へつながるろうを歩く。放課後は部活のある生徒はすぐに向かうし、帰宅部の生徒もホームルームのあとに多少雑談をして早々に帰る。人がいなくなったことで春のろうはしんと静まり返り、体感温度が何度か下がっているような気がした。


(あれ? 女子の声……?)


 たりを曲がれば目的地につく……というところで、楽しげにはしゃぐ声が聞こえた。どうやら自分の教室で女子が話しているようだ。ドアを開けているのか、その声がよく通る。


(このまま入るのもみようだよな……)


 男子ならまだしも、まだまだ会話の少ない女子グループの中にちゆうちよなく入っていく勇気はない。なので、おそるおそる顔だけのぞかせた。

 教室にいたのは、見慣れたふたり──かえですずだった。


かえでわいいな~、うりうり~」


 すずかえでとふたりきりだからか、いつも以上にはしゃいでいた。はつらつとしたわいらしさ。ひそかに人気があるのもうなずける。

 けれど、おりは視線を横にすべらせ、


「もう、すずってば……からかわないでってば」


 お団子頭をぽんぽんとでるかえでを見たしゆんかん、目を見開いた。

 だんはまったくの無表情であるかえでが──目を細め、口角を上げ、楽しげに、じやに笑っている。

 おりの心臓はたやすくかれた。


(え、な、ええ? そんな笑い方、すんの? え、えぇぇ……?)


 すずみはひとなつっこい小動物を思わせる。

 対してかえでは、寒さの厳しい冬をえ、雪の解けた野原にぴょこりといた小さな花のようだった。

 れいだった。

 背景の教室が一気に遠くなる。

 かえですずしか見えなくなる。

 やがてかえでしか見えなくなる。

 視界が、思考が、根こそぎ彼女に……かえでに集中した。

 すずがおとちがって、もう少し遠くから見たら笑っていることに気付かないかもしれないくらいの、わずかな表情の変化。

 けれどそこに、親友と呼べるであろうすずとの仲の良さやしんらい関係が見て取れる。本当にすずのことをしたってるんだな、とわかるがお

 情報量が多すぎた。

 かえでかべたしようおりき、その脳内にあまりに多くの感情がはんらんした。

 のうにしっかりと焼き付いたがおは、これから先しばらく色あせることがないと直感した。


「……あれ? くん? どしたのー?」


 すずの声にハッとする。気付けば教室の入口で棒立ちになっていた。


「……え……っ」


 楽しげに笑っていたかえでが目を見開き、顔を真っ赤にして、しゆんじに口元を手でかくす。そして高速ですずの後ろにかくれた。すずは苦笑いをかべている。


「…………」


 かえですずかたぐちからひょこりと顔を出し、無言でにらんでくる。美人がおこるとこわい、というどこかで聞いた言葉を生まれて初めて実感した。仕草だけ見れば森でひょっこり姿を現すリスみたいでなごむのに。いや、顔立ちが顔立ちなのでようせいといったほうが適切か……などと考えているあいだもおりのことをにらにらむ。あわよくば視線だけで心臓を止め、おのれがおもくげきしやを消そうとしているのではと思うほど。


「パ……」


 かえでがぽそりと、消え入るような声でつぶやいた。


「ん? ……パ?」


 おりが首をかしげると、


「パパラッチ……っ」

「……は、はぁ!? なんでだよ!?」


 思わず大きな声を出すと、かえではふたたびすずの背後にかくれてしまった。かえでのほうが背が高いのであちこちがはみ出ている。


かえでがごめんねー。忘れ物でもしたの?」

「え? あ、ああ、うん。……ちょっと失礼しまーす」


 おりが席に近付くと、おりから決して顔が見えないようにかえでがすすすと移動する。桜の木を中心にしてくるくる回る彼女とねこの姿を思い出した。



 教室を出て、ろうをひとり歩く。

 静かな場所だからこそわかる。自分のどうがうるさいくらいに高鳴っていることを。


「……いやいやいや、あれは……反則だろ……」


 ふだん笑わない子が不意に見せるがお。なるほど、よくわかる。

 まんでも小説でもアニメでも見たことがあったし、冷静に先ほどのじようきようかえっても、激しくどうようするのはよくわかる。

 ……などとぶんせきするのが馬鹿らしくなるくらい、かえでみはきようれつだった。

 がおは人の表情の中で一番てきな表情だ、とおりは思う。それにしてもあのがおは……あのがおはずるい……などとひたすら脳内ではんすうしているうちに、ろうたりのドアにおでこをぶつけた。


「いったぁ……あ、やば」


 ぶつかったのは美術室で、中にいる美術部員らしき人たちの「なんだ今の音?」「かくにんしてきますね」といった声が聞こえる。

 おでこをさすってあわててげながらも考える。

 かえでのことは、ついさっきまでは「れいだけどめんどくさい子」と思っていた。

 けれど今は……どうしようもないほど、りよくてきに思っている。

 あの子を笑わせたい。あの子のがおをもういちど、いや、何度でも見たい。


(うわー……俺、うわー……)


 顔がどんどん熱くなっていく。

 おりは、すずはらかえでに──れていた。


       ×  ×  ×


 翌日、早めに教室についてやたらめったらそわそわしているおりを見て、みなとが「うわー」と気のけた声で引いた。


おり、昨日からずっと気持ちわる……変だよ?」

「ほぼぜんぶいったよな今? 泣きそうなんだけど」


 みなとののしりは、なんというかがおのままナイフでさっくりしてくるような切れ味がある。四代くらい前は殺し屋だったのでは。

 友人のなじりによるダメージにもだえていると、かえですずがやってきた。


「お、おはよう」


 ためらいながらもあいさつをする。昨日までならしやくをしてくれていたが──かえでは目を細め、まるでごみを見るような目でおりをコンマ数秒だけにらみ、すぐに顔をそむけてしまった。


(え、キっつぅぅ……)


 れた直後に全力できらわれるとはこれいかに。おりかえでそれぞれに対する好感度の総量が決められていて、はかりのようにバランスをとっているのだろうか。


「(ごめんねー!)」


 すずが両手を合わせて苦笑いをしている。ちろりと出した舌がわいらしいが、今はかえでに全力でけられていることがただただつらい。

 ショートホームルーム前からこの世の終わりのような顔をしていると、みなとがやけににこにこしていることに気付いた。


「……なんだよ?」

「いや~、青春だなって思って」

「ああん?」

おりってたまにヤンキーみたいなおこかたするよね~」


 みなととなりすずがぷふっとす。

 ちらりととなりを見やったが、かえでは一限の数学の教科書とノートを取り出していて、こちらの会話をいつさい聞いている様子がなかった。


(つらい)


 窓から見えるおだやかな景色をながめながら、辞世の句でも作ろうかしらと真面目に思った。




 Interlude


かえで、さすがにちょっと冷たすぎない?」


 移動教室でろうを歩いていると、すずうでをつつかれた。すずの視線はふたりの前を歩くおりにちらちらと向けられている。すずの困ったような、あきれたようなみはどうもなつとくがいかない。


「パパラッチにかけるなどない」

「めちゃくちゃキリッとしちゃったよ……」


 ばっさり切り捨てたものの、すずのツッコミにじわりとツボがげきされる。


「…………」


 顔をそむけたがおそかった。


「よーし笑ってる笑ってる! かえでは今日もわいいな~」

「あ、ちょ、やめっ、もう……っ」


 すずが頭をわしゃわしゃとでてくる。大型犬か何かだと思っているのだろうか。そんなふたりのやりとりに生温かい視線が集まり、かえでの顔が熱くなる。


(あの対応はとうとうだから……)


 なおも頭をでてくるすずほおはさんで動きを止め、自分に言い聞かせながらろうをずんずんすすんだ。

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