第五章 自宅にご招待02


       ×  ×  ×


「ただいまー」

「お、おじやします」


 リビングからとたたとかろやかな足音が近づいてくる。


「はーいおかえりなさいわいい!」

「「えぇ!?」」


 満面のみをかべてむかえてくれたひよりが、かえでを見るなり両手で口をおおってへたり込んだ。おりかえでがそろってあわて、おりくついでひよりをきしめる。


「おい、ひより!? だいじようぶか!?」

「うぅ……お兄……っ」

「身体と、それと頭はだいじようぶか!?」

「なめらかにディスるのやめんかこんにゃろう……」


 まあまあ強めのボディブローを二発もらった。


「はじめまして……ひよりです……兄がお世話になってます……」

「あ、すずはらかえでです……」


 おりきしめられたひよりが目を細める。


「ふわぁ……名前までてき……あ、もうだいじようぶなんで、ふたりとも先に手洗いうがいをおねしゃす」

「「あ、はい」」


 妹のえの早さがじんじようじゃなかった。

 洗面所で手洗いうがいを済ませる。かえでが同じことを同じ場所で行なっていることがうれしすぎて、脳内でみぎうでを高くかかげて「我が人生にいつぺんいなし」とつぶやいた。


かえでさん、って呼んでいいですか? あたしには敬語はいらないんで!」

「うん……わかった。その呼び方でだいじようぶ


 かえでがやわらかく目を細める。ひよりが目を見開いてほおを赤らめた。


「(お兄、ちょっとこっち来て)」


 興味深そうにリビングを見回すかえでの後ろで、ひよりが口パクで手招きをする。顔を寄せると、ひよりは耳にくちびるを押し当てんばかりに近付いた。


「お兄、とんでもない上玉に目をつけたもんですなぁ」

「世代がふたつみっつ上の言い方だぞそれ……」

「配信ですっごい昔の映画があって、最近クラスでってるの」

「中三のクラスで? すごいなそれ」


 兄妹きようだいでぽしょぽしょとないしよばなしをしていると、かえでがきょろきょろ何かを探す仕草をしていることに気付く。


「ああ、コタローならたしか──」


 ひよりがキッチンをのぞむと同時に、


「みゃー」


 マンチカンのコタローがとっとこと姿を現した。

 かえでをちらりと見る。

 目を見開いたまま停止していた。


かえでさん!? どうしたんですか!?」

わいさのあまり活動を停止してしまったようだ……」

「お兄、シリアス顔でアホみたいなこと言わないで!」


 かえでがはっと我に返る。


「す、すっごくわいい……わー、わー、わー……」

すずはらさん、コタローはまだ全力を出してないから油断しないほうがいい」

「ぜ、全力……っ?」


 かえでがこくりとのどを鳴らす。コタローがあまりにわいいためか、かえでが来訪してくれたことにより上がりに上がっているおりのテンションについてきてくれる。


「コタローの真価は、立ち上がったときに発揮されるのですよ」


 ふっふっふとおりが笑っていると、


「みゃー」


 コタローがかえでの足元に歩み寄り、


「みゃ?」


 小首をかしげ、


「みゃ!」


 ひょい、と立ち上がった。


「かわ……い……っ」


 かえでが手のこうをおでこに当て、はかなげにくらみを起こした。


かえでさん!? あぶな……やわらかいいにおい!?」


 たおれかかったかえできとめたひよりがさけぶ。


「落ち着けひより。うらやましいぞ」

「お兄も落ち着いて?」


 兄妹きようだいそろって深く息をいて、吸って、いた。


「ご、ごめんなさい……あまりにもわいくて……」

「「気持ちはわかるのでだいじようぶ(です)」」

「う、うん……?」


 マジの目でシンクロする兄妹きようだいかえでがたじろいだ。


       ×  ×  ×


 ソファに座って一息つく。片方のソファにはしからおり、コタロー、かえでが、そしてもう片方のソファにひよりが座る。


「コタロウちゃん、ほんとにわいい……」


 つぶらなひとみで見つめるあいびようかえでが目を細めるのを見て、兄妹きようだいは、


「あ、コタローな。コタロウじゃなくて」

「そうです、コタローです」


 えんりよのないダメ出しをあたえた。


「ご、ごめんなさい……?」


 ぽしょぽしょと「こだわりが強い……」とつぶやいたかえでが、コタローを見ながら手をかし、すぐに下ろした。


すずはらさん。コタローはおとなしいからだいじようぶ


 かえでがわずかに目を見開き、コタローのちっちゃな頭にそろりと手をばす。


「みゃー?」


 コタローがびてきた手に気付くと、かえではびくりと手を止めてしまう。

 いちど手を引っ込めようとしたが、


「みゃー」


 お好きにどうぞー、と言わんばかりにコタローが気持ちよさげに目を閉じる。かえでと目が合った。だいじようぶだから、とおりが目でうつたえてうなずく。


「し、失礼、します……っ」


 かえでの手が、コタローの頭にぽすりと乗った。すらりとした手はかすかにふるえている。


「みゃー」


 コタローがふやけた声をらす。


「はぁ……や、やわらかくて、丸くて、あったかくて、わいい……っ」


 かえでの手はまだふるえているが、それでもゆっくりとコタローの頭をでる。


「あごの下もでると喜ぶから」

「こ、こう……?」


 おりのアドバイスをもとに、かえでの指がコタローのあごの下をとらえる。


「ふみゃぁ……」


 コタローの声がとろける。かえでの目もとろけた。ひよりは事情を察したようで、温かな目で見つめている。


かえでさん。しっぽの付け根もオススメですよー」

「そ、そうなの……? よーし……」


 片手であごの下をでながら、空いた手でしっぽの付け根をぽんぽん、ぽんぽん。


「ふみゃぁぁ……」


 コタローがかえでに身を寄せ、やわらかな毛をすりすりとこすりつける。さらにのどをごろごろ鳴らす。


「~~~~っ。~~~~~っ!」


 声をあげてはびっくりさせると思ったのだろうか、かえでおりとひよりにキラキラした目をこうに向ける。この世のいやしをぎようしゆくしたような光景だ。


すずはらさん。もうだいじようぶそう?」


 おりの問いかけに、かえでは目をぱちくりさせ、それからふにっと目を細める。動いている表情筋はごくごく限られているのに、彼女の感情がずいぶん伝わるようになった。


「うん……たぶん、もうだいじようぶ。ありがとう」


 かえでの口角が、ほんのかすかに上がった気がした。

 ますます好きになるのはもちろんのこと、生きててよかった──とさえ思った。

 ひよりはおりかえでのやりとりを、うれしそうに見つめていた。


       ×  ×  ×


「あれ? すずはらさん、それって……」


 かえでが横に置いていたカバン。そこからねこのストラップがぴょこんと飛び出ていた。


「……なに?」


 げんな顔をしてストラップをかくすが、そのあいだもコタローのあごの下をでている。コタローはエンドレスこうげきにもはやほねきだ。


「いや、なんか年季が入ってるなーって」

「……うん、大事にしてるから」


 かえでいつしゆん目を細めたかと思えば、


「あんまり見ないで。黒くなりそうだから」

「俺の目にそんなじゆりよくはないんだけど」

「『ずずず……』ってすみみたいなのがしんしよくしてきたりしない?」

「それ完全にホラーだから!?」


 よほど大事にしているものらしいが、先ほどまでのやわらかなふんとは打って変わって、れてはいけないような空気を感じる。カバンにストラップをつける生徒は多いし、べつにずかしがることではないはずだが。

 まゆをひそめて、ずももも……と黒いオーラをげんするほどけんのんふんかもかえでに、おりはため息をらす。

 ひよりはそんなふたりを見て、


「お兄とかえでさんって、仲いいですねー」


 かえでがぴくりとふるえ、ゆっくりとひよりのほうを向く。ぎぎぎ、と音がせんばかりの動きと真顔に、ひよりが「ぴゃっ!?」とわいらしい悲鳴をあげた。

 かえでが立ち上がり、ひよりにじりじりと近寄る。


「え、なに!? なんですか!? 美人が身構えてるのすっごいこわいんですけど!?」


 ひよりがソファのはしまで後ずさる。ホラー映画のさつえいシーンを見ている気分だ。


「この期におよんでさらにしゆうちしんあおるとは……全力ででてくれる……」


 かえでが無表情のまま両手をわきわきさせている。新手の変態さん、といった感じ。


「お兄! かえでさんが変になった! あれ、でもあたしは会ったばっかりでかえでさんのことまだ全然知らないから、正確には変な一面を知ったというのが正しい……?」

「とりあえず、ふたりともいったん落ち着いてくれ……」

「みゃー?」


 コタローがこてんと小首をかしげ、三人がそうくずれになる。我が家のあくは無敵だ。

 かえでがこほんと小さくせきばらいをしてソファに座りなおす。コタローのしっぽの付け根をでながら、ねこのストラップを愛おしげにでた。


「ふだんは外から見えないようにしてるんだけど……」

「コタローのわいさにどうようして、それどころじゃなくなってたと?」

「……うん。そんな感じ」


 当たっていたらしい。

かくさなくてもよくないか? わいいんだし」


 おりの何気ない言葉にかえでがうつむく。長いまつ毛がかげを作った。


「……バカにされたことがあるから」

「ん、わかった。ごめん」

「え、あ、え……っ?」


 ひざに手をついて謝るおりに、かえであわてる。


「べ、べつに気にしなくていいから……」

「いや、おびにコタローをますますでていただきたく」


 コタローをっこする。


「みゃー」


 にょいんとびたどうしになったおなかかえでの口がゆるむ。


「こちらにおひつしを……よっ、と」


 かえでの太ももにコタローを着地させる。


「みゃー? みゃ~~」


 コタローはかえでの太ももの上で器用に立ち上がると、


「あっ、ひゃっ? こっ、こらっ、もう……っ」


 てしっ、たゆんっ、てしっ、たゆんっ。

 よりによって、胸を前足でてしてしとたたきはじめた。


(予想外のイベント!)


 ねこパンチで生じるげきの強すぎるさざ波から、首がちぎれんばかりに顔をそむける。


「(お兄のドスケベ)」


 ひよりの口パクが胸にさる。わざとではないからかんべんしてほしい。


わいいなぁ君は。……こっちにどうぞ?」


 コタローのねこパンチを受け止め、太ももの上でうつせにする。あごの下をでるとのどをごろごろと鳴らして目を閉じた。


「そのストラップはご家族のプレゼントとか?」


 年季を感じるストラップに向けるかえでの視線は温かい。


「これは……小学生のときに、おばあちゃんが作ってくれたの」

「へえ……どうりで味があると思った」


 せいひんと言われてもかんがないえではあるが、言われてみれば確かに手作りのおもむきがある。


「ずっと持ってるから……なんていうか、お守りみたいな感じ」

「大事にしてるんだな」

「……うん」


 かえでがほんのりとほおを赤らめ、まえがみをいじる。


「私にとってのお守りはこのストラップだけど……パパラッチにとってのお守りはカメラ?」

「その設定まだ生きてたの?」

「お兄? パパラッチってなに? またやらかしたの?」

「『また』ってなんだよ!? 初犯だから! いや、初犯でもないけど!」


 かえでとひよりから向けられるじんなジト目にあわててツッコむと、ひよりはけらけらと楽しげに笑い。


「みゃー?」


 かえでは、コタローをっこして口元をかくし、おだやかに目を細めた。


(え、何そのお茶目すぎる仕草は?)


 おりは思わず遠い目をした。この仕草は反則にもほどがある。

 それからしばらくだんしようして、かえでは帰宅した。家まで送るといったものの、まだ明るいからだいじようぶと言われ、


「パパラッチに送ってもらうとか、情報がダダれになるし……」

「ここまで引っ張るっていっそすがすがしいな」


 などといったやりとりをして、かえでは帰っていった。


「……お兄」

「ん、どうした?」

かえでさんがおさんになったら、あたしはとてつもなくうれしいんですが」

「そんなコテコテのずかしいことを言うんじゃありません」


 あたしは大マジなんだけどなー、とつぶやきながら、ひよりがコタローをっこする。


「みゃー」

「むおっ」


 やわらかなおなかを顔にくっつけられ、変な声が出てしまった。


       ×  ×  ×


『いおりんいおりん』


 数日後の夜のこと。

 リビングでくつろいでいると、すずからメッセージが届いた。


『二回続けて呼ぶとなんかの通知音みたいだな』

『たしかに~』

『(「なんでやねん!」とねこがツッコんでいるスタンプ)』


 すずとのやりとりはいつもゆるゆるだ。


『ところでですねだん

『急にどうしたんだ』

『わたし、うちでねこを飼ってるんだ』

『そうなんだ。うちもだわ』

『知ってる知ってる~』

(あれ、言ったことあるっけ?)

『すっごいわいい写真がれたのでお見せしまーす』

『ふむ。どうぞ』


 写真が送られてきたしゆんかんおりはソファからきた。

 映っていたのは理知的なねこだった。たしかロシアンブルーという種類だったか。

 だが問題はそれよりも、その子をっこしているかえでの存在だった。


わいいでしょ?』


 ちょっときんちようしたおもちで、それでもうれしそうにねこっこしているかえでの写真。カメラを向こうとして、けれどずかしくて少しだけらしたであろう視線。


(ちょっと待て、これは、これは……っ!)


 ふるえる指で返事を打つ。


『ぼくはしにました』

ひらでの感想いただきましたー!』


 すずがいたずら成功とばかりに笑っているのが目にかぶ。


『ありがとうございます』

『どういたしまして』


 保存していいかをたずねようとしたが、片思い中の女子の写真を保存するというのはどうなんだろうか……いやでも、すずさんから送ってもらったんだし……などと思っていると。


『あ、そういえば』

『この写真をいおりんに送ってもいいって、かえでからは許可もらってるからね~』

「マジで!?」


 思わず声を出してしまった。


『本人的には「トラウマこくふくの報告」って感じなんだろうけど……いおりんにとっては最高のごほうでしかないよね~?』

『そうですけどなにか?』

『開き直った!』


 すずがけらけらと笑う姿が目にかぶ。


「お兄~、さっきから何さわいでんの~わいい!? え、わいい!?」


 かえでねこだっこの写真を見せるなり、ひよりがせいだいに混乱した。ポニーテールがぶんぶんと揺れる。


『ロック画面に設定するもよし、ホーム画面に設定するもよし、両方に設定するもよし!』

『俺が保存するのは確定なんだな……』

『え? もうしたでしょ?』

『しましたけども』


 かえでの許可を得ていると聞いたしゆんかんに保存していた。


『いおりんの欲求しなとこ、きらいじゃないぜ』

づらこつすぎてつらいからやめて?』

『いおりん@欲求し』

『アカウント名みたいになってるから』

『いおりん@欲求しFes7/15』

『すごい名前のイベントに参加予定の人になってる!』


 このあと、ひたすらボケるすずにツッコみつづけ、最後はすずの「ってかねむいんですけど」という逆ギレに「じんか! おやすみ!」と返してやりとりが終わった。


(うーん、わいい)


 理知的なロシアンブルーとぎんぱつへきがんかえで、という組み合わせがとてもいい。すずじようだんで言っていたが、本当に待ち受けに設定したくなるくらいには愛らしかった。




Interlude


 おりとのやりとりを終え、かえでの様子をかくにんする。

 ロシアンブルーのあいびようっこしたかえでが、じようげんに笑っている。


(うーん、わいいなぁ)


 あいびようはもちろんのこと、長年のトラウマをこくふくしてねこでている親友の表情は、すずもなかなかお目にかかれないくらいにわいらしい。


かえで、よかったね」

「うん……ほんとに」


 あいびようのあごの下やしっぽの付け根をでながらほほむ。どうやらおりの家できちんと学んできたらしい。向こうのねこはマンチカンとのこと。我が家のあいびようとはちがうタイプの愛くるしさのかたまりだ。


「まさかかえでがいおりんの家に行くとはね~。わたしもびっくりしたよ」


 かえでの動きがぴたりと止まる。


「それは……かえさないで……すっごくずかしいから……」

「でも、トラウマをこくふくするいい機会だったでしょ?」

「それは……うん、感謝してる。ほんとに」


 入学したての頃おりの話を出すとわかりやすいくらいまゆをひそめていたのだけれど、ここ最近……特におりの家に行った日からは、本当にやわらかい表情をかべるようになった。すずしかわからない程度の小さな変化だが、もしかしたらおりかえでの表情の変化に気付いているかもしれない。


(いおりん、やるなー)


 出会った頃はいかにもぎこちないアプローチしかしていなかった彼が、目に見えて成長している。

 同い年にも関わらず、すずおりのお姉さんのような気持ちになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る