第五章 自宅にご招待01

 とある日の放課後。

 おりしようこうぐちくつえて外に出ると、入口横のエントランスに数ヶ所設置されているベンチつきのテーブルに、かえでの後ろ姿を見つけた。すずを待っているのだろうか。


(なるべく自然にあいさつを……ん?)


 ななうしろから近付こうとすると、かえでが一心にスマホの画面を見ていることに気付く。無表情なのはいつものことだが、その目がやけにキラキラしている。

 もう数歩ばかり近付くと、写真をとう稿こうするSNSを見ていることがわかった。

 画面に映る写真は、様々なかみの長さのまった女性たち。共通点はかえでと同じぎんぱつへきがんであること。


「そういうの、よく見るんだ?」

「……っ!? ……っ!!」


 おりこえけに野生動物のごとくおどろき、ねる。太ももがテーブルにぶつかってしまいかえでもんぜつした。


「ご、ごめん」

「べつに……いいけど」


 かえでは太ももをさすりながら、スマホの画面をせてしまう。


かくさなくてもいいのに」


 少なくとも、先ほどのかえでの目は写真の女性たちに対するぐなせんぼうあふれていた。じゆんすいな好意のこもったひとみは見るだけでほおがゆるむ。じることなど何もないはずだけれど。

 おりの何気ない言葉にかえでは目をぱちくりさせ、それから白銀のかみの毛先を人差し指でくるくると巻き、くちびるをにゅっととがらせた。くずちそうになるのをけんめいにこらえる。


「だって……こういうのを男子が見ると、バカにするから……」


 かえでの視線はどこか、過去の苦い思い出をせるように泳いでいた。


「……そっか。めんどうからかたしてごめん」

「べつに……パパラッチはパパラッチだから。これくらい気にしない」

「呼び方がパパラッチだといまいち場がまらないんだけど」


 かえでがノートで目から下をかくす。

 いつものように顔をそむけるかと思いきや──おりと目が合ったまま、楽しげに目を細めた。

 心臓をわしづかみにされた。

 あの日、おりこいごころをかっさらったみが、その一部とはいえ自分に向けられている。


「どうしたの?」

「え、あ、いや……なんでもない」


 かえではいつもの無表情にもどっている(ただし小首をかしげている。おりひんだ)。それでも、先ほどのみが頭からはなれない。目をほんの少し細めるという仕草。長さで言えば一センチ、あるいはそれよりも短いかもしれない。そんな、目の前で見ているからこそわかるわずかな表情の変化が、おりの心をはなさない。この子のがおが見たい、もっといえば自分が笑わせたいという思いがいっそう強くなる。


「パパラッチ、どうしたの?」


 かえでがますます首をかしげる。小首どころではなくなり、ちょっとシュールな絵面。ここから先ほどのようなみが見れるとは想像すらできない。少なからずきよは縮んでいる気はすれど、かえでぜんとしておりのふだんのいで笑うことがない。目の前ににんじんをぶら下げられた馬の気分だ。


「パパラッチはやめてくれ……」

「じゃあ……パパラッチ?」

「売れない芸人みたいなんだけど」

「それじゃあ、どう呼べばいいの?」

「え……っ」


 いつもと何ら変わらないトーンでたずねられ、心臓がねる。さっきから心臓にブラック労働を課している気がする。ごめんなさい。


(どう呼んでもらうか……俺が決めていいのか!?)


 そんな権限をあたえられる日がくるなんて。

 まずかんだのが名前呼び。しかし先ほどのほほみのだんぺんひとつでひんになっているのに、いきなり名前で呼ばれたりしたら表情筋が液状化しそうだ。みなとに名前を呼ばれただけでも「すずはらさんに同じ呼び方をしてもらってるんだな」と思ってニヤけてしまうかもしれない。おめでとう、変態の誕生だ。

 それではあだ名はどうだろう。すずの「いおりん」とは別がいい。せっかくだから特別感がほしい。けれどパパラッチのようにとくしゆすぎるものはけたい。と、ここで自分は今までみようか名前で呼ばれることがほとんどだったことに気付く。小学生のころに変なあだ名をつけ合う遊びをしたことはあったが、どれも定着することはなかった。ちなみにそのときおりにつけられたあだ名は「わら」「紙風船」「旧正月」の三つ。呼ばれても自分だと気付くまで毎回三秒以上かかっていた。

 名前呼びは心臓がえられない。しかしいいあだ名もない。

 となれば……。


「ええっと……すずはらさんがいいなら、その、みょ、みようじ……」

「パパでいい?」

「話聞いてた!? ていうかなんでそこだけ切り取ったんだよ!?」

「パパ~」

ひびきがまずい! もはやぜんぶちがってるから!」


 かえでがノートで目から下をかくし、目を細める。思考がぶ。何も言えなくなる。


(ああもう、わいすぎるんだって……っ!)


 かえでの評判はすっかり全校に広がり、根付いていた。氷のごとく無表情なことが生徒たちのこうしんをかきたて、どんな性格をしているのかなどの検証がなされている。どのうわさおりがときおり見てきたかえでの実像とはかけはなれていた。いま目の前にいるかえでが見せるがおは、こんなにも愛くるしい。


「さっき見てた画像……俺にも見せてくれない?」

「え、やだ」


 手をばしたまま天をあおいだ。


「ご、ごめん……じようだんだから」


 かえでめずらしく本気であせっていた。

 後ろからのぞむ形でいくつも画像を見る。ぎんぱつ女性の写真は、ばっちりとキメた格好で街中をかつするものもあれば、ジムウェアを着てトレーニングにはげむものもあった。


「かっこいいなぁ……」

「……っ! わ、わかる……?」


 かえでかえり、目をキラキラさせて顔を近付ける。ふわりと香る甘いにおい。うそみたいにれいな顔がやたらめったら近い。かえでは自分のかいりよくがわかっていないのだろうか。


「日本だと、私みたいな人ってあんまりいないから……。だから、このアプリでよく、同じような女の人の写真を見てるの」


 かえでが画面をスワイプしながらぽつぽつと話す。


「住んでる場所はちがっても……毎日をがんって生きてる女の人たちのかっこいい姿がはげみになるっていうか……私なんでこんなこと話してるの?」

「急に冷静にならなくても」


 目をぱちくりさせるかえであきれ笑いを浮かべながらツッコんだ。

 すずはらかえでは、画面の中に自分のどころを求めている。

 スマホの画面を一心に見つめる彼女を見ていて、ふとそんなことを思った。かえでにとって、きっとすずは大事などころのひとつだろう。家族もそうなのかもしれない。

 けれど……それでも、かえでには周りと明らかにちがう見た目というとくちようがある。

 少なくともこの学校ではいじめのような目にはあっていないと思う。おりたちのクラスではかえであつとうてきに目立つ個人として存在しているため、不器用なかえでと、コミュニケーションにけたすずを中心に「スクールカースト? 何それ?」と言わんばかりにゆるふわなグループができあがっている。優等生だろうとギャルだろうとオタクだろうと、かえですずを中心にふんわりとつながっているのだ。

 そんな中にあっても、かえではその見た目でいているということに変わりはない。


「俺はさ、他の人がどう思ってるかはわからないけど……すずはらさんのそのかみと目の色、めちゃくちゃれいだと思うよ」

「……っ」


 どうしたらかえでの心の奥底にれられるかがわからなくて、思っているままの言葉を口にした。かえでが指の動きをぴたりと止め、不思議なものを見るような目を向ける。


「えっと、俺の家庭かんきようえいきようしてるのかもだけど……小さいときから、外国人と話したことはなくても、外国人が出てくる動画をよく観てたんだ。それでその、なんていうか、きんぱつとか、ぎんぱつとか、そういう人のことかっこいいなーとか、れいだなーとか、そういうことをよく思ってて……。だからその、ええと、すずはらさんと初めて会ったときも、単純にれいだなーとしか……俺なんかとんでもないこと言ってない!?」


 我に返る。めちゃくちゃぎわの悪い口説き文句か、と心の中で自分をなじった。

 かえではドン引きするでもなく、ほんのりとほおしゆに染め、目をぱちくりさせていた。


「そっか。うれしい」


 かえでの声はやさしかった。少しだけ目を細めて笑う。今度はノートで顔をかくしていなかった。


(うわ、うわ、うわ……っ)


 心臓に焼き石を放り込まれたかのように、えたぎった血液が身体中をめぐる。ここがどこなのかも忘れるほどのかい力。


「だから、その、お、俺、俺……すずはらさんのこと……っ」

(あれ? 俺、何言おうとしてんだ? おい!?)


 がりすぎて、この一ヶ月さんざん気を付けていた、ステップを何段もすっ飛ばしたこうおよびそうになる。心臓の高鳴りがやまない。身体中の筋肉がこわる。口の中ががる。


「ん……どうしたの?」


 かえでがやわらかい表情で小首をかしげる。今までこんな表情を見せてくれたことなどなかった。もしかしたら、今ならいけるのでは……? そんなあわい期待をいだいてしまう。


(とはいえ、この流れでいきなり言ったらびっくりさせちゃうだろーー……!?)


 真っ二つに分かれた自分が数秒のあいだ目まぐるしく対立していると、不意に。


かえで~おまたせ~。あれ? いおりん?」

「────っ」


 あまりにもおどろきすぎた結果、ふたつに分かれた思考が同時にび、ぴんと背すじをばし、気を付けの姿勢をとってしまった。


「いおりん? どしたの?」


 すずが目をぱちくりさせ、


「ぷっ、くっ、くく……っ」


 かえでし、ノートで顔をまるっとかくしてしまう。自分で笑ってくれているのはちがいないが、これは意図した笑いではない。それについ先ほどまでの自分の行動を思い出すと、あまりのずかしさに頭がびそうになる。すずの登場は心底おどろいたがありがたかった。


「えーっと、じゃあ俺はこれで! また明日!」

「え、ちょ、いおりん!?」

「……?」


 おどろすずと小首をかしげるかえでを置いて、おりあわてて走り去った。


       ×  ×  ×


 この出来事があってから、かえでとのきよが、少しではあるが確実に縮まった……という手応えがあった。とはいえ教室での会話はぽつぽつとしたもので、かえでの表情は相変わらず完全なる無。人前にいるという事実にきんちようするのか、それともクラスメイトに心を許しきっていないのか。もっと笑ってもいいのになーと思うと同時に、あのがおを見たとたんにライバルが何十人と増えそうでこわい。

 またどこかで、ふたりで話せる機会がないかな……と考えていた、とある日の放課後。

 おりは帰り道の遊歩道をのんびり歩いていた。


(ううん、いやされる)


 遊歩道のすぐ横には広々とした公園があり、子ども連れのお母さんがおしゃべりに興じている。テニスコートもへいせつされていて、ウェアを着た女性がトレーニングマシンから打ち出される球を一心不乱に打ち返していた。逆側には小学校があり、グラウンドで元気にまわる小学生が見える。

 車が通らないというだけでこうも落ち着くのか……と思っていると、かえでがフェンシングのような構えをしていた。


(んんん? 何がどうしてそうなったの?)


 ぱっと見では訳がわからなかったが、よく見てもなおのことよくわからない光景だった。

 フェンシングのごとき構えをしたかえでの手にはねこじゃらし。

 そして下げられた視線の先には、目をキラキラさせた茶トラねこ

 無表情の美しい顔にはあせがだらだらと流れている。あせというよりはあせだろうか。


「ほ、ほ~ら、あそ~、び、ましょ~」


 信じられないくらいぎこちない遊びのおさそい。声だけいたらかいだんの類かしらと思ってしまいそう。


「にゃー?」


 茶トラねこねこじゃらしを見つめ、かえでのもとにとことこと近付く。


「い、いい、子、だね~、ほんといい子だと思います~」


 かえでみような敬語(つうしん簿の先生のコメントみたいだ)を話しながら、ねこが近付いた分だけ遠ざかる。入学式の日と同じように目がぐるぐるしていた。


(なんだこれ?)


 かえでの性格が多少なりわかってきた状態で考えても、まったく、本当にまったく訳がわからなかった。


「にゃー? にゃっ!」

「うひゃぅわっ」


 茶トラがねこじゃらしめがけてぴょんとぶ。うすくちびるのあいだからかいな悲鳴がれ、後ずさると同時になぜか持ち手を変えた。かえでの目はぜんとしてぐるぐるしているので意識してやっているのではないかもしれない。


「にゃ~? にゃ~」

「うぅ……遊びましょ……こっちに来ちゃだめ……」


 甘えたがりの茶トラと、じゆんした発言をかえかえで。これまた入学式の日と同じように、街路樹の周りをぐるぐる回りだす。かえでげながらもねこじゃらしをかざしている。だいぶ混乱しているようだ。

 おりは見かねて、こほんとせきばらいをすると、


「……えっと、何してんの?」


 なるべく自然をよそおって声をかけた。


「────っ」


 かえでせいだいね、茶トラはそんなかえでの反応にびっくりしてばやげてしまった。


「あ……」


 かえでねこを見つめるも、あっという間に視界から消えてしまった。消えた場所とねこじゃらしをこうに見つめ、それからおりをちらりと見る。ものすごく悲しそう。


(ん? これは……おもちゃか)


 ねこじゃらしはよく見ると作り物だった。どうやらその辺に生えているものを使ったのではなく、あらかじめ準備していたらしい。


「えっと……その、ごめん。それにしても、なんであんな不思議なじようきようになってたんだ?」


 かえでがうつむき、子どものようにくちびるとがらせる。


(そういえば、入学式の日も……)


 かえでの態度はじゆんしていたことを思い出す。本当にねこぎらいならさっさとはなれればいいだけだし、ねこきならえんりよなくでればいい。かえでの行動はどっちつかずにもほどがあった。


ねこは……好き、なんだよな?」

「……うん、好き」


 かえでねこじゃらしをぴたりと止め、ほんのりとほおを赤らめてうなずく。ねこに対しての言葉だとはわかっている。わかっているが、数秒だけ脳をだまして自分に言ってくれていることにしたくなった。


「えっと……入学式の日も、あのねこといたよな」

「うん。……あの子、すっごいわいいの」

「でも、思ったように遊ぶことができない……って感じ?」


 整ったまゆがくにゃりと曲がり、それからくちびるがちょっとだけとがる。悲しいような、照れているような、そんな複雑な表情。


ねこは好きなんだけど……ちょっと苦手で……」

「……話、聞かせてもらってもいい?」


 公園のベンチをちょいちょいと指差すと、かえでは何か言うでもなく自然とベンチに足を向けた。

 ベンチにこしを下ろす。ふたりのあいだはぴったりと人ひとり分。屋上で女子グループとお昼をとったとき、あいだにすずがいたのと同じきよかんだ。


(なんだかうそみたいだな……)


 それなりにきよがあるとはいえ、かえでとゆっくり話すチャンスがつかめるなんて。かえでおりとふたりきりであることを特に気にしていないのか、ねこじゃらしをふりふりとらしてそれをながめている。


「小さいときに、近所の公園のねこにエサをあげようと思ったの」

「ふむふむ」


 目の前でねこじゃらしをふりふり、ふりふり。ちょっといそう。こうの視線を向けるとかえではぷいっと顔をそむけてしまった。


「おばあちゃんからエサの入ったふくろをもらって……私、すっごく興奮してて。ねこちゃん……ねこと遊べる~って」

「ふむふむ、だんねこちゃんと呼んでるんだ」

「~~~~~っ」

「ちょ、待ってっ、鼻の下をくすぐるのは反則……くしゅんっ! ちょ、つうそこでやめるだろ!?」


 顔を真っ赤にしたかえでに、ねこじゃらしでしつように顔をくすぐられた。何度もくしゃみをするのはかんべん願いたいが、かえでとこうしてじゃれあっているのが楽しくてしかたがない。


「私がエサのふくろを持ってきたら、においにつられてねこが何匹か来て。かわいいな、って思いながらふくろを開けようとしたら、つい力が入りすぎて……」

「待って、なんかすげぇやな予感がする」


 かえでがひざに手を置き、目をうつろにする。かいだんを話しているかのような空気感。


ふくろが思いっきり破けて……エサが飛び散ったの」

「うっぷす」


 だん出さない声を出してしまった。かえでの視線は宙をさまよっている。


「そのしゆんかん……今まで見たことがないくらいのねこが……それこそ何十匹も群がってきて……転んだ私の上をにゃーにゃー言いながらけて……わいいけどすっごくこわくて……」

「わかった、もういい、だいじようぶ。しんどすぎることを思い出させてごめん」


 目のハイライトが消えた状態でぷるぷるしだしたかえでの話をあわててさえぎるも、


「あのときの光景が頭からはなれなくて……色んな色合いの毛並みが波打つさまが……」

「文学的表現でトラウマをいろどらなくていいから! 落ち着いて!」


 顔の前でぶんぶんと手をる。なぜか手のひらをねこじゃらしでくすぐられた。


「そういうわけで……今も、ねこちゃ……ねこは苦手で……好きなのに……」

「なるほどなぁ……」


 ねこちゃんと呼びかけたところを拾いたかったが、トラウマを思い出した直後にイジられてもイヤだろうと思ってやめた。

 かえでのトラウマと、先ほどの行動を合わせて考える。


すずはらさんは、トラウマをこくふくしたいんだ?」


 うすくちびるを引き結び、スカートをきゅっとにぎりしめ、小さくうなずく。


「……ねこちゃんをわいがりたい」


 もはやねこちゃんって完全に言ってる……! と、もだえながらも強い決意に感動する。


「協力できるならしたいけど……。どういうねこだと本当に厳しいとか、逆にこういうねこならまだなんとかなりそう、とかある?」


 かえでうでを組み、親指をおとがいに当てる。りんとした表情だが、ぴょこんとびたねこじゃらしが愛らしい。


「あんまりアグレッシブなねこだと、トラウマを思い出してけっこうキツい……かも」


 あ、そうだ……とぽしょりとつぶやく。


「あのとき公園で見かけなかった種類……それこそ、ねこでいないようなねこちゃんならだいじようぶかも」


 かえでの言葉に、我が家のあいびようであるコタローを思い出す。あまりぐいぐいは来ないが、あざとい仕草をこれでもかとす、ちようぜつ甘え上手の我が家のあく。今こうして思い出している姿でさえ、立ち上がってつぶらなひとみで見つめているのだ。のうにはあのあざとさが刻み込まれている。


「ええと……うちでねこを飼ってるんだけど」


 かえでの目がきらりと光る。天をあおいだ。今日もよく晴れている。


「……どんなねこちゃん?」


 空いたすきに身を乗り出してくる。ふんすと鳴るあらい鼻息。不意打ちで殺しにかかるのはやめてほしい。いや、もっとやってほしい。


「写真はだいたい毎日ってるから、見てみる?」

「だいたい毎日って……」

「引いた顔すんのやめてくれる?」


 ちょっとショックだった。

 スマホのライブラリをすいすいとめぐる。


「この子なんだけど」


 先週末った写真だった。ひよりがコタローをきしめ、いっしょにおひるしている写真。絵画にしたいくらい愛おしい光景だ。


「え、あ、え……? わいい……え? 妹さん? え、ねこちゃん……え、ふたりともかわい、え、わいい……」

「お、おう、お気にしていただけたようで何より……?」


 ほおを手ではさんでかえでもだえている。言語野がバグり気味だ。


っておいてよかった)


 このときはひよりが起きたあとにさつえいしたことを報告した。ひよりは照れこそしたもののあっさり許してくれた……のだが、


『待ち受けにしてもいいけど』

『いや、それはちょっと』

『あぁん?』


 とヤンキーのようなからかたをしてきた。


「ひより……ああ、妹のことなんだけど。ひよりももう帰ってきてるだろうな」


 なんとはなしに言った言葉だったが、かえでがなにか言いたげに何度もちらちらと見つめてくる。両手を太ももではさみ、しきりにもじもじ、もじもじ。


(まさか……いやいやいやいや、まさかまさかまさかまさか)


 頭によぎった可能性をあわててはらうが、かえでの視線はもはや熱視線ともいえるもので。一度はらった可能性がふたたびかまくびをもたげ、脳内のうらけんはらいのけてもふたたび目の前にやってくる。


『言っちゃえよ、言っちゃえよ』


 だれともつかない声が脳内でだまする。ええい、だまだまれ……と思いはすれど、かえでの態度からすれば、希望はあるのかもしれない。

 これで引かれたらどうする、いや、あくまで軽い提案というテイストで話せば……と、数秒のあいだに目まぐるしく考えた末に。


「えっと……うち、来る?」

「え? …………。……………………」

「無の顔になるのやめてくれる?」


 スン……と無表情になってしまった。感情が読めないのでかんべんしてほしい。


「べつに変なことは考えてないか「変態」食い気味にののしるのはやめて!?」


 ほおをかき、しんちように言葉を選ぶ。


「うちの妹とねこに会いたいのかなって思ったんだけど……」

「えっ。えっ、と、それ、は……でも、いや、えっと、そういうのも、やぶさかではないというか……」


 まえがみをしきりにちょいちょいといじりながら、目を激しく泳がせる。めんどくさいにもほどがある返しだが、もはやわいいとしか思えない。


「もしすずはらさんがいいなら、ちょっと寄ってみる?」

「う……えっ、と……」

「軽い顔見せくらいの感覚でもいいし。あと、妹もねこもスーパーわいいから」

「ぅ、あぅ、わいい妹さんとねこちゃんでるなんてきよう……ごくあく非道のパパラッチ……」

「忘れたころかえされた!」


 なんというめんどくささ……とは思うものの、こんなやりとりがだんだん楽しく思えてきた。


「そうか……じゃあやめとく? 残念だけど。ほんとわいいんだけど。なごむこと必至なんだけど。行きたくないなら仕方ないかー」

「あ、ぅ……」


 かえでほおを手ではさんで目をぐるぐるさせる。

 さすがにやりすぎたか……と謝ろうとすると、かえでくちびるを引き結び、目をきつく閉じた。

 そろりと目を開け、うわづかいになり、指をもじもじとからめたかと思うと、


「い、行く……っ」

「カシコマリマシタ」

「なんで敬語……?」


 不意打ちの言葉と仕草に色々とアレな想像をしてしまい、ぼんのうを押し殺すため変な口調になった。


(俺に気があるとかではまったくないにしても……これはひよりとコタローに感謝だな)


 思いつつ、トークアプリでひよりにれんらくをする。


『今から帰る』


 数秒でどくがつくと、


ていしゆかんぱくテイストで草』


 楽しげに文字を打つ妹の姿が目にかぶ。


『なに、友達でも連れてくるの?』

『その通り』

みなとくん?』


 小学生のときから付き合いがあるため、ひよりはみなととも仲がいい。真っ先に名前が挙がるのは当然といえるだろう。

 けれど、今日の俺は一味ちがうぜぇ……と我ながらうつとうしさ全開のセリフを脳内でつぶやきながら文字を打つ。


『いや、女子』


 どくがついたが、今度はすぐに返信がこない。


『え』


 一文字だけ返ってきて、そこから十秒ほど待つ。


『それって例の?』


 どうやら短いあいだに、ひよりの脳内で高速けんさくが行われたらしい。


『まあ、そんな感じ』


 自分の功績ではないが、それでも勇気を持ってさそったのは自分だ。文字を打つ手にちょっとだけ自信がこもる。


『え』

『ちょ』

『マジ?』


 ひよりのあわてようが目にかぶ。


『うん、マジ』

『お兄、こういうイベントは最低でも一週間前には言ってもらわないと困るんだけど』

『こっちにも色々と準備というものがですね』


 うでみをしてお説教モードになっている妹が目にかぶ。実際に説教されるときは正座を強制され、こうすれば「今のおぬしに人権などない」とじんなことを言われる。しかし説教後は手作りスイーツをってくれたりする。アメとムチの高低差がありすぎる。


『え、そんなに? そんな気張らなくても……』

『ひよりとコタローを見たいらしく』

『え、あたしとコタローの身体目当てなの?』

へいしか生まない言い方はやめんさい』

『まあ……そんな感じらしい』

『はぁ……お兄の道のりはまだまだ長いねぇ』

『だまらっしゃい』

『とにかくわかった』

『コタローといっしょに待ってるとしようではないか~』

『(マンチカンがシャドーボクシングをするスタンプ)』


 ひよりから送られた、やたらめったらわいいスタンプでやりとりが終わる。

 ちらりと横を見やると、かえでねこじゃらしをひたすらくるくる回していた。


「ひよりにれんらくしたから。じゃあ行くとしますかー」

「おうちまではどれくらいなの?」

「ここから歩いて十分もかからないくらい」

「あ、結構近いんだ」

「そうそう」


 何気ない会話をしながらふたりで歩く。


(自宅までの道のりを、好きな女の子と歩いてる……!)


 かえでの目的はひよりとコタローだけれど、それでも見ず知らずの男子と同じことはしないだろう。おりにとってはだいな一歩だ。

 家につくまでのわずかな時間での話題は、ひよりとコタローのこと、それからすずについてだった。かえでが興味を持っていることに加え、共通の友人の話題。何気なさをよそおいながらも、おりは頭をフル回転させてかえでと会話していた。かえでの性格的に盛り上げる必要はない。あくまでおだやかに、それでいて楽しく……と何度も自分に言い聞かせた。

 マンションの入口にたどりついたときは、ここまであっという間だったようにも、一時間以上過ごしたかのようにも思えた。


「ここの五階だから」

「え、あ、うん」

「……?」


 急に歯切れの悪くなったかえでに首をかしげながら、入口を開けてエレベーターに乗る。さして広くないエレベーターなので、ふたりのきよも自然と縮まる。


すずはらさん……その、ちがってたらごめんなんだけど……きんちようしてる?」


 かえでの背すじがぴしっとびる。顔がわかりやすいくらいこわっていた。


「……男の子の家に行くの、初めてだなって……さっき、気付いて……」

「あ、そ、そう、ですか……」


 思わぬ報告におりの声まで上ずる。

 エレベーターが開いたところで同じ階の住人とすれちがう。顔なじみのおばちゃんだ。いつも通りしやくはしたものの、その動きのぎこちなさに「どうしたの?」と心配されてしまった。

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