第四章 埋まる外堀

 ゴールデンウィークを過ぎてふたたび学校が始まった。入学式のころみだれていた桜も散り、今は青々とした木々の葉が通学路の遊歩道をいろどっている。

 大型連休は、できることならかえでと少しでも会って話すことはできないか……と思っていた。しかしれんらくさきも知らず、これなら名案だと思ったおりみなとかえですずの四人で遊ぶという案も、すずによってあっさりかわされてしまった。


『むっふっふ……そういうおさそいはまだちょーっと早いんじゃないかな~?』

づらでそういう笑い方を見るとだいぶこつけいだな』

『オッケー、かえでにいおりんの悪評を力の限り吹き込んであげるね♪』

『土下座のりでよろしいでしょうか』

『いおりんのそういうえの早さ、きらいじゃないよ』


 などのやりとりをしたが、そのあともしばらく話を聞いてみると、どうやらかえでは休みのときに人と遊ぶというがいねん自体がなく、『外に遊びに行く』というよりは『家族、もしくはきわめて近しい人と遊びに行く』という表現がしっくり来るとのこと。今は家族以外ではすずとしか遊びに行こうとしないらしい。


『小学校のときは、もうちょっと積極的に外に遊びに出てたんだけどねぇ』


 すずが何の気なしに打った文字に、少しだけ胸がけられる。かえでは中学だけ女子校に行っていたと聞いた。すずによればトラウマになるようなひどい出来事があったわけではないらしいが、それでもきっと、色々あったのだろう。


「なあみなと

「ん~?」

「よくアニメで、さんすぎる過去を持った人って登場するだろ?」

「たしかに、『ヒロインのかくされた過去が……』みたいなあおりはよく見るね」

「別にそういうのは否定しないっていうかぜんぜん賛成なんだけど、そういう過去の出来事ってゼロか百かではくくれないと思うんだよな」

「ふむ。その心は?」

さんすぎる過去を持つ人はたしかにいるし、何のつらさも味わったことがない人もいるかもしれない。でも、大多数の人は『過去にそれなりにしんどいことがあった』人だと思うんだわ」

「それは……うん、たしかにそうだろうね」

「なかなか言葉にするのが難しいんだけど、俺はそういう、人の『ちょっとしんどかった過去』にうことができたらいいな、って週イチくらいで思ってる」

「高一でよくぞその境地に……。ところでおり、ひとついい?」

「ん?」


 ほおに伝ったあせこうぬぐう。


「この話……真昼間の外でする話かなぁ?」

「たしかに」


 体育のサッカーのきゆうけいちゆうだった。ようしやのないしがふたりをあぶる。


「そっち行ったぞー! カバー入ってー!」

めろめろー!」

「今だー! 行けー!」


 せいのいい声がい、かわいたグラウンドの上で白と黒のボールがねまわる。お調子者が全力でボールをり、ゴールのはるか上をってしまって笑いが起こった。


「いきなりこんな話をするのは、暑いのが原因かもしれない……」

「たしかに、これだけ暑ければおりの頭もバグるよね……」

「さりげない毒で少し頭が冷えましたけども」


 今日の最高気温は三十℃。昼休み直前のこの時間帯は、おそらくそれくらいまで達しているだろう。グラウンドで積極的に運動している面々は限定されていて、おりみなとのようにサッカーコートの周りでだべっている生徒は多い。


「女子は中でバスケだろ? 最初はうらやましいって思ったけど……」

「中は中で大変でしょ。きみたいなもんだし」


 三十℃はふた昔前なら夏のぜんせいともいえる気温、と聞いたことがある。かげすずんでいればまだなんとかなるが、男子はし降り注ぐ下で、そして女子はれいぼうのない屋内で積極的に身体を動かしている。正気のか、とさえ思う。


「体育館の窓は開けてるみたいだけど、あれでも限度はあるよなぁ」

「バドミントンをやるときはもっとごくみたいだよ。少しでも風が入ってシャトルがぶれたらいけないから、真夏でも閉め切ってやるんだって」

「それはばつゲームすぎないか?」


 一ヶ月もてば、クラスメイトから各部がどんなふうに練習しているのかの情報が入ってくる。バド部のクラスメイトはせんぱいに「夏はぁ……マージでキツいからなぁ……ふふふ……」と遠い目でうつろなみをかべられたと聞いていた。


「真夏で気温が三十五℃とかになったらどうするんだろうな? みんなけるぞ?」


 コートのはしからはしまで全力でける男子を見ながらつぶやく。彼らもさらに五℃ほど気温が上がったらまず無事ではすまないだろう。走っているちゆうに蒸発するのではなかろうか。


「時間帯を早くしたり、逆に夕方活動する部もあるみたいだね。大会前でどうしてもがっつりやりたい場合は、れいぼうのある体育館に移動する部活もあるらしいよ」

「みんな大変だなぁ……」

「やっぱりこれも真昼間のグラウンドでする話じゃないと思う」

「たしかに」


 もういちどあせぬぐう。


「ところでおり、体育のときは毎回右ひざが痛むって言ってたよね? だいじようぶ?」

「そうそう、動いてるときはアドレナリンが出て意外となんとかなるんだけど、こうして落ち着いてるとじくじく痛み出すんだよな」

「ノリツッコまないってせんたくがあるんだ……」

「ちゃんとノリツッコミをすると十中八九スベるからな……」


 そしてごくみたいな空気を味わう。


「だぁぁ~……しんどぉぉぉ~……」


 交代してきゆうけいに入った男子が、ゆうのような足取りでやってきた。


「おつかれ」


 おりの言葉に力なくうでを上げて答え、となりに座る……かと思いきや、おりみなとの前でおうちをした。


「俺は! 女子と体育がしたい!」

「「いさぎよすぎるな(ね)」」


 こしに両手をつき、からっとしたみをかべるクラスメイトはあまりにも男らしかった。


「いや、楽しいよ? 楽しいけどさ、せっかくなら女子がこっちをちらちら横目で見てる中でがんって、あわよくば気になる子の近くできゆうけいして、その子に『すっごいはしゃいでたね~』なんてからかい混じりのみをかべてほしいわけよ」

「お前の具体的すぎるもうそうはわかった。もう休め」


 うつろな目でやさしいほほみをかべるクラスメイトが本気で心配になった。

 男子がかげを求めてさまよい歩き去るのを見届けたところで、ぽつりとつぶやく。


「女子のバスケ……」

すずはらさんのプレイが見たいんだ?」

「ツッコみたいけど、どこをはたいても手にあせがつくから不快だな」

「それは僕も同じだけど」


 ばした手を引っ込める。


「……ちょっと水飲んでくるわ」

「はーい、行ってらっしゃい」


 体育館のかげに置いてあるペットボトルの水を求めて立ち上がる。

 一気に半分ほどのどに流し込んだところで、不意に体育館の重いとびらが開いた。


「あっつ~~~い! 窓だけじゃムリー!」


 クラスメイトの女子ふたりがドアを開け、まるですずしくない風を浴びて「こっちのがまだマシ~」とつぶやいている。中はよほどなのだろう。

 中も外も大変なんだな、と思っていると──


「あ、ごめーん」


 バスケットボールが開いたとびらからぽーんと飛び出した。おりはペットボトルを置いて、小走りでボールを拾いに行く。


「あ~、くんありがと~! うちきだと出づらいからさぁ~」


 ボールの砂をはらってわたすと、女子がにかっとうれしそうに笑った。


「だろうなー。男子だとちゆうちよなく出ちゃうやつもいると思うけど」

「そのあと洗うのもめんどうでしょ? 助かる~」

「今ちょうどすずはらさんがプレイしてるよ。上がって見てったら?」

「そうなんだ。せっかくだし……んん? なんで今……」


 女子の言葉に引っかかりながらも体育館に入る。


かえで~! 行け~!」


 すずおうえんの声の先に、ぎんぱつをなびかせるかえでを見つけた。


(え、はやっ!?)


 パスを受け取ったしゆんかんかえでさつそうけ、ディフェンスをひとりく。次のディフェンスはいかにも運動神経の良さそうなとなりのクラスの女子で、低くこしを落としてかえでにらむ。かえでも同じくらいこしを落とし、数回ボールをはずませた直後、右に行くと見せかけて左に切り込む。相手の女子はそれでもくらいついてきたが──さらにかえでは身体をスピンさせ、もういちど右からけた。相手のくろかみかえでぎんぱつすうしゆんのうちにまじりあう光景。きゅっ、きゅっと鳴る足音があまりにも見事。

 ゴールとかえでのあいだにはだれもいない。ボールを両手で持ち、ゆうを持って一歩、二歩。

 ボールを持ったみぎうでを上げる姿は、おりだけでなく女子たちも見とれていた。

 バスケボールがボードに当たり、ゴールネットをくぐる。そこでホイッスルが鳴った。かえでのチームが圧勝している。


かえでちゃんすご~い!」

「つよすぎだってー!」


 チームメイトの女子が口々にはやし、かえでにハイタッチを求める。


「あ、う……そ、そんなことは……」


 かえでほおを赤らめながら、てちてちと手を合わせる。見事なプレイからは想像もつかないほどウブな仕草。


「ふぅ……」


 雪白のはだあせがにじんでいる。はんそでとショートパンツ姿になっていることで、すらりとした手足がよく見えた。ころもえの移行期間で、かえでの夏服姿はまだ見たことがなかった。不意に増加したしゆつおりどうが一気に高鳴る。

 チームメイトとのハイタッチを終えたかえでがひと息つき、Tシャツの首元をつまんでぱたぱた、ぱたぱた。それから手のこうほおに伝うあせぬぐう。

 ひとつひとつの仕草があまりにもなめらかで美しい。かえでは育ちがいいのかな、と場ちがいな感想をいだく。彼女の所作のひとつひとつがちがう種類の重力を持っているかのようで、いちいち視線が引きずられてしまう。


(そうだ、おのれをつねろう)


 このままではクラスメイトをガン見する変態になってしまう。わき腹と太ももを同時につねるとちょっと我に返った。力を込めすぎてかなり痛いが、クラスメイトにしつけな視線を送り続けるよりははるかにマシだ。

 体育はまだ続いているし、いつまでってももどらないおりのことをみなとが心配するかもしれない。

 俺は帰る、帰るんだ……と言い聞かせながら、かえでに背を向けようとすると。


「か~えで! おっつかれ~!」

「ひゃあん!?」


 すずかえでに後ろからきつき、胸のふくらみに十本の手の指を食い込ませた。ぽしょぽしょとした話し声からは想像もつかないももいろなまめいた声に、やわらかく形を変えた胸。


(あかん)


 心の声がなぜか関西弁になった。わき腹と太ももをふたたびつねるも、痛みがまるでわからない。

 すずがワルいにもほどがあるみをかべてかえでの胸をみしだく。なんだか空気がももいろに見えてきた。え、なに、女子だけだとこんなことになってるの?


(これは本気でげないと……あ、やべ)


 不意にすずと目が合った。


「おやおや~? いおりん、これはラッキーなとこを見ましたな~?」


 口を「ω」の形にして引き続き胸をんでいる。だれかあの暴走機関車を止めてください。


「みす、ず……っ? だれのことを言っ……て……」


 ほおを上気させたかえでおりの姿をとらえたとたん、わいらしい表情がいつしゆんで消えて真顔になった。視線だけで心臓をつらぬかんばかりの冷たさ。すずかえでからはなれ、ちろっと舌を出しながらおりに「ごめんね」とジェスチャーを送る。

 かえでが無言でバスケボール入れのほうへ行き、


もくげきしやは消す」

「すげぇぶつそうなこと言ってる!? あっぶな!? ちょ、あぶな……っ!」


 かえでは外れるのも構うことなく、かごのボールをようしやなく投げてくる。じんじようじゃなく速い。あと目がこわい。狩人かりゆうどだったら動物に感づかれてげられるくらいの殺気。


「あぶっ、ちょっ、マジであぶなぐはっ!?」


 かべかえったボールが背中にヒットする。ちようだんをくらう日が来るとは思わなかった。かえでいかりのままに投げているかと思いきや、ときおり高く投げ上げて時間差でめてくる。ちようそくのボールをひとつふたつとけたところで、えがいたボールがかたに当たる。


「だいじょーぶかいおりん! すけするぞ!」

「マジでやばいから助け……ってそっちにかよ!」


 すずかえでを止めるどころか、いっしょにボールを投げ始めた。めっちゃ楽しそうに笑ってますね。


「むぅ~……けるな……っ」

「無理だってのいってぇ!?」


 かえでは無表情からわいらしくむくれた表情に変わっているが、ボールは相変わらず速い。すずちゆうからボール拾いに役目を変えたため、かえでとうてき、もといこうげきペースが上がる。


「いいぞ~!」

「いけいけー!」


 他の女子は三人のこうぼうをやんややんやとはやし立てている。ひかえめに言ってこれはいじめなのではと思うのだが、かえでしの感情をぶつけられたことがうれしくてちょっと楽しくなってきた。自分にぎやくしゆがあるのでは……と雑念をいだいたしゆんかんにボールが太ももに当たり、もんぜつしたところでわき腹とかたに当たる。そろそろ限界。


「ちょ……っ、マジで……もう……っ!」


 すずかえでをちらちらと見て、そろそろころいかなーとさぐっている様子が見える。マジで早くやめてくれと願っていると──ぺしっ、ぺしっ。


「こーら」


 体育の女性教師が、かえですずの頭にやさしくチョップしていた。


「多少はしゃぐのは構わないが、さすがにやりすぎだぞ?」

「ぅ……す、すみません。でも罪にはばつあたえないと……」

「しゅんとしながらこわいことを言うんじゃない……。鹿かのおかも。すずはらの保護者として悪ノリのしすぎはやめなさい」

「わたし保護者あつかいなんですか!? 自覚はありますけど!」


 自覚はあるらしい。

 グラウンドでホイッスルが聞こえた。

「ほれ、号令だ。も早く行くといい」

「わかりました……ありがとうございます、助かりました」


 これ以上この場にいても、ふたたびかえでにぼこぼこにされるのが目に見えている。一礼してすばやくもどった。


おりおそかったね。どうしたの?」

「あーいや、色々あってだな……」


 男子はコートでプレイしている生徒以外はかくてき自由にしていたため、おりの行動が目立つことはなかった。整列して教師のまとめの言葉を聞くあいだ、となりみなととこそこそ話す。


「いや、もう、本当に色々あった……」

「水を飲みに行っただけでそんなにつかれることができるって、もはや才能だね……」


 みなとが困ったようなみをかべた。

 水を飲みに行ってからの出来事を思い返す。

 体育館の重いとびらが開き、飛び出たボールを拾った。

 そこでかえでのプレイをたりにして、そしてそのあとすずかえでの胸を──


「……おり? 急に前かがみになってどうしたの?」

「ナンデモナイ……」

「なんで片言なの……」


 やわらかくひしゃげる、男子のぼんのうほこさきであるアレとか。

 すずをたしなめながらも強くは止めようとせず、れそうになった声をおさえようと引き結んだうすくちびるとか。

 運動直後であることとしゆうちしんが原因で上気した白いはだとか。


(あかん)


 ひとつひとつを思い出すたびに、身体の一点が急激に元気になっていく。


みなと。俺はぼんのうかたまりだ」

「急にどうしたの」

「俺のうでをつねってくれ。それなりの力で」

「それなりってことは本気でってことだね」

「どういう日本語だよそれいってぇぇ!?」

「こらー、はしゃぎすぎだぞー」


 体育教師にてきされ、笑い声が起こる。

 おりは熱くなった顔をぺちぺちとたたき、先生に謝りつつも、のうに焼き付いたかえであで姿すがたを何度も何度も再生していた。


       ×  ×  ×


 体育後の昼休み。


(ちょっとひとりにならないと)


 いつもはみなとや他の男子と昼食をとっているが、先ほどの出来事がまだまだを引いていて、おそらく食事中もたびたびみような言動をしてしまうことが予想できた。他の男子はまだしも、おりのことをよく知っているみなとなら何かしらを察して、みすぎない程度にあれやこれやと質問してくるかもしれない。まずは冷静になる必要があった。


(そういえば、屋上が使えるんだよな)


 おりはまだ使ったことがなかったが、ベンチがいくつもあると聞いている。顔見知りがいなかったら屋上でゆっくりしてみるか……と思い、自分で作った弁当を持ってぽてぽてと校内を歩く。

 おりは散歩が好きだ。屋内でも屋外でも、それまで歩いたことのない道にふらりと立ち寄ったときの意外な景色や、「こことここがつながってたのか!」といった小さな発見は胸おどる。かといってどんどん旅行に行って未知を追求したい……といったぼうけんしんがあるわけではなく、あくまで自分のせいかつけんの中での小さな発見を喜びとしている。

 屋上に向かうちゆうの道は、まだ通ったことがなかった。なので様々な「ちょっとした発見」がある。

 文化祭のときにしか使われないという空き教室で、イヤホンを着けて動画を観ながら楽しげにおどる女子がいたり。

 目立たない階段に座り、仲むつまじく会話をするカップルがいたり。

 教室からは見えない場所にあるだんみだれる花になごんだり。

 ちょっとした発見をしつつ、おりが通り過ぎるときのカップルのあわてようと、通りすぎたあとに「びっくりした~」「ドキドキするね」といったあわい会話にほおをゆるめた。基本的に散歩は外のほうが好きだが、まだまだ見慣れない校舎はじゆうぶんに散歩のしがいがある。


(そういえば……すずはらさんっていつもどこでお昼を食べてるんだ?)


 ふと思い出すかえでの顔。

 彼女は昼休みになると、いつもすずといっしょに教室から出ていく。パンを買うところをもくげきしたことはあるものの、昼食をとっているところはいちども見たことがない。

 校舎にはまだまだ自分の知らないスポットがある。そのいずれかでかえでは昼食をとってるんだろうな……と思いながら屋上に続く階段を上がる。

 ドアを開けたしゆんかん、ふわりと風がいた。あいにくすずしさには欠ける風だが、それでもどこかやさしい。


「あれ? いおりん?」

「へ?」


 横からかけられた声にくと、きゆうすいとうかげになったベンチにクラスの女子たちが座っていた。移動させたのか、ベンチがコの字になって六人がこしを下ろしている。

 声をかけてきたのはすずだった。

 そしてそのとなりには、かえでの姿。


(ここで食べてたのか……んん?)


 かえではパンをはむっとくわえた状態で固まっていた。そのわきには空になった弁当箱、さらに空になったパンのふくろがひとつ。


(きーーまーーずーーいーー)


 おりの存在に気付く寸前まで幸せそうに目を細めていたが、今はきよの表情でおりをじぃぃ……じぃぃぃぃ……っと見つめている。

 かえでおりを見つめた(にらんだ?)ままもっきゅもっきゅとパンを食べ、こくりと飲み込み、ぎぎぎ……とぎこちなく顔をそむけた。それから思い出したようにうでで口元をかくし、


「パパラッチが、ついにここまで来た……」


 わずかにのぞいたほおが赤い。


「い、いや、たまたまだから!?」


 おりかえでのやりとりを、すずをはじめとする女子たちがなんだか生温かい目で見ている。


「いおりん、せっかくだからいつしよにごはん食べよっか?」

すず? 正気……? SNSに何書かれるかわかんないよ……?」

「勝手に俺を分別のないゲスろうにしないでくれる?」


 かえで以外がいっせいにす。


「いいよいいよー」

くんも来なよー」

「え、い、いいの……?」


 てっきりすずだけかと思いきや、残りの女子四人もあっさり同席を許した。というかノリノリだ。バスケでのももいろ空間を思い出して顔が熱くなるも、もはや断れる空気ではない。ゆうどうされるままにコの字の一辺の、はしからかえですずと並んでいるそのとなりこしを下ろす。


(き、気まずい……っ!)


 女子の集まりをはなぞのと形容をすることは知っている。おじようさまでもないのにその表現はどうなんだよなどと思ったこともあったが、なるほど。こうやって内側に入り込んでみると、たしかに男子だけ、あるいは男女が混ざり合った状態では生まれ得ない空気がある。要するにげきれつごこが悪い。みんなニコニコしているし会話も楽しいのだが、それとこれとは別だ。この場にいる女子全員からけいぞくダメージを負わせるオーラでも出ているかのようだ。早く回復しないと死ぬ。


「わー、いおりんのお弁当ってがっつりだねー。男子だー」


 本気で帰ろうかと迷っていると、すずおりの弁当を見てはしゃいだ。他の女子も「なになに?」とのぞんでくる。かえではそっぽを向いてもしょもしょとパンを食べている。ちがいでなければ、弁当のほかに二つのパンを食べていることになる。

 今日は体育があるからと、しようがどんにしていた。弁当箱一面にめられた白米と、その上のしようがき。野菜は朝と夜に食べることにした。とにかく肉が食べたかった。


「わかりやすいねーこれ。お母さんが作ったの?」

「いや、親はいそがしくてあんまそういうことはできないんだわ。妹とこうたいで作ってて、今日は俺が作った」

「「「えー!」」」


 女子のテンションが一気に上がる。黄色い声とはよく言ったもの。かえではそっぽを向いているかと思いきや、おりのほうを見て意外そうに目を見開いていた。


「へー、いおりんが作ってるんだー。すごいね!」

「これ、よく見たら二層になってる?」

「ああ、とにかくしようがきが食べたくて。上からしようがき、ご飯、しようがき、ご飯、って感じ」

「あはははは! ストロングスタイル!」


 女子の盛り上がりが最高潮に達する。屋上に他の生徒がいなくてよかった。


(ん?)


 ちらりとかえでを見やると、いつの間にかひかえめに身を乗り出し、おりの弁当をじっと見つめていた。


「……………………」


 なんだか、目がキラキラしている。


かえでってば、まだ食べ足りないの?」

「う……うん。今日のお弁当、ちょっとひかえめだったし……体育もあったし……」


 すずと会話しながらもじよじよに身を乗り出してくる。ふわりと香るせいかんざいすずやかなにおい。ぎんぱつへきがんの見た目によく似合うにおいだし間近で見る顔が整いすぎてて訳がわからないしで大混乱におちいる。


「えっと……食べる?」

「えっ。……パパラッチからの、ほどこしは、う、受けぬ……」

「英語と武士言葉が混ざるってどういう状態? しん志士なの?」


 かえでが高速で顔をそむけた。空を仰いでぷるぷるしている。


「パンも買ってるから、ちょっと分けるくらいならだいじようぶだけど」


 三つのパンを見せると、女子たちが「おお~……ざかり……」とつぶやいた。どういう気持ちでその声を受け止めればいいの?


「で、でも……」


 かえでがちらりと流し目を送り、きゅっと目をつぶり、もういちど流し目を送る。

 それから自分のはしを取り出し、いただきますの一礼をしてから、


「で、でも……」

「言葉と動きが合ってなさすぎるけど、なに、口と手のあいだに時差があるの?」


 また顔をそむけた。


「いいじゃんかえで、もらっちゃいなよ半分くらい」

「それは多すぎるから!?」

すずがそこまで言うなら、半分もらおうかな……」

「なんですずさんに権限がじようとされてんの!?」


 言いながらも、ようやく食べる気になったかえでに弁当箱を差し出す。すずわたしをしやすいように背すじを反らしているのが愛らしい。


「い、いただきます……」


 おそるおそる弁当を受け取ったかえでが、しようがどんの手つかずの部分にはしを差し込む。たっぷりとタレのんだしようがきと白米の組み合わせ。本能にうつたえかけるきようあくな食物に、かえでがこくりと細いのどを鳴らす。

 うすくちびるひかえめに開き、しようがきと白米をいっぺんにかきこむ。くちびるについたタレをちろりとめる仕草がわいらしい。

 もぐ、もぐ、もぐ。

 ゆっくりとしやくすると、かえではほわりと目を細めた。


「……しい」

「……それはよかった」


 ほっと胸をろしつつ、かえでの無防備きわまる姿を見れたことに内心もんぜつする。


「えっと、ありがとう」

「ん、どういたしまして」

「……もうちょっと食べていい?」

「どうぞどうぞ」

「八割くらいもらうけど、いい?」

「なんですずさんよりじんなの?」


 ふたりのやりとりにすずたちがす。


「いや~、いおりんはホントいいキャラしてるな~」

なおに喜んでいいものなのか……」

「あ、かえで! いくらなんでもそんなに食べちゃダメだって!」

「えっ!?」

「そ、そんなに食べてない……っ」


 すずに引っかき回され、おりかえであわてる。

 その光景を見ていた他の女子は、意外そうに目をぱちくりさせ、それから楽しそうに笑っていた。



 教室にもどって席につくと、前の席のみなとがくるりとかえった。


おり、どこで食べてたの?」

「屋上」

「ひとりで?」

「……サア、ドウダロウナ?」

だれかと食べてたんだ」

「…………」

「この反応は男子とじゃないな~」


 これ以上あがいても心が折れる。観念して事情を話すことにした。


「俺を見る女子の目が、なーんかみようなまあたたかかったんだよな……あれはいったい何だったのか……」

おりすずはらさんのこと意識しまくってるって、みんなとっくに知ってるからしょうがないんじゃない?」

「え」


──今ちょうどすずはらさんがプレイしてるよ。上がって見てったら?

 体育で聞いた言葉を思い出す。


「しかも話を聞いた感じ、すずはらさんもふだんまず見せないようなふんを出してるでしょ? そりゃ~僕もその場にいたらなまあたたかい目で見るよ。じつきよう配信だったら投げ銭しちゃうかも」

「なんで!?」


 自分のこいごころが周りにバレバレ、という事実をさらりと明かされてどうようが止まらない。


「なあみなと、みんないつから知ってるんだ? 全員が知ってるわけじゃあないよな?」

らさないで~。う~」


 糸かってくらい目の細い友人のかたつかんでぐらぐららしていると、かえでたちが帰ってきた。かえでは何食わぬ顔でおりとなりの席につくが、すずは口を「ω」の形にしておりをちらちらと見ている。


(ん?)


 すずがスマホを取り出し、ちょいちょいと指さした。自分のスマホを取り出すと、すずからトークアプリのメッセージが届いている。


『以下のメッセージは、屋上にいた女子グループ(かえでふくむ)の総意です』

『わたしたちが屋上で食べるのは、毎週月曜と水曜です』

『雨の場合は一日後ろにずらします』

『食べに来たかったらいつでも来ていいよ』

『今度は妹さんのお弁当も見せてね!』

「……マジで?」


 スマホの画面を見たあと、まず見てしまったのはかえでの顔だった。おりが屋上に行くことにかえでも同意してくれたというのが信じられない。

 おりの視線にかえでが気付く。

 ノートで目から下をかくし、顔をそむけたかと思えばちらりとこちらを見やり、


「……調子に乗らないように」


 照れくささがめいっぱいにじんだこわに、おりほうけた顔で何度も何度もうなずいた。


(うーわ、これは……うーわ……うーわ……マジかー……)


 できることなら両手で顔をおおって天をあおぎたかったが、そんなことをすればみなとかえでに何を言われるかわかったものではないので自重した。

 クラスメイトに自分のこいごころが思いきりバレているというのは、正直死ぬほどずかしい。

 けれど、こうやって遠まわしながらもえんしやげきをもらえるというのは、それ以上にうれしかった。




Interlude


かえで、いおりんのしようがどんしかった?」


 帰り道ですずたずねられた。その顔がなぜかやけに楽しそう。

 顔を上げ、おりが作ったというしようがどんの味をはんすうする。

 空にかぶしようがどんまぼろし

 口の中がちょっとうるんだ。


「……うん」

「どれくらいしかった?」


 人差し指をあごにえ、しばし考える。


「……あわよくば、全部もらいたいくらい?」

「あはははは! どんよくにもほどがある!」


 すずがおなかかかえて笑う。


「だって……しかったから」


 自分の感情には正直でありたい。おりのお手製弁当はちがいなくしかった。

 不意にすずが立ち止まる。


「……すず? どうしたの?」


 たずねると、すずはやわらかなみをかべ、


かえではなんだか……いおりんといるときの顔が、ぐっとやわらかくなった気がする」

「……そう、なの?」

「そうそう。表情筋の筋トレになっててとってもいいと思いまいひゃいいひゃいいひゃい!」


 細い手をぱたぱたさせるのがわいいなーと思いながら、もっちりほっぺをしばしつまんだ。

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