第9話 芸能界デビュー時からアウトサイダーだった件

インターネットで文章を打って、その文章が大当たりして、印税を獲得する。


そういうのに憧れた時期もあったが、どうも私には向いていないようだ。


とは言え、リワードが少しでも減るのが嫌なのである。


なので、先人たちの言葉を拾って書くことにする。


経済の窮状が激しい。


これをおそらく、日本経済の中で、2000年に1度の不況と言われた、第一次、就職氷河期に匹敵する。


とは言え、金剛組がつぶれていないので、決して2000年に1度の不況ではない。


といった簡単なことを経済学者は言わない。


経済学者にとって1番もうかるのは、経国済民から遠ざかることだ。


要するに、民のことを考えない。


そして、国のことを考えない。


亡くなった石ノ森章太郎の漫画によるとだが。

私は、こう聞いた。


高橋是清は、ケインズよりも、先に、経済活性策を思いついていた。その政策は、ケインズと中身は同じだが、実は、高橋是清の方が先なのであるが、経済学者たちはケインズを賞賛し、高橋是清を低く評価する。


まだある。


共産主義者は二言目には、搾取を持ち出す。社会主義者も同様だ。


 マルクスの資本論よりも、先にそれに気づいていた日本人がいる。


 その名前は、二宮金次郎。


 日本の金属供出によって、日本人が破壊した日本人のシンボルである。


 二宮金次郎像を壊したのは、外部からの要請によるものではない。戦争後には、すでに、二宮金次郎という像は、大体破壊されていたと言う。


 GHQが壊したのではない。右も左もそれを履き違えるな。


 とは言え、私と言うのは、二宮金次郎と言うものを知ったのは、かぶれたのは、学級文庫と言うものがたまたまある小学校にいたから、である。


 1番古いボロボロの本を、先生は家に持って帰っていいと言った。


 大切に保管していた本は、学校に行ってる間に、狂っている人間によって処分を受けた。


 焚書坑儒というのは、そこまでして、子供に洗脳を叩き込んだと言うことだ。


 大人たちが目の前で、本を焼き尽くしていれば、その影響で本を焼くことに何のためらいもなくなる。


 誰かの本を奪って、捨てることになって、躊躇しない人間を作り出すことになる。


 こういう話をしたくてエッセイを書いたのではない。


 右も左も私は嫌いだ。


 透けて見えるのは欧米バンザイである。


 引用には、欧米の言葉を使い、インテリぶるために、西洋の学者の言葉を必ずと言っていいほど引用する。


論語に書いてあると思うんだが。


 まるでそれは、植民地の奴隷に似ている。

 占領している国家の書物に同化することで、自分の本来の精神性を失うのだ。


 正直に言って理解できないのは、君たちはけして、日本のことをよく知っているわけではないのである。


 日本のことをよく知らないで、英語が話したい、トゥービーオーノットゥービー、ザットイズアクエスチョン、などと言うな。


 あれの言葉の本来の意味は、おそらく、それにいた偉い演劇人の人は知ってるだろう。


 私は、不器用な人間で、21世紀後以降に芸能界に入った人間と違って、メソード演技でしか役に立ち向かえないのである。


 ゆえに、ロシアを冒涜すると言うのは、自分自身に非が降りかかるのである。


 役者や芸能人で、ロシアに対抗したり、ウクライナに支援したりと言うのは、それは、過去の、特に築地小劇場の人間に対する冒涜である。


 命をたってまで、芝居に準じた人間たちに、どうして敬意を払わないのだろうか。


 君たちは、実に身勝手で結構。


 呆れているし、個人的には羨ましくて仕方ない。


 その刃を消して君には向いていないが、おそらく亡霊たちが君たちの後ろにいて、その動向を見守っていると思う。


 舞台の神様に対して、失礼だと思わないのだろうか。


 正直、私は神を信じない。


 しかし、舞台には神様が宿ると信じている。


 それをとある人に伝えたら、私はこう聞いた。


 理解できないと。


 彼は、ユダヤ人で、私よりも日本文化に詳しいようだったが、その点に関しては彼とは一致しなかった。


 そんなこと、なんで思い出したかと言うと、嫌いな役者がひとりいて、正確には、嫌いな役者っていうのは何もいるのだが。


 自己分析をするのに、嫌いな役職なんて嫌いかを調べれば、自分の嫌なところに気づくのである。


 見たくない、自分自身の徹底した自己分析である。


 という事調べてみたら、ニシュリと言う言葉が入っていた。


 要するに、老け役だった。


 だから嫌いなのかと一瞬思った。


 とはいえ、むげにはできないんだろうな、とは思う。


 だってもしかしたら。


 自分の舞台を見ていた人なのかもしれないのだから。


 私は自分が最初に表に出ていたのを記憶していない。


 イ・レギュラー中のイ・レギュラー。


 山形の花笠音頭において、3歳から4歳にかけての女の子が、踊ると言うのはかなり限られたことであり、そういった意味で最初からアウトサイダーだったのかもしれない。


 私は1989年か1990年に、花笠音頭で踊ってるらしい。


 記憶にないのだが、フィルムに残っているんだからそうなんだろう。


 要するに、昭和に近い頃から芸能界にいるので、ズルズルと令和までいてしまった。


 この続きは、また書くが、彼が私のお披露目の時に、花笠音頭を見ていないことを祈るばかりである。

 

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