第6話 劇場をつぶそうとする、すべての勢力に抵抗します。

いとわろし 山の上にて セーラーの 寒さに殺意 覚えたる夜


 寒い。異常な寒さに心が震える。


 ここは横浜の山の上である。

 指定された集合場所は、横浜とは思えない位の田舎である。横浜と言えば、赤レンガ倉庫ではなかったのか、中華街をはじめとした華やかな街ではなかったのか。


 それが五星戦隊ダイレンジャーによるキラキラとした記憶であることに気づくのは、その後であり、つまり、なんというか、まぁ今のことだ。


 さっきまで実は、五星戦隊ダイレンジャーの第1話を、東映特撮、ファンクラブの機能を使ってみていた。

 実際に撮影場所は、横浜の中心街と言うべきだろうか、そして後は幕張メッセ周辺である。どこにもない海の街である。


 山のあなたの 幸い住むと人の言う


 手元に会場がないため、適当な記憶によって書いたが、山の上とか山っていうのはなんていうか、日本人にとっては神秘的なイメージなのであろうか。横浜にある山の上と言うのは、外国人墓地であったり、それが外国人の館であったりする。

 

 それがだいぶはずれのほうになると、女子のみを閉じ込める監獄となる。


 ドラマ、白夜行は、途中、女子校の場面をはさむ。意外にも女子のドロドロした面を描いており、東野圭吾は一体どこで女子のきわどさを学んだのだろうか。


 その場面をはっきりと記憶している。初めて東京に出て、私は引きこもりになった。詳細は避ける。要するに、エリート街道突っ走ってきたのに、大学1年生の5月と言うタイミングで、エリート人生終わったのだ。


 そもそも、水戸一高と言う高校は、6大学に入って当たり前なのだ。成城大学に入れたのは、たまたまその学部が新設、新しくできた学部だからだったからに過ぎない。


 そもそも世間の基準から外れているこの学校は、少しだけ山の上にあり、高低差を感じるほど敷地の中は広い。後ほど映画館で母校を見たところ、意外にも広いことに驚いた。


 そんな男子校から共学校になった学校に通い続けていたので、卒業後も男子のように立身出世を考えていたのである。エリート後に入ってきた上司と言うのは、そういった考えを持つ。


私だけそんな男子校から共学校になった学校に通い続けていたので、卒業後も男子のように立身出世を考えていたのである。エリート後に入ってきた上司と言うのは、そういった考えを持つ。


 私だけかもしれないが。


 エリート街道を踏み外した私は、これまた演劇でもエリート街道を踏み外すことになる。


 それから10年以上経ってからこんな言葉を私は聞いた。正確には私はこう聞いた。

 

 あなた方はアウトサイダーです、と。


 子曰く、君子の交わりは、淡き水の如し。小人の交わりは、とある。


 論語読みの論語知らずなので、詳しい出典は知らない。


 水戸の芸能界は田舎であり、遅れており、東京で成功することが最上だと考えていた。


 挫折は早い段階でやってきた。


 もともとナガヤマさんという、非常に私のことを買ってくれた人がいた。

 過去形なのは、このナガヤマさん、家族よりも長い時間を過ごしたにもかかわらず、私自身によっぽどの信頼がないのか、私の頼み事は、なぜか?おばを通すのが慣例であった。


 おばはわたしにとってステージマネージャーであった。正確に言うと、ステージママとでもいうべきか。プレッシャー、外圧、お願いだから、他のママみたいになって。


 おばはきっと自分が舞台にでたかったのだ。


 自分の人生と言うものを自分で切り開けるなんて言うのは傲慢で、勝負は、時の運、世の中、金がすべてである。世の中は金なんです。稼いだこともない、事務所に行ったこともない、実績もない人間は、芸能界では何もない人間として扱われるに違いません稼いだこともない、事務所に行ったこともない、実績もない人間は、芸能界では名もない人間として扱われるに違いません。歴史にとって私は異物であります。実際、自分の名前は消されようとしていますし。


 話を戻そう、時を戻そう。


 2005年の12月か、2006年の1月か2月だったと記憶している。非常に寒かった。何故かと言えば、セーラー服1枚で、上に羽織るものもなく、防寒対策をしっかりしていなかったため、異常な寒さに震えていただけである。

 

 わたしは、こう聞いた。


 寅年なのに、トラに向いていない。


 名優は、トラの演技がうまい。


 なら、それにあらがってみせよう、と思っただけなのだ。ただ、単純に、名優、と呼ばれる人になりたかった。


 でも挫折した。


 あまりにも寒すぎて、エキストラの現場で、反復横跳びというか、踊りで暖をとっていたところ、スタッフから止められた。


 そもそも、現場の撤収予定時刻はとっくの昔に過ぎているのである。


 私にとって、映像の現場と言うのは、時間通りにきっかり、かっちり追われて、学校の隙間時間をぬっても完成できるものであって、ここまで手際悪い現場は初めて見たのだ。


 基本的に、優秀な学校であると言う事は、寄付金に恵まれていることも意味する。ドカドカと金が入るので、要するに、カメラも良いものが手に入ると言うことだ。なおかつ勉強ができないけれど、芸術の才能がある、なんていうのは大体嘘である。異常とも言える進学校には、芸術家の才能持つ人間がゴロゴロといるのだ。ここは消して、美術大学の附属校でもなく、音楽大学の附属校でもない。

 

 しかし。私は学苑祭の実行委員に付属していたのだが、その打ち上げで、突然、放送委員会に女の子が泣き出したその打ち上げで、突然、放送委員会の、女の子が泣き出した。同じ学年なので、クラスは違ってもまぁ、いきなりなぜ泣き出すのかさっぱりわからなかった。時効だから語るが、決して酒が入っていたわけではない。そもそも、学苑祭の打ち上げで、酒を飲むな、というお達しが出るほど荒れていた学校である。ラグビー部の先輩が全校集会で暴れる様子を見たことあるし、この学校は実は中身はかなり荒れていた。


 わたしはこう聞いた。


 彼女は説明できないので、僕が代わりに説明します。彼女が泣いた理由は、学苑祭実行委員がお願いした、映像の編集がかなり大変であり、眠る時間を削ってまで、彼女は頑張っていたんです。何のねぎらいもないんですか?


 楽しいはずの、学苑祭の打ち上げが、お通夜になったのは言うまでもない。


 事情知ったのは、それから数ヶ月経って、放送委員会の宣伝により、正確には校内放送で、私がその委員会に入ったからだ。


 わたしはこう聞いた。


 まさかこのタイミングで入る?!


 いや知らんがな。下級生が入ってくることを期待していた、とか、知らんがな。


 そんなわけで、高校時代の話がとても長くなるのだが、この放送委員会、映像編集にかなり精神と肉体をやられた経験から、にもかかわらず、ラジオドラマとテレビドラマを両方作ると言うアホをやらかしたのである。若さと言うのはとても怖い。ちなみに反省点を踏まえて、非常にサクサクと、無理のないスケジュール管理で撮影を組んでおり、全国大会まで行ったのだが、なぜか全国放送は叶わなかった。


 ちなみに、高校1年生の時にも、クラスの出し物は映画だったので、要するに、ものすごく早撮りの現場しか体験していなかったことに後から気づくのであるが。


 いや、白夜行の現場、超手際わりぃな、東京の芸能界って質悪いのかな、って思っていた。

 

 要するに、その段階で、ある程度の現場は踏んでいたので、白夜行の現場を異常な位、素人の集まりに見えた。


 なお、終了予定時間は、午前中だったと記憶しているが、終わったのは夜7時から8時であり、方向音痴なわたしは、夜の墓地を走り切って、なぜか女子校を過ぎた先は、歓楽街、花街、かがいであった。あれほどネオンにほっとしたことはない。


 山を抜けたら歓楽街っていうのは、女子校から歩いて歓楽街と言うのはどうかと思うのだが。


 ちなみに、水戸一高と、歓楽街の距離はだいぶ離れており、学校帰りにアルバイトできるようなそういった距離感ではなかったので、驚いたことは、つけ加えておく。


 しかし、あれから10何年経つが、あの時の手際の悪いスタッフさんは一体どうなってるのかどうか。私は夢を諦めたので、後輩たちがその餌食になっていないかどうかすごい心配である。


 以上、きっかけをくださった、ゆうたろうさん、インターFMで、毎週水曜日、夜10時から11時まで放送の、ゆうたろうのみんなで夜更かしにかかわっている、全てのスタッフさん、リスナーさん。

 

 ちなみに、白夜行のこの話を書くきっかけになったのは、ゆうたろうさんからのいいねである。


 私はゆうたろうさんのいいねをこう聞いた。

 

「白夜行の話、進捗いかがですか」


 即書くことにした。


 私がこの世で1番怖いのは女形である。お世話になってる人が全員女形なので、あの方々を怒らせたらどうなるか知っている。はっきり言って、あれほど怖いものはない。


 そういえば、聞いているラジオの大半は、パーソナリティーが皆女形経験者である。植田圭輔さんと高本学さんについては不明だが。


 いいかげん、もう、女形の方と関わるのはやめようと思うのだが、結局のところ楽なのである。

 

 男役になりそこねた人間にとっては、商売敵にならない人間と言うのは気楽なのである。自分と商売がかぶらないって言うのは、絶対条件である。男役と女形では、求められることが絶対的に違うので、かぶらないし、ケンカのしようがない。


 演劇畑の人間が、全員仲が良いかといえば、大間違いである。むしろ、畑が違う人間を尊敬しているというか、畑が違う人間ほど仲良くなりやすいというのが道理では無いだろうか。


 ちなみに、私は芸能界にほとんど友達がいないので、その点は気楽でいい。


 お前は香取慎吾かと言われそうだが、長く芸能界に勤めているからこそ、芸能界に関係ない人たちっていうのは大切なのである。



 無給だけどな!!トータルで一銭も稼いでないけどな!!!

 

 なお、最悪なことに、父方、母方、おまけに、義理の父の親戚も芸能界関係なので、珍しいことに、普通は右も左も芸能関係者、というのはほとんどいないのだが、右を見ても、左を見ても芸能経験者なので、相談するところか圧が強いのである。


 なお、残念ながら続けて続けて続けてまくってんのはわたしひとりである。1人いたが、その方は天国にいかれたので、私はなぜか、親戚連中の中で1番長く続けてると言う羽目になった。


 正直に言おう。


 表に出ていないときの芸能関係者ほどめんどくさいものはいない。


 お願いだから、表舞台に出て発散してくれ。家族を巻き込むな。俺で代用するな。


 とは思うものの、彼らはどうも、表舞台と言うものを嫌っているらしい。


 いや、別に表舞台でなくても生活できる人間はいるが、表舞台に出ないと生活できない人間は、適度に舞台に出る必要があるし、長くなるから、こんな話、誰も聞いていないと思うが、文化大革命とか、命に、別状のある戦争とか、様々な時代があったにもかかわらず、舞台というものは無くならなかったのだ。


 戦争の代わりに、軍靴(ぐんか)の代わりに、今の時代、文化大革命がまた始まろうとしている。


 おそらく今度は、すべての芸能を根絶やしに彼らはかかるだろう。


 東急百貨店はもう敵のうちに落ちた。


 水戸芸術館は、ここが落ちる事はないと言われていたが、マスコミ関係者がどうぞとシナに差し出したらしい。


 もうこの国から劇場はすべてなくなるだろう。


 抵抗したところで、すべての演劇は死に絶えるだろう。


 今は最後のきらめきである。


 私は劇場をつぶそうとするすべての勢力に抵抗する。


 抵抗したと言う事実は、後世に残しておきたい。

 あの時代、あの頃戦争があったと、文化大革命があったと、それでも抵抗した人間がいたと。


 そういう風に笑える日が来たら、また会いましょう。

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