第3話 結局、演劇ってなんなんだろうね?

2022/01/05


ずっと、自分が誹謗中傷を受けたり、誰かを誹謗中傷したりする理由を考え続けていたのですが、「モノは一度壊れたら終わりだけど、人間の心と身体は再生するので、モノを壊すよりも人間を壊した方がコストパフォーマンスが良い、効率が良い」と気づいて戦慄している。


要するに、資本主義が極端に進んだ新自由主義社会においては、消費財であるモノより耐久財である人間の命の方が下なのであって、モノよりも人間の命の方が下になる。だから、貧困は止まらない、か。。。


私はこう聞きました。「なぜ貧困はなくならないのか。なぜ俺たちの共通の友人は、仕事に困って金に困っているのか」と。自分の幼なじみから5年前以上前に聞いた問題なんだけど、解は出た、でも最悪の回答だ、だから自殺も貧困も誹謗中傷もなくならないんだ、モノより人間の命は下だから。


ちなみに幼なじみはむちゃくちゃ恵まれた人間で、自分も特権階級ではあるのですが、貧困に関して考えているエリート、知識階級って左翼でも絶滅危惧種らしく、週刊金曜日主催の佐藤優さんと、マルクス学者のトークショーイベントの質問コーナー、全員北朝鮮の情勢について話していたんですよ。


週刊金曜日ですよ、バリバリの左で、貧困についてしょっちゅう扱っている雑誌主催のトークショーですらそんなありさまなので、一部の右翼が語る「左翼」という存在は、完全に消滅した、と考えても大げさではない。


こんなこと書いてもしょうがないと思うけど、貧困対策に右も左も関係ない、でも、右も左も外からの脅威に対して夢中で、貧困について何の関心も抱いていない、国政も地方政治家も貧困について何の対策もしない、見ようともしない


だから、毎月、いや、地方自治体によっては2ヶ月に1回の、市民の水道を止める命令、給水停止命令が平気でできるんじゃないですか。私は最初に配属された部署で、毎月決済回して、毎月間接的に人殺してきたから、たぶん天国行けないんですよ、地獄に落ちるしかない。


いくらキリスト教が邪教とは言え、確かにやばい考えは持っている宗教ではあるんだけど、キリスト教原理主義者としては、「なんで幼稚園でも学校でも人を殺しちゃいけないって教えるのに、水道の水は平気で止めるの?水飲まなければ人間、1週間で書く時に死ぬのに、どうして殺さなきゃならないんだ」って考えてしまう。


考えてしまうんだけど、それに逆らうと上司命令だし、ベルトコンベアのように書類を回すのがルーティン、日課になっているから、正直、私が逆らったところで、市議会からせっつかれる、という最悪な状況下でしたよ、5年前の話だけど。


最終的に、人を殺すと言う命令に耐えきれなくて発狂しちゃって一時期懲戒処分食らったんですよ。


だから、軍隊で、人を殺すのも、特高で人を拷問にかけたのも、刑務所で人を殺すのも、全部、全部、人をモノ以下だと思える人間だから、結局、経済優先が行き過ぎれば、一部の命にしか価値はなくなるから、それ以外の命は消えてもいい、と思っているんじゃないか。


毎日、職場にはなんとか通えているけど、「こいつら人を殺しても平気な奴らなんだよな」と思うと、「こんなことのために公僕になったんじゃないのに、人殺すぐらいしか価値のない人間なのかな、私」って毎日悩んで、発狂しそうになる。


ときどき、「人を殺して食うメシはうまいか?」って自分自身に問いかけるんですが、残念ながらメシはうまいんだよなぁ。。。


「こんなにも人殺した人間が、イベントに参加したりとか舞台とか見に行っていいのかな。人を殺した罪って重いよね?人を1人殺したら死刑になるのに、何で行政命令だと死刑にならないの?おかしいだろ?」と、どんどん気が狂う今日この頃ではある。


コロナ禍で、金銭的にはダメージを受けなかったんですけど、一番芸能界が苦しくて舞台が公演中止になった2020年5月に役者として復帰して、zoomで稽古はしていたけれど、「東京は止まっているのに、推しはバンバン仕事がなくなっているのに、稽古してていいの?」と、むちゃくちゃ苦しかったという。


しかもコロナ禍で兼業役者さんが役者休止に追い込まれたのに、役人だから役者業再開できたと言う、恵まれすぎてなやむと言う。


むちゃくちゃくるしくて、誰にも相談できなくて、しかも、17年ぶりの復帰だから誰も私を知らないわ、メソードは自分が学んでいたころと真逆だわで、むちゃくちゃ苦労しましたよ、はい。


結局、自分が誹謗中傷で自分自身を追い込んでやめた2003年夏から、おそらく2007年にかけてのわずかな合間に竹内敏晴さんのメソッドと、後メソッド演技、骨格や筋肉のつき方から学ぶ身体のうごかし方とか、演劇の基礎的メソッド全部消えたみたいで、それに基づいて生きている私は完全に時代遅れだった。


それまで、正確に言うと、2003年当時は、蜷川幸雄さんがいたから、そして他に絶対的な演劇の正解を持つ人間がいたから、その人追いかけるだけで、背中を追いかけて行くだけで楽だったのに、蜷川さんも夏八木さんもいなくなったら、正解がわからなくなって「え、どうしよう、これ」と。


勘が戻らないうんぬん以前の問題だったという。後、振り返ってみると、つかさん、つかこうへいさんが亡くなった影響ってだいぶでかかったみたいで、あの人がいたから演劇について考えずに済んだ、って言うのはあるんですよ、ギリギリ大分のつかこうへい劇団が生きていた頃に演劇バカやっていたもので。


あの頃の演劇って本当に死んだんだなーって。


私にとって、今の演劇界って、焼け野原に見えるんですよ。「さて、これからどう復興していこう」って感じですよ、こちらからしてみれば。


でもさ、周りを見渡してみれば、「演劇は死なず」「演劇の支援を」


いや、何言ってるんですか。死んだんですよ、演劇は。死んだ存在が復活するわけない。何キリストの復活みたいなこと言っているんですか、馬鹿げてる。


と、14歳で悪魔に魂を売って、演劇と婚約したにも関わらず、「芝居がちっともうまくならねーしいい役はつかねーし何で性欲絶っているのに、ファンと付き合っていると言う汚名を着せられたりするんですかね舞台の神様」と思っていた人間が通りますよ。


だって、22年前にあった、演劇と、今の演劇ってあまりにも別物だし、ぶっちゃけ老兵は黙って去るのみですよ。そもそも健常者と違って、精神はがっつり病んでますし、左足は悪くなったし、障害持っちゃった人間が出られる、所属できる居場所ってそもそもないんですよ。


だから、結局、演劇界から去るしかないんですよ、私は。だって、居場所がない、需要がない、拒絶を受ける。蜷川さんがいないと、つかさんがいないと、結局のところ演技が何かわからない私にとって、今の演劇界って、「演技の基本がなってなくても生きていける場所」に見えて仕方ない。


演劇人、役者ってなんなんだろうな。


芸人って、なんなんだろうな。


私っている価値あんのかな。


そもそも、需要ないんじゃね。


31年以上芸能界にいるはずなんだけど、無名で金稼いでないと、結局はメソッド演技を身につけていても、何の役にも立たない、意味ない。


つらい。

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