第2話 一部の一般人って、自分たちがしたこと、忘れがちだよね?

怒りにかられて、書く。


両方に、いや、横やりを入れる全てに怒っています、今。


約20年前、私は、社会的に死にました。

2000年当時、「自己責任」という言葉が、流行っていました。そして、「ファンは芸能人に似る」という考えが広まっていました。


今でもそうですよ。


私は、ストーカー被害にあい、

「ファンと付き合っている」という根も葉もない噂で、社会的に死にました。まだ、14歳だったから、ストーカー被害は、自己責任だと思い込んでました。


表舞台に立つ人間が、ストーキングにあいやすいこと、場合によっては命を狙われないこと、そして、ジョディ・フォスターのストーカーによる大統領暗殺事件。


死ぬかもしれない、殺されるかもしれない、何されるかわからない恐怖は、経験したことない人間にしかわかりませんし、ぶっちゃけ、表舞台に立っていれば、頭がおかしい、正確には性犯罪者にからまれる率は上がります。


だけれど、「芸能人本人が悪い」からそう言った「度が過ぎる人たち」が出てくるんだ、ってなるんですよ。


自分が21年前に死んだことを、積極的に話すつもりもなかったし、あんな思い二度と嫌なので、死体のように死人のように生き続けるつもりでしたが、事態は急を要する。


結構、一部の人って、自分がバッシングしたこと忘れて、生きているんですよ。


亡くなった芸能人に対する「すごく恵まれていたのに何で」


いや、バッシングしてたよね、

あなたたちの一部だけど。


むちゃくちゃ腹立つんですよ。


芸能人を消費しないで欲しい。


表舞台に立つ子たちを浪費しないで欲しい。

人間扱いしてほしい。


もう何もかも遅くて、最後の悪あがきかもしれない。


それでももし、何も抵抗しなかったら、歴史書に記されるんですよ。


「この悪い流れを誰も止めようとしませんでした」って。


そんなの、嫌過ぎる。


だから私は、嫌なものは嫌だって言います、言い続けます、自分と同じ思いをする人間が、少しでも減らす助けになるのならば、自分の死体を踏み越えていけばいいんです、自分の犠牲で、自分が少しだけ自己開示して、血が流れても、後輩のリアルタイムで苦しんでる痛みを、少しでも分かち合えれば。


だって、今から芸能界に来る子がたくさんいるのに、さびしいじゃないですか、「こんな腐った世界ですよ」って紹介するの。


個人的には、芸能界は、嫌いです。


あの人が死んだのは、東京に出たからで、地元で活動していれば、茨城県内で活動していれば、と夢想する日はあります。


妄想の中でしか、追悼、映像、生で会えないなんて、あまりにもさみしすぎる。


春馬くんのことを悪く言う人も、崇拝する人も、わたしは、両方嫌いです。


東京の芸能界にも、東京にも恩はあるけど、どんどん、嫌いになっていく。


この、好きだけど、大嫌いって言う感情、なんなんでしょうか。


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