父・写真
蓮子の家に着いた俺は、緊張を押し殺しインターホンを押した。
まだ帰っていないかなと思いながら待っていると、扉の向こう側から足音が聞えた。
慌ててスマホで髪型をチェックする。ワックスでセットしてあるから前髪が少し乱れただけ。でも今日は少し風が強かった。
ガチャっと扉を開けて出てきたのは、短髪よ厳つい男の人だった。
半袖シャツから出た腕は極太で、背は180㎝くらいありそうなほど高かった。不良がそのまま大人になったみたいな見た目だから、下手なことを言ったら殴られそうと思ってしまった。
「あ、蓮子さんいますか……?」
「れん? れんならまだ帰ってないよ……それより、君は?」
ぎろっと見下ろされて委縮しながらも、俺は応える。
「蓮子さんとお付き合いさせていただいてる糸ヶ浦、優太です……」
雰囲気的に蓮子のお父さんだろうということはすぐにわかっていた。というか、蓮子には兄や弟はいないはずだ。妹がいるとは聞いたことがある。
「れんと付き合ってる?」
眉を潜め、細い目をさらに細くする。
怒らせてしまった……? でも、友達ですとか誤魔化すわけにもいかなかったし、いつかは、こういう時だってあるかもしれない。
風が強く吹く中、漂う沈黙は気まずさに拍車をかけてくる。
何か言わないと。
考えれば考えるほど何も思いつかないジレンマに突入した俺は、ここでタイミングよく蓮子が返って来てくれないかと来た道に顔を向ける。
子供が楽しそうに走っている。ボールを蹴って、それを追いかけて。だけどそこに蓮子の姿は見当たらない。
「まぁ、もうすぐ帰って来るだろうから、とりあえず入って」
何か考え込んでいるような顔をしていた。
男の人が家の中に入って行ったので、急いで後に続く。
「お邪魔します……」
蓮子の家には2回ほど入ったことがある。あの時は高校入学までの休みの間で、平日の昼時だったこともあって家族は留守だった。
玄関を抜けてリビングに通される。
適当に座ってて、と言われたので木製の椅子に腰掛ける。
蓮子のお父さんは冷蔵庫を開けると、コップを用意してお茶を注ぎ始めた。
「もう夏だね」
「そう、ですね。暑くなってきました」
気を遣って話を振ってくれたけど、ぎこちなく返答してしまった。
蓮子のお父さんはわざわざお茶を淹れて持って来てくれた。対面の椅子に座ると、気まずそうにお茶を飲む。俺も何を話していいのかわからず、ついつい真似してお茶を飲んでしまった。
壁にかけられた丸い時計。長針の動きがいつもより遅いように感じた。
「そう言えば、初めましてだな」
「あ、そうですね」
「れんの父親の正樹だ」
「僕は優太です。蓮子さんとお付き合いさせていただいてます」
正樹さんは一瞬眉を潜めた。
やっぱり蓮子と付き合っていることが気に入らないのだろうか。
「お付き合いね……」
正樹さんは俺の顔から視線を逸らすことなくお茶を啜った。
「れんのどこが好きになった?」
「え……そ、それは……」
突然始まった尋問に動揺を隠せない。
目が泳いでいるのが自分でもわかる。
どこが好きになったっていっぱいある。何だかんだ優しいところ、不意に笑ったところ、何しても可愛いところ……困ったことに蓮子のどんなところも大好きで、どう答えたものか。
「そうだよね、困ったよね」
「あ、あはははは……」
笑って誤魔化すしかなかった。
気まずさからお互いに再びお茶を飲む。
もう喉が渇いて仕方がない。いくら飲んでも潤いが戻ってくることはなく、気づいたらコップの中は空っぽになっていた。
「れんが迷惑をかけたりしてないか?」
「え、迷惑だなんて、そんなことないです」
むしろ俺が迷惑をかけてる気がする……。今回の浮気の件だって、どうしてそうなったのかわからないけど、蓮子を不安にさせたかもしれないのだ。
蓮子が少しでも俺のことを好きだとしたらの話だけど。
「そうか」
そう言って正樹さんは、空になったコップにお茶を淹れてくれた。
「れんは可愛いだろ」
「えっ……!」
滅多なことでは驚かない自信があったのだが、突然そんなことを訊かれて明らかに動揺してしまった。
可愛いのは間違いない。
耳にかかった髪の毛をかき上げる仕草、基本的に無愛想だけどたまに見せる怒った顔、先を歩くけど道がわからないことに気づく天然っぷり、そのどれもが可愛い。
だが、父親の前で『はい! 可愛いです!』と堂々と言える肝っ玉は持ち合わせてなく、軽く笑いながら頷いて誤魔化してしまった。
正樹さんは、自慢の娘と言わんばかりの顔で見つめてきていた。
よっぽど蓮子のことが好きみたいだ。
「れんは少しわがままなところがあるけど、根は優しい子だから」
俺は肯定するように大きく頷いた。
優しいのは知っている。
女子トイレに間違えて入った時もそうだし、イタリアンに行った時も、店内で蓮子を押し倒してしまって恥ずかしい思いをさせてしまったのに、怒らなかった。
今はちょっと既読無視されてるけど……。
ガチャ、という音が玄関の方から聞こえた。
正樹さんは突然立ち上がった。
「帰ってきたみたいだね」
そう言うと正樹さんはコップを置いたまま、リビングの扉を開けて出て行ってしまった。
階段を上がる音がかすかに響いてくる。
正樹さんが出て行ってから少しして、リビングの扉を開けて入ってきたのは、制服姿の蓮子だった。
「あ、蓮ちゃん。ごめん急に、話があって──」
椅子から立ち上がりながらそこまで言いかけたところで、蓮子はリビングに入ることなく、何の躊躇いもなく扉を閉めてしまった。
明らかに避けられてる。
ほんの一瞬目が合ったものの、すぐに逸らされたのを俺は見逃さなかった。
すりガラスの向こうに蓮子の影が見える。
一向に入ってくる気配はない。そこから動こうとする素振りすらない。
そっとリビングの扉を開けると、スマホを握り締めた蓮子が薄暗い廊下に立っていた。
「急にごめん。でも話があって」
「は、はなし……」
珍しく蓮子が素直にこちらを向いてくれた。でも、どこか寂しそうな顔をしている。
いつも不愛想な蓮子に限ってそんなことがあり得るのだろうか。
俺が今から切り出そうとしているのは別れ話では決してない。もし、蓮子がそれを勘違いしてこんな寂しそうな顔をしているのだったら、残酷にも俺は嬉しいと思ってしまうだろう。
「話って言うのは、その、浮気のことなんだけど」
「浮気……」
「俺は蓮ちゃんのことが大好きだから。浮気なんて絶対にしてない」
自分で言っていて嘘くさいなと思ってしまった。浮気してる奴が必死に説得してるみたいに、どこか嘘くさい。
でも、そんな言葉以外に何て言えばいいのかわからなかった。
蓮子はスマホに視線を落とし、おもむろに弄り始めた。
いつもの蓮子だ。
さっきまで悲し気な雰囲気を漂わせ、こちらを見つめていた蓮子ではなくなった。
寂しげな蓮子も可愛かっただけに、少しもったいないと思ってしまった。
「これ……」
蓮子がスマホ画面を見せてきた。
そこには一枚の写真──どこかのカフェのテーブル席に俺と女性が座っている。
その女性は、短めのタイトスカートに上はブラウスと可愛らしい格好をしていた。
この女性は誰? これで浮気してないって言える? と、そう言いたげな視線を向けてくる。
「これ、畑部だよ、一個下の後輩。中学の時に同じテニス部だった」
「知ってる」
この状況をどう説明するつもり? と目が少し細くなった。
俺は畑部とゲームセンターで出会い、その帰りにカフェに寄ったことを全て話した。
そもそも浮気なんてしてないのだから隠すことなんて何一つない。
「そう……」
蓮子の返事はとても素っ気ないものだった。まるで興味がないと言った風な返事。
いつものことだ。
だけど、一つだけ違うことがあるとすれば……。
「じゃあ、またね」
軽く手を振ってみたけど、蓮子が手を振り返してくることはなかった。
足取りが軽いように思えた。
ちゃんと誤解だと伝えたことが自分の中でスッキリしたのかもしれない。
それに、あのアカウントの新着の呟きだ。
『彼氏くん浮気してなかった、私の勘違い。良かったぁ。わざわざウチまで来てくれて、もう彼氏くん大好き♡』
この呟きを見た瞬間に、街中で飛び跳ねたくなった。ほんの少しの理性が抑えてくれたが、危ないところだった。
家に帰ってから、ご飯を食べている時も、風呂に入っている時も、就寝する時でさえ何度見返したことか。
弟からは「どうしてニヤついてるの? 変なものでも食べた?」と本気で心配されたが気にしない。
その日、俺はぐっすりと眠れた。
今まで眠れなかったのが嘘のように。
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