ハプニング
他の女ばっかり見る。
それで蓮子が怒っているのなら、それを続けていればさらに怒って機嫌が悪くなるはずだけど。
怖いなぁ……。
蓮子が本気で怒るとどうなるのか、それとこのアカウントのことも気になるけど、それがきっかけで別れたりとかないよね……。
「蓮ちゃんデザート食べる? 色々あるよ」
デザートの載ったメニュー表を蓮子に見せる。
パンナコッタやティラミスなど聞いたことのあるものから、アフォガートやカンノーロなど見たことも聞いたこともない、想像もできないものまで豊富にある。
正直、どれも食べてみたくてまとめきれないので、蓮子に選んでもらって同じのにしようかと考えているのだけど、当の蓮子はやっぱり怒っているのかスマホを弄るばかりでメニュー表をちらりとも見てくれない。
「じゃ、じゃあ俺はどうしようかな……」
困ったな。
蓮子がデザートを食べたいのかどうかもわからない。俺だけ頼むのも嫌だし、いっそのこと蓮子の分も勝手に頼んでしまおうか。
もし食べなくても俺が食べればいいだけだし。
「このカンノーロっていうやつにしてみようかな。蓮ちゃんもそれでいい?」
「うん」
これまでにないくらいの投げやりな返事だった。
でも『うん』って言ったからデザートは食べるんだろう。よかったぁ。
俺はたまたま近くを通りかかった女性の店員さんを呼び止めて、カンノーロを二つ頼んだ。
ここの店員さんは笑顔の可愛い人が多い。ちょこちょこと動くあの店員さんもそうだし、さっきの店員さんもニッコリと笑ってくれる。
あんな風に蓮子も少しは笑ってほしいな。不愛想な蓮子も可愛いのだから、笑ったら絶対に可愛いに決まってる。
ふと蓮子を見ると、蓮子も俺のことを見ていたのか、さっと視線を逸らされた感じがした。
それから数分が経ち、あのちょこちょこと動いていた女性の店員さんがカンノーロらしきものが乗った皿を持って来た。
「お待たせしました、カンノーロです」
俺と蓮子の前に置かれたカンノーロ。タコスのような形をした、中にクリームが入っていて白いパウダーのかかったものが皿の上に乗っていた。これがカンノーロというやつなのだろう。なかなか旨そうな見た目をしていた。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」
軽く一礼した店員さんは俺に向かって微笑んだ。
うん可愛い。
少し首を傾げた感じで、ちょっと上目遣いだったのがたまらなく良かった。あれを蓮子にやられたらと思うと……やばいな……そのまま死んでもいいかもしれない。
なんてことを考えながらその店員さんが見えなくなるのを眺めていると、突然、蓮子が席を立った。
最初はトイレかなと思ったけど、なんかそんな感じではなく、俺を冷たく見下ろしていた。
「蓮ちゃん……?」
そう俺が訊くと、数秒間の沈黙を置いてから蓮子が口を開いた。
「……帰る」
その声はとても淡々していて、密かな怒りを感じた。
か、帰る……。
理解が追いつかない。何を言われたのかわからない。せっかく頼んだカンノーロは一口も食べられていなかった。
蓮子はテーブルの上に千円札を置くと、足早に立ち去ろうとする。
「ま、待って!」
俺は慌てた。非常に慌てた。自分でも言うのもなんだけどあまり慌てない方なのに、今はまじで慌ててる。だから、立ち上がった時に椅子が倒れても気にしていられないくらいに。
「蓮ちゃん待って!」
周りのカップルたちの視線なんて構わない。
店員さんが何事かと立ち尽くしているのも目に留まらない。
俺は、足早に先を歩く蓮子の腕を掴んだ。
けれど蓮子は俺の手を払うように腕を引っ張った。その勢いで足を絡めたのか、普段見ないヒール付きのブーツを履いているから足を捻ったのか、蓮子は後ろへとバランスを崩した。俺は咄嗟に蓮子の頭を守るような形で手を回し、そのまま一緒に倒れた。
俺の腕は蓮子の背中に挟まれ、瞬間的に痛みが走った。だが、そんなことなんて考えられないくらいの衝撃が俺を襲う。
柔らかくて温かい感触が唇にしっとりと伝ったのだ。
目を開けた時、蓮子の顔が目と鼻の先であり、俺の唇は蓮子の唇と見事に重なっていた。
「ご、ごめんっ!」
俺は咄嗟に体を起こす。
蓮子は怯えたように目を閉じていて、肩が少し上ずっているように見えた。
事故というのは次から次へと起きるようで、俺の膝は蓮子の股に当たっていて、彼女の敏感なアソコ知らず知らずのうちにもぞもぞと刺激していた。
「んんっ」
小さく漏れた蓮子の吐息。それは普通の呼吸ではなく、明らかに色気の籠ったもので、俺がよく見るアダルトビデオのマッサージを受けている時の女優が出すものと似ていた。
な、何やってんだ俺は!
もともと静かな店だ。そこに俺と蓮子がハプニングキスなんてしてしまったものだから、さらなる静寂が包み込んだ。だから先ほどの蓮子の声も聞えていたわけで。
蓮子が俺の体を避けようと押してくる。
「だ、だめ、離れて……」
「ご、ごめんごめんっ」
何だ、蓮子の顔がめちゃくちゃ赤い気がする。
上半身を起こした蓮子は、袖で口元を隠し、俺の顔を全く見ようとしない。
蓮子が短パンを履いていてよかった。もしミニスカートなんて履いていたら下着が見えていたところ。でも、太腿から下を大胆に出した格好は、死ぬほどにエロくて、キスをしたことによって爆発しそうな俺の理性をさらにかき乱してくる。
「お、お客様……」
ちょこちょこと動き回る店員さんがよそよそしく、でもどこか心配した様子で声をかけてきたものだから、俺はほんの少しの冷静さを取り戻すことができた。
「あ、す、すみません! お会計を!」
もうカンノーロなんて知らない。それよりも、頬を真っ赤にした蓮子をこの場から連れ出すことだけを考えた。
俺は周りのカップルや店員さんの視線を受けながら、早々にお会計を済ませ、蓮子の手を取って店を出た。
近くの駅の構内にあるベンチに座る。それまで蓮子は俺の手を振り払うことも、何も言うこともなかった。
「ほんとにごめんなさい!」
それは、俺が蓮子を怒らせたことでもあり、事故とは言えキスをしてしまったこと、敏感なアソコを膝で刺激してしまったこと、そして、テーブルの上に置いた千円札を持って帰るのを忘れたこと、その全てを含めてだ。
本当なら土下座でもするべきなんだろうけど、さすがに駅構内でそんなことをしたら迷惑になるし、何よりお店よりも注目を浴びることになってしまう。
だから、俺は思いっきり頭を下げた。
「ビンタでも罵倒でも何でもしてくれっ、だから、別れようなんて言わないでほしいっ」
まだ別れるとは決まったわけじゃないけど、嫌われてもおかしくないことを俺はしてしまったんだ。
あのアカウントを確認してる場合じゃない。蓮子なのかどうかもどうでもいい。
蓮子は何も言ってくれない。
俺の視界に映るのは地面に転がった中身の出た缶コーヒー。
頭を上げる勇気もなく、ましてやこの沈黙のままは不安が募るばかり。ど、どうしよう、何か言わないと、でも何を言えば……。
テスト期間でもしないだろう頭のフル回転。蓮子に嫌われたくない一心で考えるけれど、謝ること以外に思いつかない。
「じゃあ、ビンタで」
「え……」
どれくらいの沈黙だっただろうか。ようやく蓮子の声を聞けた。それに、ビンタを選んでくれて嬉しかった。
「わかった」
俺は目を閉じて頬を蓮子に差し出す。
ビンタなんて優しいな蓮子は。気を遣ってくれたのか、それとも本当に怒っているのか。どちらにせよ、来るなら来い精神だ。
だが、差し出した頬にきた感触は痛みではなかった。手の温もりがそっときて、ただ頬を触られただけだった。首がもげるほどのビンタが来ると思っていたから、俺は驚いて目を開けた。
「蓮ちゃん……」
いつも通りの無表情で、俺の頬に手を当てている。
怒っているのかどうかさえわからない。
「今日はもう帰る。疲れた」
「あ、そうだね……」
もともと昼食だけの予定だった。
時間も気がつけば午後二時を回っていた。
「送って行くよ」
いつもなら一度は断られていたのに、今日の蓮子は何も言わなかった。ただ、俺から少し距離を取るように歩く速度がほんの少し速い気がした。
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