8-2

 黙ったまま彼女が歩く。僕はついて行く。少しずつ距離を詰める、彼女は何も言わない、彼女の斜め後ろを歩いている。あと半歩の勇気が足りない。何かのフォーメーションを組んでいるかのように彼女と僕の位置関係は固定されている。左に曲がっても、右に折れても、信号で止まっても維持される。僕がしている。三角形の長辺を二人で描いているのではない。彼女が最初からあって、僕が左後ろに陣取り続けている。だからこれは僕の問題だ。その五十センチを踏み込もうと何度も準備動作をしては止める。これから先の物語が転がり出すためには僕は覚悟を決めなくてはならない。永遠にフォーメーションを組んでいる場合じゃない、僕は何だ、彼女の横に立ちたい。

 久美子さんは静かに歩きながら待っている。僕の勇気を待っている。

 失敗なんてない。もし彼女が隣を許さないなら避けるだけだ。でも僕達は横に並ぶことが可能な二人な筈だ。そうでなければ部屋に上げたりしない。何も喋らずに肉を食べてから、繋がったりしない。何にビビってるんだ? 壁なんてない。道は一つだけ、停滞するか進むかだけだ。

 僕は大きく息を吸って、体の底に覚悟を結晶化させる。それは思っていたよりずっと大きな、水晶の洞窟の一番奥に鎮座している塊のような、硬くてシックな輝きを持つものになり、固めてみて初めて、それが十分な覚悟だから、僕は踏み出せる、自覚に背を押された。

 足を上げて、下ろす。

 五十センチ先に、これまで全ての景色が彼女の肩越しだった、視界が開けて、彼女が近くなったのにあまり見えなくなって、探すように僕は彼女の方を向く。

 彼女は少しだけ微笑む。

「千太、最初に服にする? 雑貨にする?」

「雑貨を見ましょう」

 二人で歩いて、雑貨屋に入る。一つ一つ手に取って、「この犬は番犬にいいかもね」「二人のシンボルがいいです」「トロフィーなんて誰が買うのかな」「そう言うのもありですね」「タクアンカッターだって」「特定の状況以外では無駄なものって、唆られますね」と、吟味する。心の中にある珠が会話の度に磨かれて、磨く度にエキゾチックな光を放って、光に照らされた胸の内側が跳ねる。次第に光は強くなり、僕の脳髄まで浸透して、そこでも踊ったら、鼻血が出た。

「大丈夫?」

「問題ないです。ティッシュ詰めておけば止まります」

 鼻血なんかにこの時間を奪われてたまるか。鼻の穴にティッシュを押し込んで、ほら大丈夫、と彼女に見せる。

 彼女は思い切り笑って、店中が彼女の笑い声で染まって、半べその涙を拭う。

「すごい顔」

「そんなですか?」

「ツチノコみたい」

「ツチノコって鼻ありましたっけ?」

「知らない。でも似てる。そうだ、ツチノコの置き物にしようよ。ね、決まり」

 そんな物あるのだろうか。僕が曖昧な顔をすると、彼女は「店員さんに訊いてみよう」とずいずい進んで、僕は置き去りの犬になりたくないから一生懸命その後ろを付いて行く。

「あ、店員さん。あの、ツチノコの置き物ってありますか?」

「ありますよ。こちらへどうぞ」

 あるんだ。

 店員さんに導かれた先は「UMAコーナー」としか言いようのない一角で、人魚とかカッパとかをモチーフとしたグッズが所狭しと並べられている。

「ここらへんがツチノコですね」

 店員さんはその範囲を示したら速やかに退散した。「わぁ」と久美子さんは早速ツチノコの文鎮を手に取る。マグカップ、ペン、ステイプラー、平皿、スプーン、写真立て、ブックエンド、スマホケース、クリップ、にぎにぎするタイプのマスコット、クッション。誰がどう言う気持ちで作ったのだろう。きっと好きが高じてのことだ。そうでなかったら、今日僕達に見付かるために仕込んだんだ。彼女は秘宝の数々に魅了された冒険者のように、全身からふわふわした波動を発して、一つ一つを手に取る。

「このお皿、シュールだよね。ツチノコのお腹の上に何を盛ろうか。カレーが映えるかなぁ」

「僕だったら焼きそばですね」

「どうして?」

「隠れてる感じになって、そこから探し出すんです」

「頭も尻尾も出てるよ」

 彼女はカラカラと笑って皿を置き、ブックエンドを掴む。

「蛇のブックエンドって何か知性ありますって感じがしない?」

「どうしてか、します」

 そうやってステイプラーもクッションも、全部の品について短い議論を交わし、終始彼女は跳ねるようで、それに巻き込まれたのか、そう言う彼女が嬉しいのか、僕にも弾みが付いて、一周検分が終わったときに二人同時に煌めくため息をついた。混じり合ったそれは一気に育って空間になり、僕達二人を包み込んだ。「ツチノコ」と彼女が呟いた。もうツチノコしか二人の象徴の雑貨にはなれない。

「この中から選びましょう」

「私は、文鎮がいいな」

 彼女はそれを手に取ってその頭をひと撫でして、僕に渡す。

「僕も文鎮かブックエンドがいいと思っていました」

「私の理由は、かわいいから。千太は?」

「重いからです。重さが、二人の時間を保証してくれるような気がするんです」

 僕は彼女に文鎮を返す。その重みを確かめて彼女はニコリと笑う。その笑顔は保証することを承認したように見えて、すなわち、関係が続くことを承諾した、直感的にそう捉えてから、それは勝手な解釈をし過ぎだと訂正する。彼女は翔さんのことが終わるまでは続けるけど、その先は分からないと言っていたし、僕達は翔さんのことをまだ何一つ話していない。

「じゃあ文鎮ね」

 彼女は水気のある動きでツチノコの文鎮をその手に携えながら、他の選ばれなかったツチノコ達に視線でさよならを言った。店を出ても、持つと言っても彼女は自分でそれを持ちたがり、衣類の買い出しを終えて部屋に戻るまで離さなかった。

 空っぽの棚にツチノコを二人で置く、置いた途端にこの部屋が彼女の部屋から僕達の部屋になった。僕はこれまで以上に寛いで、そこに座る彼女を眺める。僕の視線に気付いて、彼女はニコリと笑う。

「これで象徴の雑貨はクリアだね」

「何か安定した気がします」

「そうだね。必要な条件だったんだね」

 何の条件だろう。分からない僕を見て彼女が、あはは、と笑う。笑われたって分からないものは分からない。彼女が続ける。

「そんな難しい顔しないでよ。……ねぇ、翔さんとの馴れ初めを教えてよ」

 条件のことを棚に上げて、でも、僕達の時間が終わりに向かって進むとしても、翔さんの話はいずれはしなくちゃならない。それで終わりにはさせないけど。

「翔さんと出会ったのは、五年前のことです――

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