8-3
東京タワーの上から見る夜は、ずっと空が広くて、それはその分夜が広く、ずっと永遠の先まで夜の指を届かせている。客は殆どいない。僕はもう二時間はここに立っている。外的な理由が何かあった訳じゃなく、突然に漠然と、自分の存在が不確かに感じて、とにかく動き回っている内にここに到達した。だから東京タワーに特別な思い入れがあった訳じゃないし、たまたま登ったら、強烈な夜が迫って来た、それで動けなくなった。景色を見下ろすことが僅かに自分の不確かさを中和してくれるようで、でもそれが抜本的な解決ではないことも分かっていた。それでも僕は慰めるように風景を摂取した。どれだけ食べても夜景は減らなかった。だから僕はギリギリまでそこにいようと決めた。
館内放送が流れる。元々少ない客がはけて、周囲には誰もいない。
「僕が最後の客だ」
その響きは一層僕を慰撫して、それは独占ではなく、空中の孤独を知ることで自分の持ち込んだ不確かさが和らぐと言う形で、そのことに却って涙がじわりと目に浮かんだ。スタッフに声を掛けられるまではここに立っていよう。少しでもこの感覚と一緒にありたい。
「君も一人かい?」
振り返るとおじさんがポケットに手を突っ込みながらニヒルな笑いを浮かべている。
「そうです」
放っておいて下さい、そう言おうと思ったのに、喉でそれは止まって、でも僕はまた景色に向く。
「俺も一人だよ。一人の夜にはこの夜景は劇薬だよ」
彼は僕の横に自然に並ぶ。
「それを浴びてるんです」
「何で生きてるのか分からないからな」
僕は息を呑んで彼の顔を凝視する。彼の顔からは笑みは消えていた。
「おじさんも、ですか?」
「歳を取ると殆どの奴が生きる意味とか存在の不確かさとかを、無視するんだ。俺はその例外だよ」
「どうして無視するんですか。僕には出来ない」
彼は首を小さく振る。
「無視しても生活出来るし、向き合っても何も生まれないと諦めちまう。生まれないなんてことはないのにな」
僕が最近ずっと囚われて来たことは、意味がないことではない。そう宣言された。僕の中の張り詰めていた糸が緩んで、それが支えていた涙腺から大粒の涙が溢れる、涙ぐんでいたときと別の器官から流れ出るみたいに。
「僕はどうすればいいのか分からない」
「答えは簡単だよ。突破するまで悩んでジタバタするんだ。後は、一人で抱えないことだな」
「こんな話、出来る相手なんていないです」
「今、してるじゃん。……俺は翔。翔さんと呼んでくれ。俺でよかったら話そう」
「千太」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます