7-2

 一度は眠ったのだけど、夜中に目が覚めた。体には興奮の鱗粉が付着していて、そのまま布団の中で粘っても再び夢を見ることは出来なそう、僕は麦茶を飲みに階段を下りる。

 居間の電気がついていた。ドアを開けるとダイニングで述が小説も読まずに座っている。

「述、起きてたんだ?」

「目が覚めたんだ。それで、ミッドナイトカフェだよ」

 左手に持ったカップを低く掲げる。

「本を読まないのは珍しいね」

 彼はテーブルの上を指す、そこには文庫、でも閉じられている。

「持っては来たんだけどね」

 僕は彼の斜向かいの席に座る。テーブル際のカーテンが開けられていて、窓の外に夜空が見える。彼は立ち上がってキッチンへ、煙草かな。

「千太も一杯どうだい? 淹れるよ」

「じゃあ、貰おうかな」

「いつか、街にミッドナイトカフェを開いてみたいんだ」

 彼はコンロに火をつけたら、コーヒーミルに豆を入れてガリガリと粉にする。ドリッパーをサーバーの上に設置、やかんからドリップポッドにお湯を移して。彼のコーヒーへの想いを初めて見た。集中しながらも楽しそうに彼はコーヒーを淹れた。注いだ二つのカップを持って来る。

「例えば、真っ暗闇みたいな街並みの中に、ポツンと光を放つ大きな窓の店があったら、いいと思うんだ。その店を遠くから見付けたときに、ああ、生きてるって思えるんじゃないかって。その店には小説がたくさん、もちろん俺のお勧めだけが置いてある。煙草も吸える。思い思いのタイミングで来て、しっとり時間を過ごして、帰る。そんな店」

「そこで出て来るのがこのコーヒーなんだね」

 あはは、と彼は笑う。

「このレベルじゃお客さんに怒られちゃうよ。修行が必要」

 飲む。清らかで、す、と流れる。美味しい。

「この味でも?」

「そうだよ。まぁ、今日のは上手く入っているけどね」

 彼は小さな宝物を見付けたみたいに微笑む。

「真夜中の迷子には救いの場所になるね」

「まさに今、俺達二人が『真夜中の迷子』だよ」

「述は何か眠れない理由があるの?」

 彼は首を傾げる、彼越しに見える窓の外に星が一つ輝いている。さっきは気が付かなかった。

「夢を見たんだ。悪夢じゃないよ。テキストだけが流れる夢。小説の読み過ぎのような話だけど少し違うんだ」

「どう言う風に?」

「小説は、文字の、文章の向こう側に行く。でも夢は文字そのものまでしか到達出来なかった。そこに、『お前は何だ』って書いてあった。目が覚めて、そればかりが頭の中を占めて、これは寝られないと思ってカフェにしたんだ」

「お前は何だ」

「問われたって答えられない。でも、ミッドナイトカフェがしたいと言うことは、思い出した」

 彼は文庫を手に取って僕に渡す。表紙には「古灯の下で待って」、パラパラと捲るとやはり書き込みがされている。彼は続ける。

「読んでいる本とは関係はなさそう。しばらく考えてみようと思って、読むのをやめたんだ。千太は理由があるの?」

「明日、出会った人とまた会うんだ」

「それで興奮して?」

「まぁ、そう言うこと」

「それぞれ全然違う理由でカフェで会う。やっぱりこれだ」

 述は目を細めて頷く。蝉の幼虫が成虫を選ぶとき、彼はまさにその瞬間にいるのかも知れない。だとしたら僕が観察することは彼の未来を狭めることになるのだろうか、それとも、共有したのだから強固に促進するものになるのだろうか。でも、もう目を逸らすことは出来ない。逸らす必要がない。

「きっと飲みに行くよ」

「まだまだ時間がかかるけどね。千太、俺は決めたよ。ミッドナイトカフェを目指す」

「確と聞いた。応援する」

 どちらからともなくコーヒーカップを掲げて、乾杯の要領で軽く当てる。チン、と高く硬い音が広がって、それが誓いを固めた証拠のようで、僕達は残っていたコーヒーを飲み干す。

「何か寝られそうだから、俺は寝るね」

「おやすみ」

 述はカップをシンクに置いたら居間を出て行った。残された僕も、体の奥の方で燃えていたものが穏やかになっていて、眠れそう、自室に戻る。布団に横になって、もし僕が「お前は何だ」と言われたらと考えたけど、僕だって答えられない、述のようにはなれない、でも、この命題は僕に今必要なものなのかな。きっといらない。僕は久美子さんと買い物に行く。それで全てでいい。それが全てがいい。

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