7-1
居間に入ると述がいつものソファで小説を読んでいる。昨日と色が違うから別の本だ。僕の気配に顔を上げる。
「ご機嫌だね」
斜めに僕を見て、影になった方の口角を鋭く上げながら、手に持つ文庫をパタンと閉じる。閉じたときに生じた風が僕のところまで流れて来て、彼の言葉よりも鈍く深く、関心を伝える。僕はその問いに答えなくてはならない、黙秘をすることを許さない力が僕の目の前に展開している。その力は関心と言う羽衣を纏った、述と僕の歴史、重ねて来た論理と感情、つまり関係性そのものだ。こんなことに賭けるつもりは彼もなかっただろう、だけど、僕がドアを開け彼がそれを見た瞬間に、自然に、自動に、僕達の関係性が賭せられた、それは不可逆的で不可避で、僕達はまるで運命の上で踊る小鳥のように無力で、ただ一つ可能な羽ばたきはその問いに答えて関係性を守るか、答えずにそれの破壊のチャレンジを――必ず壊れると決まっている訳ではない――するかを選ぶことだけだ。そして、その選択は僕のたなごころの上に無防備に転がっている。だから僕は彼を観察する。
彼は僕の陽性の違和感をキャッチして、好ましいものとして言葉にした。それは概ね合っている、久美子さんとの出会いの下地に翔さんの死があることを加味しても。そこに意識を向けることは、この瞬間の僕にとっての大切さの序列を明文化することだ、それは半身に嬉しく、もう半身に寂しい。
「いい出会いがあったよ」
そうか、と彼は呟いた後、顔を僕の正面に向けて両目で僕の顔をじっと見る。
「それはよかった」
それ以上言わない。だけど、賭けられたものは十分に回収されたことが分かる。僕の変化は僕達のことを脅かさないと、二人ともが感じたと、間に立つ空間の色味が言っている。……もう少し彼女のことを話してもいい、いや、まだ早い。述が由美さんのことを僕に打ち明けたときも、十分に二人が出来てからだった。述は小説に戻り、僕は洗面所に向かう。
鏡に映った自分は確かにどこか燃え盛っているような、浮遊しているような雰囲気で、それが本当に僕なのか確かめるために鏡に右の掌を伸ばす。ひんやり冷たい鏡面にピタリと当てて、僕と、腕と、掌、また腕と僕がひと繋がりになる。僕が口を尖らせれば鏡の中の彼も同じ動きをする。光の屈折によってではなくて、繋がった腕と掌によって彼と僕はシンクロしている。首を振る、足を上げる。同じ動き、だから僕は彼と同じに上気している。鏡から手を離す、そのままの形が鏡の上に残る、それが証明書、僕と久美子さんが現実に出会ったことの証明書のようで、のぼせててもいいや、僕はその印の前で手を洗う。
部屋には昼間と同じ様相で雑貨が並んでいる。置いたときにはもう殆どの興味を失っていたものではあるけど、もっとつまらないものに見える。どうして僕の部屋の多くをこんなもので占拠させているのだろう。それらを並べたときの気持ちも、整理しないで放置している感覚も、思い出せない。同じ違和感を雑貨の方も僕に対して持っている。この小さな齟齬は必ず成長して、決定的な分離に至る。だけどだからと言って今からこれら全てを破棄しようとも思わない。来るべき日が来たら、さよならと手を振ろう。
「明日」
嬉しくて猫じゃらしのように布団の上を転がる。天井からはポスターが僕を見ている、そこに写ったどの美女よりも彼女と一緒にいたい、いられる、象徴の雑貨を探しに行く! 笑いが込み上げて、顔中から漏れ出る。
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