6-4

「一緒にいたいです」

 彼女はニコリと笑う。太陽の笑顔と違う、人の笑顔。

「もちろんそれはOKだよ」

「本当に?」

「千太が疑ってないのは顔を見れば分かるよ。本当だよ」

 何日目かの砂漠で初めてオアシスにありついたような、ほっとするには命懸け過ぎて、頭が理解する平穏に体が追い付かなくて、まだ緊張が解けない。それでも、僕の総身に血管を通じてじわじわと現実が行き渡ろうとしている。僕の状態が均一になる前に彼女が言葉を継ぐ。

「その後のことはそのときに考えよう」

 その日が来るまでは一緒にいていい。それがいつになるのかは全く予測が立たないけど、永遠に来ないかも知れないし、それまでに別の永遠を手に入れているかも知れない。一緒にいれる。胸の中にもう一段花が咲くような赤い感情が広がってゆく。それが脳に届いた、僕は深く頷く。彼女は人としてよりも女神として笑う。その笑顔に照らされて、僕は身動きが取れなくなる。今二人の間には一本の綱が渡っている。昨日にはなかった、玄関でもなかったもの。動いたらそれが保たれるのかが不明だから、今の緊密さのために時間を止めてしまってもいい。

 なのに、彼女が均衡を崩す。

 急に肩を竦めた。女神から人に戻って、綱もふわりと消えた。

「今日も食材がない。また出前取ろうか」

 落差に、僕は混乱して、「え?」、僕達が到達した場所はどこに行ってしまった?

「晩御飯のことだよ」

「晩御飯」

「一緒にいるってのは現実的なこともたくさん熟して行かなきゃいけない。現実として食材がない」

 状況が分かって来たら、雑貨を一緒に買うことを目標にした行動を、滑り込ませてもよさそうだと気付いた。

「外で一緒に食べませんか?」

「外、ねぇ」

 彼女は思案顔になり、何かを決めて、「分かった、外に行こう」と立ち上がろうとする。それを制する。彼女の決断には強く妥協の色が滲んでいたから。

「外は嫌ですか?」

「一日働いて、ヘトヘトなんだ。だから」

「じゃあいいです。出前を取りましょう」

 彼女は座り直す。カツ丼を取ることにした。蕎麦とセットのを二つ。彼女は疲れているから、出前が来るまでにシャワーを済ませると言う。僕は俄かに緊張しながら、どうぞ、と待つ。今度の待つは胸の中に七色の配線がこんがらがっている。性的誘惑なのかも知れない。でも、そんな誘惑を出前と言うタイムリミットがある状態でするだろうか。……これは誘惑ではない。逆だ。僕が無害な生き物と思っているからの行動だ。裏切ってそう言う行動に出ることも出来る。でも、それを彼女の準備がない状態でしたら、ここに来られなくなる。脇道を通らずに、正面から開かないといけない。凝視していたバスルームのドア、僕は頭を振って、テレビをつける。テレビからは僕達の今に関係ない、クラシックの鑑賞番組で、シューベルトが垂れ流される。興味の有無ではない、僕達に全く関係がないから価値がある。シューベルトの人生の一部と作品の連関の解説、……作品ってそのものだけで完結しているんじゃないだろうか? でも、テレビの解説は違うことを言っている。それは作品の起源ではなくて、バイストーリーを楽しむ、一つの楽しみ方だと思う。僕がどうするかは別だ。批判的に吟味しながら番組の最後まで観た。次いで、医療現場の番組、今回は泌尿器科医が主人公らしい。

「上がったよー。出前来た?」

 湯上がりの彼女は紅が差したようで、その姿に胸の奥裏がゾクゾクする。そこは性欲に繋がる直接路を持つ。勃起はすぐにはしないけど、その準備状態になるし、心の性欲は水をかけられたように育つ。

「まだです」

「千太も入っちゃえば?」

 僕は渋い顔をして見せる。

「入りたいのは山々ですけど、今日の僕は元カレの服は着たくないです」

 彼女は少し考えてから、「そうだね」と微笑む。

「明日は千太は来られる? 来られるなら一緒に部屋着とか買いに行こうよ」

「来ます。……そのときに、雑貨も一緒に見たいです」

「雑貨?」

 彼女は棚の上を指差す。そこには何も乗っていない。

「ここに僕が来ていることの、象徴みたいなものを置きたいんです。それも、久美子さんと一緒に選んで」

「面白いね。置こう」

 あっさり主張が通った。その後仕事中の連絡は取れないこと、その他の連絡などのルール、夜間や朝など、を彼女から聞いて、その全てに従うことにした。出前を食べて、テレビを観たら、翔さんの話を全くしていないのに、僕は満たされて、また明日と帰った。

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