6-3
次第に時間の流れがよく分からなくなって、いつからここにいるのか、どれくらいここにいるのか、宇宙空間に漂うみたいに、ずっと同じ僕になった、それは姿だけでなくて気持ちも胸のがらんどうも。だから携帯が鳴ったとき、僕はそれがいつのことなのか判別出来ないまま応じた。
「もしもし」
「千太。ごめんね遅くなって。仕事が今終わったんだ。うちに来たいって留守電聞いたよ。今どこ?」
「部屋の前にいます」
「あれ? 泣いてるの?」
「だって、全然連絡が取れない」
あはは、と彼女の快活な笑い声。僕の気持ちを全然分かっていないのに、その暖かな光で理不尽に僕は照らされる、今日も咲き誇っている太陽のように。
「仕事中は携帯は鞄の中だよ。そこら辺のルール、後で教えるよ。で、もううちの前なんだね。すぐ帰るからそこで待ってて」
述がとても正しいような、極めて間違っているような、携帯をしまいながら迷ったけど、彼女と連絡を取れたのだから僕には僕の携帯の正しさがあっていい。テレビもそうなんじゃないのかな。今は彼に合わせているけど、僕のルールを考えてもいいんじゃないのか。涙を拭いて、でもそのままの格好で彼女の到着を待つ。同じ待つなのに、胸の充実が違う。僕は捨て犬じゃない。
「久美子さんは僕のことどう思いますか?」
もう一度練習する。これまでで一番意味のある声が出た。同時に想像する結末が悲しいものじゃなくなった。彼女は僕のことを気にかけてくれている。少なくとも今日ここに僕が来ることを拒否したりはしなかった。もしかしたらそれ以上の想いを持ってくれているかも知れない。今の「待つ」はそう言う期待で彩られている。吐息まで同じ色をしている。その色を両膝の間に扱いながら、時間によって削られた僕に綿菓子を巻き付けるように、吹き返した息で確からしさを育てる。心地よくて、熱中している間にまた時間の感覚が溶けた。
「おーおー、そこにいたか」
笑顔の彼女。手を振りながらやって来た。電話のときと同じ夏の太陽の輝きに一瞬僕は目を顰める。近くに来るに従ってその光が彼女に収束する、僕は正視することが出来る、しっかりと目が合ったとき僕は立ち上がった。すぐ手の届く距離に彼女は至り、「お待たせ」と眦をさらに緩める。何を言えばいいんだろう。抱き付いて泣きじゃくってもいいのだろうか。違う。そうしたい気持ちはあっても僕達はまだその距離にいない。だったら、練習したことを言うしかない。非難する顔にならないように注意をしながら、彼女の瞳を見詰める。
「久美子さんは僕のことどう思いますか?」
彼女は目を瞬かせてから、ツボを突かれたみたいに、あははは! と笑う。その声がアパート中を通り越して空まで衝いて、世界を僅かに優しくした。
「それは中で話そっか」
何遍呼び鈴を押しても開かなかった部屋のドアが彼女によっていとも簡単に開けられる。中に入ると、彼女は部屋の向こうに荷物を置いてから、居間の真ん中に座る。
「そこに座って」
僕が座すと、彼女は僕の顔をまじまじと見る。
「私が千太のことをどう思うかだよね」
「そうです。今日はずっとそれを考えて生きました」
彼女は遠くの何かを見るように、翔さんに確認をするように、宙に目線を送る。そして、その視線が僕に戻ったとき彼女の笑みは静かな迫力を残すのみとなっていた。
「まだ君のことはよく知らない。だけど、何となく放っておけない。それは翔さんの件が収まったら終わる感覚なのかも知れない。それまでの関係かも知れない。でも、私達はまだ何も始まってないよ。……千太は私のことどう思う?」
一過性かも知れないと言われたことが突き刺さって、息が出来ない。僕は何て言って欲しかったのだろう。でも僕が思うことを言わせるのは、下らなくてつまらない、それ以上に嘘だ。本当に偶然一致しない限りは嘘を求めること、そんな関係になりたいとは思わない。もう捨てられたと思った後に救われたんだ、土砂降りの中から湯船に移されたみたいに、それはそのまま昨日の僕だ、だから昨日以上の久美子さんを求めている。一過性なんて嫌だ。
「僕は……」
彼女は真っ直ぐに僕を見詰める。柔らかくて、受け止めるよと伝わって来る。
「僕は、久美子さんの所にたくさん来たいです。場所じゃなくて、久美子さんに会いたいんです。翔さんのことが終えたら終わりの関係だと思いたくない」
彼女は頷いてから首を振る。
「そんな未来のことは分からないよ」
「それでも」
永遠が欲しいと言いかけて、止めた。求め過ぎだ。求めてもちゃんと断られるだろうけど、そう言う確認がしたい訳じゃない。僕は僕の求める最大を要求する。その最大は僕が思う彼女との深さによっている。大きく息を吸って、少し止める、体の中に取り込まれた空気に僕の成分が間違いなく付着して、それによって構成される声が言葉が、彼女に伝わるものになるように。
「一緒にいたいです」
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