第36話 フランク バイオリン・ソナタ/チェロ・ソナタ チョン・キョンファ(vn)ルプー(p)
セザール・フランクは不思議な作曲家である。
ロマン派が終焉を迎える時代、12音階による現代音楽の台頭、ワーグナーやブルックナーなどによるドイツ音楽の変質の影響をもろに受けた激動のフランスの音楽界。その中で自ら動かず、ダンディやショーソンを初めとした(少々)過激なフランキストと呼ばれる弟子たちに(ある意味)翻弄され、彼らと家族が対立するのを見守らざるを得ず、また彼らのせいでサン・サーンスともやがて敵対することになる、時代に翻弄されたといえばいえるのだが強烈な個性を有している音楽家が多い中で、どこかぼんやりとした感じのする人間である。
もともと彼は生れがベルギーで、彼と弟に音楽の才能を見出した父親に連れられてフランスで暮らすことになった。しかし、父親は息子を自分の思い通りに従属させ、猿回しの猿のように扱い、せっかく入学したパリ音楽院からも退学させる。どうやらコストの掛る学院を退学させ、個人的な演奏会と音楽教師をさせることでカネを稼がせるのが目的だったようだ。
結局家族はベルギーへと戻るが上手くいかず、父親は再び彼をパリへと戻し、再び同じような仕事をさせることになる。やがて、そんな父親との確執が生じて(それもどちらかというとそうした扱いに耐えかねてというより女性の問題で)フランクは父親の下を去ることになる。
その後、パリ音楽院の教授候補になったときフランス国籍を取得していないことが判明した(本来、子供の頃入学時に国籍を取得する必要があり、その申請はしていたのだが、期限付きで成人になった際に無効になっていた)という迂闊さといい、弟子も家族も制御できなかった意志薄弱さといい、やはりとらえどころのない人物像しか浮かんでこない。
父親から授けられたセザール=オーギュスト=ジャン=ギヨーム=ユベール・フランクという大仰な名前を、父親と敵対することになった評論家に
実際の所はわからないけど、音楽に大変な才能をもっていたわりに、実人生では、育ちの良さと人の良さが仇となって、どことなく頼りなく、それでいて、人の良さが手伝ってどこか愛されるべき人間として逝ってしまった、そんな人物像が正しいのだろうか・・・。彼の手になる幾つかの楽曲の中でもっとも有名で、かつ当時の人々にも受け入れられたバイオリンソナタがウジェーヌ・イザイの結婚式に献呈されたものだ、というエピソードもなんとなく作曲家として迂闊な感じを逃れえない。商用に書いた「交響曲 ニ短調」やら「交響的変奏曲」などの名作は余り受け入れられなかった。意気込んで作曲した幾つかのオラトリオも不首尾に終わった。で、他人に献呈した曲が一番人口に膾炙した・・・。どうも、思惑と外れるところが評価されている。そういえばちょっと偉そうな頬髭を外すと、愛嬌のある生真面目な顔が「いかにも」ビジネスに疎そうな表情である。
そんなこともあってか、クラッシック音楽のファン以外には余り知られていない作曲家だろうが、このソナタやシンフォニーは
他のどのバイオリンソナタよりも「編曲」(チェロ、フルート)版が多く演奏されるという普遍性と柔軟性を併せ持っており、なんとなく人のよさげな作曲家の人柄に似た曲であるような気がするのは
ただ、これが結婚式に相応しい曲なのか、というと僕には少し異論がある。やはり結婚式にはもう少し華やかな曲想の方が良い気がするのだ。出だしの少し物悲しい響きは例えようもなく美しいが、幸せな結婚を寿ぐには少々悲観的すぎる。
それでも、イザイは献呈を受けてすぐの結婚式にちゃんとこの曲を弾ききったらしいし、機会があればこの曲を取り上げ、結果的にそのお陰でフランクも有名になった。そういう意味では・・・帳尻は合っているのかも知れない。
余談になるが、プルーストの「失われた時を求めて」という小説がある。たくさん音楽家や小説家、画家などが登場し、本物と空想の人物が入り交じって出てくるのがこの小説の特徴で、その中にヴァントゥイユという作曲家が出てくる。娘が同性愛者でその相手と共にどこか父親を軽んじているという設定である。
バイオリンソナタを書いているフランス人という設定なので、フランクか、或いはプルーストが好んだサン・サーンスのバイオリンソナタを以て、この二人のうちのどちらかがモデルではないか、と言われているのだが、実際にはこの小説には二人とも「名前」が出てしまっている。
その意味ではどちらでもない、というのが正しいのだろう。ただ、この空想上の作曲家は「七重奏曲」を作曲しているのでサン・サーンス(余り知られていないが七重奏曲を書いている)の方がよりモデルの可能性は高い。だが描かれている人柄といえばどちらかというと頑迷な性格のサン・サーンスよりフランクに近いような気がしないでもない。
この曲の名演と言えば、コルトーとティボーによる演奏は外せないのは事実なのだろうし、聞き返してみてもやはりただならぬ雰囲気を持った名演に違いないのだが、曲のもつ透明性からすると録音が余りに古すぎる。例えば、コルトーのショパンならば、セピア色の音色が響いてきてもそれが一つの趣となるのだが、このソナタだと特にバイオリンの音色が満足できないのだ。というわけで敬意を表しつつこの盤は外すこととした。
名曲の割に僕個人が所有している演奏は少ないのだが、実は、チョン・キョンファとルプー、ダンチョフスカヤとツィマーマンという二つの演奏に、結構満足しているのだ。どちらも女性がバイオリンを、男性がピアノを弾いていると言う点で共通している。
結婚式に贈られた曲だからだろうか・・・。
それは関係ないとしても、この曲のバイオリンは女性に向いているのかも知れない。チョン・キョンファは言わずと知れた名バイオリニスト。今生きているバイオリニストの中では屈指の存在だ。実際、今までいくつかのバイオリンの曲について書いてきたのだけど、殆どの曲の候補の一人に彼女はいた。感情表現と言い、技術の高さと言い、バイオリニストに必要な要素をバランス良く兼ね備えた演奏家であり、コンドラシンやテンシュテットとのベートーベンといった名曲からヴュータンやブルッフまで、どれも名演である。このソナタも共演者共々、叙情性に溢れた名演で何度聞いても飽きない演奏である。
バイオリンの線はやや細いが、勁い。なおかつ感情がこもっても決して音が裏返ったりしない端正さを保持している。これがチョン・キョンファの特色で、この曲に限らず全ての演奏に共通している。そしてその特徴はとりわけこのソナタではアドバンテージとなる。
ルプーのピアノも第2楽章冒頭を聞けば分かるとおり、この今日への深い理解と共感を技術に乗せて、チョン・キョンファを支えている。二人はカップリングしたドビュッシーのソナタしか共演した録音はないのだが、もう少しあっても良い組み合わせのような気がする。とは言っても、この二人の特徴がもっとも活かせるのはこの2曲だけなのかもしれない。ベートーベンやブラームスは少し違うだろうし・・・。
ともあれ、冒頭から最後までどこを切り取っても美しいこの曲の、どこをとっても美しい演奏をしてくれる二人はとりわけ、第4楽章の美しい掛け合いで楽しませてくれる。ちょうど二人とも三十歳くらいの時の演奏で、恋人同士が睦み合うような語り口はなんと素晴らしいのだろう。そのまま絡むように盛り上がった演奏はため息のようなバイオリンと共に終わり、どこかエロチックな趣さえある。
ダンチョフスカヤとツィマーマンの演奏はもう少しくっきりとした輪郭を持つ。ダンチョフスカというバイオリニストは余り良く知らないし、調べてみてもクラクフ生れのポーランドの女流バイオリニストでありヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールの3位を初めとして幾つかのコンクールで入賞したことはあるが優勝はないようで、余り詳細はわからなかった。華やかな経歴とは無縁のバイオリニストのようであるが、このフランクとシマノフスキの演奏は出色のできで、果たしてああいうコンクールの優勝というのが正当な評価なのか疑問視するきっかけにもなる。チョン・キョンファより線は太い音で、そこに好き嫌いは出るだろうけど、弾き方はオーソドックスで端正である。ツィマーマンの伴奏もバイオリンと同様にくっきりとした輪郭を持っていて好ましい。
逆にシマノフスキの方はもうすこし茫洋とした水の流れのような輪郭を持っていて、その両方を弾き分けられるというのはバイオリンもピアノも相当の実力を持っている。ポーランドの作曲家による作品を主なレパートリーとしていて、その意味で国際的な評価を受けにくいのかもしれないが、こうした実力のあるバイオリニストが余り知られていないのは少々残念である。一聴に値するアルバムであり、シマノフスキを知るきっかけにもなる演奏であるので、手に取ってみて戴きたい。ポーランドはショパンだけの国ではないと良く分るに違いない。
もう一つ、残りのチェロ版の演奏はミッシャ マイスキーとアルゲリッチの共演によるものである。これも男女のペアだが、ピアノが女性で、バイオリン版とは逆である。バイオリン版に比べると弦楽の音が太くなるので、それに併せてピアノもしっかりと芯のある音にする必要があるのだが、アルゲリッチに
あまりセンチメンタルになりたくないならチェロの版の方が良いかもしれない。マイスキーはロストロポービッチやピアティルゴスキーの
他にフルートの版もあるのだけど、残念ながら今まで聴いたことは無い。ランパルやゴールウェイの演奏があるということはそれなりにフルート奏者にとっても魅力的なレパートリーなのだろう。
取り分け秋にはぴったりの曲である。聴いている内に少し物悲しくなるかもしれないけれど、斜めに入ってくる秋の日差しで聴けば空気は澄明になるような気がするし、夜に耳を
バイオリンソナタ版
*CESAR FRANCK Sonata for Violin and Piano in A major
KAROL SZYMANOWSKI Mythes op.30/Presn Roksany/Presn kurpiowska
KAJA DANCZOWSKA, violin KRYSTIAN ZIMERMAN,piano
Duetsche Grammophon 431 469-2
*Franck Sonata for violin and piano
Debussy Sonata for violin and piano/Sonata for flute, viola and harp
Ravel Introduction and Allegro for harp, flute, clarinet and string quartet
Kyung Wha Chung, violin Radu Lupu,piano Osian Ellis, harp
The Melos Ensemble
DECCA 421 154-2
*FRANCK Sonate pour violon et piano en la majeur
DEBUSSY Sonate pour violon et piano en sol mineur
FAURE Sonate No1 pour violon et piano en la majeur
JAQUES THIBAUD, violon ALFRED CORTOT, piano
EMI CDH 7 63032-3
チェロソナタ版
*CESAR FRANCK Cello Sonata in A major
CLAUDE DEBUSSY Cello Sonata in D minor
MISCHA MAISKY violoncello MARTHA ARGERICH piano
EMI CDM 7 63577 2
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます