第29話 ブラームス バイオリン協奏曲 オイストラッフ/ハイフェッツ

 先だって、シベリウスの協奏曲について書いたのだが、自分にとってのベストの演奏がなかなか決まらないバイオリン協奏曲のもう一つがブラームスのバイオリン協奏曲であった。

 どうも、バイオリンが性に合わないような事を書いているのにバイオリン協奏曲の記述が多いではないか(モーツアルト、ベルク、ベートーベン、シベリウス)と言われると頷くしかないが、ピアノに関しては別に「ピアニストに恋をして」というエッセイに先に書いてしまう事で、ネタが尽きてしまうのである。となればピアノに次いで協奏曲が多いのはバイオリンであり、それは仕方のないことではないか、と取りあえず言い訳をしてから始めたい。


 チャイコフスキーの曲はどんな曲も聴きようによっては「バレェ音楽」になってしまう(交響曲も管弦楽もバイオリン協奏曲に至るまで)のだが、ブラームスの音楽はどんな曲も「交響曲」(序曲も管弦楽もバイオリン協奏曲も)に聞こえてきてしまう。

 どちらの作曲家も「ピアノ協奏曲」だけは紛れもなく「ピアノ協奏曲」に聞こえるのだが、理由はピアノが一般的にオーケストラに組み込まれていないからだ、というだけ、という事まで共通している。

 因みにチャイコフスキーはブラームスのバイオリン協奏曲には批判的だったようだけど(ロマン派時代、だいたいの作曲家はなんとなくブラームスに批判的であったように思えるのはなぜだろう)シベリウスなどは二人のバイオリン協奏曲を評価して、自分のバイオリン協奏曲に活かしたようであり、その意味ではこの二人は(ブラームスとワーグナーのようには)背反する存在ではない。


 今回は主に手持ちの新しい時代の演奏から順次聞き直してみることにした。世評の高い女流バイオリニストのジネット ヌブーとジョコンダ デ ビートは今まで(曲にかかわらず)演奏を聴く機会がなかったので改めて仕入れて聞く事にした。本当はもう1枚、カラヤンとフェラスの組み合わせ(これはもしかしたら曲想に一番適合する組み合わせではないか、と思ったのである)も探したのだが、生憎あいにく、廃盤となって手に入らなかったのでまた別の機会にする。


 先ず、クレーメルがバーンスタインと共演したライブ盤(1982年:新しいといっても既に40年以上前)である。(クレーメルはその6年前にカラヤンとのスタジオ録音をしているが、これは聴いていない)この年、クレーメルはまだ35歳、新進気鋭とへ言えないが十分若手でありながら、既に名声を得て順調に世界的バイオリニストとしての途を歩んでいた頃の録音である。

 結論から言えば、僕はこの演奏を余り評価しない。クレーメルの才能を否定するつもりはない。デ ビートとヌブーによるこの曲の演奏を買う際に、一緒にクレーメルによるフィリップ・グラスとシュニトケの協奏曲を買い求めた(指揮:クリスチャン ドホナーニ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ユニバーサル PROC-1136)のはその証左で、こうした現代音楽に関する彼の積極的な取り組み(ロッケンハウス音楽祭を含め)は高く評価している。ただ古典派やロマン派の協奏曲についてはどこか違和感やそれとは別に物足りなさを感じてしまうのである。

 おそらく、それは「音色」や「演奏スタイル」に起因するのだろう。基本的に線の細い音色でありながら線自体は勁い。そういた特徴が古典派やロマン派のオーケストラとの組み合わせでは余り活かされない。

 シベリウスの協奏曲でも同じであった。それがグラスとかシュニトケなどの現代曲だと逆に活きてくるのが不思議である。古典派やロマン派でも室内楽曲であれば余り気にならないのだが・・・。アルゲリッチとのベートーベンのバイオリン・ソナタなどはベストとまではいかないにしても時折聴く愛聴盤なのだ。

 だが・・・カップリングされているシューマンも同じ事が言えるが、ブラームスの協奏曲では線の細さはマイナスである。分厚い管弦楽に対抗できないばかりか、音量を上げればヒステリックに聞こえてきかねない。どんな演奏家でも得手不得手があるのは仕方ないのではないか。

 但し、カデンツァは一般的に使われるヨアヒムのものではなく、Max Regerのもので、この作曲家を内心評価している僕としてはこの選択は嬉しい限りである。そういうところがクレーメルらしい視点である。また、3楽章の出だしなど、力の入りすぎる先人たちに比べて非常にスマートに演奏しているところなど、さすが、と思わせる部分も多い。上位の選択肢には入らないけれど、リファレンスとしては聴くに値する演奏である。


 次はパールマンが独奏し、ジュリーニがシカゴを振った演奏(1976年)である。実はこれこそ僕が一番最初に買った盤であり、迷走が始まった演奏でもある。ジュリーニの演奏するブラームスの交響曲はフィルハーモニア管弦楽団を振った初期の全集を持っているのだが、それを聴いてもこの協奏曲と全く同じ感想を抱く。つまり、そつのない、良く流れる演奏なのだが・・・、うーん、という曖昧な感想なのだ。

 生憎、パールマンの独奏も「優等生的で、そつのないよく流れる演奏」なのでどこといって欠点はないのだけど・・・ブラームスってこういうんだっけ、とどこか釈然としないまま終わってしまう。

 余りにもゆっくりしすぎるブラームスとか、力の入りすぎたブラームスとか、そういう否定を醸し出す訳でもなく、テンポ良く流れるように終わったブラームス。

 どう言えば良いのだろう?

 例えば交響曲の一番ならあのミュンシュのような腹の底に響く音、逆にバルビローリとウィーンフィルが奏でるゆったりとした天国のようなメロディ、ピアノ協奏曲ならカペルとミトロプーロスの真剣勝負のような緊張感。

 そうした様々なパターンがあるのだけど、スムーズだからこそ印象に残りにくい演奏といったら語弊があるのだろうか・・・。結局この演奏を聴いてからかなり長い間、僕はブラームスのバイオリン協奏曲を聴かずに過ごしてしまったのだ。そして今、もう一度聞き直してもあまり欠点を感じないのだが、ではもう一度聴きたいかといわれると、そうでもない・・・という不思議さ。

 一方でこれを優秀な演奏という評価が出ても、真剣に「違う」とは言いにくい。そんな演奏なのだ。


 オイストラッフがクレンペラーと共演した演奏は1960年のもので、古今亭志ん生の演ずる「火焔太鼓」風にいえば「だいぶ時代がついた」演奏であるが、もしこの演奏を一番最初に聴いていたら余り悩まずに済んだかも知れない。

 60年以上前の演奏ではあるが、独奏・オーケストラ共に実に説得力のある演奏である。褚遂良ちょすいりょうの書のような、泰然としながら美しく明確な楷書であり、線の太さも細さも自在。品と風格を備えた演奏である。ブラームス自身が聴いても納得のいく演奏なのではないか、とまで思う。オーケストラは記載ではOrchestra National de L'O.R.T.Fとなっているが、この名称は1964年以降のものなのでOrchestre national de la radiodiffusion Française(フランス国立放送管弦楽団)、いずれにしても素性すじょうは同じでアンゲルブレシュトの育てたオーケストラであるが、クレンペラーのタクトが支配する重厚な響きはフランスの楽団とは思えないほどである。独奏者・指揮者・オーケストラの三拍子が揃った演奏・・・ではあるが、いちど芽生えてしまった疑問はそう簡単には解けない。

 果たして、これが本当にブラームスの思い描いた演奏なのであろうか?ベートーベンとブラームスの協奏曲には妙な共通点があって、前期のものほど「独奏パートの出が遅い」のだ。例えば、ベートーベンのピアノ協奏曲の4番、5番やブラームスのピアノ協奏曲の2番はほぼ出だしからピアノが登場する。ところが、ベートーベンの3番のピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、ブラームスのピアノ協奏曲の1番などはオーケストラの前奏が約3分半、ブラームスのバイオリン協奏曲は2分半と少し、経過をおいてから独奏パートが始まる。

 これはそれぞれのやり方に意味があって「協奏曲」そのものの在り方にも違いがあると思うのだけど、独奏パートの登場が遅いものほど、「管弦楽テーストが濃い」感じになるのは仕方あるまい。だとするとオーケストラと独奏者ががっぷり四つの演奏がブラームスの構想なのかという疑問はどうしても出てくるのだ。かといって、パールマンとジュリーニのように互いに前褌まえみつをとったまま動きがない、というのも違うのかもしれない。などともやもやしながら別の演奏を聞き進めていくことになる。


 ハイフェッツとライナーの共演はその5年前、1955年まで遡る。こうなると僕に取ってもう「生まれた前の」演奏である。

 オイストラッフとクレンペラーの演奏がどちらかといえば「重い」冬のハノーバーあたりの雪をはらんだ黒雲を思わせる演奏だとするなら、ハイフェッツとライナーはそれよりずっと明るい陽光の射す演奏である。バイオリニストの技術はオイストラッフと比べても目だっている、というか隠しようもないし、隠してもいない。

 ハイフェッツというと「技術的に凄い」という印象を与えるが、室内楽とかを聴いているとそれほどあからさまに目立とうとしているわけではない。むしろすっと聴けてしまうのだが、ブラームスの協奏曲あたりだと驚異的な技術力をの当たりにすることになる。彼自身が作曲したカデンツァを含め、技術というのは「余裕」があってこそであり、「余裕」があってこその「技術」だということを改めて認識させられる。オイストラッフが褚遂良ならば、ハイフェッツの演奏は「蘭亭序らんていのじょ」の王羲之おうぎしのような闊達かったつさがある。

 それを支えるライナーの指揮はクレンペラーのそれと全く違った意味で「凄い」ところがあり、オーケストラパートのあらゆる音が「明確」に聞こえてくる。これはよほどの練習をしてこその演奏であり、オーケストラの「質」はアメリカにおいては「豊富な練習に裏打ちされた機能性」に存在することは取り分け、シカゴやクリーブランドで明確になる。こんな練習をしたらウィーンフィルあたりではボイコットされる可能性がある。こういうあけすけなオーケストラの音を嫌う人もいるが、僕は嫌いではない。1960年前後のアメリカの優秀なオーケストラはヨーロッパの指揮者によって、ヨーロッパのオーケストラでは成し得ない高みに昇ったことは間違えあるまい。シカゴもクリーブランドもボストンも、ニューヨークフィルに至るまで「文句を言いがちなヨーロッパの楽団」ではあり得ない訓練を行ったことにより達成された成果を見たヨーロッパの楽団も内心焦ったに違いないのだ。

 オイストラッフとハイフェッツというのはやはりバイオリニスト界の二大巨人であったということは聞けば誰にでも分かることで、好き嫌いは別として厳然とした事実である。

 ハイフェッツは個性の強さが災いし、技術を鼻にかけているのではないか、と言われるが「そりゃ、鼻にかけるでしょ、鼻にかけてどこが悪い」、というくらいの圧倒的な説得力があるのでへなちょこ評論家や素人が文句を言うのは筋違いなのだ。

 それにハイフェッツは関東大震災があった時にちょうど日本に向かっていて、船中と日比谷公会堂で復興資金を集めるコンサートを行ったというエピソードもあるわけで、日本人にとっては恩人でもある。余り悪く言うとバチがあたるに違いない。


 女流バイオリニストの2枚は先述したとおり、今回初めて購入して聴いたもので、どちらのバイオリニストとも初めての出会いである。初めてではあるが、デ ビートの方はブラームスの2つの演奏とメンデルスゾーンとチャイコフスキーをカップリングした2枚組、ヌブーに至ってはシベリウスの協奏曲を含めた4枚組で、一挙にお友達になれた。

 新しいものから聴くとなると、デ ビートの1960年の演奏、指揮はマリオ ロッシ。恐らくこのCDは放送用のテープから起こしたもの(ライブ)であろう、管弦楽団は全てOrchestra Sinfonica di Torino della RAI(トリノ放送交響楽団)である。

 デ ビートのバイオリンは男勝りの太く力強いものでありながら女流特有の柔らかさも兼ね備えている。一方で、音自体は「常に太い」感じがあり、その意味でやや繊細さに欠ける、という女流としては珍しい音の造りである。全体としてソロ・指揮者・管弦楽団に至るまでイタリア人同士の演奏という事もあってか、気のあった闊達な演奏である。ただ、オーケストラがそこまで上質かというと、第2楽章の出だしあたりでは個々の演奏家の技術がそこまで伴っていないことが見えてくる。

 バイオリンの豊かな音色はブラームスに良く似合っており、オイストラッフやハイフェッツよりやや表情を控えた、人によっては内省的と表現されうる演奏だと思う。オーケストラとの関係で言えば、がっぷり四つタイプの演奏で、女性とは思えぬ力強い造形力がある。ただこの演奏は第3楽章にかなり問題がある。第2楽章までで30分ほどフルで演奏するのでライブだと、どうしても疲れが出てくるのだろう、押さえた弓が踊るのか、出だしからかなり音に無理がでてくる。そうしたフィジカルなものは演奏中に回復することはない。

 もう一つの録音は1952年のものである。戦争犯罪に加担した疑惑が晴れたフルトヴェングラーは前年、バイロイトで有名な第九を振り、明けたこの年モーツァルトメダルとドイツ連邦共和国功労大十字勲章を授与される。その同年、かつての同盟国(?)イタリアへと赴き、お気に入りのバイオリニストのデ ビートの祖国でドイツの作曲家ブラームスを共演したのがこの演奏でもう一つの演奏より8年遡る。

 この8年でだいぶ音色を含めて演奏が変わっている。もしかしたらバイオリンそのものも違うかもしれない。音が随分と繊細なのである。線の細さも60年の演奏に比べて如実に出ている。演奏にかなり強い緊張感があるのはやはりフルトヴェングラーを迎えての演奏という背景もあるのだろう。

 第3楽章では多少の疲れに基づく弓のぶれは感じられるが、若いこともあってか8年後の演奏よりはずっと良い。同じ楽団でありながらオーケストラも最後まできちんとフォローしきっているのは名指揮者の面目躍如というところである。音は抑え気味なのだがバイオリンの音色の邪魔にならないような配慮がきちんとなされている。ただ、録音がだいぶ古めかしい。その点を除けば、僕なら圧倒的にフルトヴェングラーとの演奏を取る。

 ヌブーの演奏は更に遡って1946年、戦後まもなくの録音で、この2年後に再度、インセルシュテットの指揮で再録音(ライブ)を行っており、そちらの方が名盤として名高いようだが、今回は入手できなかったので古い録音の方での感想を記したい。ちなみにこの録音の時(リーフレットによれば1946/8/18収録完了)彼女は27歳の誕生日を迎えた直後である。その11年前にヴィエャャフスキ国際バイオリン・コンクールの第一回で優勝した際、二位はダビッド・オイストラッフ、7位はイダ・ヘンデルであったわけで、少なくとも第一回のコンクールには後に実力を発揮する錚々としたバイオリニストが参加した中での優勝であったことは事実であろう。

 また、ブラームスは彼女のレパートリーの一つであったからこそ、幾つかの音源が残っているに違いない。では、この演奏がブラームスの最上の1枚かと問われれば、残念ながら僕はそうは思わない。もちろん、もう一つのテイクを聴いてから感想を述べるべきだと言われればその点は認めるし、彼女のバイオリンの音色に魅力を認めるに吝かではない。でも・・・これは最上ではない。

 この演奏においてオーケストラが全体に足を引っ張っているのは事実で、これはドブローウェン(ロシア出身の音楽家で、エテボリの首席を務めたこともあるらしい)という、僕もそれまで知らなかった指揮者にも責任の一端はあるのだろう。確信の感じられない演奏で、設立された直後のフィルハーモニアもその後発揮する「録音のために設立されたオーケストラ」本来の機能を発揮していない。ただ、彼女自身も第3楽章などは余り満足できない演奏だったのではないだろうか。出だしから力みが感じられ、そこから少し浮ついた響きへと移行していく。オーケストラもずんちゃか、ときこえてくる始末でもう少し何とかならないものか。スタジオ録音なので取り直しも利くだろうに、と思わせる。名プロデューサーのウォルター レッゲにしては、これはどうしたものか・・・。

 いずれインセルシュテットの指揮のものを聴く機会があったら、その時に再度感想を記すこととしたい。

 

 最後に聴いたミルステインの演奏は1950年、カーネギー ホールでのライブで、指揮はデ サバタ、オーケストラはニューフィルハーモニア管弦楽団という当時としては(レーベルの関係もあって)レコードにはしがたい組み合わせでの共演である。ミルステインの演奏は派手さはあまり感じられず、音も太いというよりは中庸で、並み居るバイオリニストの中では平凡な感じがするが、どうして、非常に巧みな弓捌きで、見直すこと大であった。女流バイオリニストという言い方は余り良くないのだけど、その前の二人に比べるとライブにも拘わらず第3楽章の入りなど、疲れを感じさせるどころか、音を抑えた冷静な入り方で、こうした入りをした方が体力の消費も避けられるというクレバーさも感じられる。当時のニューフィルハーモニア管弦楽団は人によっては低迷期とされているが、そんな事は微塵も感じられない立派な演奏で、カップリングのベートーベンの5番交響曲も秀でた演奏であった。音は万全とは言い難いが、この手の録音としてはかなり良い状態である。

 ミルステインにはこのほかにスタインバーグ、フィルストラーリ、ヨッフムの3つの正規の演奏があるので、機会があったら聴いてみることとしたい。

 全体としてみるとブラームスのバイオリン協奏曲はバイオリン独奏付き交響曲の如く言われる割に、バイオリンの負荷は高いので、その意味では体力的に女性には不利な協奏曲なのかもしれない。その意味ではムターとかチョンキョンファ、或いはヌブーのライブなどを聴いてから結論をつけたいが、今の段階ではやはりハイフェッツとオイストラッフは演奏として一頭地を抜くものである。ただ、曲の構成としてはフェラス・カラヤンのような組み合わせがどのような演奏なのかにも興味がある。まだまだ結論をつけるのは早いのかも知れない。



*JOHANNES BRAHMS

Konzert fur Violine und Orchster D-dur op.77

Konzert fur Violine, Violincello und Orchester a-moll op.102

GIDON KREMER, Violine

MISCHA MAISKY, Violincello

WIENER PHILHARMONIKER

LEONARD BERNSTEIN

Deutsche Grammophon 431 031-2


*JOHANNES BRAHMS

CONCERTO FOR VIOLIN AND ORCHESTRA in D major, Op.77

ITZHAK PERLMAN (Violin)

CHICAGO SYMPHONY ORCHESTRSA

CARLO MARIA GIULINI

EMI CDC 7 47166 2


*ブラームス

ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品 77

ダヴィッド オイストラフ(ヴァイオリン)

フランス国立放送局管弦楽団

指揮:オットー クレンペラー

 WARNER CLASSICS WPCS-23309


*Johannes Brahms

Concerto in D, Op.77

Piotr Ilich Tchaikovsky

Concerto in D, Op.35

Jascha Heifetz, violin

Chicago Symphony Orchestra

Fritz Reiner, conductor

RCA 09026 61495 2


*JOHANNES BRAHMS

Concerto in Re Maggiore per violino e orchestra, op.77

LUTWIG VAN BEETHOVEN

Sinfonia n.5 in do minore op.67

violino Nathan Milstein

New York Philharmonic Orchestra

Direttore Victor de Sabata

MELODRAM MEL 18008


* Piotr Ilich Tchaikovsky

Violin Concerto in D major, Op.35

Johannes Brahms

Violin Concerto in D major, Op.77

Mario Rossi/Orchestra Sinfonica di Torino della RAI

Felix Mendelssohn Bartholdy

Violin Concerto in E minor, Op.64

Johannes Brahms

Violin Concerto in D major, Op.77

Wilhelm Furtwangler/Orchestra Sinfonica di Torino della RAI

Gioconda De Vito, Violin

MEMORIES MR2577/2578


*JOHANNES BRAHMS

Violin Concerto in D major, Op.77

GINETTE NEVEAU, Violin

Philharmonia Orchestra

Isaay Dobrewen conductor


with

JEAN SIBERIUS Violin Concerto in D minor, Op.47

Philharmonia Orchestra Walter Susskind conductor

ERNEST CHUASSON Poeme op.25

MAURICE RAVEL Tzigane/Piece en forme de habanera

IOAN SCARLATESCU Bagatelle4

MANUEL DE FALLA Spanish Dance

FREDERIC CHOPIN Nocturne No.20 in C-sharp minor,

GRIGORUS DINICU Hora stacatto

JOSEF SUK Four Pieces Op.17

CLUAD DEBUSSY Violin Sonata in G minor, Jean Neveau piano

FRITZ KREISLER Grave in C minor in the Style of W.E.Bach

JOSEF SUK Four Pieces Op.17 (No.3 & 2)

FREDERIC CHOPIN Nocturne No.20 in C-sharp minor,Op.posth

CHRISTOPH WILLIBALD GLUCK Melodie

MARIA THERESIA VON PARADIS Sicilienne, Bruno Seidler-Winkler, piano

FRITZ KREISLER Variatios on a Theme of Corelli

RICHARD STRAUSS Violin sonata in E-flat major,Op.18 Gustaf Beck piano

WARNER 0190295490485

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