第24話-2 オットークレンペラーの演奏III (バロック音楽)

 ロマン派と一緒にバロックも前章で片付けようと思っていたのだが、思いのほか筆が滑って長くなったので、章を分けることにした。お陰で第24話-2などという変則的な番号になってしまった。こんなところで計画性のなさを露呈してしまうとは思わなかったが、著者はそれだけクレンペラーの演奏にまり込んでしまったのだと見逃して頂きたい。

 さて、クレンペラーという指揮者は演奏する対象を選ぶ、オールマイティではない指揮者であり、演奏スタイルを鑑みるとバロック音楽とは余り相性が良いとは思えない。とりわけラモーとかグルックのような作曲家をどのように演奏するのか興味があったのだが、意外な事に最初のバッハの演奏を何度も聴き直す仕儀しぎになってしまった。

 バッハとクレンペラーの組み合わせ。厳粛と厳粛のかけ算の「筈」である。最初は管弦楽組曲1番(69年録音)、ついでブランデンブルク協奏曲の1番と2番(60年録音)。そのどの1小節からも予想していたような音が聞こえてこなかった。

 管弦楽組曲はあくまで軽く、弦は跳ねるように、オーケストラは黄昏たそがれの道を歩むように旋律を奏でていく。いや・・・これはあり得る演奏だ。だが、クレンペラーではない、そんな印象しか湧いてこない。むしろ古楽器を使った現代の演奏の方が峻厳さが出てくる。いや・・・ほぼ同時代のカール リヒターの方が、或いはあの温厚なパイヤールの方でさえ。

 なぜだ?楽章が進み、どこまでいってもその思いは変わらない。モーツアルトとは別の意味で想像と異なる演奏。

 これがクレンペラーの不思議なところである。明らかに演奏スタイルが作曲家との関係で化学変化を起こすのは。クレンペラーが「作曲家毎に」演奏の方法を明確に「たがえて」いるからに相違ない。

 ブランデンブルク協奏曲の特徴は独奏者がかなり強い主張をしても放置している事にある。特に第2番のScherbaumのトランペットなどは多少前に出すぎて騒々しくもあるのだが、クレンペラーは抑えない。ある意味共演者におそれられ(例えばあのカスリーン・フェリアーはクレンペラーとの共演を純粋に「怖がった」し、ある女性バイオリニストはつい居眠りをしたところ「ワーグナーの音楽はガキのあそびじゃねぇ」と怒鳴られた)それでも「音楽の神様と共演できるなんて」と崇められたその姿がバッハの器楽合奏ではあまり感じられないのだ。もっともそれこそが指揮者の意図なのだ、と言われればそれまでなのだが。

 ブランデンブルク協奏曲及び2回に渡る管弦楽組曲を全て聴いてみたが、バッハに関する限りクレンペラーは常に自己抑制的であり、悪く言えば「らしさが観じられない」「ないしは何かに躊躇している」という感じからのがれられなかった。

 最初に聴いたのが管弦楽組曲の2度目の録音(1969年)だったのも一つの理由かも知れない。最初の管弦楽組曲の演奏(1954年)のものがすっきりとしていて僕はそちらの方が好みなのだが(取り分け三番は素敵だ)、その時代から特にバイオリンが一音一音「跳ねる」ように演奏されているのが聞き取れるので(第一番の4楽章など)、これは指揮者の意図であり指示なのだろう。それ自体は好みの差であろうけど、例えばベートーベンやブラームス、或いはベルリオーズやマーラーにおけるクレンペラーの指揮に見られる冷徹、峻厳なクレンペラーの音楽への向き合いがモーツアルトとバッハでは感じ取れなくなってしまうのは僕の聴き方の方の問題なのだろうか?

 どうも、その点がはっきりしないので、本来余り聞かない声楽曲が入った「Sacred Music」(宗教音楽集)というものを買った。ベートーベンのミサ曲は既に所有していて被っていることもあり、前から買うか買うまいか悩んでいたのだが、清水の舞台から飛び降りたつもりで購入した(6000円程度なんだから余り高い舞台ではない、というご指摘もあろうが)。

 結果としては、低い清水の舞台から飛び降りる価値は十分あった。取り分けて、「マタイ受難曲」は素晴らしい演奏で、従来余り聞いていなかったこの声楽曲を何度も聞き返すことになるであろう、と予感させる演奏だった。

 この演奏でもクレンペラーは抑制的ではあるが、しかし明確な意図と情熱を秘めた抑制であり、器楽合奏とは懸隔けんかくした質が存在する。静謐で高貴、厳粛でありながら美しい。感情の揺れなく長大な演奏は淡々と進むが、その「感情の揺れらしきもの」の欠如そのものが「感情」なのだと分からせる演奏である。平板というのとは全く違い、調子は変わらないのだが緊張感に漲っている。クレンペラーの演奏の随一というものは幾つかの候補があるが、これもその一つである事は間違えない。それほどの緊張感は感じられないものの、ロ短調のミサも堂々とした演奏である。

 とすると、若しかしたらモーツアルトもあの交響曲を始めとした管弦楽に感じた違和感はオペラには存在しないのかも知れない。おいおい確かめていくことにしたい。


 ついでハイドンである。ハイドンは逆に正直言って不安であった。時代的にも、また音楽的にもモーツアルトと共通する部分が多いのがハイドンである。モーツアルトと同じような違和感を感じるのではないか、と考えたのだが全く見当が違った。堂々とした正統な演奏である。正統な演奏、と言ってもクレンペラーが活躍した時代、ハイドンは漸く再評価され始めた時期でもあるので、何をもって正統というのかという疑問が残るかもしれないが、どうもこれ以外のうまい表現が思いつかない。

 交響曲という形式はハイドンによって完成されたのだが、その意味するものはベートーベンによって変容し、以降「交響曲」というものは作曲家にとってハードルの高い形式となってしまった。しかしそもそもは、ソナタを多用する4楽章形式で、非常に汎用的な音楽である。だからハイドンは100曲、モーツアルトは40曲余りを作曲できたのである。そのどちらかというと気軽な形式の曲をここまで堂々とした演奏に仕上げたのは、多産であった作曲家の行き着いた境地と指揮者の洞察の深さが重なってのことであろう。

 全てが威風堂々とした演奏なのだが、101番の「時計」などはテンポの重厚さと相俟ってまさに年代物の掛け時計のような荘厳さがあり名演である。一方でハ短調の3楽章のチェロなども、いかにもゆったりとした演奏が器楽の一つ一つにも伝わっていて膝を叩くべき所に溢れている。

 ではなぜ、ハイドンはこれほどの演奏なのにモーツアルトやバッハでは違和感があるのか、というと、そこはよく分からないのだけど僕は基本的に「オールマイティの指揮者は存在しない」と思っているので、要はクレンペラーという人はベートーベンやマーラーなどの演奏に相応しい指揮者なのだ。と考えるようにしている。たぶん、クレンペラーはモーツアルトやバッハには格別の思い入れがあり、それが時によって演奏を狂わせることが起きるのではないか。

 では、聴くのが無意味かというとそんな事はない。バッハの声楽が完璧なのはやはり管弦楽の演奏を基礎に置いているわけである。

 モーツアルトの取り分け小ト短調などは、もしかして幾度聴いてもその意図が永遠に分からないかも知れないが、それは必ずしも演奏家側の問題ではない。凡その場合聴き手の方に存在する。例えば僕はチェリビダッケのブラームスに余り肯定的でなかったが、何度か聞き返していると、指揮者がフレーズ毎の完璧さを求め、その結果として演奏がやや遅いテンポになっている事に気づくことがあった。そうすると、視点は転換する。クラッシック音楽というのは基本的にそういう聴き方をする音楽であり、完全否定から入るものではないし、否定で終わるものではない。

 だいたい聴衆というのは指揮者ほど真剣に楽曲に向かい合えていないわけで、聴衆なりの「感想を言うことが出来ても」それ以上の事は烏滸おこがましいのである。でもってその見方を共有したり、或いは気づきを与えられる、それがせいぜいなのであろう。後は演奏家に対する信頼度、それはその演奏者がどれほど深く音楽に対峙しているか、という点であるが、クレンペラーに関しては何の懸念もない。


 ヘンデルは「メサイア」とConcerto Grosso(12の合奏協奏曲op.6)の二曲しか手元にはないが、これもハイドン同様、いずれも素晴らしい演奏である。メサイアはバッハのマタイ受難曲と同様、不変のどっしりとしたテンポで貫かれている。合奏協奏曲は器楽曲であるが、バッハの時に感じたような違和感はなく重厚でクレンペラーらしい演奏であった。ヘンデルもまたドイツに生れ、外国(彼はイタリア)に移住して最後はイギリスで過ごしたと言う点で、ドイツに生れナチスの台頭でアメリカに渡り、最後はイギリスで活躍の場を見つけたクレンペラーと共通する物がある。そんな共通性が産んだ演奏か、と思えるほどにヘンデルの二曲はに落ちる演奏であった。


 グルックの「オーリードのイフィェニー」序曲はワーグナーが手を入れた物らしい(解説によるとワーグナーの改訂の後に更にマーラーが手を入れたと記してあるがそれが序曲に及んでいるのかは不明)が、古楽にうとい僕は知らなかった。僅か十分ほどの序曲なので管弦楽のみ、ロンド形式の曲と言って良いのだろう、旋律が巡廻しつつ厚みを変えていくなかなか興味深い曲で、滅多に聞く事はない作曲家ではあるが、なかなか面白い。ただ、曲自体を知らなかったので、クレンペラーの演奏が他と比べてどうなのか、という点は評価しにくい。

 ラモーは意想外なほどひなびた響きから始まる。そもそもこの曲のオーケストレーションはクレンペラーの手による物で、その意味ではクレンペラーの好みを反映している筈であるが、冒頭から「え?」と思わせる意味で成功していると言えよう。それほどまでにバロック的な響きである。いずれにしろ、所謂正統なバロック音楽ではないが、存外響きはバロックそのもので楽しめた事は確かである。


 どちらかというと古典派やロマン派の音楽の指揮者というイメージが合ったクレンペラーであるが、マタイ受難曲を聴いて少し考えが変わった。また、もう一点挙げるとヘンデルのメサイア、ベートーベンの荘厳ミサを含め、合唱が素晴らしい。合唱を指揮しているのはどれもWilhelm Pitzという人で、余り声楽に詳しくない僕は知らないのだが、このコーラス マスターがいてこその名演であることも付け加えておきたい。

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*BACH, RAMEAU, HANDEL, GLUCK, HAYDON

Johan Sebastian Bach

Orchestral Suite No.1 in C BWV1066*

Brandenburg Concerto No.1 in F BMV1046

Peter Newbury, Sidney Sutcliff, Stanley Smith (oboes)

Alan Civil, Andrew Woodburn (horns)

Cecil James(bassoon), Hugh Beam (violin)

George Malcom (harpsichord)

Brandenburg Concerto No.2 in F BMV1047

Hugh Beam (violin), Gareth Morris (flute)

Sidney Sutcliff (oboe), Adolf Scherbaum (trumpet)

George Malcom (harpsichord)

Brandenburg Concerto No.3 in G BMV1048

George Malcom (harpsichord)

Brandenburg Concerto No.5 in D BMV1050

Gareth Morris (flute), Hugh Beam (violin)

George Malcom (harpsichord)

Brandenburg Concerto No.6 in B flat BMV1051

George Malcom (harpsichord)

Orchestral Suite No.2 in C BWV1067 Gareth Morris (flute)*

Orchestral Suite No.3 in D BWV1068*

Orchestral Suite No.4 in D BWV1069*

all Orchestral Suites above were recorded in 1969

George Frideric Handel

Concerto gross in A minor Op.6 No.4

Christoph Willibald Gluck

Overture Iphygenie en Aulide (arr.Wagner)

Jean-Philippe Rameau

Gavotte with six Variations (orch.Klemperer)*

Johan Sebastian Bach

Orchestral Suite No.1 in C BWV1066

Orchestral Suite No.2 in C BWV1067 Gareth Morris (flute)

Orchestral Suite No.3 in D BWV1068

Orchestral Suite No.4 in D BWV1069

all Orchestral Suites above were recorded in 1954

Joseph Haydn

Symphony No.88 in G *

Symphony No.98 in B flat

Symphony No.101in D 'The Clock'

Symphony No.95 in C minor *

Symphony No.100 in G 'Military' *

Symphony No.102 in B flat *

Symphony No.92 in G 'Oxford' *

Symphony No.104 in D 'London' *

Philharmonia Orchestra

New Philharmonia Orchestra(*)

  WARNER CLASSICS 50999 2 48433 2 4 (8CDs)

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*SACRED MUSIC

J.S. BACH

MASS IN B MINOR BMW 232

Agnes Giebel (soprano) Janet Baker(mezzo-soprano) Nicolai Gedda(tenor)

Hermann Prey(baritone) Franz Crass(bass-baritone) BBC Chorus

New Philharmonia Orchestra

ST. MATTHEW PASSION BMW 244

Peter Pears(tenor) Dietrich Fischer-Dieskau(baritone) Elisabeth Schwarzkopf

(soprano) Christa Ludwig(mezzo-soprano) Nicolai Gedda(tenor) Walter Berry

(bass-baritone) John Carol Case(baritone) Otakar Kraus(baritone) Helen

Watts(soprano) Geraint Evans(baritone) Wilfred Brown(tenor)

Boys of Hampstead Parish Church Choir (chorus master: Martindale Sidwell)

Philharmonia Chorus(chorus master: Wilhelm Pitz)

Philharmonia Orchestra


George Friederic Hendel

Messiah HWV 56

Elisabeth Schwarzkopf (soprano) Grace Hofman(contralto) Nicolai Gedda(tenor)

Jerome Hines(bass)

Philharmonia Chorus(chorus master: Wilhelm Pitz)

Philharmonia Orchestra


with Beethoven's "Missa solemnis"

  WARNER CLASSICS 50999 9 93540 2 2 (8CDs)

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