第25話 ムソルグスキー「展覧会の絵」「禿げ山の一夜」 サー マルコム サージェント指揮 ロンドン交響楽団

 このエッセイのタイトルは「僕の好きな音楽の演奏」である。従い「優れた演奏」だとか「クラッシック音楽というような『カテゴリー』に絞った音楽」と限定していない。

 だからこそジャズやシャンソン、歌謡曲やJポップなども取り上げるという「緩い」選択もありだし、「優れた演奏」とまではいえなくても個人的に印象が強く「好き」だな、と思った演奏も採り上げる事がある。


 言い訳がましい始め方である。うん、端的に言うと、タイトルにあるこのレコードの演奏が優れている、とは中学生の時の僕でさえ思っていなかった。50年ぶりに聞き返してみてもその感想は変わらない。どうしてかというと、ムソルグスキーにつきもののあのやや狂気を感じさせる暗い想念が音符の底から立ち上がってこないからである。なんというか、至極あっさりとした演奏なのだ。

 ついでに言うと、タイトルに挙げたムソルグスキーの他にもう一枚、チャイコフスキーのバレエ音楽のレコードも併記したかったのだけど長過ぎるのでやめにした。こちらのレコードの指揮者はハンス=ユルゲン・「ワルター」の言う名前である。なんとなくあの有名なブルーノ・ワルターの「ばちもん」じゃないか、などと失礼な事を考えたのは僕だけだろうか?

 この二枚、どちらも日本コロンビアから1969年に発売されたものでDIAMOND 1000 SERIESという廉価版の初期に発売されたものである。そしてどちらも板橋区の成増駅の近くにあった映音堂というレコード屋の二階にあったクラッシックレコード売り場で買ったのである。

 たぶん中学2年か3年生のとき。涙がちょちょぎれるほど懐かしい。貯めたなけなしの1000円札(伊藤博文の描かれた札だ)をもって買いに行ったんだ。ですから、この一節は寧ろ「日本コロンビアから発売されたDIAMOND 1000 SERIESを映音堂で買った想い出」とした方が正しいのかも知れない。


 ちなみにムソルグスキーの方の盤の解説の片隅には大木正興さんによってこのシリーズを出すに至った背景や意義みたいなものが書いてある。そして「およそ音楽に親しもうとするひとがだれしもまず十分にききこんでおかなければならない」ような曲を「経済的にもなかなか容易ではない」人向けに発売したものだと説明されている。それを読みながら「漢字とひらがなの使い分けがおかしくないか?なぜ『ひと』とか『ききこんで』がひらがなんだ?『親しい』に漢字を使っておいて」などと僕は生意気なことを思っていたのである。つまり・・・ちょっと批判的であった。

 というのもこのシリーズの曲目解説を大木正興さんや志鳥栄八郎さん、渡辺学而さんなど「レコード芸術」や「週間FM」あるいは「FMファン」などにレコード評を寄せていた人たちが書いているのだけど、このシリーズのものがそうした雑誌の評価で「推薦」や「準推薦」になったことなど「知る限り一度もなかった」のである。でも紹介では「演奏の面でも・・・顔ぶれがそろっていて」などと書いてあって、それが二枚舌とまでは言わないけど、「なんか大人ってずるいよなぁ、一方で褒めておいてでも本当はそれほどの演奏だとは思っていないっていうことじゃん」などと小賢しい坊主は思ったのだろう。


 でも「そうした事情を知る前の」僕はどうしてもこのレコードが欲しかった。思い起こせばムソルグスキーとかチャイコフスキーというメンバーは僕がクラッシック音楽を初めて「いいなあ」、と思った作曲者たちなのだ。その頃の僕はバッハとかベートーベン、シューベルトとかブラームスよりもロシアやチェコの音楽に惹かれた。エキゾチック或いはメランコリックな旋律が小賢しい坊主の心の琴線に触れたのに違いない。

 他にもリムスキーコルサコフ(「シェラザード」)とかハチャトリアン(組曲「ガイーヌ」取り分け「剣の舞」)、或いはドボルザーク(「アメリカ」)やスメタナ(「我が祖国」)・・・。僕の音楽の入り口はそこにあり、この二枚のレコードはまさしくその証左なのである。今でもそうした曲を聴くのは懐かしい。もっとも滅多に聴くことは無くなってしまったのも事実だし、暫くはレコードプレーヤーがなかったので、聴くとしてもこのシリーズのものではなかった。そもそもこれらの演奏は少なくとも単独でCD化されていなかったこともある。(まあ、そういう演奏だとも言えるのだけど)


 だが、マルコム サージェントという指揮者に関しては、今でもCDが発売されていて、つい最近もタワーレコードで「マルコム サージェント全集」なるものを見かけた。この店では以前「エイドリアン ボールド全集」なるものも見たことがあって、イギリスのこの時代の指揮者に、一定のノスタルジアを感じる聴衆がいるのは間違いないだろう。トマス ビーチャムまで含めて、ロンドン交響楽団、BBC交響楽団、ロイヤルフィルハーモニーなど主にイギリスの管弦楽団で活躍するともれなくナイトを叙爵され「サー」の称号を受けることになり、三人が揃うと「サー、サー、サー」でまるで卓球の福原愛ちゃん(もはや、ちゃんでもないし、最近卓球のボールのように叩きまくられているのはちょっと可哀相)の叫び声のようになっているが、実際本当に実力のあるサーは(あくまで個人的見解としては)ジョン バルビローリ一人のような気もする。

 ただ・・・マルコム サージェントについてはその後ウィーンフィルと共演したシベリウスの管弦楽集(フィンランディア他)も手に入れて聞いたときに、これは・・・と気づいたことがある。

 僕はロンドンに5年ほど住んでいたのだが夏になるとロイヤルアルバートホールの近辺でプロムスという音楽会が開催されて、それにつられたかのようにそこら中から音楽家が湧き出してくる。そして建物の中や通りでなんかもゲリラ的に演奏が始まるのである。殆どが学生たちであった。中には結構上手な四重奏団やトリオなんかもあったりするのだが、やはりこのイベントの中心は交響楽団(BBC響が中心)によるコンサートであった。

 その曲目はたいていちょっと軽めの音楽であって、エルガーを始めディーリアスとかブリテンとかホルストなどのイギリスの作曲家に交じってロシアや北欧の音楽なども好まれて演奏されているのだけど、僕の持っているサージェント指揮の二枚は「まさにその雰囲気、プロムスの名残のような演奏」なのだ。

 調べてみるとサージェントはこのプロムスに長く出演していた指揮者であった。このプロムスに出演している歴代の指揮者を見るとボールドやサージェントに混じってマッケラスやらハンドリー、グローブス、プリッチャードやスラトッキンなど「似た匂いの」する指揮者が混じっている。もちろんコリン デービスとかガードナーとかもう少し正統派よりの指揮者もリストにはいるのだけど、このコンサートの本質はいわゆる「肩の凝らない気楽なクラッシック音楽」の色が濃いのである。

 そしてそういうイベントは正統派みたいな肩肘の張った演奏会とは別に必要なもので、音楽の裾野を形成する役目があるのだと僕は思う。サッカーや野球でリトルリーグみたいな形で裾野を広げるとそこから優秀な選手が出てくるようなもので、日本のクラッシック音楽がなかなか成長しにくいのは「そうした努力のあとはみられるけどプロムスのような行事として浸透するまでに至っていない」のが原因かも知れない。

 アメリカにもボストンポップス管弦楽団という、ボストン交響楽団に付随する(というか変容する)軽音楽を主に演奏する楽団がある。もう故人ではあるがアーサーフィドラーという指揮者が有名で「動物の謝肉祭」などのレコードを出していた。アメリカの中でもっとも欧州、とりわけ英国の匂いの強いボストンは同じような文化をもっているのであろう。

 そういう意味で取らえると「展覧会の絵」も「禿山の一夜」もロシア音楽をじっくりと聞き込むというような堅苦しい姿勢ではなく、ちょっとTシャツでビールを飲みながらみたいな伝統のもとでの演奏としては「あり」なんだろうなぁ、と思ったのである。オーケストラのロンドン交響楽団は本来、「堅苦しい」楽団でもあるのだけどこの盤ではかなりプロムス寄りに演奏しているような気もする。

 ならば、それを楽しめば良いのだ。ちなみに「展覧会の絵」などの演奏として僕があげるベストの演奏はモントリオールを指揮したデュトワの演奏とリヒテルのピアノ盤、ホロビッツの編曲によるピアノ盤などだけど、こうした「本格的な演奏」はプロムスのような雰囲気にそぐわない。一方で、サージェントの指揮は「バックグランドで聞いていただいても一向に構わない、なんなら恋人とキスでもしながら」みたいな許容度があるのだ。

 うん、僕には残念ながらそんな相手は居ないけど。


 もう一枚のチャイコフスキーのバレー音楽集の演奏のレベルは「更に」芳しいものではない。どちらのオーケストラも楽団員の演奏技量がまちまちで、「第一バイオリンや管楽器のレベルが低いのだけど、ハープ奏者はそこそこ上手みたい」なバランスの悪さがあって、そういうときは演奏のレベルはだいたい低い方に揃ってしまう。それにそもそもハンブルク放送交響楽団/プロ・ムジカ交響楽団という二つの管弦楽団の素性が怪しい。(どうも名前は別だがほぼ同じメンバーの楽団であるらしい)ワルターの「ばちもの」などと失礼な事を書いたが、この二つの交響楽団のほうも「ばちもの」疑惑が濃い。

 「ハンブルク放送」交響楽団という楽団は正式な名称ではないけれど、その有り様は北ドイツ放送(Nordwestdeutscher Rundfunk)の傘下にあるオーケストラ「ハンブルク北ドイツ放送交響楽団」だと考えられる。ドイツの敗戦を受け1945年に設立され、その初代首席指揮者にはあの有名なハンス・シュミット=インセルシュテットが就任した。この任命は彼がナチス党員ではなかったのが理由だと言われている。そのオーケストラがこの演奏を行った楽団とは思えない。(申し訳ないけどかなりレベルが違う)

 他に「ハンブルク放送」という組織はナチス帝國の傘下にあったReichssender Hamburgと1945年にイギリスが連合国として占領した後Radio Hamburgの二つが考えられようが、この管弦楽団がそのどちらかに属するものとは到底思えない。

 ならばこれは何?という答えはなさそうである。(以下ある程度調査はしたけど本当のところはわからない。あくまでネット上の情報である)ネットで調べるとどうもこの指揮者と楽団に関する幾つかの(日本人のクラッシック音楽ファン)の記事は僕と似通って「昔、そういう指揮者と交響楽団があったのだけど、あれはいったいなんだったのでしょう」的な郷愁に似た思いでを語っている人が「意外とたくさん」居る。でもその正体を曝いた記事はなかったので更にちょっと調べてみた。

 さすがに1番内容の濃いのはドイツのWikipediaによるハンスユルゲンワルターに関する記事であった。ドイツ語は(8年も住んでいたのだけど)不得手ではあるが理解可能な限りで概要を記してみよう。

 「ハンスユルゲンワルターは1919年11月14日バーデンヴュルテンベルク州のプリューダーハウゼンで産まれ1945年から50年にかけハンブルク音楽高等学校で指揮の技術を(特にエルンスト ゲルノト クラウスマンから)学ぶ。1950年、管弦楽団を創設、この楽団は最初ハンブルク青年室内管弦楽団(Junges Hamburger Kammerorchester)と言う名であったが1952年以降はハンブルク室内管弦楽団(Hamburger Kammerorchester)と改称された。1957年戦後の混乱期における競合関係を経て「ハンブルク室内管弦楽団」と「ハンブルク交響楽団」の協力関係が決定すると彼はハンブルク室内管弦楽団から放逐されることになった。その後1959年にロイトリンゲン ヴュルテンベルク交響楽団の首席指揮者となる・・・」(僕のドイツ語はちょっと怪しいのでもし分る方が居たら指摘くださいね。あとあくまでこれはネット上の情報なので正確性は担保されていない)

 しかし・・・だとすると、このレコードのハンブルク放送交響楽団/プロ・ムジカ交響楽団という名称はどこから産まれてくるのだろうか?もしかしたら揉めている最中に名称が使えなくなってこんな名前を冠したのかも知れない。プロ・ムジカというのも意味としては音楽専門家という意味合いなのだろう、しかしこれにもウィーン・プロ・ムジカという立派な(!)楽団(ウィーン交響楽団のこと)があり、どこまでいっても「ばちもの」感が抜けない。それに1957年に放逐されたとしたなら、このレコードが「ステレオ」録音なのかも怪しくなる。モノラル録音を無理矢理分離した疑似ステレオかもしれない、と疑惑はますます深まるのであるが・・・。

 でも、まあ今となってはそれを追求しても仕方ないでしょう。このレコードを出した「日本コロムビア」の名称は復活したようだけど、こんな(怪しげな)レコードを発売していた事さえ覚えておるまい。

 それに先ほど書いた通りウィーン交響楽団をウィーンプロムジカ交響楽団とクレジットを付けたりするのはクラッシック音楽界ではけっこう普通に行われていた慣習である。アメリカなどはもっとひどい(ロビンフッドやらコロムビア(これには更に東版、西版がある)など録音用の名前で、これはレコード会社と楽団側の都合で目眩ましのように使われたいた形跡がある。


 ハンスユルゲンワルターの写真は残っていて、改めてその写真を眺めるとなんか人のよさげなおじさんである。こういう写真を見ると、なんんだか宮澤賢治の書いた「セロ弾きのゴーシュ」の金星音楽団の楽長を思い出すのである。きっと管楽器の奏者に向かって、

「きみ、その象のおならみたいな音をなんとかしたまえ」

みたいな事を言っていたのでは無いかしらん・・・。


 それから数年経って、ロンドン(デッカ)、ビクター、グラモフォン、フォノグラムなどから次々と廉価版が出て、カラヤンやライナー、セルなどの大指揮者の演奏が気軽に聴けるようになった。それと同時にこのシリーズは棚からどんどんと消えてしまったけど、僕を含めて一部のクラッシック音楽のファンには忘れられない懐かしいものなのだと思う。なんというか、「駄菓子」みたいな味わいのある不思議な懐かしさだ。


レコード

*ムソルグスキー  組曲≪展覧会の絵≫、交響詩≪禿山の一夜≫

マルコム サージェント指揮 ロンドン交響楽団

      日本コロムビア MS-1031-EV

*チャイコフスキー バレエ組曲≪白鳥の湖≫作品20、組曲≪くるみ割り人形≫作品71a

ハンス=ユルゲン・ワルター指揮 ハンブルク放送交響楽団/プロ・ムジカ交響楽団

      日本コロムビア MS-1006-AX

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