第27話 シューベルト「死と乙女」ドボルザーク「アメリカ」 スメタナSQ
以前、マルコム サージェントによる「展覧会の絵」やハンス・ユルゲン ワルターによるチャイコフスキーのバレェ音楽について記した。それとほぼ同じ時期、つまり僕が高校生の頃、同じコロンビアレーベルから発売されていたLPを採り上げたい。とはいえ、こちらはチェコの名門であるスプラフォンが録音したものであり、バチもの疑惑に溢れたバレェ音楽とは随分と差がある。
モノラルで、発売時、既に録音されてから二十年ほどを経たことと、EMIに移籍したスメタナ弦楽四重奏団がステレオで「アメリカ」を再録音したことから「廉価版」として発売されたのだと思うが、この時代に発売された廉価版としては珍しく「名演奏」であった。
多少のノイズは入るもののいまだ僕に取っては「現役」のレコードであり、世界にとって「現役の名演奏」でもある。確認した限りではCDとして再発された形跡はなく残念なことだが、スメタナ弦楽四重奏団が五度に渡って録音した事から、敢てモノラル盤を再発売するメリットはないという事なのか?それはずいぶんな勘違いだと思うが、ステレオ盤の少なくとも二回はコロンビアの流れを汲むDENONでレコーディングされているので「大人の事情」があるのかもしれない。
CDでは最初のステレオ録音のものを入手しているが、こちらは同じドボルザークの14番の弦楽四重奏曲とカップリングされている。このように「アメリカ」という曲はドボルザーク自身かスメタナなどチェコの作曲家とカップリングされることが多く、シューベルトの「死と乙女」との組み合わせは大変珍しいが、この「死と乙女」もまた名演であった。
僕自身はこのころロシア音楽に惹かれていたので「アメリカ」を聴きたくてこのレコードを購入したのだけどお陰でシューベルトの名曲と知り合うこともできたわけで良い買い物であった。
まず「アメリカ」に関して。
演奏の質という点ではモノラル盤こそがこの弦楽四重奏団の最良の演奏ではないかと僕は思っている。
ステレオ録音のものは最初のEMI盤しか聴いたことは無いのだけど、世評によればステレオ録音の中ではこれが1番評判が良い。しかし僕が聴く限り、この最初のステレオ盤に比べてもモノラル盤の方が(音質も含めて)優秀である。「死と乙女」「アメリカ」には双方に共通する若々しい緊張感が溢れていて、それでいてこの演奏には「もの凄く正確で高度さ」が両立している。こうした演奏というのは「非常に優秀な演奏家」が「未だに評価されていないが頂点を目指して駆け上がろうとしている」時にのみ可能な演奏である。
残念ながらこのレコードには正確な録音年月も奏者の名前も記載されていない。もしかしたらビオラはスカンパに変わる前の奏者であるリベンスキー(もともとは第1バイオリン奏者であったが、後に指揮者として名声を馳せるビオラ奏者のバーツラフ ノイマンが辞任したときにビオラに転じた)の時の録音かも知れない。メンバーの変更は1956年なのでモノラル録音だとステレオに切り替わるちょうどぎりぎりの時期である。(録音に関してはネット上にシューベルトが54年、ドボルザークが58年という情報はあるが正確かどうかは分らない)
もしかしたら設立当初からのメンバーであるリベンスキーの存在が演奏に影響を与えたのかも知れないが、ステレオ版と聞き比べると僕の言っていることが分っていただけると思う。もちろんステレオ版も定評のある名盤であり、流麗さ(あるいは円熟味とでも言おうか)では勝るのでこちらの評価が高いのも頷けるが、旧盤の「死と乙女」「アメリカ」に共通するなんとも言えない強い意思と緊張感は何に起因するのか?
僕らはそれを想像することしか出来ないが、チェコスロバキアという国家の歴史を思い起こす必要があるのかも知れない。ちょうどこの録音が成されたであろう頃、つまり1950年代の半ばはソ連におけるスターリン批判に呼応してドゥプチェックがチェコにおける社会主義の改革を主張し、ノヴォトニーと対立し始めた時期であり、やがてこれは1968年のプラハの春へと繋がる。本来自由であるべき芸術家にとって、政治的自由への希望、或いは抑圧からの解放という共産主義下特有の希望を彼らも心に秘めていたのではないか。
ちょうどこの頃はソ連からも優秀な音楽家が西欧やアメリカにデビューをし始めた時期で(ムラビンスキー/レニングラードは1956年に公演、リヒテルは1958年にレコードが西側で発売されたし、オイストラフもこの時期にニューヨークフィルとの共演が実現している)スメタナ弦楽四重奏団も1957年にアメリカ、翌年に日本を含めたアジア公演を実現している。そうした政治的な緊張と同時に開かれた自由への希望がこの演奏にどれほどの影響を与えているのか。そこには戦後、自由を謳歌してきた僕らには想像しがたい「思い」があるのだと僕は想像している。残念ながらそうした演奏家たちは既に皆、鬼籍に入っていて今、その思いを確かめる事は出来なくなったのだけど。
未だにロシアでは愚劣な政治が続き、制度的民主主義を標榜する独裁者に民主活動家が「暗殺」されているが、それでも上げる声さえ聞こえていなかった時代よりましなのか、それとも声を上げてもなお、平然とそうした行為が行われる時代の方が悪いのか、不分明になりつつある。
いや、「冷戦時代」には「希望」があったからまだマシだったのかも知れない。この演奏を聴いているとふとそんな風に思うことがある。ドボルザークが素晴らしい曲を描いたあの「アメリカ」をスメタナSQのメンバーはどのように思いながら演奏したのだろうか。
やがて彼らの夢は叶い、今となってはチェコは西側陣営の一つとなっている。しかし、彼らが抱いた曙の光のような希望は既に力を失っているかもしれない。
「アメリカ」に関してはスメタナSQの他にもチェコを始めとした幾つかの東欧の四重奏団が演奏しているCDがあるが、今のところ聞いたことは無い。スメタナSQの演奏が余りに素晴らしいのでなかなか触手が伸びないが、いずれ聴く機会もあろう。それ以外ではアルバンベルクSQのCDを持っているが、これはライブ録音でカップリング曲のスメタナの演奏も含め、このSQにしては珍しく集中力を欠いた演奏であった。
もう一つの「死と乙女」。
シューベルトと言えば、と問えば恐らく「未完成」"The Great"「白鳥の歌」「冬の旅」「美しき水車小屋の娘」などが答えとして返ってくるだろう。やはり交響曲と歌曲が出てくる事が多いのだろうけど、僕は遺作のピアノソナタを最も愛している。取り分けD960の美しさは比肩するものを見つけるのが難しい。ベートーベンの最後の4つのソナタくらいであろうか。死を直前にした天才音楽家の魂の結晶はなぜかピアノソナタに宿る。
だが、シューベルトは弦楽にも素晴らしい曲を残した。そ代表的な一つがピアノ五重奏曲「鱒」でもう一つが「死と乙女」であるが、この二つの曲はまるで正反対の性格を持っている。
「鱒」が、陽の光を浴びた若い森を貫く、冷たい、だが気持ちの良い川の中で弾けるような生命の歓喜を表現する曲であるのに対し、「死と乙女」は古い家の中でベッドに横たわる乙女が「死神」と対話している姿が描かれる。
若くしてこの世を去ったシューベルトの音楽は「死」としばしば結びついている。有名なのは「魔王」という歌曲だろう。中学生になった僕らが最初に音楽の時間で聞かされたシューベルトは「鱒」でも「未完成」でもなく、この「魔王」であった。病に冒された少年を父親が馬に乗せ医者へと急ぐが、その道中で子供は「魔王」に命を掴まれる。その魔王の囁きに恐怖を訴える少年に父親は、それは風に木の葉の揺れる音であると諭す。やがて医者に着いたとき少年は既に息絶えている。そんな話だった。
そこで少年の命を攫う「魔王」も「死と乙女」に登場する「死神」も、「甘美な死を囁く」という共通性を有していて、それはシューベルト自身の死生観にも通じているように思える。こうした生命や愛と、甘美な死との対比は有名な歌曲でも「美しい水車小屋の娘」と「冬の旅」でコントラストを描く。シューベルトにおいては死と生は隣り合って曲を結んでおり、死後に集められた「白鳥の歌」や、遺作となったピアノソナタもまた強く「死」を感じさせる曲であった。
この「死と乙女」というのはそもそも「死神」と「乙女」が対峙し各々の主張を繰り広げる緊密で内向的な曲であるが、曲の堅固な緊張感はスメタナSQのよって息詰まるように増幅されている。音楽におけるこういう「密度の増幅」というのはそこにいた音楽家たちの精神が「生み出した」としか思えない。
いずれの演奏も「超」のつく名演であり、CDで再発して貰いたい思いもあるが時折、人知れず密かにレコードで聞いて懐かしむのもまた一興であり悩ましい思いがある。
ちなみにシューベルトの曲はジュリアードSQの録音しかもっていないが、こちらは優れた演奏で、かつ後期のシューベルトを纏めて聴けるので重宝している。
レコード
*シューベルト 弦楽四重奏曲第14番ニ短調<死と乙女>
ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲ヘ長調<アメリカ> 作品96
日本コロンビア (SUPRAPHON) HR-1002-S
CD
*ANTONIN DVORAK
Streichquartett Nr.12 F-dur, op.96 "Amerikanisches Quartett"
Streichquartett Nr.14 As-dur, op.105
(Jiri Novak/Lumbomir Kostecky/Milan Skampa/Antonin Kohout)
EMI CDM 7 69100 2
*ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 作品96≪アメリカ≫
スメタナ 弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調 ≪わが生涯より≫
アルバン・ベルク四重奏団
EMI TOCE-14084
*SCHUBERT STRING QUARTET NOS.12-15
JUILLIARD STRING QUARTET
incl QUARTET NO.14 D MINOR "Death and Maiden"
(Robert Mann & Earl Carlsys, Violins: Samuel Rhodes, Viola, Joel Krosnick, Cello)
CBS M2YK 45617
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