第28話 ZARD 「負けないで」「揺れる思い」そして「素直に言えなくて」
ZARDがデビューしたのは1991年。その年、僕はもう30代の
もっとも彼らは滅多にツアーもしなかったしメディアへの露出も極端に少なかったから、その意味ではこのグループ、とりわけ
それでも彼らが世間に強烈な記憶を残したのは「負けないで」とか「揺れる思い」という曲の力がよほど凄かったのだろう。グループ自体も歌手も良く知らないまま、僕もロンドンのカラオケ屋さんで「他の誰か」が歌うこの曲を「良い歌だなぁ」などと思っていた記憶がある。まだ負けたくない、そんな年齢だったから・・・だろうか?
うかつなことに彼女が亡くなった2007年になって、その
疑惑に包まれた政治家が同じ日に自裁し、彼女が入院していた病院に担ぎ込まれたことは明確に記憶があり、最初ニュースを聞いたときはそちらのほうに注意が向いていたような気がする。
そんな「うかつ」な僕が彼女を初めて見たのは恐らく「彼女の死を報じる番組」で「まだ元気だった彼女」が歌う姿を見た時だった。
衝撃だった。
「負けないで」を歌う彼女の姿・・・それは、変な言い方かも知れないけど、「永遠の、僕たちの憧れの学級委員長に見えた」から、だ。もちろん彼女は僕より年下で、実際に学級委員であったかなんて、まったく知らないんだが・・・。そもそも彼女がデビューしたのは24歳の時である。だから、それ以降の映像を見ているくせに、いくらなんでも学級委員長ということはあるはずもないんだけど、でも坂井泉水=学級委員長という印象は、なぜかいつまでも強く残った。いや今でも・・・。
彼女の清楚で毅然とした、「ちゃんとした女の子」的な雰囲気、美しいけれど他人の干渉を受け付けない野に咲く百合のような雰囲気。いや・・・それだけではない。なんというか「心の形」のような彼女の佇まいや表情は、「どうしようもない中学生の僕ら」を諭して、大人にしてくれる触媒のような存在に見えたのだ。こちらも、もうとっくに中坊は卒業していたのに・・・。
あ、妄想が始まってしまう。
quote
中坊の3年生の事だったの時。夏休みの直前最後の授業が終わったとき、クラスメートの女の子が返ってきたばかりの答案用紙を落としたのを僕はさっとひったくるようにして拾うと大声で言った。
「篠田 85点、優秀だねぇ」
篠田は真っ赤な顔をして僕からテストを奪い返すと、それから教室の隅へ駆けていってしくしくと泣き出した。彼女の友だちの女の子が二人、寄り添うようにして彼女を慰め始めた。別に点数が悪いわけじゃない。85点。恥ずかしがるような点数じゃないから、と思ったのに・・・。やさぐれた気分になって僕がその場を離れようとした時、学級委員長はさっと前に立ちはだかるとキッとした目で
「そんなことしちゃ、だめだよ。西尾君。謝りなよ」
って言った。僕は気を削がれたように突っ立ったまま反論した。
「え、泣くほどのことじゃないじゃん。点数だっていいんだし」
でも彼女は、
「それを決めるのは君じゃない」
ときっぱりと言ったんだ。彼女はとっても怒っていた。初めてそんな顔の彼女を見たんだ。
「なんだよ、つまんないの」
ぶつぶつ言いつつ、彼女に二度と「そんな表情をさせてはいけない」と思っていたのはなぜだろう。雛にちょっかいをかけた猫が親鳥に
「悪い、篠田」
教室の隅で篠田はまだ泣いていた。彼女を慰めていた二人の女子が代わる代わるに僕を睨んだ。
その日、男の子らはみんなズック鞄を肩に掛け、上履きのズック靴を家で洗うために、手に持って下校していた。僕らの学校は坂の上にあって駅までの路は歩いて十分、路の脇にはポプラの薄い緑が日をかろうじて
「ねぇ、西尾君、ちょっと待って」
声がした。振り返ると後ろから学級委員長が駆けてくるのが見えた。女の子は革の鞄なのだけど、手にした上履きのズックは男子と同じだった。つま先がピンク、という事だけが違っている。そのピンクが妙に鮮やかで履き古したものには見えなかった。
「ん?」
さっきの続きが始まるのだろうか?もう謝ったのに・・・。僕の横に並ぶと学級委員長は小声で
「ね、西尾君、さっきのことだけど・・・・。怒った?」
と訊ねた。
「え?」
意外な言葉に僕は驚いた。
「怒ってなんかいないよ」
「そう?」
疑わしげな目で彼女は僕の横顔をちらりと眺めた。
「うん。怒ってないよ。ほんとに」
肩を並べるようにして歩きながら、彼女はまっすぐ坂の先を見つめていた。
「でもさ、みんなの前で言っちゃったのは、どうかと思って」
「そんなことないさ。だって言っていること正しいし。学級委員長の仕事だと思うし、ちゃんとしてるよ」
「うん・・・でも」
彼女は髪を掻き上げるような仕草をした。
「ううん、ほんとうは私だってちゃんとしていないから・・・人のことを言えないと思うし。みんなの前で叱っちゃったみたいで。そんなことして良かったのかなぁ、と思って」
僕は黙ったまま歩き続けた。彼女も少し俯いたまま僕と並んで歩いていた。坂の途中に、ベンチが置いてあってその周りが開けている場所がある。
「ねぇ」
僕の言葉に彼女は
「委員長のさ、ちゃんとしているって、どういうこと?」
「ちゃんとしているって・・・そのまんまじゃない?」
彼女は言葉を選ぶようにして、ゆっくりと言った。
「ちゃんとしているって、どこからも文句が出ないことではないんじゃないかな」
「え?」
「自分がちゃんとしているかいないかは別として、やっぱり正しいと思うことは言った方がいいんだよ」
「そう?」
彼女は首を傾げた。
「うん。だって俺だってやっぱし良くない事をしていたって委員長が言ったからそう思ったんだし。それに、委員長はいつも自分が正しいかどうかって考えているって事だよね」
「・・・」
「正しいっていうのはそんな風にいつも思っていることじゃないかなぁ。定規をきちんともってさ、計っているっていうかんじ」
「ふふ」
彼女は少し笑った。
「西尾君ってそういうことを言うんだ」
「うん」
僕はなんだかちょっと恥ずかしくなって手を振った。
「いいだろ、別に」
その時僕の手から上履きが離れて彼女の前に転がった。膝を揃えるように斜めにしゃがむと、彼女はそれを拾い上げた。
「あ、悪い」
僕は急いで手を差し出した。
「臭いよ。早く」
彼女はふふ、とまた笑った。
「大丈夫よ。臭くなんてないわ」
そう言って
「西尾君のこと、ちょっと見直した」
「見直したって、つまりは前は・・・」
がっかりと肩を落とした僕に向かって
「そんなことないよ」
と彼女は慰めた。なんだか年上のような振る舞いに、
「定規に振り舞わされるなよ」
毒づいたけど、彼女は透き通った声で
「分ったわ」
とだけ答えた。目の前を学生たちがさざめき合いながら通っていく。
「空、きれいだね」
夏の、真っ青な空が生徒の頭越しに広がっていた。明日から夏休みだよ、って言っているそんな空だった。
「うん」
僕は頷いた。
翌年、僕らは中学を卒業し、彼女と僕は別の高校になった。それでも、あの夏の日のことは今でも時々思い出すんだ。そして思い出す度になんだか鼻の奥がつんとするんだけど、なぜなんだろう?
unquote
うん、妄想かも知れない。いや、妄想そのものです。でも、きっと彼女なら同級生の男の子を「君」付けで読んだに違いない。それは妄想と言うより希望なんだ・・・。
妄想の暴走・・・。すまない。音楽の話にさえなっていないじゃないか。
・・・というわけで、残念なことに僕は彼女の歌に関して最初から彼女のファンであった人たちに比べて「同時性」を有していない。彼女の歌の「順番」に関しても無知であれば、彼女の歌と自分の人生の出来事がリンクすることもない。それはファンとしてはある意味、致命的であって、
「そういえば高校の時に佐藤ってやつが浅田美代子のファンでさ。かちあって、ちょっといやだったなぁ」
とか
「最初に買った車、あのカローラのSRで松田聖子を聞きながら中央高速を走ったなぁ」
などという(特に僕が浅田美代子さんとか松田聖子さんのファンだというわけでもないのだけど)ファンとしての「ちゃんとした記憶」がないのだ。
でも坂井泉水さんの場合、そういうファンも多かったようだ。豹は死して皮を留め、人は死して名を留む。いや、名だけではなく彼女は新たなファンを獲得したのだ。惜しまれつつ亡くなった芸能人は少なくない。だが彼女ほど「新たな支持者」を獲得した人はいないのではないだろうか?それはいったいなぜなのだろう。学級委員長説はともかくとして、彼女のビジュアルに心惹かれた人もいるに違いないし、耳に残っていた歌を彼女の死によって改めて聴き直したという人もいるだろう。僕はそのどちらでもあるわけだけど、彼女の死はある意味で伝説となった感さえする。その葬儀には4万人を超える人を集め、10年の間毎年のように追悼のイベントが開催された。
正直なところもっと上手な歌手はいっぱいいるんだろう。だが、ふと心が折れ掛ったときとか、何かに挫折したとき、夕日を見て寂しくなったとき、寄り添うように響いてくるのは彼女の声なのだ。彼女の歌は「彼女の詩」と「彼女の歌声」の共同作業として成立し、幾人かの優れたシンガーソングライターと同じように夏の夜空の星座として輝いている。
彼女は恋の歌もたくさん歌っていて、それは彼女が歳を取ってから歌ったときでさえまるで学生の時のような色と音と言葉に満ちている。それでいながら、ラブラブで幸せでしたなんていう歌詞は一つもない。そういう気持ちになったことが一度もないわけではないだろうに・・・。歌は、恋心を一人抱き、二人でいてもどこか不安な気持ちがわき上がってくるとき・・・そしてその恋が破れたときにしか作られないかのように。「ハートに火をつけて」という曲でさえ・・・ハートに「火はついていない」事の裏返しなのだから。 彼女は実はとても「感情に臆病」で相手を思う感情が「恋」までなかなか昇華しないような奥手な「少女」であり続けたのではないか(そうで在って欲しいという願望も含めて)どの写真も何となく寂しげで物思いの先に見えている物が何なのだろう。
彼女の歌は濡れている。湿っているんではなくて、若葉が朝霧の露に濡れているかのように、輝いて、美しい。或いは彼女(蒲池幸子)が泉水という名前に籠めたような清冽さに満ちている。実際の彼女がそうであったかはわからないけど、彼女の心の器の形はいつも同じだったような気がする。
そして彼女自身は常に何かを保留している。その中身も理由も僕らには分らないし、彼女自身誰かに何かを積極的に求めているわけではない。それでいて彼女は誰かを応援しているのだ。頑張れ、と。その頑張りがいつか彼女に返ってくることを希求しながら。
ここに敢て挙げた「負けないで」と「揺れる思い」の二曲は紛れもない名曲である。だがそれは歌詞だけではなく、彼女の歌い方にも他の楽曲にはない伸びと明るさが感じられるからだと僕は思っている。涼しげな高原の夏の空のような青さ。この時彼女自身もとても「幸福だった」のだろうと信じられる響きがそこにある。でも、それが彼女の全てか、或いは本質かと言うと、どちらかというと少し屈託した歌詞と歌い方が彼女の声に似合っている。彼女の最後のシングルとなった「素直に言えなくて」はその死後2年目、三回忌の時に発売されたものだけど、そのジャケットに使われた彼女の表情は「閉じて」いて、彼女自身がリアレンジを望んだ曲。そのタイトルが「素直に言えなくて」というのはどこか象徴的なのではないだろうか?
僕が買ったCDには彼女のhistoryが添付されていて、それは彼女の死後も更新され続けられていた。それを見ながら僕は彼女のキャリアを辿ってみる。
彼女は地方出身者ではない。都会に憧れ、煌びやかな夢を見て、その夢の中で生き続けることを試みる地方出身の女の子たちは多い。むしろ彼女が生れた神奈川のような土地はそういう夢を見るのは中途半端な場所のように思える。彼女は普通の高校へ行き、短期大学を卒業して企業に勤めた。
そんな「とても普通の」可愛い女の子は、その二年後、突如芸能界に身を投じる。22歳。どう考えても芸能界に入るには歳が行きすぎている。彼女がその時、何を考えていたのかそれを知る手がかりは僕にはないし、彼女が選んだ「モデル」や「レースクイーン」という道は決して平坦なものではなかったと思う。そもそも「あがり症」でテレビに出演すると「腰が抜けてしまう」ような彼女がなぜ芸能界という道に進んだのか?
少しだけ残されたDVDのビデオで歌っていないときの彼女は、どこか自分の置かれた状況に戸惑ったように、カメラを見るともなしに目を泳がし続けているようだ。なぜ、自分がそんな状況にいるのか理解できないまま、「世界の要求」に従っているようにさえ見える。
撮り終った後に、
「あーあ、」
とちょっと疲れたような声を出して、スタッフから
「疲れました?」
と聞かれると、内心は嫌だなあと思いつつ、
「大丈夫だよ」
といつもより少しテンションの低い声で応える。そんな風景が見えてくるような気がする。その全てがなんだかひどく愛おしい。でも・・・彼女は僕らが「理解しようとする」ことを、時に気ままに許してくれるだけで、レースの向こうに隠れた彼女の本心は僕らには見えないのだ。いや、時として「彼女自身にも」。
そして不本意にも彼女は病を得、彼女の体を押さえる腕もなく、彼女の墜ちていく体を受け止める胸もなく、おそらくその魂は初夏の星座へと吸い込まれていったのだ。
生前に余り語らなかった事によってむしろ彼女は「多くを語ことになり」未だに「語り続けている」。後れ毛が眩しいその横顔は、これから誰に何を語り続けていくのだろう。
うん、このチャプターを書きながらなぜかもう一つ湧き上がってきたストーリーを僕は近いうちに短編にして掲載しようと思う。話の筋はもうできあがっている。「単なるおじさんの妄想」という
楽しみにしてください。
"Golden Best" 15th Anniversary ZARD JBCJ-9019~20
Brezza di mare dedicated to IZUMI SAKAI ZARD JBCJ-9024
素直に言えなくて ZARD JBCJ-6013
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