第13話 ベートーベン 交響曲7番 カルロス クライバー ウィーンフィル管弦楽団

 全ての交響曲の中でどれが一番好きかと尋ねられたら「ベートーベンの7番」だ、と僕は躊躇ためらいなく答える。実際にこの曲にどっぷりとはまっていた時期があり、ベートーベンの交響曲の中で一番多くレコードやCDの枚数を持っているのも7番である。交響曲としては40分程度の比較的短い曲であるが、その短さに関わらずこの7番と続く8番こそは作曲家としてのベートーベンが頂点を極めた交響曲であり、「合唱付き」の9番は交響曲と「宗教曲」の系譜をひいた別のカテゴリーだと僕はひそかに思っている。

 まあ、そうはいってもモーツアルトの後期の交響曲、シューベルトの「グレート」、メンデルスゾーンの「イタリア」や「スコットランド」、ブラームスの四つのシンフォニー、ブルックナーの四番や七番、マーラーの五番や九番など好きな交響曲にいとまはない。

 これは女の子と一緒の話だよね。誰かの事を真剣に好きでも、他にも気になる女の子って必ずいるものだ。

 昔、そう、今から二十年ほど前会社の女性たちと品川から出る屋形船に乗って東京湾へ出かけたことがあって、その時「西尾さんてどんな女性が好みなんですか?例えば女優さんでいうと?」と聞かれた時に僕は「内田有紀さん」と速攻で答えた。

「え、どうしてですか?」

 あまりの早い反応に相手はびっくりしたようだった。もちろん、内田有紀さんのことは好きだったし、今でも好きだけど(どうすれば、あんなに綺麗なままでいられるのだろう?)じゃあ、内田有紀さんだけだ好きかと聞かれれば、そうではなく、少し年齢高目で言えば、若村麻由美さん(「御家人斬九郎」の若村さんが一番美しい)大路恵美さん(「剣客商売」での佐々木三冬役のりりしい姿が好きだ。もしかして僕は時代劇フリークなのだろうか?)や、若手なら(最近結婚してしまったけど)阿部純子さん(以前、「遺留捜査」というドラマで酒造会社の社長兼杜氏の役をしたときのユニセックス感が素敵だった)も好きで、つまりは彼女たちは交響曲で言うと「グレート」や「スコットランド」なのであって、内田有紀さんこそはベートーベンの7番なのだ。ちなみに新垣結衣さんは交響曲と言うよりセレナーデかなぁ・・・。

 ううむ・・・。話が変な方向に行っている。だいたいよく考えてみれば「あなたにとってどの交響曲が一番好きですか?」なんて聞いてくるクラッシック音楽好きの人間なんて周りにいないし、アンケート調査でそんな質問があった試しもない。女の子に関する質問なら山ほどあったけど・・・。


 妄想もうそうが発した質問とはいえ、れ込んだベートーベンの7番のベストというのはなかなか難しい選択肢であった。この曲を初めて聴いたカラヤンのウィーンフィルとの演奏は思い出深いし、クレンペラーのフィルハーモニア管弦楽団との演奏など素晴らしい演奏もあるし、オットーマル スィットナーなど目立たない指揮者も良い演奏をしているし・・・。

 なんだかんだと15枚に及ぶCDを聴き返した中での一番は結局カルロス クライバーがウィーンを振ったものだった。

 全体的に言ってこの交響曲について言えば1楽章と2楽章は迷わず走りきった演奏の方が正解、という感じがする。とりわけ2楽章はこの曲の中で難しい部分、アレグレットという指定しかないが、演奏のしようによっては葬送のイメージが出る。ここをゆっくりと演奏するのか、早めに演奏するかで曲全体のイメージは大きく変わってくる。ちなみに初演の時はこの第2楽章が圧倒的な人気でアンコールもこの楽章を演奏したと言うが当時の聴衆の耳には他の楽章が刺激が強すぎたのかもしれない。第1楽章の長音階や4楽章の最後は聴衆に決定的なイメージをもたらすのだが、曲の構成としては第2楽章だけが少し特殊な曲想なので、ここの処理をどうするのかで指揮者の曲に対する全体の構想が分かると言って良いだろう。

 ちなみにクライバーは8分と数秒という比較的速い速度ででここを駆け抜ける。より速いものもあるのだけど、遅いものだと10分を超えるものもある。クライバーの指揮はこの交響曲を起承転結として捉えている。起の1楽章を受けてクライバーはきちんと第2楽章を転ずる。

 そして3楽章・・・クライバーの演奏の白眉はくびである。もたもたするとズンチャカと聞えてしまいがちなこの楽章と次の楽章をクライバーとウィーンフィルは一瞬の緩みさえ感じさせずに弾ききり、4楽章のクライマックスへと一気に登っていく。そして最後に一瞬で動きを止めたその先に聴衆は天に向かってそびえ立つ塔を見る。どの楽章、どのフレーズ、どの音一つとっても文句を言いようのない完璧な演奏である。Apotheose des Tanzes(舞踏を神格化し礼賛する)とワグナーが称したこの曲の真髄しんずいがクライバーの手によって明らかになる。

 そのクライバーが振ったもう一つの演奏がオルフェオからでている。ウィーンフィルトの演奏から6年後、1982年にバイエルン歌劇場で付属のオーケストラを振ったライブ録音である。これはもう・・・ウィーンフィルとのものよりも更に疾走感しっそうかんのある演奏でその余りに速いテンポに唖然あぜんとする。クライバーはのりのりだけど、オーケストラはさぞかし大変だったであろう。バイエルン放送交響楽団は決して凡庸ぼんような楽団ではないが、緻密ちみつに何度もリハーサルを重ねたであろうウィーンフィルに比べたら精度は落ちる。だがその高揚感は引けを取らないし、とりわけ弦楽のパートは健闘している。

 もう一つ選ぶとしたらオットー クレンペラーの指揮によるものだがクライバーを推すのとは全く違う理由からだ。ワインガルトナーが「他のいかなる曲よりも精神的に疲れる」と評したそのわけが分かるこの演奏は第1楽章出だしからのオーケストラの煽るような音色が、例えれば虹色のような不思議な光を発する。これはクレンペラーが意図したのであろうか、それとも自然にそうなるのだろうかわずかな音のずらしが発色するように思える不思議な感触で、聴けば聴くほど癖になる。こういう音は常人では出しかねると言う意味で、そこにこの指揮者の狂気を感じる。例えて言うならばヴィンセント ヴァン ゴッホの「星月夜」のあの光、あれは視覚に異常があったゴッホが実際に見えたありのままを描いたもので、その色調に僕らは不思議な魅力を見る。それと同じ事が音楽でも起きるのだ。不思議な始まり方のわりに2楽章は淡々と進む。テンポもゆっくりとしたものでクライバーより1分以上遅く、「葬送」感は薄いのだが垂れ込めた寂寥感せきりょうかんがひたすら続くような演奏である。

 3楽章は、2楽章の憂鬱から解き離れたかのように勢いよく飛び出す指揮も多いのだがクレンペラーはそんなこともない。淡々とかつ重々しく進めるのである。4楽章も同じように比較的スローなテンポで始まる。無骨というか不器用というか、時々オーケストラはよろりと蹌踉よろけるような音を出す。おとなしくこのまま終えるのかと思っていると、終楽章のエンディングに向けクレンペラー独自の音の構成は精緻なゴシック建築様式のような「音の塊」として発現し、再び聴き手は圧倒される。このジェットコースター的な演奏はベートーベンも持つどこかちょっと常人とかけ離れた感覚を視聴者に呼び起こすという点で他の指揮者に真似しがたいものがある。正直言って「まとも」ではない、その解釈が凄い緊張感を生んでいる。


 1990年 レオナード バーンスタインがタングルウッドでボストン交響楽団を振ったライブ録音は72歳で演奏の二ヶ月後に逝去したバーンスタイン最後の録音という意義のあるものである。非常にゆっくりとしたテンポでの明朗な演奏であり、その明朗さは例えばクレンペラーの演奏と対極にある。一般的にデュオニソス的と呼ばれるこの曲がバーンスタインの手にかかると微妙にアポロン的なものとなっている。これはバーンスタインの気象きしょうにもよるものだろうが、この演奏にはそれと共に彼の老いを感じてしまう。バーンスタインにはニューヨークフィルやウィーンフィルを振ったものもあり(おそらくではあるが)これほどテンポは遅くはあるまい。おそらくそれを聴けばそちらの方を僕は評価するだろう。

 ミュンヘンフィルを振ったルドルフ ケンペのものも1楽章は非常にゆったりとしたテンポで入る。上昇する長音階をどのように演奏するかでこの曲は全く別のように聞こえる。ケンペの演奏は徐々にテンポを上げたり緩めたりして工夫はされているのだが、クレンペラーの狂気には及ばない。ケンペの演奏は楽章毎の曲想をかなり明確に意識したもので、2楽章は葬送的な雰囲気を強く打ち出し、それに続く3楽章はかなり速く明朗なテンポで曲を進める。悪くはないのだけど全体的な統一性は乏しいというか、やや躁鬱的な感じのする演奏だ。曲自体が躁鬱的な要素がある(楽章でいえば:躁-鬱-躁-躁)のでそれを反映していると言えばそうだが・・・。 

 オットーマル スィットナーがベルリンシュターツカペレを振ったものは全集の一枚である。そこには疾走も狂気も揺れもなく、豊穣ほうじょうな音の世界がある。全体的に非常にゆっくりとした演奏であるが、遅いと感じさせることもない。もし初心者に聞かせるとしたらこの演奏が最も好ましい演奏かも知れない。スイットナーは東ドイツ出身ということもあるし、どちらかというと控えめな性格がわざわいしてかあまり評価が高いとは思えないが、音楽的には卓越した指揮者である。全ての楽章を見通したかのようなバランスの良い音楽がそこにある。ただ、そうしたものと別の側面をベートーベンの音楽に求める人には物足りないと映ることもあるのだろう。

 コリン ディビスがドレスデン シュターツカペレを振ったものもやはり全集の一部である。ドイツのオーケストラはベートーベンの交響曲の全集を録音するというのが一つのステータスなのであろう。その1楽章は少しクレンペラーに似て「波」のような前のめりの長音階が特徴的だがクレンペラーほど輝きを放つものではない。全体としての解釈は極めてオーソドックスでテンポもゆっくりと堂々としたもので悪くはないのだが人によっては平凡に聞えるかも知れない。決して凡庸ぼんような演奏ではないのだが、扱いの難しい第2楽章で不満に思う人はいるような気がするし、第4楽章がどこか上滑りしている気がしないでもない。この指揮者は人によって評価がだいぶ変わる指揮者だと思うが僕は嫌いではない。だが7番ではモーツアルトでの指揮ほど輝きを伴っておらず、寧ろ一緒に収められている1番の交響曲で聴けるメリハリのある演奏のほうが快い。

 

 クラウディオ アバドの指揮は昔デッカで出た録音を聴いたことがあるが、手持ちのものはグラモフォンでこれも全集の一部として再録されたものである(僕自身は全集としては持っていない)。

 アバドはなんというか、癖の少ない指揮者でそれが長所でもあり物足りなさを生み出す素であるのだろうし、様々な(ギドン クレーメルとかを除いて。このバイオリニストはアバドを凡庸な指揮者と言い切った。彼はアーノンクールを好きな人だからね)ソリストから伴奏の相手として求められる理由でもあるのだろう。しかしデュオニソス的要素があるといわれる7番と、取り分けて「デュオニソス的要素が感じられないマエストロであるアバド」というのは組み合わせとしてはあまり良くないのかも知れない もっともオーケストラとしてのウィーンフィルはかなり健闘していて、他の演奏に比較しても音の厚み・流れ共に圧倒的な上手さを惜しみなく出している。この頃のアバドとオーケストラはかなりうまくいっていたのであろう。病後、アバドが戻ってからというのも二者はあまり友好的な関係は築けなかったと聞くが、ここにはその陰もない。CDに一緒に収められているレオノーレ序曲などは屈指の名演である。

 ロブロ フォン マタチッチがNHK交響楽団を振ったライブ録音はかなり速い。さすがにマタチッチの棒だけあってなかなかの名演なのだけど、ウィーンフィルやクレンペラーの振るフィルハーモニアを初めとする超一級のオーケストラと比較すると1984年のNHK交響楽団はまだ粗い。特に1楽章は指揮者の意図に追いついていない。やはり長音階の部分の音の迫力が違うのである。というか(変な言い方だが)それが明瞭に聞えてこない。迫力というのは音の大きさではなく、音の揃い方とか様々な要素が絡み合ってくるという事がよく分かる。今のNHK交響楽団ならもう少しこの指揮についていけるであろう。第4楽章などはオーケストラがてんやわんやになりながら指揮棒になんとかついて行っているのが却って拍手を送りたくなる気分にさせられる。もっとも(どことはいわないが)他の日本のオーケストラが演奏した7番に比べたら格段に良いのも事実だ。NHKは今は更にレベルが高いと思うのでブロムシュテットとかともう一度挑戦して欲しい。

オーケストラの団員から「恐るべき暴君:dreadful tyrant」と評された指揮者がレニングラードを振ったライブ録音はさすがムラビンスキーだけあって、重々しい質量のある音色である。1楽章はのっけから冬のモスクワを吹き抜ける風とか北極海の岸辺に打ち付ける波を思わせる音がスピーカーから溢れてくる。ただ好みで言うとオーボエの出だしの音色が妙に気になる。録音のせいなのか生硬に聞えるのがいただけない。第2楽章の重厚さも遠慮はない。戦死した兵士を弔うかのような葬送感が溢れている。曲想が暖かな日差しを思わせるものに変わっても上空の冷たい風が想起される。第3楽章と第4楽章は曲想がムラビンスキーの性向と合うのだろう、そこまで大げさにしなくても・・・という違和感は消えていく。そしてその演奏会会場にいたらすさまじく耳に聞えてきたであろう大音量は終楽章のコーダに昇華しょうかされていく。1楽章で聞えていた聴衆のわずかなしわぶきもすべて消し去られていく・・・。お疲れ様でした。演奏する方も、聴く方も。全体としてはクライバーの音色が軽戦車と例えるならムラビンスキーのそれはkv-1の如き重戦車である。動きは多少遅いが、迫力と砲弾の威力は凄い。しかし、この曲にそこまでの重々しさを求めるかと個人の好みによるであろう。

 クリュイタンスがベルリンフィルを指揮したものは交響曲全集の一環であり、7番は1960年にベルリンのグリュンバルド教会で録音されたと記されている。以前この全集はEMI/セラフィムのレーベルで出ていたと記憶するが、買ったものはワーナークラッシックス/Eratoレーベルとなっている。最近のクラッシック音楽の業界は再編が進んでいるようで、昔と全く違うレーベルから発売されていることもありびっくりさせられることも多い。セラフィムでレコードの廉価版として発売されていたときから気になっていた録音であるが、最初に気づいてから50年の歳月を経てつい先だって購入した。簡易な包装であるが5枚組のCDが3000円程度、廉価版のレコードで出ていたときよりも更に半分ほどの値段になっている。これも良いことなのかどうなのか・・・。アンドレ クリュイタンスと言えば、パリ音楽院の交響楽団の首席でビゼーを初めとしてフランス系の音楽の録音が多いので、なぜベルリンとベートーベンを、というのはその頃から気になっていたのである。買ってから中の解説を見ると、どうやらこの録音の売りは「ベルリンフィルによる初めてのベートーベン交響曲全集」という事だったらしい。確かに不思議なことにニキッシュ、フルトベングラーという錚々たる常任指揮者やメンゲルベルグ、クナッパーツブッシュ、エーリッヒ クライバーなどの客演指揮者がいるにも関わらずベルリンフィルによるベートーベン交響曲の全集はそれまで録音されていない。フルトベングラーは第二次世界大戦後9年間は生存していたし、その後を受け継いだチェリビダッケ、カラヤンがいるにも関わらず1950年代後半になって、クリュイタンスというフランス系ベルギー人による指揮者がこの全集を手がけることになったのは(EMIによるクリュイタンスの引き留め工作とかの説はあるが)結構政治的な背景があったのではないかと僕はにらんでいる。この全集が録音された時期には既にヘルベルト フォン カラヤンが常任指揮者になっているのだから、そもそもカラヤンによる全集が企画されても何の不思議もない。カラヤンは遠慮するタイプの人間ではないので、ベルリンフィルがベートーベン交響曲の全集を発売するのには(おそらくフルトベングラーの頃から)なんらかの政治的意図に基づく圧力があったに違いない。

 ドイツ人の精神的支柱である音楽とその祖であるベートーベンについて連合国側はヒトラーやナチスと関係があったとされたフルトベングラーやカラヤンにその任を取らせたくなかったと考えてもおかしくない。そうした文化的な制裁というのがこの時代の欧州において発動されても何の不思議もない時代でありそうしたアンビエントであった。それならばなぜバイロイトを1951年に復活を許し、そのこけら落としにフルトベングラーによる第9の演奏をさせたのか、という疑問はあるが(ワーグナーの音楽はよりナチスに親近である)やはりベルリンフィルという特異な楽団(ナチスによるプロパガンダに利用された)のコントロールは必要と考えられた、のかもしれない。

 もっともフルトベングラーに関して言えば1953年のベルリンとのライブ録音の盤にライナーノーツを書いているKlaus Geitelが、「フルトベングラーはその60年にわたるベルリンでのキャリアの中でベートーベンのみの演奏を行ったのは僅か15回に過ぎず」「ベートーベンの交響曲のチクルスは全く行われなかった」がその理由は「(ベートーベンを)他の普通の作曲家と同等に扱うのは恐れ多くて躊躇したから」だと書いているのでフルトベングラーに関しては自ら全集を演奏する事を放棄したのかも知れない。しかしカラヤンにはその遠慮はなかったはずである。

 だが興味深いことにそのクリュイタンスによる演奏は意外にも後述するフルトベングラーの演奏に近いものがあった。曲の構え、リズム、いずれをとってもフルトベングラーの名残を抱えたベルリンフィルがクリュイタンスという免罪符を以て、その名残を吐き出したかのような演奏である。すべてがフルトベングラーそのものとは言えないのはもちろんだが、聞き比べるほどにそう感じさせるものがあるのはなぜだろうか?従って、この演奏に良き懐かしき時代の香りを(若干控えめに再現した)感じる人がいても不思議ではない。


 残りのCDはいわゆる「歴史的名演」と呼ばれるものだが、かのフルトベングラーの演奏が4種類手持ちにあった。残りの一枚は大西洋を超えたアメリカ大陸で活躍したこの時代の双璧、トスカニーニのものである。クラッシック音楽好きも僕の前の世代はどうしてもこの二人が「標準的演奏」としてメートル原器のような扱いをされ、とりわけフルトベングラーはそうである。4枚も持っていると僕もその一人と言われそうだけど、これは単にドイツにいた頃に無意識に買い集めた物である。

 まずはトスカニーニ、1951年放送用の録音である。第1楽章はとにかく速い。時間的にはクライバーがバイエルン放送交響楽団と振ったものと同じくらいの速さで、実際の感覚もそう感じる。こちらもオーケストラは悲鳴を上げているが、トスカニーニがそんなことを気にするはずもない。それも楽章を通して殆ど強奏である。

 しかし第2楽章は一転して弱音で厳かに進む。そのめりはりはさすがにトスカニーニらしい。悲劇的と言うより英雄的なタクトで曲想に関わらずどこか明朗で華やかな響きがあり、それが彼独自の解釈を彩っている。第3楽章からは再び鋭く速く、煽るようなタクトはオーケストラをイタリアとオーストリアを分かつブレンナー峠に向かう山道を走るスポーツカーのように導き、その音のテールは素早くコーナーを曲がりクライマックスへとためらいもなく導かれていく、爽快な演奏である。

 フルトベングラーのものはうち三つがライブ録音なので、最初に聴くのは1950年ウィーンフィルとのスタジオ録音のものにした。第1楽章、さすがに堂々としたもので非の打ち所がない。堂々とした響きと同時にフルトベングラーは協奏と単一楽器による独奏の始まりに独特の「間」があって、それが非常に巧みである。既に70年以上前の録音のものにも関わらず古くささがない。

 第2楽章はすべての録音においてどの指揮者に比べても遅くこの演奏でも10分以上掛けており、更に一番長いものは1953年のベルリンフィルとのもので11分近くかかっている。スタジオ録音のこの盤はゆっくりというより非常に丁寧に演奏している感じが溢れている。指揮者とオーケストラの間で何度同じ演奏をしたのだろうか、数限りない演奏の末に獲得した安定感と曲への深い理解がそこには存在する。一転して踊るように始まる第3楽章もやがてビロードの中に誘い込むような通奏低音のゆっくりとした眠りと、再びの目覚めの中で揺蕩うように進んでいく。第4楽章の出だしは少しもたつく感があって(ズンチャカと聞える)楽章の途中まで耳に付き纏うが5分を過ぎてからの終曲に向けての奔流のような流れはさすがで、集中力は凄まじいものがある。この演奏が7番の一つのモデル的な演奏として聞き継がれてきたのにはそれなりの意味があると思う。

 残りを年代順で聞いてみることにしよう。一番古いものは1943年の11月ベルリンフィルを振ったもので、これが唯一戦争終結前の演奏である。ナチスが戦意高揚のためにベルリンフィルを使っていた、と言われる頃の演奏であるが演奏そのものは特にそうした要素を感じることはない。これがもう少し後の1945年前半くらいの演奏会のものになると強く悲壮感が感じられるものになる。例えば僅か二ヶ月後の1944年1月に演奏されたベートーベンのバイオリン協奏曲は独奏するバイオリニストが見つけられずにコンサートマスターであるRohnが独奏した演奏であるが緊張感と悲壮感が漲る演奏である。1943年の交響曲は既にソ連との闘いに敗れ、アフリカを放棄し、ムッソリーニが逮捕されバドリオ政権がイタリアに誕生した後である演奏にも関わらずそうした戦局を反映したものではない。おそらくは未だに戦争の行方が決着したという認識はないのであろう。やはり第3楽章の途中までの通奏低音が特徴的であり、第3楽章に関してはフルトベングラーの頭の中に演奏の方法は確立している。第4楽章の最初のパートにおけるズンチャカも似たものがあり、同じ指揮者の演奏だなぁという感は強い。となれば、1953年のベルリンとのライブの音も多少想像がつきそうだ、と思えてくる。ただこの録音においては終楽章の最後へと向かう流れが速すぎてやや上滑りする感じがあり、スタジオ録音のものほどの迫力が削がれてしまっているのが残念である。

 1953年のベルリンフィルとの演奏はフルトベングラーのみならず僕自身が持っている演奏の中で「もっとも遅い演奏」である。第1楽章から重く感じるほどテンポが遅いのだが、第2楽章に至っては止まるのではないかと思えるほどに遅い。楽章の最後などは音が後を引くほどである。3楽章に関しては今まで聴いた中では弦による通奏低音が一番薄い。さきほどは想像がつくと書いたが、少し様子が違う。第4楽章も総じてテンポは遅いが、クライマックスに掛けてはどんどんとテンポが上がりそのバランスのせいか43年のものほど上滑りした感じはない。1950年のスタジオ録音で完成されたように見えた演奏様式はその後も少しずつ変容していったようである。

 1954年のウィーンフィルとの演奏はザルツブルク音楽祭でのライブレコーディングであり、1楽章冒頭のリズムの刻み方から特徴的である。フルトベングラーは更に楽譜を細分化し構成し直しているのをひしひしと感じる。上昇する長音階はクレンペラーのものと違ってずらした軌跡はないが逆に正しいテンポでありながら印象的に刻まれていく。第2楽章でも弦を小刻みに動かしながらリズムを刻んでいき、あくまで丁寧に、という姿勢はスタジオ録音のものと変わらない。逆に第3楽章の印象はスタジオ録音のものと少し違って魔術を掛けることもなくどのパートも明晰に演奏されていく。第4楽章の冒頭はそれまでの演奏に比べてもたつき感がなく、比較的すっきりとしたものになっていて、クライマックスに至る進行も比較的抑え気味にしている。最後は当然、カオティックな高揚の坩堝へと突っ込んでいくのだけどその道筋は明瞭である。

 フルトベングラーの4つの演奏はいずれもこの交響曲に対する深い造詣を示すものであり、研鑽けんさんを積み続けている素晴らしいものであるが敢えて言えばやはりウィーンフィルとのスタジオ録音のものが最もバランスがとれている。また組み合わせとしてはウィーンフィルの方が合っていると思われる。


  最後にこの曲を一番最初に聴いたレコード、カラヤンがウィーンフィルを指揮したデッカ(ロンドン:デッカ)のレコードについて触れたい。レコード自体は手元にあるのだが再生の機械の調子が良くないので聴き直すことが出来なかった。記憶だけに基づけば、一番近いのはクライバーの演奏だと思う。フルトベングラーほど重々しくもなく、クレンペラーのものほど魔性を帯びたものでもない。どちらかと言えば颯爽とした演奏であったように記憶する。ウィーンフィルを振っていた時代のカラヤンはその後に比べて若々しい演奏スタイルで、このほかにもドボルザークやリヒャルト・シュトラウスなど素敵な演奏であった。


 この交響曲に限らずベートーベンの交響曲の演奏はそれぞれきちんと集めれば世の中に100枚以上の録音があるに違いない。それをすべてきいてから語る方が望ましいのだが、現実的ではない。取りあえずこの15枚で個人的には満足はしているが、カラヤンやベームのものは含まれていないし、個人的にはブロムシュテット、テンシュテット、モントゥー、インセルシュテット、ケルテス、コンビチュニー、フリッチャイ、ベイヌム、クナッパーツブッシュ、マゼール、マズアなど聴いてみたい指揮者もいくらでもいるわけで誠に困った物である。

 と言いつつ、それだけ愉しみがあるということである、と考えているのが現実である。



*SYMPHONIE NO.7

Wiener Philharmoniker Carlos Kleiber Polydor International 415 862-2

*Symphonie No.7 A-dur op.92

Bayerisches Staasorchester Carlos Kleiber ORFEO C 700 051 B

*Sinfonie NR.7

Philharmonia Orchestra OTTO KLEMPERER EMI CDM 7 69183 2

*BERSTEIN THE FINAL CONCERT

Beethoven Symphony No.7/Britten Four Sea Interludes

Boston Symphony Orchestra LEONARD BERNSTEIN

Deutsche Grammophon GmbH 431 768-2

*Sinfonie Nr.7 A-dur op.92/Sinfonie Nr.8 F-dur op.93

Munchener Philharmoniker RUDOLF KEMPE EMI CDZ 25 2117 2

*SYMPHONY NO.1 IN C MAJOR Op.21/SYMPHONY NO.7 IN A MAJOR Op.92

STAATSKAPELLE BERLIN OTMAR SUITNER DENON DC-8012

*SYMPHONY NO.1 IN C MAJOR Op.21/SYMPHONY NO.7 IN A MAJOR Op.92

STAATSKAPELLE DRESDEN Sir Colin Davis

Philips 446-823-2(Complete edition of Beethoven's symphpnies)

*Overture"Coriolan" op.62 / Symphonie Nr.7 A-dur op.92 / Overture"Leonore III" op.72 a

 Wiener Philharmoniker CLAUDIO ABBADO

Deutsche Grammophone 437 004 2

*交響曲第7番 イ長調 作品92   交響曲第2番 ニ長調 作品36

 ロブロ フォン マタチッチ指揮  NHK交響楽団

          DENON 33CO-1002

*Beethoven 9 Symphonies overtures

Berliner Philharmoniker Andre Cluytens (conductor)

ERATO 0190295 381066

*SYMPHONY NO.5 Op.67/SYMPHONY NO.7 Op.92

LENINGRAD PHILHARMONIC ORCHESTRA Evengry MRAVINSKY

ERATO 2292-45760-2

*Arturo Toscanini Beethoven 9 symphonies / Leonore No.3

Arturo Toscanini conducting the NBC Symphpny Orchestra

RCA Victor GD60324

*Beethoven Sinfonien Nr.5 c moll/ Nr.7 A-dur

Wiener Philharmoniler WILHELM FURTWANGLER

EMI CDH 7 69803 2

(1950 1 18.19)

*Beethoven Sinfonien Nr.7 A-dur op.92/Sinfonien Nr.8 F-dur op.93

Berliner Philharmoniler WILHELM FURTWANGLER

Deutsche Grammophone 427 401-2

(1953 4 14 Live)

*Beethoven Sinfonien Nr.5 c-moll op.67/Sinfonien Nr.7 A-dur op.92

Berliner Philharmoniler WILHELM FURTWANGLER

Deutsche Grammophone 427 401-2

(1943 11 3 Live)

*Beethoven Sinfonien Nr.8 F-dur op.93/ Sinfonien Nr.7 A-dur op.92

Wiener Philharmoniler WILHELM FURTWANGLER

ORFEO C293 921 B

(1954 8 30 Live)

*ベートーベン 交響曲 第7番 イ長調 作品92

ヘルベルト フォン カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

    レコード  キングレコード GT9127      

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