第12話 ジャニス イアン 南沙織
青春という単語は、その後に続く朱夏、白秋、玄冬とワンセットの筈なのに、中で抜きん出てポピュラーな言葉である。樹の若芽が美しく、花が咲き始め、日が次第に長くなっていく、「そんな季節が人々の心を捉え、それを人生に当て嵌めた青春が人気のあるのは致し方ないであろう」と、白秋と玄冬の間を徘徊している身としては嫉妬と羨望に身悶えしたくなるときがある(実際に身悶えなぞはしないけど)。でもそんな僕にも、僕たちにも「青春」という時期はあったのだ。
そんな事を確かめる時、必ず現われるのは「その時代に流行った音楽」である。「その時代に流行ったアニメや漫画、ドラマ」も当然あるのだけど、時代を語るのに最も
ポップスとか歌謡曲とかに余り興味を持たなかった僕に取っても青春の曲は幾つかあるけれど、その中でもっとも甘酸っぱい思いをしながら思い出すのは南沙織とジャニスイアンの楽曲である。とはいえ、何もそこに初恋のような背景があるわけではない。ただ、セピア色に変色した写真のような淡い、消えかかった記憶があるだけだ。
ジャニスの楽曲を聴くようになった切っ掛けは南沙織の歌う「哀しい妖精」の作曲者だと知ったからだ。南沙織・・・彼女は僕に取って永遠のアイドルの「初めの一人」だった。
天地真理、小柳ルミ子と共に「新三人娘」と呼ばれた女の子たちのその後の人生は、見事に別れた。「しんさんにんむすめ」と入力したらなぜか「辛酸人娘」と変換されたけど、人生をスターとして始めた女性たちにもそれぞれの、それなりに辛い人生があったに違いない。だけど南沙織は輝いたままスターの「短い道」を駆け抜け、「学業に専念し」あっという間に「結婚」してその後一切僕たちの前に姿を見せなかった。今、69歳になった彼女の姿を敢て観たいとは思わないけれど、きっと幸せな人生を送ってきたに違いないし、今も昔と変わらず優しいまま穏やかな人生を送っているのではないかと思う。
一方でジャニス イアンは初めてその歌声を聞いたとき、その姿を見たとき、天才だと直観したと共に「きっと幸せな人生を送ることなく若くして天国に召されるに違いない」と思った。そんな風に感じさせたのはもう一人、日本人の「荒井由実」で、内心大変心配していた(彼女たちにとっては余計で無駄なお世話に過ぎないのは分っている)のだが、50年経った今、ジャニスイアンも荒井由実 (松任谷由実)もすっかりおばさんになって相も変わらず元気に歌っているらしい。自分の直感力のなさに50年を経てから呆れている。
さて、もう一度「南沙織」。なんて美しい名前と記憶だろう。「哀しい妖精」のワンフレーズ「曲りくねった愛の旅路でさまよう私 ああ恋人よ 手を差しのべ救けて下さいね」という彼女の歌声に僕らは千手観音のようにいくらでも手を差し伸べる気になったのだけど、そのどれにも彼女は手を差し伸べず、写真家の嫁さんになり、僕らの千本の手にはさまざまな
「男の人は旅人ね 通りすぎるだけ
私の心の中を 横切るだけで消えてしまうの
ねえ いくつの冬を越せば 二人に春が来るの
ひと言好きと言ってね
頬そめて待ってます
頬そめて待ってます」
と歌う彼女が染める頬を思いながら「通り過ぎる事もなく」ただ
そんな南沙織の最後のコンサートは1978年10月7日「調布市市民福祉会館」(グリーンホール)で開かれた。武道館でもなく、後楽園ホールでもなく、「福祉会館」のところに南沙織の謙虚さが
「グッバイガール」・・・南沙織の声は優しさと共にどこか背伸びをした大人の響きがある。僕より3つ年上、という絶妙な「お姉さん」の感覚のまま、きっと今でももしどこかで出会えたら時を戻せるのではないかという幻想が浮かぶ。楽曲により万華鏡のように変わる彼女が一人タイトルを告げ「17才」「純潔」「傷つく世代」などを歌っていく「その場の空気」の刹那感と切なさがスピーカーの向こうから「どうもありがとう」と呟く彼女が体を折り、髪をかき上げる姿が目に浮かぶ。そして二枚目のCDの2曲目が「哀しい妖精」である。なんて美しいメロディラインなのだろう。その美しいメロディもそれを歌う美しい人も、僕には縁がなく、時はあっという間に過ぎていったのだ。どこか街の小さな通りを曲がったら、そこには日だまりがあってきっとそこには美しいままで彼女が籐の椅子に腰掛けながらハミングをしているのだろうなぁ。うん、45年ぶりの妄想です。
そして南沙織に僕を出会わせてくれたジャニスは彼女と全く違う人生を送る。南沙織とは別の意味で彼女は知的である。南沙織の知性は女性らしさと優しさの奥に隠れているが、ジャニスの知性は抜き身の刃物のようにキラキラとみようによっては危険な香りがする。その彼女の"Love is blind"・・・「恋は盲目」という日本語のタイトルは曲の本質を伝えていない。
「恋はまやかし、ただの悲しみ、あなたが去っていた日から、恋に未来はない。
恋は迷わせる。夏の楽しみ、色褪せた冬、記憶は活き活きと残っているの。
忘れなければならない想い出が記憶からなくなるのに、どれほどの時間が必要なの?
出会った日からあんなに身を焦がしてきたのに・・・」
率直な、余りに直情なその言葉の力は若い僕をたじろがせ、それでいながらそのいじらしさに抱きしめたくなるほどの愛おしさを覚える(決して向こうは僕に抱きしめて欲しいとは思っていないだろうけれど)
ああ、あの頃に戻れたら・・・戻ったらも戻ったでたいした事はしないような気もしつつ、僕らは青春を懐かしむのだ。だが、僕の家にはあの"Society Child"の入ったアルバムも"At Seventeen"も"Love is Blind"も"Will you dance?"も残っておらず、なぜか余り評判にならなかった"PRESENT COMPANY"のアルバムだけが一枚残っていた。そして僕はそのレコードに静かに針を下ろす。
<THE SEASIDE>
”あの海辺、あなたが過ごした場所をあなたに思い出させるでしょ。ねえあなた、できれば、ねえ、言ってきっと私に誠実でいますって。
様々な色に分かれた光があなたの名前を映し出す。ねえ、言ってきっと・・・ねえ、言って出来ればでいいから私に誠実でいますって”
で始まり
<THE SUNLIGHT>
”あの陽光、あなたが過ごした場所をあなたに思い出させるでしょ。ねえ、言ってきっと私は、ねえ、できればあなたに誠実でいますって。
様々な色に分かれた光の中の海辺はあなたの名前を映し出す、きっと・・・私自身が出来ればでいいから私が自分自身に誠実でありますように”
で閉じるこの曲集を作り終えた彼女は、初めてであった彼女に「カボチャ」を贈ったカメラマンと恋に落ち、離婚をした両親を捨てて彼の下に走った。でも彼にtrue to meであれと祈り、自分にtrue to thyであれかしと誓ったにも関わらず、半年で別れ、やがて自分が同性愛者だと気づく、そんな波乱に満ちた、南沙織とは「対照的なように見える」人生を送った人。
その二つの演奏を聴きながら、僕はどこか朧気で頼りない記憶の中へと旅をする。そんな旅を許してくれる音楽も素敵だなあと思いつつ。
*PRESENT COMPANY JANIS IAN
THE SEASIDE/PRESENT COMPANY/SEE MAY GRAMMY BEST/HERE IN SPAIN/ON THE TRAIN/HE'S A RAINBOW/WEARY LADY
NATURE AT PEACE/SEE THE RIVER/LET IT RUN FREE/ALABAMA/LIBERTY/
MY LAND/HELLO JERRY/CAN YOU REACH ME/THE SUNLIGHT
東芝EMI ECS-40102 (Capitol)
*さよならシンシア -南沙織さよならコンサート-
グッバイガール/懐かしい日々/17才/潮風のメロディ/純潔/哀愁のページ/傷つく世代/色づく街/ひとかけらの純情/女性/想い出通り/人恋しくて/六本木
ひとねむり/哀しい妖精/ゆれる午後/街角のラブソング/魚たちはどこへ/TEA FOR TWO/青春に恥じないように/春の予感(I've been mellow)/Ms./GIVE YOUR BEST/
私の出発/17才
SONY 50DH 187~8
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