第10話 Bud Powel The complete Blue Note & etc

 令和の世でバド・パウエルを聴く人ってどのくらいいるのだろうか?

 音楽は多様化と言うよりフラグメンタル化しつつある。つまり共通性より、特定の層の囲い込みが進んでいるのだ。毎年恒例の紅白歌合戦批判と言う行事で語られる世代間の問題だけではなく、同世代でも好みの音楽は昔より強く分化している。

 年を取った人が演歌を好むというのは傾向としてはまだ存在しているのだろうが、年寄=演歌とか若者=ジャニーズとか決めつけることについて、実態としてはそんなに単純なものではないというのは誰の目にも明らかだろう。今の年寄りはグループサウンドを聴いて育ってきた世代で演歌に郷愁を感じる人ばかりではない。ジャニーズなんて子供っぽいと鼻で笑う若者たちもたくさんいるだろう。そうした事象は今までも確かにあった。だが、次々に世界中から様々な音楽が流入し、特定の層を惹きつけていく潮流は激しくなりその相互間の隔たりは大きくなりつつある。つまり僕たちは、ユニバーサルでありながらフラグメンタルな音楽の登場によって世代間でも世代の中でも「共通の音楽」を失いつつあるのだ。そして「日本」という地域での共通性よりも、ニューヨーク、ロンドン、ソウル、或いはアフリカのどこかに住んでいる「誰か」との共通性が増している。

 今の世界には絶対的な音楽の王も女王も存在しない。分岐しつつ、狭く激しくなった流れは世代のみならず、様々な要素で聞き手を分断しつつあるのが本当のところであろう。

 そんな中でもジャズという音楽は日本においてしたたかに生き残って東京や横浜の片隅で毎晩のように演奏されており、僕も何度かそうした場所に足を運んだことがある。気の置けない大人の仲間たち、できればバーボンにケイジャン料理があれば申し分ないんだが・・・。そんな雰囲気を醸し出した大人の社交場と言うような存在である。定年間近の、或いは既に定年を迎えた紳士?とまだ若い女性がジャズという音楽をキーにして(変な意味ではなく)出会う場、音楽のバックボーンはきちんとドラムやバスを弾く練達した演奏家が握っている。なんとなくintimateな雰囲気。悪く言えば、どこかスノッブな・・・分かる大人を気取った感じに見えないこともない。


 ジャズというのは不思議な音楽だ。ニューオリンズのうらぶれたバーで、調律にまともに金を掛けられない古いピアノと安もののトランペットやテナー、バスや、古いドラムで生み出された音楽がある意味強い「毒性」を持って音楽のシーンに登場したジャジーな音楽は、コマーシャルに乗っかりジャズミュージシャンがリッチになることでジャジーでなくなる。まるで毒性の強いウィルスが拡散し、変異することで毒性を失うようにジャズは様々に変異していく。その流れて行き着いた先が日本のジャズシーンなのかもしれない。

 そしてジャズの後にもレゲエ、ヒップホップ、R&B、ラップなど様々な音楽が同じ道を辿っていく。いわゆるブラックミュージックは音符の中に固定されることでその本質から離れて行ってしまう運命を持ったジャンルのように思える。

 といっても僕はジャズに詳しい人物では全くない。ただ、その一時期の演奏家、それも限られた演奏家に興味を持っているだけである。それは例えばソニー・ロリンズ、例えばセロニアス・モンク、そして誰よりもパド・パウエルなのである。


 メジャーになることによってジャズはジャジーでなくなる。それはジャズの発祥に由来するものなのだろう。ブルースにしてもラグタイムにしても、そのベースは社会の底辺で必死に蠢き、生きる糧を探していたアフリカ系の人々が、辛い生活を発散するように手にした楽器や歌から生まれたもので、オリジンがそれである以上、洗練され拡散していく音楽は当初の毒性を失っていく。さまざまなジャズの要素、例えば即興性や独特なリズムは残っているがそれはどこか形式的で計算されたものになっていく。良いとか悪いとかではなく、そういうものなのである。ワイルドな味のカレーの名店が、どこかの企業とコラボして、レトルトカレーを出せば、いずれその味はワイルドでなくなる。それを批判しても仕方ない。

 もし、その味を守っていこうとすれば、リッチにはなれない。生きる糧を求める生活をしていた人がリッチになるチャンスを捨てろと、いうほど人は残酷ではない。その葛藤は演奏家の最後のジャジーな姿なのだ。

 しかし、そういう価値観の転換の中で壊れてしまう演奏家もいる。いや、ジャジーな天才ほど壊れてしまうのかもしれない。その一人がバド パウエルだ。


 1940年代、まだ第二次世界大戦の真っ最中にニューヨークで活動を始めた彼は、戦後まもなくAlfred Lionに見いだされBLUNOTEで録音を開始する。ぎょろっとした眼の、その頃はまだ痩せていた彼のニューヨークのWORスタジオで撮られた写真がいくつか残っている。鍵盤に置かれたその手は大きい。ピアノはスタインウェイ、つまりこのころすでに彼はニューオリンズの場末のバーで誕生したジャズと違う世界に生きていた筈である。

その録音のいくつかが”The Amazing Bud Powell”に残っている。このディスクはタイトルに掲げたタイトルの全集のDisc1とかなり曲が重なっていて、良くありがちな「あ、結局これ買ったの無駄だったんじゃね?」みたいな話になる典型であるが、それは置いておいて聴き始めてみよう。バドパウエルは演奏者だけではなく、作曲者でもあり、このアルバムの殆どは彼の手になる曲だ。その中に一曲だけスペイン語のタイトルのものがある。

 un poco locoというのは「ちょっとおバカ」と言う意味で、タイトルに既にスペインというか中南米音楽との一種のfusionが存在しているわけだ。その意味ではジャズとしてもはや拡散期なんだけど、響きを抑えたシンバルをひたすら叩くさまが、ちょっとおかしいおバカさを演出している。ああ、でも、これはジャジーだなぁ。だって陽気におバカだもの。でもそのおバカさの中に、しつこさの中に、悲哀を感じる。中南米の移民だってアフリカ系ほどではないにしろ、底辺を彷徨っていたのだ。この頃の移民やアフリカ系に対するWASPの扱いは今とは比べ物にならないほどひどく、見下されたやるせない感情は音楽の中に籠っているのだ。公民権運動の起こる10年も前のことだ。

 ニューヨークのスタジオで録音することは、その底辺から抜け出すきっかけになるかもしれない。そんな思いで鍵盤と打楽器を叩き続ける若者の姿がそこにある。

 同じアルバムには"Bouncing with Bud" "Wail" "Dance of the infidels"などバド パウエルが作曲した複数の曲の複数のテイクが収録されており、52nd Street Themeはセロニアス モンクの作曲である。そう、彼らは演奏家であると同時に作曲家でもあった。それがジャズである。逆に言えば、ジャズを作る者、あるいはジャズを作る者が属する集団にいない者は本当のジャズを演奏できない、そうしたcreativityと即興性がジャズの本質には存在するような気がする。もちろん、他のミュージシャンが作った曲、例えばBenny Harrisの”Ornithology"やHarburg-Arlenの"Over the Raibow"なども収録されているが、少なくとも僕が持っているバド パウエルのCDの曲の半数はバド自身が作曲したものであり、それはジャズというものの本質を表しているように思える。


 この録音がなされた4年前の1945年、すでにバドは精神病の治療を受け始めていた。そして47年に復活したが、再び精神病のショック療法を受け、その治療に2年を掛けている。ジャズプレーヤーの多くが何らかの精神的な問題を抱えていたのは事実であり、彼の場合はアルコール依存症と麻薬の濫用が指摘されている。精神的な問題がそうした酒や薬への依存度を深めたのか、逆なのか、それは分からない。おそらく両方なのだろう。それを乗り越えた彼は1950年代にもっとも油の乗った活躍をする。その多くがBlueNote盤の全集に収められている。

 そして、バドはパリに拠点を移す。1959年のことだ。その頃ジャズはアメリカでかつての勢いを失い、多くのジャズメンたちはパリを中心に活動の場を移したと言われる。そのパリで生まれた曲の幾つかの名曲の中にCleopatora's Dream(クレオパトラの夢)やDancelandがある。名曲だ。「クレオパトラの夢」を聴けば、僕の心は踊りだす。

 だが・・・、この曲を聴くたびに僕はこれはジャズなのだろうか、とふと思ってしまうのだ。un poco locoには感じたあのジャジーなものとどこか違う。敢えていえば、どちらかというとポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルに近い感じと言ったらいいのだろうか。確かにジャズの趣はあるが、それをユニバーサルにしていった先にある曲、そんな感じが拭えないのも事実だ。

 それももっともだ。フランスで、1950年代に流行したいわゆるイージーリスニングと呼ばれる楽曲にパドが触れないわけもなく、影響を受けないわけがない。それもまたジャズの宿命なのだ。「クレオパトラの夢」、最初に聞いた時は衝撃的な印象があった曲だ。しかしこの曲はバドパウエルにとってのジャズの「最期」を飾る曲だったのかもしれない。


 五年をパリで過ごした後、バドパウエルはアメリカに戻る。何がそうさせたのだろう?1950年代彼を撮った写真には、40年代に見られた黒ヒョウのような精悍な目つきはない。一見、穏やかな少し太った黒人のピアニストがそこにいる。ジャズをメインストリームなジャンルに持ち上げた「クレオパトラの夢」の作曲家・演奏家らしい、息子と一緒に写ったパパの写真もある。だが、その穏やかな表情の下には狂気が潜んでいたようだ。Alfred Lionはライナーノーツでのインタビューで彼の幾つかの奇行を描いている。朝食の時にテーブルの上に乗って来た猫を食事用の大型ナイフで殺そうとしたこと、Birdlandによって事実上監禁状態にあったこと、Minton'sで突然現れピアノの空弾きをして叩き出され、車の下にもぐったこと・・・そして「柳の木は俺のために泣いてくれるのさ」と呟いた情景。偉大なジャズプレーヤーであり、偉大な作曲家でもあった彼はメジャーになっても、いやメジャーになったが故に壊れていった。


 もしかしたら・・・バドは実はクラッシック音楽のピアニストになりたかったのかもしれない。その時代、黒人のクラッシックピアニストは現実いなかった。ドンシャーリーを描いた「グリーンブック」という映画が反響を呼んでいるみたいだが、黒人はどんな才能を持っていても活躍できる場は限られていて、ジャズはそんな限られた場の一つだった。

 全集の3番のディスクにBud on Bachという僅か2'31"の短い独奏曲が収められている(これ以外のtakeは見当たらない)。ピアノのチューニングも弾き方もジャズそのものだが、どこかその視線の先にはクラッシックへの憧れが垣間見えるような気がする。キースジャレットのモーツアルトやチックコリアのサティのような一種、本格的なアプローチではなく、ちょっとはにかむように「こんなのどうかな」みたいな演奏だが、そこのはキースやチックコリアが白人として簡単に渡れたクラッシック音楽へ踏み込めない彼の心情がにじみ出ているようにも思える。


 僕が持っている彼の最後の録音はKenny Clarke(Drums)Pierre Michelot(Bass)との共演したBlue Note Parisでの1962年の演奏である。その全てはBud自身の作曲したものではない。Monk, Gillespie,Parkerらの曲である。そのピアノは驚くほど澄明で自由自在である。Shawnuffを聞いてみたまえ。Lover Manをかけてみたまえ。前者のリズム、後者の抒情、人格が壊れてもなおバドは天才のままである。There will never be another youの最後のピアノの音の抜け方の優しさ・・・。そして、そこにはジャズが残っている。それを抱えたまま、バドパウエルは死んでいった。

 「クレオパトラの夢」はブランデーで、Un poco Locoは安いテキーラで作ったカクテルで、それらを飲み干しながら聞くがいい。


*The complete Blue Note Bud and Roost Recordings

4 CDs including 68 pieces

Capitol Recordings CDP 7243 8 30083 2 2


* The Amazing Bud Powell Volume 1 (1949-51)

Bouncing with Bud (3 takes)/Wail (2 takes)/Dance of the infidels(2 takes)/52nd Street Theme/You go to my head/Ornithology(2 takes)/Un poco roco(3 takes)/Over the rainbow

Fats Navarro(trumpet) Sonny Rollins(tenor sax) Tommy Potter/Curly Russel(bass)Roy Haynes/Max Roach(drum)

BLUENOTE CDP 7 81503 2


*Bud Powell <Summer sessions> 1953 May-July

I've got you under my skin/Autumn in New York/I want to be happy/Moose The Mooche/Cheryl/Budo/My heart stood still/Dance of the Infidels(2 takes)

Charlie Mingus/George Duvivier(Bass) Art Taylor(Drums)Candido(Conga)Charlie Parker(Alto sax)

Magic Music 30006


*Bud Powell<Autumn sessions> 1953 September

My heart stood still/Un poco loco(3 takes)/Parisian thoroughfare(3 takes)/Dance of infidels(3 takes)/Glass enclosure/ Oblivion(2 takes)/Embraceable you

George Duvivier/Curly Russel(Bass) Art Taylor(Drums)

Magic Music 30007


*Bud Powell Trio

Shawnuff/Lover man/There will never be another you/Monk's Mood/Night in Tunisia/'round Midnight/Thelonius/52nd Street Theme

Pierre Michelot(Bass)/Kenney Clarke(Drums)

Drefys 849227-2

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