第7話 モーツアルト クラリネット協奏曲・五重奏曲 ザビーネマイヤー
ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリンフィルを去ることになった原因の一つは当時バイエルン放送交響楽団に在籍していたザビーネ マイヤーをクラリネットの(首席)奏者に起用しようとしたことである、と言われている。
この事件は色々な憶測を生んだし、様々な意見もあるだろう。楽団員の採用権がどちらにあるのか、という意味では楽団側にあるという点がはっきりとしてその制度は民主的である。しかしその採用の拒否が実質女性の楽団員への
いずれにしろ帝王と呼ばれ(おそらくは)かなりわがままに振舞っていたであろうカラヤンへの独裁によって生じた楽団との確執はその前から存在していたのであろう。それが噴出したのがこの事件であって、単に騒動に発展するきっかけになったに過ぎなかったのだとしてもザビーネ マイヤーにとってはいささか迷惑な話になった。その後この美人クラリネット奏者(確かに美人ではあるがそれがまた別の憶測を生むことになりがちで困った話である)は自ら身を引いてソリストに転身したのであるが、結果としてそれは彼女にとっては良い選択になったのではないか、と思う。
管楽器の奏者に対する好みはバイオリンなどの弦楽器やピアノのような打楽器に比較してもっと強く感覚的なものがある。なぜかと言えばたぶん、それは管楽器が声と同じように人間の内臓と関連した「内的」な機能から発する音だから、なのだろう。人の声に対する好みほど直接的ではないにしろ、それんい近いものが管楽器にはある。
だからであろうか、僕にとって例えばピアニストやバイオリニストだと好みの奏者は複数いるのに管楽器についてはそれぞれ一人の奏者に集約し、クラリネットだとそれはマイヤーという事になる。彼女が同年代で美人だ、からでは決してない。ちなみにフルートだとピエール ジェイムズジェイムズ ゴールウェイを抜いてオーレル ニコレということになり、ホルンならデニス ブレイン(これは多くの人と共通しているのではないか)となる。
どういうわけかチェリストだけは弦楽器にも関わらず管楽器と同じようにピエールフルニエに集約されるのだがチェロは内臓ではなく体型という形での好みに集約するのかも知れない。声とか体とか、どちらにしても少々エロティックではある。そうするとチェロがデュ プレでなくなんとなくおじさんのフルニエであることが・・・残念ではあるが。
さて話をマイヤーに戻そう。最初の演奏は1982年彼女が23歳の時にベルリンで録音されたモーツアルト(KV.581)とウェーバーの曲で、その1年前にベルリンフィルとのいざこざが始まっており、この録音からしばらくたった後に彼女はベルリンフィルの楽団員の総意として不採用通知を受けることになる
しかし、この録音の五重奏のメンバーと言えばエドワルド ジエンコフスキが第一バイオリン(ポーランド人:1982年にベルリンフィルを去る)第二バイオリンがウォルター ショルフィールド(イタリア人)ビオラは土屋邦雄(日本人)ジャディ ディッセルホルスト(ドイツ人)と全てベルリンフィルのメンバーである事は注目すべきである。楽員の総意で彼女の起用を否定したと言いながらその楽団員と共に室内楽の録音をしているというのはこの世界では普通のことなのだろうか?挙げ句、ジエンコフスキに至ってはその年にベルリンフィルを退団していることもあり、ベルリンフィルの総意として彼女を忌避したというのは本当なのか少々疑わしく思える。彼女の不採用の理由としてあげられた理由の一つである「融合性」を彼女の演奏の音色がオーケストラの中で目立ちすぎるから、というなら分らないではないけれど。
そしてそのCDで彼女のクラリネットの音色を聴き、多くの人が「彼女の体の奥底から聞える声に魅了される」、筈だ。管楽器の音色は時に人の心を
その彼女は6年後Wiener Streichsextettと共演して再びKV.581を録音する。(Wiener Streichsextettはウィーン弦楽六重奏団、と訳されるのが一般的であるが、八重奏団や四重奏団と異なりウィーンフィルとは関連がなくむしろウィーン交響楽団と関連性がある。このCDはマイヤーというよりこの楽団をフィーチャーしているので組み合わせはブルーノ シュナイダーと共演したホルン五重奏曲となる)6年の月日を経て少し揺れがちだった彼女のクラリネットの音色はより深くより安定している。
同じ曲をアマデウス弦楽四重奏団とド ペイエが演奏しているのを比較のために聴いた。もちろん技術的に遜色などない。だがその音色に僕の心が鷲掴みにされることは残念ながらないのだ。もちろん聴く人によっては逆の事・・・ド ペイエのクラリネットとデュ プレのチェロに心を奪われる人だっているに違いない。それは受け入れる人の心の形と演奏する側の心の形がどう合うのか、その一点に依るものに違いあるまい。どちらが正解と言うより、自分の心の鍵を開けてくれる演奏家を見つけ出すことが大事なのだ。
さて肝心のクラリネット協奏曲である。共演はドレスデン歌劇場管弦楽団、名門である。指揮者のハンス フォンクという人は実は寡聞にしてこの演奏以外で聞いたことが無かったが、この演奏を聴く限り非常に端正で節度のある演奏をする指揮者である。こんなレベルの演奏をするのになぜ余り聞いたことが無いのかと調べてみたら、ギランバレー症候とALSに冒され僅か62歳で永眠していた。存命中も病気との闘いで十分な活動が出来なかったらしい。読売交響楽団とN響にも客演し、来日したこともあるらしいが、ちょうどその頃は自分は欧州にいたわけでドイツで購入したこのCDだけが僕と彼を唯一結びつけるものだったのだ。よく調べればベートーベンやブルックナーの録音もあるらしい。
彼の節度ある指揮を背景にマイヤーは滔々とクラリネットの音を響かせる。管楽器が女性にとって肺活量の観点からすれば明らかに不利だという常識は彼女には余り通用しない。むしろ強すぎず、弱すぎもしないその音色は曲を通して安定して、オーケストラとよく調和して進んでいく。この曲は死の僅か一ヶ月前に校了したモーツアルト最後のコンチェルト(全ての楽器における)の割には曲想は例えようもなく明るく天国に響くようなメロディに溢れている。その美しく穏やかな曲調は男性より女性の演奏者に似合っているのかも知れない。
ベームがウィーンフィルを指揮し、アルフレッド プリンツが独奏をする演奏を比較のために聞いた。ウィーンフィルの首席を務めるも実力がありファンも多い奏者であろう。有名なウラッハの直弟子でもありもちろん実力のある奏者である。とはいえ、ライスター(ベルリンフィル)にしろド ペイエ(ロンドンシンフォニー)にしろプリンツにしろ、有名で実力のある交響楽団の首席であるが独奏者として楽団から独立して演奏するというより昔のように曲によっては「ソロ」を演奏しつつ、基本的に楽団内に所属するというのがクラリネットの世界ではなぜか標準的で、フルート、オーボエ、ホルンのようにソリストとして独立した演奏家は少ない。マイヤーはその意味では貴重な演奏家でもある。
ベームとウィーンフィルの分厚い音の中で、もちろんプリンツは遺憾なくウィーンフィルと調和した音を響かせる。こうした演奏を望む聴き手も多いだろう。だがその分厚さがモーツアルトでは少々鬱陶しく感じられる人もいるかもしれない。そうした僕と似た人にとってマイヤーのモーツアルトはとりわけ心に響く演奏になり得るだろう。自分の心の鍵を開けてくれる演奏とであうことは音楽を聴く上での喜びである、と気づかせてくれる素敵な演奏である。
*WOLFGANG AMADEUS MOZART
Klarinettenkonzert A-Dur KV622/Sinfonia concertante KV297b(Anh.1.9)
DIETHELM JONAS(Oboe)/BRUNO SCHNEIDER(Horn)/ SERGIO AZZOLINI(Fagott) STAATSKAPELLE DRESDEN Dirigent, HANS VONK
EMI CDC 7 54138 2
*WOLFGANG AMADEUS MOZART
Klarinettenkonzert A-Dur KV622
STAATSKAPELLE DRESDEN Dirigent, HANS VONK(same take as above)
CARL MARIA VON WEBER
Klarinettenkonzert Nr.1 f-moll,op .73
STAATSKAPELLE DRESDEN Dirigent, HERBERT BLOMSTEDET
CARL STAMITZ
Klarinettenkonzert Nr.10 B-dur
ACADEMY OF ST.MARTIN IN THE FIELDS Dirigent, IONA BROWN
WOLFGANG AMADEUS MOZART
Serenade Nr.10 B-dur KV361(370a)"Gran Partita" fur 13 Blasininstrumente III Adagio
BLASERANSEMBLE SABINE MEYER
EMI CDC 5 55155 2
*Worfgang Amadeus MOZART
Quintet in A Major,KV581 for Clarinet, 2 Violins, Viola & Violoncello
Carl Maria von WEBER/Josef KUFFNER
Introduction, Theme and Variations in B-flat Major for Clarinet, 2 Violins, Viola &
Violoncello (transcription : Leonard Kohl)
Philharmonia Quartet Berlin
DENON DC-8098
*WOLFGANG AMADEUS MOZART
Quintett fur Klarinette, 2 Violinen, Viola und Violoncello A-Dur,KV581
Quintett fur Horn, Violin, 2 Violen und Violoncello Es-Dur,KV407(*)
WIENER STREICHSEXTETT Horn:Bruno Schneider (*)
参考
Mozart:Quintett fur Klarinette, 2 Violinen, Viola und Violoncello A-dur,KV581
Amadeus Quartet, Gervase de Peyer(Klarinette) DG 429 819-2
Mozart:Konzert fur Klarinette und Orchester A-dur KV622
Alfred Prinz (Klarinette) Wiener Philharmoniker KARL BOHM DG 429 816-2
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